ニールのメッセージ:終わりは始まり。 2021年11月20日

ニールのメッセージ:終わりは始まり。 2021年11月20日


┌----------


親愛なる友よ。


 先週のこの欄で、私たちは「神性の探求に終わりはない」と言いましたが、それは神性そのものが無限だからです。神性は永遠であり、無限であり、神性への気づきが完了した瞬間に拡大します。


 今日はそれをさらに説明したいと思います。


 ある意味では、完全な気づきは決して可能ではなく、幻想でしかありません。


 自分自身が完全に気づいていると想像した瞬間に、気づくべきことがもっとあることに気づくことになります。完全に気づいているのは何者で、このことに気づいているのは何者か、という具合にです。


 これは、偉大な神秘的な質問です。もしあなたが本当に完全に気づいていたら、あなたはそのことを知らないでしょう。自分が完全に気づいていることを知っている部分があるとすれば、自分を観察し、自分が知っていることを評価している部分があるはずです。


 しかし、もしあなたがすでに完全で満たされているなら、それはあなたのどの部分なのでしょうか? それは、あなたがまだ気づいていないあなたの一部に違いありません。


 この質問をすることで、人間の言葉で説明できる限りの「無限」の性質に触れることができます。無限は常に有限の把握を超えて拡大していきます。私が聞いた「無限」の定義の中で最も優れた(逆説的な)ものの一つは、「すべてとそれ以上」というものです。


 完全に気づこうとする 「あなた」 が存在する限り、絶対的に完全な気づきは不可能です。なぜなら、定義上、自己には少なくとも次の2つの側面が存在しなければならないからです:(1)完全に気づこうとする側面、(2)求める者が完全に気づこうとする側面。(訳註:原文 (1) That Which Seeks to Be Fully Aware, and (2) That of Which The Seeker Seeks to Be Fully Aware.)


 ここでもう一度、言っておきます。


 本当に完全に気づいている人は、完全に気づいていることに気づかないでしょう。


 なぜなら、気づいている人は何者で、その人は何に気づいているのか、となるからです。


 だからこそ、私はこう言ったのです。


 「気づき」+「非気づき」=「実現」。(訳註:完全に実現した人になる方法 2021年10月2日 参照)


 この事実に目覚めたとき、「聖なる体験」を生み出すツールの3つ目「探求」は、完全に活用されています。


 すべての探求は終わります。


 しかし、どうしてそうなるのでしょうか? 私は今、「神性の探求に終わりはない」と言ったのではありませんか?


 そうです。ここに、聖なる二分法があります。探求が終わったときにこそ、真の探求が始まるからです。


 一見矛盾する2つの真実が、同じ空間に同時に存在することを知ったとき、私たちはこの聖なる二分法を受け入れます。この理解が、私にツール4(訳註:Embracing 受容)をもたらしたのです。


 来週は、この驚くべき小さなデバイス(装置)についてご紹介します。


抱擁と純愛をこめて、


ニール


└----------


----------

*〈伊能言天〉からのお願い:神・人生に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく思います。→https://kakuyomu.jp/works/1177354054886666914

----------

----------

宣伝⇒姉妹作品「(^ω^)医者も人間ーなんちゃってブラックジャック」連載中 ----------

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る