レモネード

げんさい

第1話

 柑橘類の爽やかな香りを胸にどっさり抱えたラングが異変に気付いたのは、初夏の日差しを避けて銀行の前の木陰に入ったときであった。

 ラングは赤いカーリーヘアの二十六歳になる若者で、人好きのする顔をした友達想いのいいやつである。歌がうまい。自作の歌をギターを弾きながら披露するのが趣味で、自称"哀愁の詩人"だそうだが、誰がどう見ても陽気な音楽家であった。

 同い年のマーロは、オールバックにまとめた髪も眉毛も黒々と凛々しい、甘いマスクのハンサムである。背が高く、肩幅も広い。冗談は下手だが誠実で、手先は器用なくせに生きるのは不器用だとご婦人方には大人気の相棒だ。

 少年の頃、二人は地元ではちょっと知られた悪童であった。といっても田舎のことで、近所に二人を知らない者はなかったが、そのほとんどが二人の親の顔も知っているという狭い社会の出身である。その頃からの付き合いだから、二人はもうほとんど兄弟同然に育った。勉強もケンカもいたずらも、その出来不出来はともかくとして、何をするにも一緒に生きてきた。長じるにつれ、趣味も性格も個性が出てきたが、不思議とこれまで仲違いをしたことがない。

 今は二人、地元を離れたこの港町で小さな飯屋をやっている。料理はほとんどマーロが作る。ラングは接客担当で、この町に辿り着くまでにあちこちを巡った思い出話と、その経験を活かした料理と音楽は両方なかなか評判がいい。特に夜は、仕事を終えた地元客で賑わう憩いの場として、いつも遅くまで笑い声の絶えない店であった。

 朝は二人か、あるいはマーロだけで市に行く。昼の営業を終えると、夜の仕込みで忙しいマーロのために足りない物を買いに行ったり、となりの酒屋の荷物を配達したり、雑用や副業はラングの役目である。この時も食材をドッサリ詰めた買い物袋を抱えて帰るところであった。

 来る夏の盛りを占うような照りつける太陽が、いやに眩しい日であった。真っ青な空に、たっぷりの白絵具を筆で乗せていったように厚みのある雲がもくもくと湧き出ている。

 額や首筋にじっとりと汗を滲ませながら、木陰で休もうとしたラングの傍を、何故か男たちが急ぎ足で通り過ぎていった。不思議に思って首を回せば、家の窓や玄関から心配そうに顔をのぞかせている女たちに、眉をひそめて囁きあっている者もいる。

 その全員が、ラングたちの店の方を見ている。こちらに気が付いて気の毒そうな視線を投げる年増もいた。

 いよいよ妙だと思って、見れば、彼らの店の前で二人の男が空気を緊張させて対峙しているではないか。


「嘘だろ!?決闘!?」


ラングは思わず叫んだ。

 ここのところ扱いやすい拳銃が急速に普及して、各地で決闘騒ぎが頻発していた。ここも平和な田舎の町とはいえ、港があるから余所者も多く、厄介ごとが持ち込まれた例も少なくない。今回もラングには見覚えのない男に見えたから、恐らく、他所での揉め事が原因であろう。

 無論、私闘である。だが、男と男の勝負である。いかにも劇的で格好はいいし、無関係の人間にとっては刺激的な見世物であったから、新聞なんかが面白がって書き立てているのも、調子に乗った乱暴者に軽々しく銃を抜かせる原因になっているようである。


「嘘だろぉ……」


今度は呟いて、ラングは満杯の紙袋を抱えて急いだ。

 正直な話、ラングも決闘は嫌いではない。どころか、むしろ大好物である。喧嘩上等の少年時代を過ごした若い男なら誰しもその才能を持っているはずだ、とはラングの説で、マーロの恋人であるカレンはそれをいつも否定していた。そんなもの、いたずらに血を流すばっかりで何も生み出すものがない、ケンカをするならしてもいいが、どうせなら、もっと生産的で健康的な方法でやるべきだ、と、言うのである。彼女が言いたいことは、ラングにもわからないではない。

 男の矜持を賭けた勝負など、馬鹿げているのはわかっている。それでも、ラングは決闘を見るのが好きであったし、あの刹那の一瞬に煌く技の冴えを見ることは、夏の夜の流星群より目を凝らす甲斐があるものだと思っていた。そして、そういう男に出会うことは、自分の音楽活動にも大いに刺激になるのだと、これは非難がましい目つきで決闘を否定する友人たちへの言い訳であったのだけれども……。

 ラングは満杯の紙袋を煩わしく思いながらも、我が店へと足を急がせた。

 こんな夏空の下で睨み合っている二人はどんな顔をしているだろうか。どんな銃を持っていて、どんな技を見せるのか、単純に楽しみな野次馬根性がまず顔を出した。

 一方で、勝負をしている二人の内うっかりどちらか、最悪両方が死んでしまわないか心配も横から覗き込んでくる。店の前で人死にがあって、偉そうな顔をした役人が調べに来たりして、客足が遠のいたらどうしてくれよう。さすがのラングも、その辺りは不安であった。

 せめぎあう気持ちに共鳴してか紙袋からレモンがひとつ転がり落ちたが、ラングは気付かない。日差しに焼かれた土の上に、鮮やかな黄色がコロリとひとつ、取り残された。


「ロズ!」


見物の人々の中に、何かと世話になっている、となりの酒店の女房のロズを見つけて、ラングは声をかけた。本当は手を挙げたかったのだが、何しろ紙袋がズッシリとしていて両手が塞がっている。


「ラング!厄介なことになったねぇ」

「まったくだ。でもまぁ、こうなっちゃ見届けてやんないと」


後半に好奇心がワクワクとにじみ出ていたのだろう。ロズは思い切り呆れ顔で首を振った。


「男ってのは、まったく……。よく見なよ。片方はまだ坊やだよ」

「坊や?」


急いでいたので対峙する二人をよく見ていなかったラングは、紙袋を抱えなおしながら顔をあげ、本日三回目の「嘘だろ」を呟いた。


「なんだって、あんなチビが……」


衆目を集めているはずであった。決闘となれば普段だって野次馬は集まるが、それにしても人が多いと思ったのである。殊に女が多かった。面白がって賭けをする男どもよりも心配顔の女が多いなんてのは、ラングも初めて見る。

 その理由が"彼"であった。ラングの店の前で対峙する男の一方は背も低く、まるで子どもの体型である。そんな細い体で銃を扱えるのか、疑問なほどに華奢であった。陽の加減でシルエット以外の造作はよく見えないが、恐らくは十代の少年であろう。一丁前にガンベルトを巻いているが、ラングが見ている右側には肝心の銃が見えない。


(左利き?しかし本当にチビだな。銃の扱いなんて知ってるのか?)


 少年が相対しているのは、手入れの雑な口髭が汚らしくカールした、こちらはどう見ても四十過ぎの男であった。中肉中背で、日焼けした顔が脂ぎっており、百歩譲っても美男とは言えない。だが銃の扱いは慣れていそうな風貌である。

 人を外見ばかりで判断するものではないが、自然、人々の同情の秤は少年に傾いた。あぁ、こんなお天気のよい日に、こんなあどけない坊やが、こんな不細工な男に撃たれて死んでしまうとは!そういう憐憫の感情が、道向こうの野次馬の顔にも、はっきりと浮かんでいた。


「さっき、あの髭もじゃが怒鳴ってたんだけど、こないだ隣村で騒動があったろ?その因縁らしいよ」


ロズが囁くように教えてくれた。

 隣村では以前から、土地の権利を巡って騒動が続いていた。その土地に牧場を構えるハンという農場主と、貴族に癒着したロータスという役人とが対立していて、この間ついにそれが双方多数の死者を出す抗争にまで発展したのである。役人ロータス側が雇った、護衛とは名ばかりのロブというゴロツキが、同じく農場主側が用心棒として雇った一味のアレックという男を、口論の末に殺害したことが発端であった。ラングも風の便りに聞き知っただけだが、騒動の中で互いのアジトなどはすべて焼け、牧場主のハンも死に、生き残った者も多数処罰されたそうである。中でも真っ先に手を出したとされるロブは主犯格と見做され、絞首刑になったはずであった。結局、土地は教会の一時預かりとなり、いずれ然るべき処置がなされるのだそうだ。

 貴族が絡んでいる辺りがキナ臭かったが、そんな世の中だから決闘騒ぎもやまないのだろう、と、ぼんやりラングが思っていた時である。突然、"髭もじゃ"が叫んだ。


「おい、お前!」


外見を裏切らない、酒でガラガラにしゃがれた声である。ベッと噛み煙草を吐き出した髭もじゃに、見物人の多くが眉をひそめた。


「お前だよ!そこのでけぇ紙袋抱えた、赤い頭のしまらねぇ顔つきのあんちゃんよぉ!」


乱暴に言われたラングは、確かにしまりのない自分の顔を紙袋越しに指さした。男はうん、と、粗雑に頷いて、これもラングを指さして叫んだ。


「見物の野郎ども!このだらしのねぇ顔の、だからどっちに贔屓もなさそうな、この軟弱野郎に決闘の証人を俺は頼むぜ!」

「だらしのない軟弱野郎……」


ひどい言われようである。黙っていれば自分だって、マーロには及ばないまでもそれなりだと日頃鏡の前で思っているラングであったが、ここで言い返しても決闘が乱闘になるだけなので、憮然として黙った。そのぐらいの分別はラングにもある。

 髭もじゃの男の方では、ラングのこの沈黙を肯定と受け止めたらしい。乱暴に顎をしゃくって、少年にも形ばかりの確認をした。


「てめぇもそれで文句はねぇだろう」


脅すような口調であったが、少年は体格の割には落ち着いた様子で、


「どうぞ」


と、一言、答えただけであった。男はひとつ、フン、と鼻を鳴らした。

 やれやれ、面倒なことになった、とは、ラングも思った。だが反抗はしなかった。ロズに抱えていた紙袋を預けて、ふたりのちょうど真ん中の距離まで歩み出る。まあ特等席で決闘を楽しむ権利を得たのだから、ある意味では幸運であったと考えることにした。これで真っ当な決闘であったなら、もっと良かったのだが……。

 片一方があんまり子どもに過ぎる。この髭男も、後で周りに、子どもだったのだからとか、何も殺すなんてとか、とやかく言われないために、決闘に至った理由を喚き散らしていたのだろうし、通りすがりの男を立会人に指名したのも、尋常な勝負であることを示すためであろう。

 遅れてきたラングは決闘の理由は聞いていなかったが、なんであれ、可哀そうな坊やだと改めて少年を見やった。


(本当にまだ子供じゃないか)


近くまで来て、やっと少年の顔が見えた。

 と、その顔に、ラングはちょっと驚いた。想像よりも造作の整った顔は、それで余計に女たちが案じているのかと納得するぐらいには美しかったが、ラングが気になったのは何よりもその表情である。まだ頬の辺りに幼さの残る顔には、この期に及んで一切の動揺も恐怖も見えなかったのである。


(諦めてる……って顔でもないな)


少年の表情はひどく冷めて見えたが、決して虚無の顔つきではなかった。明らかに、それでいて静かに、決意を秘めた顔であった。ひょっとすると、これは本当に隣村で死闘を潜り抜けてきたのではないか、華奢な体にそう思わせる気配がある。

 するとこの決闘もどう転ぶかわからないぞ、そんな気持ちに、ラングは表情を引き締めた。


「よし。三カウントだ」


目線だけ動かして双方を確認する。

 男は上着の右裾を捲って銃を抜く感触を確かめた。少年は微かに顎を持ち上げたのみである。

 ラングは自分が打つでもないのに、唇をなめて、両手を閉じたり開いたりして、タイミングをはかっている。一度、深呼吸をした。


「いくぞ……。ワン!トゥー!スリー!」


通りをつんざいて、銃声が轟いた。幼気いたいけな少年の最後を見るのが心苦しい、と、思わず目を瞑ってしまった見物人が、恐る恐る瞼を開いた頃、


「ぐわあぁっ」


男が悲鳴を上げた。

 一瞬、ラングも目と耳を疑ったが、悲鳴は髭もじゃの中年男の口から発せられたものであり、男の右手からはケチャップみたいに真っ赤な血が地面に流れ落ちていた。少年が勝利したのだ!少年の左手の銃が、相手が銃を抜くよりも素早く、確実に相手の手の甲を撃ちぬいて、男が痛みに膝をついたころに悠々とホルスターに収まった。

 予想外の結果に人々がどよめいた。痛みに喚く男の元に数人が駆け寄って、血の止まらない手の甲に布を押し当てながら引きずっていく。双方同意の上の決闘であるし、死人は出なかったので、律儀に役人を呼びに行く者はどうやらなさそうである。その内、噂を聞いてからのそのそとやって来て、てきとうに報告書をでっち上げるか、ささいなケンカでおさまるであろう。そういう気風の、そういう時代の町であった。


「勝者、えーと、そういえば名前がわからない少年!」


ラングが間抜けな勝ち名乗りをあげて、道々に歓声と拍手が巻き起こった。と、その瞬間、


「あっ」


ラングは小さく叫んだ。驚異の早業を披露した少年が、勝利を喜ぶ間もなく、膝から崩れ落ちて前方に倒れたのである。

 慌ててラングが駆け寄って、咄嗟に周囲を見回すと、いつの間に外に出てきたのか、店の前にマーロの姿を認めてラングは手を振った。


「マーロ!水!水!」


相棒に叫びながら少年を抱え起こす。少年は完全に気を失っていて、呼びかけても頬を叩いても、伏せられた睫毛が持ち上がる様子はない。倒れた拍子に付着したものか、汗ばんだ顔に砂がつき、それに初夏の太陽が照りつけている。ラングから預かった買い物袋を律儀に抱えたロズが、遅れてやってきて、少年の額に手を当てた。


「すごい熱じゃない!」


そこへ、慌てふためいて段差に躓きながら、マーロが水に濡らしたタオルを持って来た。少年の首元にタオルを当てながら眉を顰め、顔についた汚れを簡単に拭ってやっている。


「ケガをしている」


少年の汚れたシャツに血が滲んでいた。あちこちがボロボロに破け、ところどころに焦げたような跡もある。やはり隣村の騒動で焼け出され、この町に流れてきたのであるらしい。


「とにかく、中に運ぼう」


体格のいいマーロが少年の体を抱え上げ、ラングはロズから重い紙袋を受け取った。

 少年がラングとマーロの店に運ばれていくのと、道向かいに運ばれていった男の喚き声が聞こえてくる家とを、人々は交互に見てまた囁きあった。小さな町の噂は、しばらくこの事件で持ち切りになるであろう。新聞記者がいなかったのが幸いだ、とラングは思った。

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