第五章 弾かれた瑠璃は新路を選ぶ③

「それじゃあ、気合を入れて行こうか」

「おう!」

「もちろんニャ!」

「うん!」

「うん……」


 わたしの言葉に四人からそれぞれの返事が返ってきた。


 わたし達は今、エンジェルハートの入っている雑居ビルの前にいる。わたし達はまずはマネージャーの鈴本さんに独立の意志を伝えた。鈴本さんは当然驚いていたけれど、これまでの経緯を考えたらそれも仕方がないだろうと納得してくれて、副社長に申し入れてくれた。その結果、今日、わたし達は副社長に呼び出されたのだった。


「あくまでも冷静に話し合わないとね」

「特にコハクは気を付けるナリよ」

「わかってんよ!」


 口を尖らせるコハクの肩を叩きながら、わたしはビルのエントランスに踏み入った。


 副社長に何を確認して、何を勝ち取るべきかについては、事前にみんなでシミュレーションしていた。独立の時期。どのようにそれを告知するか。楽曲の権利や使用の条件。衣装や物販グッズの譲渡や買い取り条件。どこまで譲れて、どこまでが譲れないのか。


 でも、あの如月さんを相手に、その程度の準備では甘かったと、わたし達はすぐに思い知ることになる。


「は? 独立? バカなの? そんなの認めるわけがないだろ」


 会議室はわたし達五人と如月さんが入ると窮屈だった。緊張で硬くなっているわたし達に対し、如月さんは脚を組んで余裕の笑みを浮かべている。わたしは机の下で手を握りしめながら反論した。


「でも、如月さんはこれ以上ハピプリに手をかけるつもりはないんですよね? 解散させたいとまで仰ったじゃないですか。だったら、わたし達を所属させておく必要はないと思うのですが」

「無理無理。お前らとうちのマネジメント契約がまだ期間中だってことはわかってる?」

「はい。でも、双方の合意があれば破棄できるはずです。どうしてもというなら、契約期間の終わりまで待って、更新しないという形で独立することも考えています」

「あのね、俺はお前らのことを考えて言ってるんだぜ。ルビーはアイドル的には賞味期限内だから、他の若い奴と組ませた方がいいって考えてるわけ。コハクはモデル専業にした方がまだ売れる可能性あるだろうし。そうするなら『二人は』俺が売ってやるよ」


 如月さんの言葉に、コハクが不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。


「確かに、モデルは面白いけどよ。でも、うちはハピプリで踊るのが一番好きなんだよ! ハピプリやめたくねーし、ハピプリやめるつもりもねえよ」

「わ、わたし……も、ハピプリ、が、やりたい……です……」


 消え入りそうな声で主張した千沙子の手を、わたしは机の下でそっと握った。わたしは覚悟を決めて口を開く。


「契約のことを言うなら、わたしは契約書に書かれた内容以上の仕事をしています。これを元に訴訟を起こしたら、如月さんとしては面白くないんじゃないですか?」

「へえ、そういうこと言っちゃうんだ?」


 薄く笑う如月さんに、ルチルが冷静に言う。


「副社長さんがルチル達の活動がお荷物だって言うから、ルチル達は事務所を出ることにしたんだニャ。そうすれば、もう事務所はリスクを負わずに済むナリ」

「なるほどねえ……」


 如月さんは人差し指で口元を叩きながら、目を細めて笑った。


「まあ、独立してもいいよ。双方の同意がとれたってことで、マネジメント契約破棄してさ。勝手にすれば?」

「え……! いいんですか?」

「でも、独立したとしても、うちはハッピープリンセスに関する権利は一切譲渡しない。たとえどんなに金を積まれてもな。その意味、泉はわかるよな?」


 わたしは如月さんの言わんとすることを悟って唇を噛む。


「あ? どういうことだよ?」


 頭を傾げるコハクに、わたしは硬い声で伝える。


「ハピプリのほとんどの楽曲の著作権は、エンジェルハートで管理してるの。それに確か、ハッピープリンセスの商標も事務所で登録してるはずだし……」


 ヒスイがハッとしたように目を見開く。


「著作権……じゃあ、独立したら今あるハピプリの歌はもう歌えないってこと?」

「ハハハ! そういうことになるな。コハクよりヒスイの方が賢いみたいだなあ」

「ふざけんなって!」


 目を吊り上げたコハクが乱暴に机を叩きながら立ち上がった。今にも副社長に食ってかかりそうなコハクを隣のルチルが慌てて抱き止めたが、そのルチルも険しい顔を如月さんに向けている。


「商標も譲らないって……ルチル達にハピプリを名乗らせないってことナリか?」

「そういうことになるだろうな」

「だから、ふざけんなって!」


 ルチルの腕の中で暴れるコハクを見ながら、如月さんは他人事のように嗤う。


「アハハハ。まあ、そういうことだから、もう一度よく考えてみるんだな」

「……なるほど、そう来るわけですか」


 わたしは小さく呟いて、黙って下を向いたまま考えた。メンバーが不安げな顔でわたしを見ている。わたしは顔を上げ、如月さんをまっすぐに見据えた。


「如月さんはわたし達が独立する条件として、ハピプリの楽曲も商標も譲らないということを言いたいわけですね」

「さっきからそう言ってるだろう。だから無駄な反抗はやめて――」

「なら、その条件を飲みます」

「……は?」


 如月さんが目を見開いて固まる。


「わたし達がハッピープリンセスの楽曲も名前も諦めれば、独立してもいいと仰ってるんですよね?」

「は……? いや、オイ……本気か?」

「本気です」


 如月さんは口をポカンと開け、見たことのない間抜けな顔をしている。わたしは口元が少しニヤつきそうになるのを我慢した。


「善は急げです。さっそくマネジメント契約の破棄について覚書を結びましょう。文章案を作りたいので、事務所のパソコンを借りていいですか? みんな、今日は印鑑を持ってきてるよね? 千沙子とヒスイの分は後でおうちにもらいに行こうね」


 わたしが一人でペラペラしゃべるのを、如月さんだけでなくメンバーもポカンとして見ていた。


「泉、お前、頭おかしくなったのか?」

「いいえ。これ以上ないくらい、頭は冴えていますよ」


 わたしはにっこりと笑う。


「今更、独立の意志を翻して事務所にしがみついたところで、前よりもっと待遇は悪くなるでしょう?」

「ふうむ……確かにそうナリね」


 ルチルが口元に手をやりながら、うんうんと頷いた。


「それにこの事務所は危険人物の出禁もしてくれないんです。それが一番信じられないですよ。メンバーの安全が一番なのに」


 ヒスイがビクッと体を震わせた。それをフォローするみたいに千沙子が彼女の手を握る。


「そもそも、わたし達もゼロから始める覚悟がなければ独立なんて無理だってことです」

「う……まあ、確かに、これもなきゃヤダ、あれもなきゃヤダなんて、かっこわりーよな。あやうくダセー姿晒すとこだったぜ」


 コハクはバツが悪そうに指で頬を掻いた。


「副社長が期待するほど売れなかったのは、わたし達の力不足です。すみませんでした。そして、今まで面倒を見て頂いてありがとうございました」


 頭を下げるわたしを見て、他の四人も次々と頭を下げ始める。


「あざっした!」

「ありがとーございましたニャ!」

「あ、ありがとう……ございました……」

「ありがとうございました」


 この状況に、如月さんは二の句が告げないでいるようだ。わたしは頭を下げたまま、少しだけ口元をゆるめて笑った。



 事務所のある雑居ビルを出て、わたしは溜息をついた。


「甘かったね。ホント。如月さんのやり方が全然わかってなくて、準備不足だった。恥ずかしいよ」


 わたしはメンバーに向き直って頭を下げる。


「勝手に先走って色々決めちゃってごめん」


 四人は顔を見合わせ、なぜか軽やかに笑い始めた。


「やめるナリよ、ラピスちゃん。ラピスちゃんの選択は正しかったと思うニャ。それに、スカッとしたナリ!」


 ルチルの言葉に、千沙子とヒスイがコクコクと頷き、コハクは不敵に笑う。


「ハッ! こうなりゃ、うちら五人、一蓮托生ってやつじゃねえの?」


 みんなの笑顔を見ていたら、強張っていた全身から力が抜けていった。温水に浸かっているような心地よさを感じる。


「なんだか不思議だね。友達でもない、ただの他人だった五人が集まっただけなのに……すごく繋がりみたいなものを感じるね」


 言ってから恥ずかしくなって「あはは!」と笑って誤魔化すと、みんなも同じような顔で笑っていた。


「でも問題は山積みだね。色々準備しないと」


 わたしの言葉にみんなの表情が引き締まる。


「まずは曲と衣装を揃えないと。独立しちゃったら、ハピプリのオリジナル曲で歌えるのは一曲しかなくなっちゃうからね」

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