NiLMaNa-ニルマナ-

沙漠みらい

第1章 苟且の因

第00話 とある魔術師は陣を編む

 神々が気まぐれに造った庭のひとつを、人々は森と呼ぶようになった。

 三十メートルはある高木の群れが空からの光を吸い上げる。薄暗い林床では獣が呻き、鳥が喚き、何かの不気味な音がこだまする。まさに神秘的な大自然だと、初めて訪れる者なら息を呑むだろう。しかし、森の中央には、自然と対照的な人工的建物がそびえ立っていた。


 まるで空を目指すように高くそびえ立つ円筒型の巨大建築物。

ダンジョン――『苟且こうしょよすが


 現時点で未踏破の「魔の城」。中には魔物と呼ばれる、人とは違う生き物が蔓延り、迷い込んだ生者を貪ろうと待ち構えている。


 そんなダンジョンの中のとある階層に、硬いものが跳ねるような音が響いた。もしくは何かを床にうちつけて擦るような音。その流れは長かったり短かったり、まるで何かをなぞる様に、描く様に。

 冒険者組合ギルドの記録によれば、このダンジョンの最高到達階層は六十八階層。しかし音の響いているのは七十階層であった。


 七十階層は道が入り組んでいることも無く、木々が生えているわけでもない。

 天井はなく、黄昏時の空が淡い橙色の空気を空間に注ぎ込む。


「中央都市のダンジョン『カトブレパスの牢獄』と同じね。どうして最上階層に天井がないか分かるかしら?」


『ソトニデルタメ、ダカラカ?』


 最上階層。それはダンジョンの踏破が認められ、達成した冒険者の実績と誇りになる領域。

 ギルドには登録されていないが、この七十階層が『苟且の因』の最高地点である。

 そこには何もない代わりに、人が数百人入っても有り余る広さがあった。


 中央には大きな穴が開いておりそこから下層へと降りることができる。逆に高く跳べるのであれば六十八階層から六十九階層を越えて最上層まで昇ることも可能だ。

 

 その穴の縁際に一人の人族がいた。

 黒いローブを身に纏い、フードを深く被った女である。


「逆。外から呼び込むためよ」


 女は膝をつき、床に顔を向けている。右手には白のチョークが握られ、それを床に触れさせては幾何学模様をいくつも描いていた。最上階層に響く音はチョークの削れる音だったのだ。


「系統は太陽と月。規模は魔力だけでは足りないわね」


 確認するように言葉を吐いた女は、すでに描かれた模様を消さないよう慎重に移動しながら、次々と書き込みを増やしていく。


「円に一切の歪みは許されない。それは魔力の流れを乱してしまうから。

 魔法陣とは、魔力の流れを司り制御するもの。その正しい道を与えるのが、魔術師の役割よ」


『……ヨクキコエナカッタ。

 コノマホウハ、コエガキキヅライ』


 彼女と言葉を交わしているのは、胸元のポケットに収められた小さな木片である。それは人の形を模しているが、聞こえてくる声は酷く聞きづらくおよそ人のものとは思えない。しかし発しているのは紛れもなく人間であり、彼女の仲間だ。

 

「人の声を音の塊として捉え、魔力変換してから送っているのよ。

 送られているのは生身の声じゃなくて魔力なんだから、聞こえづらくて当然だわ。

 聞きやすくしたいなら、交信鏡でも持ってくるといいわ」


『ソレハ、オオキスギテジャマダ』


「冗談よ」


 女は拗ねたような声を出すが、手元は魔法陣を描き続けている。


「魔法円は術者を守るためのものであり、例えば召喚したものに襲われないよう首輪の役目も果たす。今じゃ不要だと省略化されてるけどね。

 必須と言われている召喚魔術だと、より高度なものには様々な要素と守護が絡み、その陣の構造も複雑極まりないものへと変貌するわ」


 女の真下にあるのは一つの巨大な円。しかし描かれた弧は一片の狂いもなく綺麗な曲線である。

 その中にあるのが女の描いていた模様だ。いくつも重ねられ、しかしデタラメではない配置で、様々な幾何学模様が描かれていく。


「だけどね、練りに練られた魔法陣はひとつの芸術に達するほど美しい模様を描き出すのよ。

 そして、その最終形態に足をついていいのは――神だけよ」


 すべてを書き終えた女は立ち上がり、階層の隅へと移動する。

 そこから見ても魔法陣の全貌は確認できない。


「未だ空を飛ぶ魔術がないって言うのも疑問よね」


 空中を飛んで真上から見れば、その円がどれだけ美しいかが分かるだろう。

 しかしこの場にそれを行うもの、行えるものはいない。

 それでも彼女は、頭の中に描いていた陣を完璧に描き切った自信と、それを裏付ける実績があった。

 彼女の首に掲げられているのは、五つの菱形を束ねたペンダント。この世界で、特に冒険者は喉から手が出るほど欲しい絶対強者の証である。


『カンセイシタカ?』


「ええ、問題なく。あとは……贄ね」


『イノチガ、ヒツヨウカ』


「そうね、核となる命が」


 女は手にしたチョークを空中に掲げると、まるでそこに紙があるかのように魔法陣を描き始める。それは地面に描かれたものとはまるで違う、円で囲まれていない模様。先程までとは違い指先の速さは凄まじいが、その模様にほとんど歪みはない。

 彼女の動きに応じて、チョークから青い光が空中に描かれていく。そうして完成した一つの魔法陣。さらに呼応するかのように対角の隅の空中にも同じ模様が浮かび上がる。

 魔法陣が光だすと大きな金属音を立てながら手錠が出現した。勢いよく飛び出した手錠と魔法陣は長い鎖で繋がっており、手錠は中央の穴から六十八階層へと落ちていく。


「神はいつとて形を持たない。求める者に呼応して姿を変える。呼びかけるためには、世界と繋げる通過点が必要。その程度の供物であれば、転がっている命で十分。

世界に必要なのは魔力マナを操れる者だけよ」


 女はローブの中で不気味に嗤った。

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