第19話 そりゃ潮風に当たりたくてだな

 スモジュの温泉宿パラディスには、約百人の女性が居るらしい。

 それも、美人ばかり。


 朝に客を送り出して寝る前だというのに、彼女達は元気そのもので野菜を買っていく。


「これ肌に良いのかしら?」


「そっちの食べると若返るの?」


 全部美容系についての質問ばかりだったが、値段は幾ら高めでもそうと答えると買ってくれた。

 余裕があるのか、その限度は余り無い。


 粗方すべての野菜が捌けると、俺をここに誘ってくれたニーナが、乱れた髪にガウン姿でやってくる。


「どう? 調子は?」


「お陰様で、全部売れたよ」


「ふーん、本当にあんた野菜を作ってるわけね。そしたら大儲けってわけだ」


 彼女は愉快そうに笑う。


「そんな貴族っぽい身なりでもないのに……。いや、貴族でも偏屈な人じゃわざと貧民の恰好して遊ぶって聞くわね」


「いや、だから俺は貴族じゃないって」


「そうなの?」


「そうだよ。一応ソウファ島から来てる」


「ソウファ島? あぁ、なるほど。そういうことね」


 彼女は納得した様子だ。


「ん? 何かあるのか?」


「いえ、最近やたら色々な人から聞くのよ。ソウファ島に新しくやってきた男が、まるで大貴族の農園みたいなのを作って、商売してるって。それで、チェザーレ様やその執政も随分関心を示してるみたいでね。最近も、スモジュの徴税官に、何が徴税できるのかって執政はかなり詳しく聞き込んでいたみたいね」


 タンヂのことだろう。

 徴税が厳しかったというのは、恐らく何が得られる土地なのかということを再確認するのもあったのだろうか。


「だからね、あんたは気を付けるべきよ」


「え?」


「王様だけじゃなく、執政もあなたの事に興味を持っているみたいだし、臣下にさせられるかも。そんでもって、嫉妬渦巻く宮廷の中で暮らすことになるのよ」


「……嫌だなそれ」


 その言葉に、彼女はケラケラと快活に笑う。


「あんたって本当に欲がないのねえ。良いわね、そういう人。嫌いじゃないわ」


 そう言うと、彼女はガウンの袖からある物を取り出す。

 チケットだった。


「良かったら、今度遊びに来てよ。このチケットを受け付けで出せば、私が相手して挙げるわ」


 ……マジ?

 それはそれでかなり行ってみたい、が。


「いや、それやると色々と問題があるというか……」


 あの二人にバレたら色々ヤバい気がする。


 だが、彼女は断る俺の手に無理やりチケットを握らした。


「じゃあ、また明日ね♪」


 そう言って、彼女はトマトを一つ手に取ると屋敷へ消えていった。


 チケット代がトマト一個。

 明らかに安すぎだ。


「……どうしたもんか」


 俺はチケットを机の引き出しにしまうと、ため息を漏らす。


「どったのダーリン?」


 アリスが俺の作ったクラッカーを食べながらそう言う。


「な、なんでもないよ!」


 そう言ってソファに腰かけると、彼女も隣りに座る。


「……ふぅん」


「そういや、ヘレンは?」


「奴隷ちゃんなら畑だよ」


「じゃあアレックス」


「アレックスならさっき連れて帰って来た時に、そのまま海へ遊ばせに行かせたじゃない」


「そうだな……」


「ダーリン、何か隠してない?」


「……いや別に」


「目が泳いでるよ」


 鋭い。

 というか、俺があからさまにバレやすいのだろうか。


「それはそうと、チェザーレって人はどんな人なんだ?」


「チェザーレ? チェザーレって王様のチェザーレ?」


「そうだな、その人だ」


「うーん……。アカデミーに居た時に会ったことがあるけど、ちょっと変わった人よ」


「変わった人って、どういうふうに」


「色々と趣味があるみたい。狩猟に、農業に、武術に。なんでもやる人よ。昔の英雄譚が大好き! って感じの人かなあ」


「なのに、売春宿やってるのか?」


「あー、知ってるの? そうそう、スモジュだけじゃなくて、色々な島で国の売春宿が経営されてるのよ。それも、全部先代が始めたことらしいけど。先代の王様はすごい好色だったらしいから。それでも今はその管理は執政がしてるらしいわね」


「ふーん」


 親の遺産は、部下が管理してるのか。


「あと、すんごい温泉好きで、毎週温泉行くのが楽しみらしいわ。だからスモジュの温泉にも、毎週行くらしいわね。っても、部下は温泉宿で遊ぶことしか頭に無いって聞くけど」


 チェザーレ王、日本人の爺ちゃんとかと気が合いそうだ。


「それはそうとダーリン」


「ん?」


「何でダーリンがチェザーレ様のこと、色々知ってるの? 誰かに教わったの?」


 う、鋭い。


「いやいや、ほら昨日そのチェザーレにスモジュで会ったからさぁ、ちょっと気になって」


「……ふうん。じゃあ何で今日はあんな朝早くに仕事行ったの?」


「そりゃ潮風に当たりたくてだな」


「……」


 ジト目が怖い。

 そんなこちらを瞳を覗き込んでくるな。


「……まぁ、いっか。それよりダーリン」


「な、なんだ?」


 そう言うと、彼女は素早く俺に身体を寄せ、右腕に手をかける。


「最近ヘレンばっかと話してて、私寂しいなぁー。私にも色々と世話焼いてほしいなー」


 そう言われても、お前いつも起きるの遅いし、アレックスと喧嘩してるかじゃねーか。


 あと、不要な夜這いか。


「だからね、ちょっと久々に二人きりだから嬉しいな」


 そう言うと、更に腕を絡ませて胸に顔を寄せてくる。


 と、そこへ扉を開けてヘレンが帰ってくる。

 静かになる室内。


 彼女はチラリと俺とアリスを見る。


「……旦那様、今戻りました」


 そう言うと、俺の左腕にしがみつくようにして座る。


「あのさぁ! あんたまだこの時間なんだから畑行ってなさいよ!」


「……暑いので休憩です」


「ぐぎーっ!! 邪魔しないでよ!」


 俺を挟んで喧嘩する二人。

 やっぱりあのチケットを使うのはやめておこうと思った。


 翌朝、俺は畑でトマトを収穫していた。

 

 トマトは朝露に濡れると管理が面倒になるので、トマトに水滴がつかない午前三時から五時の間で収穫する。


 そして、昼寝を挟んでから夕方十八時過ぎから二十時まで収穫するのが、良いのだとか。


 トマトで暮らしてる専業農家の早起き、そして遅くまでの仕事は恐れ入る。


 そんな俺の元へ、同じく早起きしたヘレンが来た。


「……おはよう旦那様」


「おー、おはよう」


 俺は枝の樹勢を見ながら、立ち上がる。


「うーん、一応十三段栽培にしたけど、そろそろこっちは弱くなってきたかなぁ」


 これも技術指南書の長期多段栽培を参考にしただけだ。


「……収穫の事で?」


「うん、そう。これが良いってことらしいけど、一株で年間長く取ろうってなると、結構大変らしいからね」


「……なるほど」


 彼女はそう頷くと、俺の目を見る。


「……差しつかえなければ、私にも手伝わせて下さい」


「お、そりゃ助かる」


 と、言った矢先だった。


 顔をグイッと近づけると、


「……ついでに売るのも手伝いますから。ふ、ふふふ……」


 と、白い歯を見せ、目を細めて笑う。


「……イイヨ」


 うーん、これはピンチかもしれない。


 朝の七時。


 心臓が痛い。

 俺の後ろには、ヘレンがニコニコして立っている。


 リヤカーを曳いて、故郷の地を再び踏んだ彼女の顔は明るい。


「……やっぱり故郷はいいものですね」


 心なしか、彼女の足取りも軽い。


 が、俺の気持ちは深い沼に沈んでいる。


「……もうそろそろ、野菜を売る場所につきますね」


「あ、あぁそうだな」


 彼女に手配して貰った、商店街の入り口へと到着した。


 そうだ、ここで自然と売れば良いんだ。

 うんうん、そうだそうだ。


 が、簡単に事は露見する。


「あら、おば様」


「あらぁ、ヘレンちゃん」


 場所を貸してくれたおばさんだ。

 ヘレンとは遠戚らしい。


「昨日もうちの野菜を売ることを手助けして頂きありがとうございます」


 地雷発言きた。

 ヤバい、バレる。


「え? 昨日はそちらの方、お見えになってなかったけどねえ」


 爆発した。


「……そうですか。なるほど」


 彼女がジトりとこちらを見る。

 すんごい背筋が冷たくなっていく。


 ここだけ、猛烈な吹雪と豪雪だ。


 そして、社交辞令の会話が終わると、彼女は俺の腕を引っ張る。


「……話があります」


「ハイ」


 運命を受け入れよう。

 そうだ、そうしよう。


「……旦那様」


 肩を震わす彼女を見て、俺は汗が止まらなくなる。


 どうしよう、こんな事じゃこちらがゲロってしまう。


「……なんで、売れないなら売れないで相談して頂けなかったのでしょうか?」


「…………え?」


 まさか、心配された。


「……私も妻ですから、旦那様が売るのに悩まれているのではないかと心配しておりました。一昨日は、野菜が売れなくて困って帰るのが遅かったのではありませんか? だからわざわざこうして早く出て、別の仕事をしているのではないかと……」


 ま、眩しい。


 精神が清らかすぎる。日本一の清流仁淀川のように。


 俺は……、自分が恥ずかしくなった。


※続きは8/20の12時に投稿予定です。

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