【書籍版試し読み】第3話 狩猟は、苦行……。

◆ラビット・パニック!


 1人は寂しい。

 前も後ろも、上も下も……全部自分で見張らないといけない。

〈移住者特典〉の保安魔法(12時間、不可侵領域を生み出してくれる)や旅路魔法(過去に訪れた地点の方向を教えてくれる)が使えれば少しは楽になるのだろうけど、覚えている魔法は、すべて対価に金銭が必要だ。今は、その最初のお金が無い。

 1人だから自分の身は自分で守らないといけない。だけど、自分はただの高校生だ。

 しかも、同じ年の男子に比べて、背は低いし、手足も胴も細いし……。

 挙げると悲しくなってくるが、とにかく身体は平均値に大きく劣る。というより、女子の平均と比べても怪しいレベルだ。

 後ろ姿では、ほぼ確定的に女の子と間違われる。横から見ても、発育の悪い女子だと思われる。前から見ると、綺麗な女子だと勘違いされる。こんな俺が、背丈より少し長いくらいの短槍一本で何ができるだろう?

 魔物でも出て来たら……いや、野良犬レベルでも、美味しく頂かれる絵しか浮かばないだろう? 間違い無く、喰われるだろう?

 だから、陽がある内だけ頑張って歩いて、日が暮れそうになると、死に物狂いで樹に登る。落ちても落ちても登る。なんとか登って、高い位置にある横枝に辿り着き、ひたすら息を殺して大人しくしている。そのまま半分寝ているような起きているような微睡んだ状態で夜明けまで過ごす。

 幸い、先に移動している二条松高校の生徒達の足取りは分かりやすい。ちょっと注意して見れば、地面が掘れていたり、下草が引き摺られていたり、木の根の皮が剥げていたりしていた。

(出発して2日か……まだ追い付けないのかなぁ?)

 二条松高校のみんなから離され、神様に妙な空間に拉致されている間に何日が過ぎたのだろう。

 まあ、この世界に戻されてからも、智精霊を質問攻めにして時間を費やしたので、相当先に行っているだろう。もしかしたら、もう町か村に到着しているのかも知れない。

(いや、他人の事を気にしている状況じゃない。とにかく今は生き延びることに集中しないと) 

 智精霊に教えて貰った事で一番の肝は、レベルというものが存在しないという事だ。

 様々なスキル、魔法を覚えたり、知識や経験を増やす事で強くなる事は出来るが、レベル云々による身体能力の上昇補正などは無いのだ。ただし、筋トレなどで力を付ければ、なかなか衰えない。つまり、努力はそれなりに報われる。

 経験が力になるという点は、やはりこの世界はゲーム的な仕組みに支配されているのだろう。

(課金だらけだけどな……)

 智精霊が言うには、この辺りは樹に登る蛇などはおらず、致死性の毒を持った生き物はいない。ただ、大型の山犬の群れが棲み着いているらしい。妖鬼も、魔獣も小型のものばかりだから、一番怖ろしいのは山犬なのだそうだ。

(垂直跳びで、5メートルとか……訳が分からないよね)

 智精霊から聴いた山犬の情報だ。

 勢いをつけて幹を駆け上がれば、10メートル上の枝にも届くのだとか。

 そういう訳で、あちこちに痣を作りながら、死に物狂いで木登りをして寝ているのだ。16歳になりたての人生で初の木登りだったが、まあ人間死ぬ気になれば頑張れるものだ。

 おかげで、こうして樹の上から夜空を見上げるという得がたい経験が出来ている。

(星が綺麗だなぁ……)

 この世界にも月がある。という事は、ここは地球のような惑星なのだろうか?

 同じように、月が周回している?

 星は夜空の隅から隅まで埋め尽くして輝いていたが、聞きかじっているような星座らしきものは見付けられない。

(季節ってあるのかなぁ?)

 樹の幹に背を預けたまま、ぼんやりとそんな事を考えていた。

 昼間は汗ばむくらいだが、夜になると少し肌寒く感じる気温になる。

 ぼんやりと微睡んでいた意識に、

 ……ササササササ……

 微かだが確かな物音が聴こえてきた。

(なんだ?)

 下草を蹴って勢いよく動く物音を聴いて、短槍を手に枝上で身を縮めた。

 えらく速い。

 右から左へ、左から後ろへ、また右へ……。

 何かの冗談かと思うくらいの高速で物音が木々の間を移動している。

 夜闇に沈んで見る事は出来ないが、たぶん大きくはない。

(兎みたいな……?)

 小動物だろうか? 餌でも探している? それにしては、忙しく動いているような?

(あそこの、月明かりが当たってるところに出てくれば見えるのに……)

 少し離れているが、月の光が照らしている空き地がある。あの辺りへ出てくれれば姿を見る事ができるけど……。

 周囲を駆け巡る音を聴きながら、落ち着かない思いで短槍を握りしめていると、

 

 ……ドシッ……

 

 という衝撃がいきなり襲って来た。登っていた樹が激しい震動で揺すられたのだ。

(ぅ……あぁっ……)

 ひとたまりも無かった。ひと揺れで枝から飛ばされ、地面へと真っ逆さまに落ちていった。

(ヤバい……ヤバいっ!)

 腹腔がひっくり返るような落下感に、俺はすぐにもぶつかるだろう地面と激突を覚悟した。本能的な動きで握っていた短槍を抱えるようにしていた。

 ギュッ……キュキィィィィ―

 足下で甲高い叫びがあがるのと、

「べふっ……」

 俺の口から残念な苦鳴が漏れるのが同時だった。

 20メートル近い枝上からの落下だ。落下の衝撃だけで骨折か、頭でも打てば死ぬかという高さだったが……。

「いっ……痛ぅ……」

 死ななかった。痛みに声を漏らしつつ、何とか起き上がろうと突いた左手に、ざわりと硬質な毛が触れた。どこか生暖かい体温らしき感じもある。

「ぅわっ……」

 思わず左手を持ち上げ、右手に握っていた短槍を支えに立ち上がろうとする。

 その時、不意に周囲が青白い輝きに包まれた。

「ぶっ……ぎゃぁぁぁぁぁぁ―」

 俺は物悲しい絶叫をあげながら身を痙攣させていた。

 感電……いや、それっぽい何かだ! 俺が立っている場所そのものが雷を放ったのだ。

 バチバチと激しい音を鳴らした雷光だったが、光ったのはほんの数秒で、すぐに収まっていた。

「ぁ……ぁぁ……ぅぁ」

 俺は開いたままの口端から涎を垂らしながら、握っていた短槍から手を離して、ふらふらと千鳥足でよろめいた。立ってはいたが、とっくに意識は飛んでいる。道着から白煙が立ちのぼっている俺めがけて、足下から硬質の針のようなものが襲って来た。

 よろめいていたのが幸いしたのだろう。鋭く伸ばされた針は体を突き刺したものの、衝撃で俺の華奢な体が吹っ飛んだおかげで深くは刺さらなかった。

 凄まじい激痛に腹部を貫かれ、朦朧としていた俺の意識がようやく覚醒した。

「……は?」

 目の前に、巨大な兎が居た。

 体高だけで、俺の背丈の倍以上ありそうな巨大な白い兎が、真っ赤に光る眼で俺を睨んで身を低く構えている。

(兎って……角があるの?)

 巨大な兎の眉間辺りに真っ直ぐに尖った角がある。その角が青白く輝き始めていた。

 ほぼ脱力した状態で座り込みながら、俺は荒々しく息を吐いている白兎を見つめていた。腹の傷から大量に失血し、もう体に力が入らない。

「……ちくしょう」

 もうどうしようも無い。俺はせり上がってきた血塊を吐き出した。

 直後に、何かが爆発したかのような衝撃音をあげて、巨大な白兎が突進してきた。




◆狩猟は、苦行……。


「うぅ……」

 酷く息苦しい状態で、俺は目を覚ましていた。辺りは真っ暗だった。

(……夜? いや……)

 なんだこれは? 何かにのしかかられている。

 俺は、圧し潰されるように……何かの下敷きになって倒れていた。

「ぁ……」

 これ、あの巨大な白兎だ! 雷に撃たれて、なんか針っぽいので腹を刺されて、それで……。

(こいつが角を光らせて突進してきたんだ……けども?)

 俺、なんで生きてるの? 息苦しいだけで、体の痛みは無いような?

(……まだ温かいけど……鼓動みたいなのは聴こえないな)

 恐らく、白兎の腹の下だろう。懸命に手足を動かして、下敷き状態からの脱出を図った。

「でかっ!」

 何とか脱出しての最初の感想だった。

 どこかの動物園で見た象よりデカイ。というか、こんな大きな獣を見たのは初めてだった。

 背中によじ登ってみると、前脚の付け根の脇に短槍がほぼ柄元まで突き刺さっていた。

 樹から落ちた時に刺さったのだろう。

(……で、電気みたいなので……腹も刺されたよな?)

 道着は焼け焦げ、大穴が空いた上に鮮血で生臭く湿っていた。

(なんで生きてるの?)

 しばらく首を傾げるが……。

(あぁ、そうか!)

 すぐに理由に思い当たった。

(俺、命が2つあったんだった)

 どうやら、貴重な命のスペアを使ってしまったらしい。

「あぁ~あ……」

 勿体無いなぁ……と、ぼやきつつ、両手両足を踏ん張って、兎の巨体に埋まった短槍をぐりぐりと揺すりながら引き抜く。

「……どうすんの、これ?」

 小山のような兎である。俺は、これをどうするべきなのか。

(内臓とか……肉を貰う? いや、こんなの喰えるの?)

 大きくて真っ白な角とか採っておけば高値がつきそうだが……。まだ温かい兎の死体の上を移動して、頭の上に立つと手にした短槍でコツコツ……と角を小突いてみる。

(……いける?)

 さしたる根拠も無く、俺は短槍を思いっきり振りかぶって付け根めがけて体当たりした。とんでもない衝撃が跳ね返って短槍を取り落としたが、

 パキンッ……

 という硬質な破砕音が聴こえ、大きな白角が根元から折れて地面に転がり落ちていった。

(……ってぇ……)

 手がひたすら痛い。肘や肩まで痛い。

(やれやれ……)

 兎の頭に座ったまま、頭上の太陽を見上げて嘆息した。死んでいる間に夜が明けていた。命のスペアがあっても、死んですぐ生き返るわけではないらしい。ついでに、死んで蘇っても、体の傷が完治する訳ではないという新事実。

〈適性化〉のおかげで、じっとして動かなければ体の傷は治る。手足の痛みは、わずか数分で治まったが、次からは死に場所についても考えておいた方が良いだろう。

 多少大きくても、〈移住者特典〉の個人倉庫に収納してしまえば重さに関係無く運べるのだが、個人倉庫に収めるためには、解体して部位にしなければならない。大き過ぎて丸ごと収納する訳にはいかないのだ。

 イメージとしては、毛皮、肉、爪、牙……など素材に分ければ良いのだと思う。

 まあ、厳密な線引きがどうなっているのかは知りようも無い。あれこれ試してみるしかないだろう。

(とりあえず、日が暮れるまでに、やれるところまでやって……)

 それでも駄目なら諦めるしか無いだろう。

「おおっ!」

 地面に落ちた角は、嘘のようにあっさりと倉庫に収納されて消えた。

 血脂でヌルヌルする短槍を苦労して握り、肛門側から槍穂の刃を使って獣皮に切れ目を作ろうとしたが、すぐに諦めた。獣皮が硬すぎて無理だった。

 獣の一般的な解体方法は、智精霊から聴いていたが、これはたぶん例外的なやつだ。大型獣の解体方法が、まさか兎に適用されるとは思わないけど……。

 しばらく考えて、

(やってみよう)

 俺は決心を固めて短槍を握った。

 獣皮がとにかく硬いので、後ろの穴から柔らかい内臓を引き摺り出し、内臓の代わりに中に潜り込めば内側から肉が採れるだろうという考えだ。

 これほどの巨体で無ければ考えつきもしない方法だったが、巨体故に、後ろの穴もまた……。

 色々な意味で忍耐の必要な作業になったが、とにかく腸を引き摺り出す事に成功し、胃みたいな物をウーウー唸りながら渾身の力で半分くらい肛門の外に引っ張り出した。

「もう無理……」

 とりあえず、胃っぽい部位を切断してみる事にした。

(おっ……?)

 獣皮と違って、内臓は意外なくらいに柔らかかった。

「……って、アチチッチチ」

 胃から溢れた体液っぽい何かが体にかかって白煙を上げ始めた。変な踊りを踊るように飛び跳ねて痛みが治まるまで我慢する。とにかく、じっとしていれば治るのだ。それが、〈適性化〉の効果なのだから。

「ふうぅぅ……」

 ようやく痛みが引いたところで、再び胃袋に挑み、

「ぐっ……いっ……だぁぁぁぁ―」

 また飛び跳ねる。この繰り返しになった。それでも、最初ほどの液体は残っていない。

「……よし」

 胃袋を片付けてからは作業が楽になった。

 猛毒だったらしい血で溺れかけたりしたが、とにかく、じわじわと作業は進んで、獣皮の内側から掘り出した肉や内臓が巨大な兎の周りに積み上げられていった。

「こんなもんで……どうかな?」

 肉や内臓をすべて収納してから、俺はぺなん……と、頼りなくへこんだ巨大な白兎の皮を見回した。頭蓋骨、たぶん脳味噌、背骨やら肋骨やらは残っている。もうちょっと頑張れば剥製が作れそうな状態だった。

(もう無理だけどぉ……)

 そろそろ日が暮れそうだ。正直、気分的にもきつくなってきた。

「収納できるか……できたっ!」

 ついに、巨大な白兎の毛皮が倉庫に収納されて消えてくれた。倉庫の中では時間が停止している。腐敗は進まない。いつか、どこかで、きちんと処理して貰えば良い。

「さて……」

 今度は木登りである。

 兎の毒血を垂れ流したせいか、何も近寄って来ていないが、夜になればどうなるか分からない。

 最初に登った樹を見上げると、巨兎の突進で刻まれた窪みに手を掛け、足を掛けながら、上方にある横枝まで登りきってから、俺は深々とした安堵の息をついた。

 なかなかハードな一日でした。

 小枝に引っ掛けてあったスポーツバッグをちらと見て、とりあえず着ていた胴着やら下着やらを全部脱いで倉庫へ収納する。どうせ誰も見ていない。スポーツバッグの中にあった少し汗臭いタオルで血やら汁っぽい脂やらで汚れた体を拭い、部活の後に着替える予定だった下着や肌着、学校の制服を着る。

 港上山高校は、黒いズボンに黒い三つボタンのジャケット、白シャツにブルーのネクタイだ。

(あ……忘れてた)

 小腹が空くので常備しているカロリー○イトのチョコレート味がバッグに2箱入っていた。1箱を倉庫に収納し、もう一箱を開けて貪るように食べた。喉が渇いたが、まあ我慢できる範囲だ。

 巨大兎の体内に潜っていた時に、色々なエキスを飲むはめになったのだ。一晩水を飲まないくらい問題無い。

(あぁ……頭がガビガビだよ)

 明日、道中で川があれば水浴びがしたい。自分が嫌になるくらいに臭かった。

(あぁ、日本に帰りたいよぉ……)

 ぐったりと幹に寄りかかりながら、俺は項垂れるようにして寝息を立て始めた。

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