第一章 宝石箱の中で瑠璃は踊る③

 無事に特典会を終えて、わたし達は私服に着替えて帰途に就く。駅までみんなで一緒に歩いていって、電車に乗って駅を過ぎるたびに一人また一人と別れ、最終的にはマネージャーの鈴本さんとわたしと千沙子だけになった。ニットキャップとマスクをつけた千沙子はどんどん口数が減り、今では黙ってわたしに手を引かれるままになっている。


「泉、千沙子、いつも悪いな」

「全然大丈夫ですよ。わたし達が一番事務所に近い場所に住んでいるので」


 物販用のグッズやステージ衣装を詰め込んだ二つのキャリーバッグを、鈴本さんと分担して運ぶのはいつものことだった。


 エンジェルハートは女性アイドルグループを何組か抱えるだけの、大手から比べれば吹けば飛ぶような小さな事務所だ。疲れ気味の千沙子を入り口に残して、わたしと鈴本さんは荷物と共に事務所の入っている雑居ビルに入る。会議室を兼ねた衣装部屋でクリーニングするものや返却するものなど整理していると、副社長の如月さんが通りかかった。


「あ、お疲れ様です」


 わたしと鈴本さんがペコリと頭を下げると、如月さんは視線だけこちらに向けて言った。


「あ、泉。次からハピプリにはマネージャーつけないから。諸々の対応はお前がやって」


 言葉の調子は淡々としたもので、何気ない連絡ごとのようだった。


「え……!」


 わたしより先に驚きの声を上げたのはマネージャーの鈴本さんだった。


「如月さん、それはどういう意味ですか?」

「泉がいれば箱スタッフとのやりとりは問題ないだろ。物販の管理も。だから、お前はもうハピプリの現場には行かなくていいよ」

「え、でも……」

「鈴本さ、お前、掛け持ちで担当してる他のグループが忙しくなってきてるんだから、俺に言われる前に自分で仕事のやり方考えろ」

「いや、そう……かもしれないですけど、でも、ファンの対応もあるし、さすがに現場には誰かがついてないと……」

「オイオイ、お前バカかよ。最近のハピプリの売上げ見ろって。今はこいつらより他のグループに力を入れるべきだろうが。泉ならその辺の事情は理解できるさ。なあ?」


 急に話を振られたわたしは、咄嗟に何も返せなかった。スーツ姿の如月さんは三十代後半。事務所の経営面を担うこの幹部とはあまり対面する機会がなく、どう話していいのかも戸惑ってしまう。


「泉、どうした? お前ならわかるだろ?」


 そう言われても、さっきの言葉をどう受け止めればいいのか判断がつかなかった。呆然とするわたしに、如月さんはさらに言い募る。


「泉、お前ならグループの管理くらいできるよな? できる、できない、どっちだ?」

「え……えっと……」

「できるな? お前に任せて大丈夫だな?」

「えっと……、は、はい……」


 わたしはぎこちない動きで頷いてしまった。


「ははは! 泉は賢いから理解が早くていいわ。さすが、大卒のアイドルは違う。メンバーにもお前から伝えておけよ。じゃあな」


 満足げに笑いながら如月さんは去っていく。鈴本さんが心配そうな顔でわたしを見た。


「泉……」


 わたしは慌てて笑顔を浮かべる。


「あ、だ、大丈夫ですよ! ライブハウスのスタッフさんとのやりとりとか物販のやり方は、何年も見てきたからだいたいわかりますし、荷物運びも千沙子と分担すれば……」

「アイドルの現場管理ってのはそれだけじゃない。副社長はわかってるのかな……」


 鈴本さんは溜息をついた。


「ハピプリには変なファンはいないけど、お前達を守るのもマネージャーの仕事だからな。如月さんにはもう一度談判してみるよ」

「ありがとうございます。でも、自分でできることはわたし達でするので!」


 わたしは笑顔を貼り付けて言った。


 内心ではショックや不安が広がっていた。後輩達に人気で抜かれているのは自覚していたことだけれど、改めて事務所の幹部から言われると胸に来るものがあった。


「あの……じゃあ、わたしはこの辺で」

「ああ、気をつけて帰れよ」


 わたしは鈴本さんにお辞儀をして、逃げるように背を向けた。


 仕方のないことだ。アイドルだって商売なのだから。でも、メンバーにどう伝えよう。


 溜息をつきながら、わたしはエントランス扉を押し開いた。



「い、泉ちゃん、どうしたの……?」


 雑居ビルから出ると、千沙子がわたしの顔を心配そうに覗いてきた。


「え?」

「な、なんか……不安そうな……顔……」


 そう言って、千沙子はわたしの手を取った。柔らかくて暖かい感覚がわたしの右手を包み込む。動揺していた心がすーっと穏やかに落ち着いていくのを感じた。わたしは千沙子に笑顔を向ける。


「ふふふ。なんでもないよ! 今日は遅くなっちゃったね。明日もバイト早いし、夕飯どこかで食べていっちゃおうか」

「え……? う、うん……でも……」


 釈然としないような顔をする千沙子の手を取って、わたしは歩き出す。


 大丈夫。

 みんなへの報告の仕方は後で考えよう。わたしはリーダーなのだから、しっかりしないといけない。大丈夫。メンバーが力を発揮できるように、わたしが出来る限り裏方の仕事もがんばればいいだけのことだから。



 近所の和食系ファミリーレストランで遅い夕食をとって、わたしと千沙子は自宅に帰った。色々とあって、わたし達は賃貸マンションをルームシェアして暮らしている。


 お風呂を上がり、ダイニングルームでクッションに座りながら長い髪をドライヤーで乾かしていると、わたしの後に入浴した千沙子がバスルームから出てきた。


「使う?」


 千沙子は首を横に振って、わたしからドライヤーを受け取らず、わたしの顔を窺うようにじっと見つめてきた。


「なに、ちーちゃん? わたしの顔に何かついてる?」

「や、やっぱり……泉ちゃん、なんか……元気ない、き、気がする……」

「そうかな? いつもどおりだけど」


 わたしが首を傾げてみても、千沙子は隣に座ってジッとわたしの目を見つめてくる。わたしはふうと溜息を吐き出した。


「やっぱちーちゃんにはバレちゃうのかあ」


 わたしは千沙子の肩に自分の頭を乗せて、少し体重を預けてみた。


「如月さんがね、もうハッピープリンセスの現場にマネージャーさんはつけないって」

「ふうん……」

「ハピプリの売上げがよくないからだって。他のグループの方に力をかけたいんだって」

「ふうん……」

「千沙子はそれでもアイドル続けたい?」


 わたしは自分の頭を千沙子の肩から離して彼女の顔を覗いた。千沙子の黒目がちの瞳が無言のまま、わたしをじっと見つめる。彼女はコクリと頷き、その瞬間、ぼんやりしていた彼女の瞳がキラリと光ったように見えた。


 わたしは自分の唇が自然と笑みの形になるのを感じる。


「よーし!」


 わたしは千沙子をガバッと両腕で思い切り抱きしめた。


「わ、わ、なに、な、なに……?」


 わたしの腕の中で緊張したように身を固くする千沙子は、お風呂から出たばかりだからかポカポカしていて暖かい。


「大丈夫。大丈夫だよ、ちーちゃん。ハピプリはわたしがちゃんと守るから」


 湿った千沙子の髪をぽんぽんと優しく叩く。


「い、泉ちゃん……!」

「そうと決まれば早く寝ようっと。明日も早いし、夜更かしは美容の大敵だしね。ちーちゃんも髪を乾かしたら早く寝るんだよ」

「う、うん……」


 まだ少し戸惑い気味の千沙子を残して、わたしは自室に下がった。

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