第二章 紅玉の原石は夢に覚める②
わたしは学校にまったくいい思い出がない。
小学生の頃から中学生になってもずっと、わたしは同級生達とうまく受け応えができなかった。話しかけるどころか挨拶すらまともにできなくて、それは当然の結果につながる。
「千沙子ちゃん、こっち来ないで! なんで千沙子ちゃんと一緒に遊ばないといけないの?」
「あれ、千沙子、また昨日と同じ服着てる。きったねー」
「わ、お前、千沙子の机触っただろ! こっち来るなよ! 千沙子菌がうつるだろ~!」
「やめろよ、アイツのよそった給食とか食えねーよ。罰ゲームかよ」
「千沙子ちゃんの描いた絵だけ画鋲がブスブス刺さってるね~。なんでだろうね~。千沙子ちゃんの習字だけよく剥がされてるし~。不思議だね~」
「千沙子の体操服隠してやろうよ。どうせなんにも言えないでしょ、アイツ」
「アハハハハ! 教科書とノートぐちゃぐちゃにされてんのにさ、なにも言えないでプルプルしてんの。マジウケるし」
「あれ、こいつナプキンしてる。千沙子でも生理とかあるんだ? キャハハ!」
「御園さんの靴ですか? さあ、知りませんけど。先生、うちらのこと疑ってるんですか? ひ~ど~い! 御園さんとは仲良しなんですよぉ。ねえ、御園さん?」
「なにマジで泣いてんの? 冗談だし。空気読んでよ。むしろこっちが迷惑」
「やっべ。ごめんね、千沙子ぉ。あの写真、間違えて他の子にもシェアしちゃったぁ。えー? わざとじゃないってぇ。許せよ」
同級生のそんな声を聞いても、わたしは何も言えなかった。何を言えばいいのかがわからなかったし、激しい感情が心の中に生まれた瞬間もあったけど、それを外に出すことができなかった。
学校ではよくしてくれた先生もいた。
「御園さん、もう少しがんばってお友達と普通にお話しするようにしたら、もっと学校が楽しくなるわよ」
でも、どうしてもわたしにはそれができなかったんだ。普通なことすらできない自分が情けなくて大嫌いだった。
家族はおばあちゃんとの二人暮らしで、おばあちゃんのパートと年金で生活していた。
「ちーちゃんがいい子に育ってくれて、おばあちゃんの自慢の孫だよ。天国のおじいちゃんとパパとママにも顔向けできるねえ」
優しいおばあちゃんには何も言えなかった。おばあちゃんの自慢の孫なんかに全然なれていない自分が、情けなさすぎて大嫌いだった。
自分はみんなのお荷物だ。自分なんか生まれなかった方が全部うまく巡ったんじゃないかと思えて、いつも消えたいと思っていた。
※
中三になったある日、同級生達が言った。
「なんか面白いことないかなー」
「そうだ、千沙子にアイドルのオーディション受けさせよう!」
「なにそれ、いきなり。でも、ウケる」
「オーディションとか何やるんだろ。歌とか? 水着とかもあるのかな?」
「ウケる。枕とかさせられたり? ヤベエ!」
そう言って、同級生達は笑った。
わたしはアイドルに興味はないし、知識もない。オーディションなんて行きたくない。
でも、黙って下を向いていたら、手の甲をつねられた。
「空気読んでお前も盛り上がれよ」
「あ、これいいんじゃない? 地下アイドルっぽいグループのオーディション」
「エロいやつに出さないだけ感謝しなよ」
その場で履歴書や志望理由の作文を書かされて、写真はどこかのアイドルグループの人のものをコピーして貼られた。それらを入れた封筒を同級生達がポストに投函するのを、わたしは見ていることしかできなかった。
※
ある日、学校から帰ったわたしを、にこにこ笑ったおばあちゃんが出迎えた。
「ちーちゃん、さっきアイドル事務所の社長さんって人から電話があったよ。礼儀正しい親切そうな人だった。おばあちゃん、ちーちゃんがアイドルに憧れてるなんてちっとも知らなかったよ。千沙子はわがままをちっとも言ってくれなくて、我慢ばかりしてるんじゃないかって心配してたんだ」
わたしは事務所から反応があったことに内心すごくびっくりして恐怖すら感じていたけど、おばあちゃんにはやっぱり何も言えなくて曖昧に笑うことしかできなかった。
「おばあちゃんもね、オーディションにはついて行ってあげたいけど、その日はパートがあるんだ。ちーちゃんは可愛いからきっと大丈夫だよ。応援してるからね」
オーディション前、わたしが家にいる時に、もう一度エンジェルハートの社長から電話があった。電話に出てもうまく受け答えができないわたしに、仙崎社長は穏やかに言った。
「オーディションの日はハッピープリンセスのライブもある日なんだ。それを見学するだけでもいいよ。遊びに来るつもりでおいで」
※
オーディションの日には、ママが若い頃に着ていた服をおばあちゃんが出してくれた。紺色の落ち着いたデザインのワンピースは少しだけサイズが大きかった。
「なにその服。ダッサ。ふざけてるの?」
わたしが逃げないように家まで監視に来た同級生達は、おばあちゃんには「付き添いで一緒に行くんです」と微笑みながら、隠れてわたしの背中をつねった。
彼女達にがっちり脇を掴まれて、わたしは憂鬱な気持ちで電車に乗った。トンネルに入ったとき、真っ黒な窓に吐き気がするくらい昏くて気味の悪い顔をしたわたしが映ったのを覚えている。
東京の路線の複雑さに戸惑いながら、事務所の入った雑居ビルに辿り着く。扉をくぐったわたし達を出迎えてくれたのは、二人の女の子だった。
「こんにちは。もしかしてハピプリのオーディションに応募してくれた子かな?」
「ふーん。周りはお友達?」
二人ともわたしよりいくつも年上に見えた。まっすぐに長い髪の優しそうできれいな人と、ゆるくウェーブのかかった髪の華やかで美しい人。この時は知らなかったけど、この二人は既にハッピープリンセスとしてアイドル活動をしていた泉ちゃんと由香里ちゃんだった。
「お名前はなんていうの?」
わたしがつっかえながらなんとか自分の名前を伝えると、泉ちゃんは可愛い名前だねと言って微笑んだ。その隣で由香里ちゃんは値踏みするような目でわたしを見る。
「でもさ、アイドル目指してるにしてはなんか地味な子だね」
「そんなことないよ、由香里。充分可愛いし、ちょっと髪とか整えたら雰囲気ガラッと変わると思うよ」
「そんなもの? あ、でもさ、その服可愛いね、どこの?」
わたしがたどたどしく母のだと答えると、由香里ちゃんはにっこりと笑った。
「レトロ感が逆に新鮮! 大切に着なよ」
「そうだ。社長はちょっと用事で遅くなるみたいだから、その服に合わせて髪の毛、もっと可愛くしてあげようか?」
ポカンとする同級生達を置いて、わたしは泉ちゃんと由香里ちゃんに奥の部屋に連れていかれた。そこは会議室と衣装部屋を兼ねているようで、長机といくつかの椅子の他に、可愛らしい衣装がずらりと並んだハンガーラックが置かれていた。
泉ちゃんはスタンド式の鏡を机に立てかけると、自分のポーチからブラシや髪ゴムを取り出した。
「ちょっと重たい雰囲気があるからすっきりまとめてみようか」
泉ちゃんがブラシをわたしの髪に入れるたびに、髪のごわつきに引っ掛かって恥ずかしかった。泉ちゃんはわたしのサイドの髪を束ねて髪ゴムでまとめ、リボンで飾ってくれた。
「ほら、すっきりさせて顔を出すと雰囲気変わるでしょ。千沙子ちゃん、小顔だしフェイスラインもきれいだから、絶対顔出した方がいいと思うよ」
「へー。意外にちゃんと見れるね。今度おすすめの美容院紹介してあげようか。軽くすくだけでも、雰囲気結構変わるよ。あ、わたしお化粧してあげるー」
二人はわたしの髪や顔をいじりながら、きゃらきゃらと軽やかに笑う。その雰囲気や指の感触がくすぐったくて、心地よくて、でも、いたたまれない感じもあって、わたしは少し震えていた。そんなわたしを由香里ちゃんが不審げに覗き込んでくる。
「もしかして、緊張してる? そんな暗い顔じゃ、受かるものも受からなくなるよ」
由香里ちゃんはわたしの背面に回ると、わたし顔を両手で掴んで上向かせ、さらに指を使って無理やり口角を吊り上げた。
「にーってしてごらん、にーって」
わたしは半分パニックでされるがまま。机に立てかけられた鏡には、戸惑うわたしと、楽しそうな由香里ちゃんと、その隣で苦笑する泉ちゃんの姿が映っていた。
「由香里、千沙子ちゃんが困ってるよ」
泉ちゃんは由香里ちゃんをわたしから引き剥がし、ぽんぽんと優しくわたしの頭を叩く。
「大丈夫だよ。千沙子ちゃん、可愛いんだから笑ってごらん。ほら、力抜いて、深呼吸」
泉ちゃんの手がわたしの背中を優しくさすった。服越しに感じる暖かい感触に、呼吸と一緒に心の中の凝り固まったものがすーっとほどけていくような気がした。
「ほら、にーっこり!」
言われるままにわたしは笑顔を浮かべた。あまり見たことのないわたしが鏡に映った。
「可愛い~!」
「ね~!」
泉ちゃんと由香里ちゃんが顔を見合わせて笑い合う。くすぐったくて恥ずかしくて、でも快い気持ちがした。
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