第09話 腹痛の魔術師は奴隷に見下ろされる

 ヨツノは破壊した壁を乗り越え、俺の真上まで来た。

 そして拳を思い切り握りしめて、振り下ろす。


「ッ!」


 鼻先にはヨツノの拳と、抉れた地面。あと数ミリもズレていれば、俺の鼻が潰れていたに違いない。


「動けない、よね」


 ヨツノが拳を地面から剥がす。ついでと言った感じで、転がっていたチョークを拾い上げた。

 いまの一発は、どうやら俺が動けないふりをしていないか確かめたらしい。

 彼女は再び俺を見下ろす。その瞳には何一つとして感情を伺うことはできない。


「何をした……」


「毒を盛ったんだよ」


 やはり朝食の時か。

 だとしても、不可解だ。

 ヨツノを購入した時、彼女は薄い布きれを被っていただけで他に荷物はなかった。

 魔術が使えたとしても、毒を生成する魔術は完全に上級技術だ。ヨツノにそこまでの知識はあるとは思えない。

 それに、


「たとえ奴隷だとバレない状態で商店街に行っても、毒なんて買えないはず」


「それは当然だね。だって売っているのは毒じゃないもん」


「なに……?」


「それだけを食べても何も無い。

 だけど、あるものを組み合わせると一転して毒に変わる」


 そんな魔術みたいなもの――


「合食禁かッ!?」


 合食禁。食べ合わせとも言う。

 普通の食べ物でも、組み合わせが悪ければ人体に害をなす成分ができてしまう。

 この女、それを知っていて俺に食わせたのか……。


「どの組み合わせか分かる?」


「どの組み合わせでも、ここまで身体が動けなくなることないだろ」


「不正解。正解は胡桃と草原菜とフルーツジュース。

 って言っても、フルーツジュースについては実はカクテルだったんだけど、ご主人様は気にも留めずに飲んだでしょ。だめだよ、口に入れるものには警戒しないと」


 ヨツノは少しだけ笑みを浮かべながら俺の隣にしゃがみ込む。

 僅かに近くなる瞳は全く笑っていなかった。


「胡桃とお酒は血圧を高めるし、草原菜は柑橘系と一緒に食べると僅かばかりの毒素を作って消化不良を起こす。今朝の朝食程度なら軽い眩暈とか下痢で済む。でも、その効果を増幅できるとしたら別でしょ?」


 ヨツノがエプロンのポケットから取り出したのは、青い木の実だった。

 俺が購入し、彼女が朝食に出したもの。


「この木の実は食べ物なんかの効能を引き上げるって言ってたね。私の住んでいた村の近くにも生えてたから知ってたよ」


「それで食べ合わせによる毒を増幅させたのか」


「言ったでしょ、私の住んでた場所では有名な組み合わせだって。ご主人様が知らなくてよかったよ」


 とんでもない女だ。

 普通、合食禁で人殺しなんて考えるか?

 しかも実行して見事成功している。

 呑気にうまいうまいと食べていた自分を殴りたい。引っかかった俺が完全に悪いじゃねえか。

 ともかく、彼女が上手く毒を盛ったのはわかった。

 問題は動機だ。


「どういうつもりだ」


「簡単な話だよ。ご主人様……ううん、にはここで死んでもらう」


 また、その呼び方か。


「やっぱ、奴隷が嫌だったのか」


「そんなの当たり前じゃん。私は奴隷になんてなるつもりも、あなたに従うつもりもない」


 そう言って彼女は、魔道具である奴隷の首輪を外す。壊れて意味をなしていないそれを地面へと放り捨てた。


「私は自分の生まれた場所に帰りたい。こんな場所で立ち止まっている時間はない」


「だから俺をここで殺して、逃げるってか? できるとでも?」


「できるよ」


 俺が口角を上げると、対照的に彼女の口角が下がる。


「奴隷の首輪はもうない。そしてあなたは動けない。放っておけばここで魔物に殺されるか、毒で死ぬ。別の冒険者がここに辿りついたとして、見つけられるのは腐った衣服と奴隷の首輪のみ。そこから導き出せるのは、魔物に負けて奴隷共々食べられたってことくらいだよね? しかもここは四十二階層で、来られる人もごく僅か。パーティーから追放されたばかりで孤独のあなたを心配する人が、一体どれだけいるの?」


 彼女の見解はほぼ間違っていない。

 冒険者がダンジョンに潜るのは自己責任だ。そこでくたばればそこまで。生きるも死ぬも己の実力が全てとなる。

 だからこそ仲間を集めパーティーを作り、死なないように立ちまわる。


 それが普通だ。


 しかしパーティーを追放されたばかりの俺には他に仲間もいない。


 新たなパーティーを作ろうとしてこれだ。


 奴隷にはうまく利用され、そして用済みだからと捨てられる。滑稽極まりない。


 あの時と同じだ。


 第三層でトライアンフのみんなと出会した時。

 追放されて、孤独を紛らわすことができなくて。トライアンフのみんなの笑顔が眩しくて、苦しくて。だからあの時、隠れたんだ。


 今の自分と比較したくなかったんだ。


 ――なんか、惨めだ。


 あの時の感情と同じなんだ。

 こんな人生を晒し続けるなら死んだほうがマシだ。


 やはりここらで俺の人生終わりにしておくべきだろう。


 それでは、さようなら。


 完。




















「という……わけに、も、いかないんだよな」


「なんですか?」


 ヨツノが訝しげな声を返してきた。

 俺は虚ろな視界の中で、彼女の顔を見る。

 その表情だけは、はっきりとわかる。


「なんで、そんな悲しそうな顔してるんだよ」


「…………」


 今にも泣きそうな、罪悪感に苛まれそうな、親に叱られた子供の様な瞳。


「ちゃんと悪いことするときは、覚悟を決めろよ」


「覚悟はできてるよ」


「できてねぇだろッ!」


「!?」


 息が熱く、喉は乾き、それでも声を荒げて吐き出した怒号に、ヨツノの表情が僅かに怯む。

 

「お前に今までどんなことがあったか知らないし、それを救ってやろうだなんて思わない。お前の境遇に多少同情したとしても、それはあくまでお前が他人でお前の人生だからだ。だからお前がどんな決意で、どんな動機でこの状況を望んだかなんて分からない。だけどな、人を殺す覚悟もなく、完全な悪人にもなれないってなら、そんなこと無理してやるんじゃねえよ」


 ヨツノの瞳が僅かに揺れる。しかし、それもほんの僅かのことで、瞳の内に怒りに似たものを孕んで、叫んできた。


「ふ――ふざけないでよ! 殺す覚悟? 完全な悪人? そんなの過程でしかない。私が私の目的を達成するためなら、その過程に何があろうとも、あらゆる手段を使って乗り越える!」


「なら、悪人らしく笑え」


 俺はニィと口角を釣りあげた。


「なに、を……ッ!?」


 ようやく彼女は俺の真意に気付いて、表情を歪める。

 俺がこうして長々と話していたことも。瞳を見つめて意識を逸らさせていたことも。倒れたまま、少しも身体を動かそうと試さなかったことも。

 全て、相手の隙を狙うため。


「チョークはあくまでも空中に魔法陣を描くためのものだ。魔術師ってのはな、指先が少しだけでも動けば十分仕事ができるんだよ」


 俺の右腕はうつ伏せになった身体の下敷きになっていた。

 否、わざとそうしたのだ。

 指先を地面で切り血を滲ませ、相手の見えない位置で――――魔法陣を描くために。

 俺の真下で魔法陣が赤黒く輝き出す。


「ッ!?」


 ヨツノが慌てて後方へと飛び跳ねるように下がった。

 同時に俺は全身の力を込められるだけ込めて、身体を反転させる。自身の動きは鈍い。このままであればヨツノの攻撃を避けることは出来ない。

 だから距離をとってもらう。

 魔法陣から生えてきた、土で出来た槍。それがヨツノに向かって一直線に伸びていく。


「どこまでっ!」


 ヨツノは後方転回しながらボス部屋の扉の方まで下がるが、槍は追い続ける。


「残念だが、魔力のある限りどこまでも伸びる単純構造なんだよ」


 俺はすぐ様アイテムボックスを指先に開くと、一番まともに動く手首を食い込ませて中のものを弄る。

 取り出したのは透明な小瓶に入った翡翠色の液体、回復薬だ。


 冒険者ではあれば必ず一つ持て。そして一生持ち続けろ。なんて言われるくらい使いたくはない代物である。単純に高価だし、回復薬より前に回復術師を仲間にしろという教訓を叩きこまれているからな。


 俺は瓶を握った腕をゆっくりと顔の前に持ってくると、コルクを口で抜きとり中身を飲み干す。

 全身に緑色の光が迸ると全身を襲っていた苦痛がたちまち和らいだ。


「よし」


「くんぬっ!」


 俺が立ち上がるのと同時に、ヨツノは迫っていた槍を手に掴んでへし折った。形を失った槍は土へと戻り、魔法陣は効力を失って消え失せる。


「単純ならこれで十分。人を馬鹿にしてッ!」


 再び狭い通路を一直線に突っ込んでくる狐の亜人。その素早さはまさに獣。動きを追いかけきれなくなりそうになる。

 俺は緊急時用に備えて袖に引っかけてあるチョークを取り出した。


「土の魔術!」


 再び地面に魔法陣を描く。複数連続で描くと、できた先から土壁が生えてくる。

 これでいくらか防げるか、などと考える余裕があった。少しばかり時間があった。


「ァアアアアア!」


 叫び声と共に壁が破壊される。だが先ほどの腕力のみでではない。

 ヨツノの左腕に水が纏っていた。指先から肘までを覆うように固まったそれは腕を中心に高速回転し、先端は槍のように尖った形状をしている。右手にはチョークが握られていた。空中に魔法陣を描き、水の魔術を使って腕を槍代わりにしたのか。


「とんでもない発想力だな!」


「武装は初歩だよッ!」


 そのまま鋭利な先端が俺に迫ってくる。


「とったァッ!」


 水の槍が俺を貫く――――ことはなかった。


「なっ!?」


「こっちだ」


 目の前から消えた俺を探すように首を回すヨツノに向かって声をかける。

 既に俺はボス部屋の前。ヨツノの後ろを取っていた。


「座標」


 俺が人差し指を突き出す。それが何をしようとしての行為かは当然相手も知っている。


「させないッ」


 だから彼女が地を蹴り壁を蹴り天井を蹴ることで、座標を捕らわれないよう動くのも容易に想像できていた。二人が横に並ぶのもままならない狭い通路でも、不特定の動きでは相手の座標を定めることは難しい。

 ヨツノはその動きのまま距離を詰めて俺に襲いかかってくる。

 小さくても強靭な拳が再び襲いかかってくる。


 だが、またも空を切る。


「なんでッ!?」


「わからないか?」


 彼女が振り返る。俺はまたも移動し彼女の後ろを取っていた。

 ヨツノが空中に魔法陣を描き出す。俺も対抗してチョークを滑らせた。


「水の魔術!」


 ヨツノの描き終わった魔法陣が光ると、針のように尖った水が何十という数で俺に向かって飛んでくる。対して俺が描いたのは炎の魔術だ。

 俺の前に灼熱の炎が噴き出し視界を覆う。そこに突っ込んできた水の針が一度に蒸発し今度は白い蒸気が通路に立ち込めた。


「魔法陣を描くのに慣れてなかったな。あれじゃ遅い」


 俺は既に複数の魔法陣を追加で描き加えた。そこから放たれたのは最初と同じ土の槍だ。一直線に伸びたそれが薄くなった蒸気を越えてヨツノに向かう。


 無理に魔法陣で攻撃してきたのが、逆に俺に時間を与える結果となった。

 当然ヨツノは次の魔法陣を描き終えてなかった。間に合わないと判断したのか、チョークを投げ捨てて腕を構える。


「またへし折る!」


「折りきれるか?」


「ッ!?」


 彼女が驚きに目を見開く。

 彼女が睨む槍。その周辺の壁や地面にも魔法陣が突如として現れたからだ。

 その数は約五十。青白く光った魔法陣から続けて槍が放たれる。


「いつの間に!? 移動した時!」


 さすが頭の回転が早い。あとから発動した魔法陣は彼女の後ろを取る時に仕掛けておいたものだ。

 防ぎきれないと察したのか、ヨツノは後退する。しかしその先はボス部屋の入口。逆に言えば今は壁だ。

 ヨツノの背中が白い扉に重なると同時に、周辺に更なる魔法陣が浮かび上がった。


「ここにも!?」


 壁から土が伸び、ヨツノの手足に絡まる。

 身動きさせなくするための魔術だ。しかし急ぎで雑な魔法陣であることと、彼女の腕力が相まって一瞬にして破壊される。

 その数秒、稼げればよかった。


「終わりだ」


「ッ!?」


 ヨツノと視線が交わる。

 この時、すでに俺はヨツノの眼前におり、右手に握ったナイフが細い首に触れていた。

 コンマ数秒遅れて、周囲の槍がヨツノを囲む。あと数センチという位置でピタリと止まった。

 前方には俺と無数の槍、後方にはすぐに開けない扉。ヨツノに逃げ場はもうなかった。本人もそれを察したのか、荒く短い感覚の呼吸と焦りに狼狽える瞳が、徐々に落ち着きを取り戻す。

 そして、小さく呟いた。


「なん、で」


「一瞬で移動できたかか? 座標指定は俺の研究過程における副産物でしかない。

 俺の得意分野は――――だよ」


「……そういうこと。二つの座標間移動を、別の次元を経由する。まるで瞬間移動みたいになるんだね。それにあれだけの魔法陣。それも別次元に描いておいたとか言うんでしょ」


「ご明察。ほんとに、お前は惜しいくらいによくできる。こんなことしなければ、いい研究仲間にでもなれただろうにな」


「残念だ」と後ろにつけたのは本心からの一言だった。

 それがヨツノにどう捉えられたのか、どう届いたのかわからない。

 しかし彼女は瞳を大きく揺らし、目尻から大粒の涙を零し、掠れた声で呟いた。


「私、何も出来ずに、また死んじゃうんだ」

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