触手論入門~触手を好きになるために~

白河 日和

触手、好き。

あなたは、「触手」という単語を聞いた時、どんな印象を抱くだろうか。にょろにょろ、ぬるぬる、気持ち悪い。あるいは、創作の中の触手の大部分の印象、つまり人間に襲い掛かる魔物としての印象が強いかもしれない。多くの方は、どちらかといえば負の印象をもっているのではないだろうか。

 わざわざこうして話題にあげるだけあり、筆者は触手が好きである。大好きだ。毎晩「明日朝起きたら私に触手が生えているなんてことがあればいいのに」などと思い願いつつ就寝するほどである。ありとあらゆる種類の触手がのべつ幕無しに好きである。蔦触手も、吸盤触手も、チューブ触手も、そして全年齢向けでないような空想上にしか存在しない触手も、全ての触手は素晴らしいものだと自信を持って断言できる。

 そんな筆者が今回紹介するのは、皆様がもっと触手を身近なものだと思い、親近感を出すための方法である。漁業関係者や、筆者のような触手好きなどを除いて、現代日本で触手が身近なものだと感じている人は少ないだろう。得体の知れないものに対する恐怖、それが触手を好きになるのに邪魔をしているといえる。

 それに加え、不気味な触手しか触手のイメージがないというのも一因となる。犬に昔追いかけられたからという理由で全ての種類の犬が嫌いであったり、美味しいトマトを食べたことがないからトマトが嫌いであったり、そういった嫌悪の全体化が負の印象を産んでいるに過ぎないのだ。もし、あなたが自分の好きな触手に出会うことが出来れば、「あの触手は嫌だったけれど、全ての触手があんなに気持ち悪いものじゃないんだ。触手の中には良いものもあるんだ」と気付くことができるだろう。

 さて、具体的にどんな方法で、触手を身近に感じ、好きな触手を知ることが出来るだろうか。筆者は二つの方法を提案する。どちらでも好きな方法で、あなたが好きな触手を見つけて欲しい。その方法の一つは触手を見つける方法、もう一つは触手を飼ってみる方法である。前者は、生活の中にどれくらい触手や触手となりえるものがあるかの解説を読むことで、自分は触手予備群に囲まれて生きていると自覚し、どの触手が最も自分に合っているかを考えるための方法。後者は日頃の想像力および創造力を活かし、自分が好感を抱く触手をつくりだす手順を読み実行して、その触手と日々を過ごすことで触手を身近にする方法である。後者の方法はやや難易度が高いため、まず前者の方法で好きな触手を知ってからが望ましい。

 それでは、触手を見つける方法について解説しよう。まず、周りを見回して、何かに巻きつくことが出来るほど長くしなやかなものを探し、見つけられる限り見つけてみよう。スパゲッティ、ゴムホース、イヤホンのコード、ベルト、ネックレス。もっと細長くないものではどうだろうか。腕時計、ストラップ、絆創膏、布団。もっと細い、あるいは小さいものも挙げてみよう。髪の毛、クリップ、糸くず。糸くずがそうなら、糸で織って作ってあり、硬くされていないもの、例えばほとんどの衣服などは当てはまる。それでは、形のないもので、巻きつく形や包み込む形になりえるものは。空気、水、静電気。そう、すでにお察しの方も多いだろうが、これらは全て触手になりえるものたちなのである。

 我々は常に触手と共に生活していることが分かるだろう。空気触手に包まれ、歩くときは風という形になった触手と戯れる。水触手の温かなシャワーを浴び、泡触手に古い皮脂を舐めとって溶かしてもらい、無数の糸触手でできたタオルは髪触手の一本一本と接してその身を湿らせる。水筒に入った水触手はあなたの喉を潤し、食道を通り、胃に染み渡る。野菜に含まれた繊維触手は、あなたに消化されつつもあなたの直腸の中から体外に出てくる。何も恐れることはない。彼らはあなたを襲おうとしているのではなく、ただそこにいて、役割を果たしているだけなのだから。

 それに気付いたあなたは、もうわざわざ探さなくとも、いつでも触手と共にあることを認識出来るだろう。あるいは、紐状のDNAで構成され、筋肉の筋の一つ一つが肉触手である、あなた自身、人間自身も触手の一部であるのだ、と思うかもしれない。そうすれば、もう触手に対して恐怖など抱くはずもない。既に我々は、触手と共に、時には利用し、時にはただ触れ合っているということを理解しているのだから。これが、触手を見つける方法である。触手は今まで気付かなかった、理解していなかっただけで、いつでも身の回りにあるものなのだ。

 さあ、あなたは触手を見つけ、それがなんら非日常的なものではないと理解出来た。といっても、あなたは今までの触手の印象と、これらの触手の印象を結びつけることが出来ないかもしれない。今までのあなたの触手は、現実にあるものではなく、あなたの心の中で作られたイメージだからだ。そこで、後者の方法を教えよう。あなたの心の中に、今度はあなた自身が意図し、自覚して触手をつくるのだ。

 まず、あなたの好きな形を思い描いてみよう。実際のものの延長で考えるといい。尻尾の長いもふもふの猫、心安らぐ観葉植物、静かにせせらぐ流水。もちろん、お好きな方はいくらでも卑猥だったりグロテスクだったりするもので構わない。形が決まれば、好きな触感、見た目を考えることで、自ずと材質も決まってくることだろう。私の場合は、植物の安定感も軟体動物の美しさも捨てがたかったため、深海に棲む、動物性と植物性のどちらの要素もある菌糸類というファンタジーなものにした。この世に存在しない材質でもいいのが想像の強みであるといえよう。雲型触手の上に寝転び、暁を覚えない心地よい眠りに落ちることすら出来るのである。

自分の好きな触手を想像したら、次はそれが動く様を想像してみる。意思を持っての動きか、あるいは食虫植物のように反射的な動きか、それともプログラミングによって動いているのか。這うように動くのか、ふわりと舞うように動くのか。意思があるものならば、心もあるだろうか。性格は、人に対する感情は、あなたに対する気持ちは。あなたが既にペットを飼っているならば、そのペットを見せたらどんな反応をするだろうか。何を食べ、何を感じ取れ、どうリアクションをするのか。あなたと意思疎通はするのか。するならば、喋るのか、動きで分かるのか、テレパシーなどを使うのか。

 既存の生物や機械を参考にしてもいいし、空想や噂に終始してもいい。とにかく、その触手が目の前にいるかの如く振る舞えるようになるまでつくりあげるのである。絵を描いたほうがいいならそうする。文章でまとめたほうがいいならそうすると良い。フィギュアを作っても、プログラムを組んでみてもいいし、もちろん何もしないで想像力に身を任せたほうがいいならば、そうしたほうがいいだろう。そして、四六時中、少なくとも起きる時と寝る時、自分の部屋に帰ってきた時くらいは、その触手のことを思い出すこと。もそもそと起き上がるあなたに、一日の疲れと睡魔を感じつつ身体を横たえるあなたに、仕事や学業あるいは遊びを終え部屋に戻ったあなたに、彼・彼女・それは一体どんなことをするだろうか。これらが想像できた時点で、もうあなたの好きな触手はあなたのもとにある。他人に見えるかどうかはさして問題ではない。あなたがそこに居ると感じて、触手もそれに応えてくれるのだから。

 これで、あなたは自分の好きな触手と好きなだけ過ごすことが出来る。既にあなたは触手が好きであるはずだ。少なくとも一部は。その一部だけでも触手を好きになっていただけたならば、とても嬉しい。筆者の傍らに佇む触手も、目を細めて身体を小刻みに震わせ、きゆいゆりいと声をあげて同胞の誕生を祝うだろう。

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