第20話 トマトみたいなもんだよ
彼女は自分の商売が上手く行っていないのではないか、と案じてくれていたのだ。
これは大いに恥じるべきことだ。
「あ、いやすまんそんなことは、ないんだ」
その時、ヘレンは俺の手を握る。
「……もし必要でしたら、以前の知り合いにも色々と頼みますから、仰って下さいまし」
何だろうか。
アリスとは違う。
この慈悲と慈愛。
俺は思わず先程までの自分を呪いたくなる。
「ヘ、ヘレン……」
そう抱き寄せようとした時だ、
「あらお兄ちゃん、昨日はわざわざ温泉宿まで来てくれたのに、今日は遅いわねえ」
と、通りすがりの娼婦が笑いながら声を掛ける。
「そうだそうだ! 昨日食べたトマトだっけ? あれすごく美味しかったよぉ! だから今日も売りに来てねー。来てくれたらサービスしてあげるから、ね♪」
そう言って、彼女は手を振って別のところにいく。
「……」
「……旦那様」
「……へい」
彼女の両腕が俺の両手をホールドする。
抱き着きながら、締め上げられる。
「……ど、う、い、う、こ、と、で、しょ、う、か???」
あ、ヤバい。
これ本当に怒ってるやつだ。
しかも、目は見開いてこちらを一点に凝視している。
「これは裏切りですよ。夫婦という絆に対しての!!! 温泉宿のことを口にしたのはそれだったわけですね!! 野菜を売るというのは名目で、本当はそこで他の女と遊ぶ為に野菜を売りに行っていたわけですか!!」
締め上げる力が強くなる。
普段からは想像できないくらい、かなり興奮状態だ。
「ま、まってくれ誤解だ、誤解!」
「……なるほど誤解ですか」
そう言うと、彼女は腕を降ろす。
「………ふふふ、誤解ならば解かねばいけませんね」
そう言うと、俺の襟首を掴んで引きずると、リヤカーの荷台に押し込む。
「な、なんだって……」
すると、ギラギラとした目でこちらを見返す。
「……行きましょうか! 旦那様を誘惑した連中の居る場所に!」
と、猛スピードで温泉宿のある場所へと向かい出した。
俺はとりあえず野菜が潰れないよう座り、なされるがままだった。
温泉宿パラディスこと娼館へと到着すると、息を切らし、髪が乱れたままで、ヘレンは単身乗り込もうとする。
「お、落ち着けってヘレン!」
そうやって抑え込もうとするのだが、あの時戦った彼女とは何かが違う。
力とかではない、執念じみたものが彼女を突き動かす。
そこへ、あのニーナがやってきた。
「あら、ユウヘイくん。……と、女の人?」
そんな彼女の登場に、ヘレンはグイッと顔をよせる。
「……初めまして、ヘレン・カラブリア・スモジュ=シラヌイです」
「ど、どうもぉ。こちら、ユウヘイくんのお知り合い?」
殺気だった挨拶に困惑するニーナ。
「……妻です」
「え?」
「あ、なるほど。奥さんだったの」
すると、彼女の本気が見れた。
「もしかして、ご主人が心配になってきたってこと? 大丈夫よ、私はユウヘイさんが売る場所に困っていたから、ここでの販売を許可したってだけよぉ。奥さん、安心して頂戴な。私はこうした商売をしてる身だけれど、きちんと男を見て仕事してるわよ。手を出しちゃいけない男くらい、きちんと分かるもの。ユウヘイさん、あなたがきちんと面倒を見てるから、良い男ってのが分かるしね。色々と奥様も世話を焼いて大変でしょうけど、きちんと豆に面倒みてらっしゃるのねぇ、立派だわー」
「……そ、そうでしょうか」
おぉ! トーンダウンして、何故か頬が緩みだした。
正直、その香具師口上というか、口の上手さに雰囲気作りは見習いたいものがある。
「それじゃ、また野菜の販売お願いしますね。ユウヘイさん」
そう彼女が頭を下げると、自然とヘレンも頭を下げる。
「……こちらこそ、そちらの意図を知らずに申し訳ない」
チョロいな、と思った。
「それじゃ、私はこれで」
そういって、ヘレンに見えないようにして俺にウィンクして去るニーナ。
で、できる女だ……。
こうして疑念は晴れたのだが、その帰り道のこと。
「そういえば、旦那様はどこの出身で?」
その手の質問は、彼女からされたのは始めてだ。
「俺? 日本の八王子ってこと」
「ニホン? ハチオウジ?」
「まぁ、この世界じゃない別のとこってことだ。それより、何でそんなことを?」
「……いえ、その」
彼女はそう言うと、少し口ごもる。
「……何と言いますか、一応掟ということで私達は夫婦、ですよね」
「そうだな……(俺は全く認めてない一方的なものだけどな!)」
すると、彼女は憂鬱そうな顔をする。
「……ですが、私と旦那様の間には、あんまり夫婦らしいこともないような、そんな気がしまして。……少なくとも、私の知っている夫婦はもうちょっと色々と触れ合いがあるといいますか」
「……」
否定はしないが、かといってそこに何かを加えるというのも出来ない話に思えた。
何を言わんとしているのかは想像できる。
だから、俺はどう答えるべきか悩む。
悩んだので、頭に軽くチョップを入れる。
「……い、いたっ」
「あんまりそんな深く考えないでくれよ……。いや、まぁそりゃなんというかさぁ」
「……はい」
「なんつうか、その……。トマトみたいなもんだよ」
「……はい?」
「お前が毎日楽しそうに畑で作業するだろ? でも、そこで取れた野菜をここで売ってたとしても、そんなこと買った奴は知らない訳だろ? 相手にとっちゃタダの野菜でしかなくて、食べる物でしかないわけだ。でもさ、夫婦ってそんなもんじゃないかなぁって。上手くは言えないんだけど、このトマトやジャガイモ、ナスにピーマンにどんな思い入れがあるかなんて、他人は見て無いけど、近くで見てる俺は知ってるよ、みたいな?」
そう答えると、しばらくしてから彼女は吹き出して笑う。
「……旦那様らしい答えですね」
彼女の足取りは軽くなった。
「……そうですね。他と比べても仕方ないですもんね」
自分に言い聞かせているように思えた。
そして、その日はヘレンの実家に寄ろうという話になった。
が、道中、突然どこからともなく現れた兵士の集団に囲まれた。
「え、な、なに!?」
その兵士の輪に囲まれる俺とヘレン。
「そこの御二方」
聞き覚えのある男の声。
タンヂだ。
「すまんなヘレン。……そして我が妻を奪った男。ちょっとばかり顔を貸して貰いたいのだ」
「だからっていきなり過ぎんだよお前は!」
「手間は取らせん。そもそも、私だって貴様のような男と顔を合わせるのは嫌なんでね」
タンヂはそう言うと、マントを翻らせる。
「悪いが、国王殿下と執政様がお前に会いたいといっている。ついて来てもらおう」
え? それマジか。
俺の思考はちょっと止まった。
「……断ったら?」
「断っても構わないが、殿下の光栄な誘いだ。誘われたならば、会っておいた方が良いと思うぞ」
彼は手袋を外し、爪を弄ってそう答える。
嫌いな奴の顔は見たくないという感じだ。小学生か、お前は。
「それと、この誘いというのはかなり公的且つ極めて重大であり、君自身の命に関わる話だ」
「……つまり、どういうことだよ」
そう言うと、彼はこちらを冷めた目で見る。
「君は不法滞在者として裁判所へ召喚する前に、国王が慈悲を与えんということだ。断れば、この国の法律として監獄船行きだ」
その言葉に、俺はちょっと頭が混乱した。
……船に揺られること一週間。
俺はタンヂの言う事に従い、一人連行されていた。
アリスを助け、ヘレンと再会したロンストン島に戻って来たのだ。
そして案内された宮殿は、森の中に鎮座するかなり風変りなものであった。
山全体を城とした、まるでカッパドキアのような隠れ家じみた宮殿である。
そこの中へと入って行くと、待っていたのは警備兵を従えた、五十を越えたくらいの男。
「ポワトゥー執政! スモジュ地区徴税・行政担当官、タンヂ・デ・フェアリングス・オルバント・カルヤンテです。殿下の命通り、ソウファの不法滞在者を連れて参りました」
そうタンヂがポワトゥー執政に伝えると、彼は頷く。
「宜しい。緑樹の間にて殿下がお待ちだ」
執政に連れられ、俺が訪れた場所は全面ガラス張りの温室。
樹齢何年か分からないが、幹がとんでもなく太い広葉樹が一本。
その木の下にある、円卓で茶をする人。
それが、チェザーレ国王だ。
※続きは8/21の21時に投稿予定です。
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