ニールのメッセージ:なぜ人は苦しいのか? 2021年5月22日
ニールのメッセージ:なぜ人は苦しいのか? 2021年5月22日
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親愛なる友よ。
私たちは、この「週刊会報」で、「神と生命の本質:現代において極めて重要な探求」と題した、私が作成した一連の記事を目にしています。今回は、その連載の第4回目です。
世界には多くの悲しみや苦しみがあります。神を信じ、神を純粋な知性と完全な愛の源と定義する人は誰でも問うでしょう。
「なぜなのか? 」
神はなぜこの世に悲しみと苦しみを置くのでしょう?もし私たちが悲しみや苦しみに直面したとき(人生の中で必ずそうなります)、それに対処するために神が与えてくださったツールがあるとすれば、それは何でしょうか。
私が理解した答えは、神が意図的に悲しみや苦しみをこの世界に置いたのではなく、私たち自身が自分の自由意志でそれを経験させているということです。
これを信じたり受け入れたりするのは難しいと思いますので、少し検討して説明する必要があります。
悲しみや苦しみは、人生に現れた特定の状況や出来事に対する、感情的、肉体的な反応です。
それ自体は反応であり、出来事ではないので、完全に自分でコントロールすることができます。自分でコントロールできるということは、自分で作り出したものであり、他から押し付けられたものではありません。
神は、私たちの悪行に対する罰として、悲しみや苦しみを私たちに課したと言う人がいます。しかし、私の理解では、悲しみや苦しみは罰ではなく、結果なのです。何の結果でしょうか? それは、私たちの思考の結果なのです。
思考とは、人生の出来事や環境、状況や事件に対処するために、神が私たちに与えたツールです。しかし、人間に悲しみや苦しみをもたらすと通常考えられる出来事や状況、事件が、なぜ起こるのでしょうか?
それはもっと大きな疑問で、この問題に対する人類の答えに、人類全体の未来がかかっているのです。この問題は、今後の連載で取り上げていきます。しかし、今はこの探究を順を追って進めていきましょう。
私たちの思考という働き、そしてそれが、私たちの経験に悲しみや苦しみをもたらす役割を見てみましょう。
この最初のステップは、次号の「週刊会報」の第5回で行ないます。
それでは、またお会いしましょう。
愛と抱擁を込めて
ニール
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*〈伊能言天〉からのお願い:神・人生に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく思います。→https://kakuyomu.jp/works/1177354054886666914
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