第84話

 開口一番、ウールはヘンリーに侮辱の言葉をぶん投げた。


 当然ながら、目を凝らしてようやく表情が認識できるほどの距離にいる彼の耳には届いていない。後ろにいた兵士達も何だ? といった様子で顔を覗かせ、ヘンリーの声を聞いたレオはウールのもとへとすっ飛んできた。


「あいつ?! 何してるんだあんなところで!」


「私と決闘をしたいらしい」


「あー決闘……。ッてなんだって?! 決闘?!」


「ま、受ける気などさらさらないけどな」


 そう言うとウールは大声でヘンリーの申し出を断った。するとヘンリーはそれ以上の声で「腰抜け!」だの「魔王は決闘を断る臆病者だ!」などと散々なことを言い放つ。それを聞いた反体制軍の兵士達は馬鹿にするように笑った。だがウールにとってその程度の嘲笑は痛くも痒くもなく涼しい顔をしている。


「ひどい言われようだけどいいのか?」


「別に構わん。あの程度の煽りに一々反応していたら魔王として失格だ。なあベルム?」


 しかしベルムの反応はウールの予想とは違い微妙なものだった。


「どうした? まさかベルム、お前ともあろう者が決闘を受けろというのか?」


「あまり勧めたくはないのですがこの状況で決闘を受けないというのはよろしくないかと。もし戦に勝ったとしてもあの者が言うように魔王様は決闘を断った『腰抜け』と呼ばれ続けるでしょうね」


「ふん、そんなの好きに言わせておけばよいだろ」


「いや~どうでしょう。一生、戦いから逃げた『卑怯者』呼ばわりですよ? 魔族だけでなく人間達も統治している今の状況ですとねえ……。王とは象徴、つまりイメージは大事な要素です。ですからそのようなレッテルを貼られるというのは今後において面倒だと思います」


 ウールはしばらくめんどくさそうにベルムを見つめていた。言い返したくても考言い返せず、やがて考えがまとまったのかがっくりと首を曲げた。


「……勝てばいいのだろ勝てば」


 ウールは愚痴をこぼしながら決闘を受ける旨をイーラとリチャードに、罠対策としてワイバーンに乗って上空に待機することをセドに伝えるようベルムに指示を出した。


 ベルムはすぐに使いの者をそれぞれの陣に送り、セドに対してはレオが伝えに行った。しばらくして、伝え終えた旨を使いの者から聞いていると、ちょうど一頭のワイバーンが後方にいるセドのもとへと降りていくのが見えた。


 そしてレオが戻ってきた時、ワイバーンが彼を乗せて飛び立つのを見るとウールは「では行ってくる」と言い残し単騎でヘンリーのもとへと馬を走らせた。



「ようやく来たか。お前のことだからてっきり受けないのかと思ったぞ」


 元々その気だったとウールは言ってやりたい気持ちで一杯だった。しかし言ったら負けだとその気持ちをこらえながら上を見る。ちょうど頭上高くにセドを乗せたワイバーンがいる。ウールは馬から降り剣を抜いた。


「負けた方が降伏、それでいいな。ペラペラ喋ってないでさっさと決闘をするぞ」


「確かにそうだな。話をするなど無意味だからな。では決闘を始めよ」


 ヘンリーは馬から降りた。そして剣を――――



 抜かなかった。



「ただし決闘をするのは貴様の同族だがな!!」


 ヘンリーが指輪をはめた手を高らかに掲げるとたちまち二人の間に巨大な魔法陣が浮かび上がる。


「そんなことだろうと思っていたぞ。来い!! セド!!」


 ウールの怒りに任せた声が天をつらぬく。上空にいたワイバーンは咆え、セドがパッと飛び降りる。


 そして彼は膝に悪そうな見事な三点着地をウールの目の前で披露した。土煙が舞う。その華麗さにウールは呆れ、ベルム達のいる方からは歓声と拍手が巻き起こっていた。


「正々堂々戦おうとしないとは貴様、俺が一番嫌いなタイプだな」


 セドは不敵な笑みをみせながら立ち上がり手をポキポキ鳴らす。そして調子を整えるようにその場で何度かジャンプし、文字通り目の色を変えた。


「ふん。仲間が増えたところで状況は変わらん。いや、むしろその男も一緒に死ぬだろう! だったらなおさら都合がいい!」


「ハハハハハ! 言ってくれるな! 俺は魔族でも相当実力のあるほうだ、どんな魔物が出てこようが俺には関係ない」


「自信満々だな。だが果たしてこいつを前にいつまでその態度でいられるかな?」


 バチバチと赤黒い稲妻を放っていただけの魔法陣からついに魔物が姿を見せ始める。ギラギラと光る黒茶色の毛に包まれた頭頂部。そこから生える二股に分かれるねじ曲がった巨大な漆黒の角は後ろへとのびていた。


 それを見た瞬間、余裕しゃくしゃくだったセドとウールの表情はパッと無表情になった。


 そしてあろうことか二人は揃って回れ右をした。



「逃げるぞ」

「ああ」



 ウールが馬に勢いよく乗りセドは華麗に後ろに飛び乗った。


 ビュン!


 二人はこともあろうに自軍のいる方へと全力で逃げていく。それはヘンリーが声をかける間もないほどの勢いだった。


「撤退だ!! 全軍撤退!!」


 二人は声を揃えて訴え続ける。リチャードやレオをはじめとする人間達は一体どうしたのかと困惑していた。だが魔族達は皆、一切疑問を持たず撤退の号令や合図を送りながら我先に逃げていく。それは不服そうにしているイーラでさえもだった。



 一方、召喚の途中だったヘンリーは兵士達にさっさと追撃するよう命令を下した。兵士達もリチャード達と同様事態が飲み込めず混乱していた。しかしようやく追撃を開始すると、彼らは次々と手を掲げたままその場を動こうとしないヘンリーを抜き去っていく。


「ヘンリー殿! いつまでここで立っているのですか!」


「ええいうるさい! 一度召喚をはじめたら終えるまで動けんのだ! その程度のことも分からんのか! いいからさっさと行け!」


 功績を得るため追撃をしたくて仕方なかったヘンリーはじれったそうに地団駄を踏む。やがて召喚が終わり、ついに魔物が全貌を明らかにすると彼は満足そうに笑った。


「さあ行け! 我が最強の魔物――」


 彼の言う通り魔物は強かった。しかし魔物は制御不能に陥ってしまった。





「おおおおおいおいウール! なんなんだあれ?!」


 血相を変え馬を走らせているレオの質問を聞きウールは「あ?!」と焦りと不満が混じった返事を返し後ろを見る。


 追撃をする反体制軍の兵士達。彼らとの距離は素早い撤退の判断のおかげで十分なくらい離れていた。


 しかしそれも彼らを吹き飛ばしながら走り抜ける魔物によって無意味になろうとしていた。


 魔物は人間の十倍ほどかそれよりもっと大きな体をしていた。筋肉の盛り上がった漆黒の体には血管のように浮かび上がった赤黒い炎が流れ、髪と三つの目もその色へと変化している。


 そして時々大地を揺るがすほどの雄叫びをあげては大きく飛び、目の前を行く兵士達を踏みつぶした。


 まさに戦場に降り立った災厄だ。敵味方関係なく誰もが縮み上がり、ウールと長老達は「あーあ……」といった目で地獄のような光景を眺めていた。


「あれかなりヤバくないか?! あんな魔物がいるなんて聞いたことないぞ!!」


「レオ、あれは魔物ではない。あれは魔物の上位にあたる『魔獣』だ」


「魔獣?」


「『バルログ・フレイムダハートロード』。それがあの魔獣の名だ」


「バルロ……なんだって?」


「バルログ・フレイムダハートロード。長いから私はバルログと呼んでいる。ってそんなことはどうでもいい。今はとにかく逃げるのが先だ」


 ウールはもう一度後ろを見る。バルログはなおも追いかけているが距離はさほど縮まっていない。


「まあこの距離だしあの形態では追って――」


 ヒヒーン。


 上空から馬の鳴き声が聞こえた。何だと思いウールとレオが見上げるが何も見えない。だが直後、近くを走っていた兵士達の集団に数頭の馬が降り注いだ。


 レオは口をあんぐりと開けたまま馬の落ちた場所を眺め、そしてウールの方を見た。ウールは渋い顔をしたまま頬を膨らませ「やばいな」と他人事のように言葉を漏らす。


「やばすぎだろ!! どうすんだよこれ!! もし逃げたとしてもあんなの勝てるのか?!」


「勝てるに決まっているだろ! ……多分な」


「どっちだよ!!」


 また馬の鳴き声が後ろから響き渡る。二人は反射的に後ろを見て度肝を抜かれた。


 バルログは皿のようになった地面を持ち上げていたのだ。その上には逃げ遅れた兵士達と馬の姿がある。果たしてこの距離で届くのか。普通ならばそう疑問を持つが今バルログの立っていた場所から馬が投げられ、そして届いたのだ。


 ウール達は馬を全力で走らせた。同時にバルログは逃がすまいと助走もつけずに地面を放り投げた。


 ウール達の周りから兵士達の悲鳴が聞こえる。


 徐々に迫りくる地面。


 そしてついに影がウール達を覆った。



「いや~わしらの傑作は実にすごいのう」



 どこからかスタークの声が聞こえた。同時にウール達の後ろが青く輝く。


 一体なんだと彼らは逃げながら振り向き、目を疑ったと同時に歓喜の声をあげる。


 そこには、宝石のように青い輝きを放つドラゴンが飛んでいた。


 そしてドラゴンは迫りくる地面に向かって蒼炎を吐いたのだった。

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