第78話
「なぜやつがここにいる?」
「ご存じなのですか?」
ホーナーが聞くとウールは静かに頷いた。彼らの前に立ちふさがる人影。かつてメアリスと互角に渡り合った純白の少女だった。剣をゆらゆらと揺らしながらいつでも仕掛けられるように見続けている。向かい合うホーナーは両手にはめているナックルの感触を確かめ、横にいたスタークは杖を構えた。
「気を付けろ。こいつの実力はメアリスと同じくらいだ」
「ふうむ。じゃがメアリスがどれほどかわしはいまいち分からん――」
その時、少女の足元から白い霧が溢れる。それは彼女の背後に何か巨大な塊が形成していき液体を混ぜ合わせるように姿を変える。やがて見上げるほど大きな一匹の白い蜘蛛が繊毛を震わせながら彼らの前に姿を見せた。
蜘蛛の太く短い足は刺々しい毛に覆われ、ぶよぶよとした丸い腹をしぬめりけのある皮膚を覆われた繊毛の間から覗かせている。口は先の方が血のように赤く目は鈍い黄色をしていた。
「……やばいのう」
スタークにそう言わしめた蜘蛛は口をガチガチ鳴らし糸を吐いた。糸は直線を描いていたが次第に先を尖らせ槍のような形状へと変化していく。捕まえるためでなく殺すためのようだ。当たればその部位は骨ごと体から引きちぎられるだろう。しかしスタークは逃げ出すことなく杖をギュッと握りしめた。
「じゃが絶望するほどではない」
杖で地面をカン! と叩くとたちまち彼の前に青白い稲妻を放つ魔法陣が浮かび上がる。その上を糸が通った瞬間、首の長いドラゴンの頭が飛び出し糸を噛みちぎった。
そしてドラゴンはうなりながら全身をあらわにした。バチバチとまばたく光をまとった体からは青く宝石のように透明な翼と二又に分かれたしなやかな尾が生えている。ドラゴンは鉤爪をガチガチとこすりあわせながら口をゆっくり開く。中では蒼炎がくすぶり口から漏れ出すほど勢いを増していた。
「待ってください! 蜘蛛ごとこの場所を吹き飛ばすつもりですか?!」
「んなつもりはないわい。わしがその程度の加減もできんと思うか?」
スタークの言う通り炎が部屋を吹き飛ばすことはなかった。放たれた炎は蜘蛛が吐く糸とぶつかり拮抗する。どころか糸の方が勢いで勝り、炎をはじき飛ばすと避けようとしたドラゴンの腕を貫いた。
「ん? おい待て待て!!」
よろめくドラゴンに危うく踏みつぶされそうになるウールとメアリス。しかし数歩ほど先にドラゴンは倒れたので二人は九死に一生を得た。ウールは急いでメアリスを引きずりながら離れていく。そんな中蜘蛛はドラゴンにのしかかり足で動きを封じた。
しかしドラゴンも一方的にやられているわけではない。青く光る牙で蜘蛛の頭を食らうと首をぶんと振り回し壁へと叩きつけたのだ。蜘蛛が「キィ……」と短い悲鳴をあげるがすぐに体勢を立て直し柱と柱、そして天井を巧みに伝いかく乱する動きを披露する。
「ホーナー、わしはドラゴンを操るので手一杯じゃ。あの少女の相手はお前さんに任せるぞ」
ホーナーは「任せてください」と自分の両手を叩いて少女へと駆けだす。対する少女は不気味に笑いながら剣を構える。彼は臆することなく少女の前に来ると床が砕け破片が飛び散るほど踏み込み、必殺ともいえる容赦ない一撃を放った。
だがそれは少女に見切られた。そしてあっけなくホーナーの体に少女の一振りが入った。
「見かけ倒しですね」
「?!」
彼は余裕そうにしていた。なぜなら傷跡と呼べるものはなく、言えたとしても擦り傷程度だったからだ。少女は本能的に距離を取り体を低くする。
「次は仕留める」
ボソリと呟くと剣の輝きが増した。ホーナーは少女が仕掛けるのを待っている。そして少女は期待に応えるように目にもとまらぬ速さで斬りこんだ。
確かに攻撃は当たった。
だが結果は変わらない。
「スタークのおかげで楽ができそうです」
ホーナーは何度も攻撃を受けるうちに少女の動きに順応していく。やがて彼は少女の攻撃が体に届く前に剣を握りしめた。
「ッ?! 離せ!」
「離しません。あなたにはここで死んでもらいますから――」
バリン!!
彼の手で剣は粉々に砕かれた。内臓や骨の鈍い悲鳴が聞こえる。少女は驚く間もなく体内のものが逆流するような痛みを覚えた。そして吹き飛ぶ瞬間、自分の腹がえぐれそこにホーナーの拳があるのを意図せず視界の端で捉えてしまった。
やがて体が柱へと叩きつけられ意識を失った。少女の腹と口からは血がドクドクと流れ全身が
「言っておきますが、私はウールと違い余裕などみせませんから」
手の骨を鳴らしながら少女へと近づくスタークの後ろから「聞こえているぞ」とウールの声がする。その声が耳に届いた時、彼は既に合わせた両手を高くかかげていた。
グチャリ
彼の一撃は少女の頭を無残なものにした。周囲につぶれなかった目や舌が飛び散る。ホーナーは一息つくと壮絶な死闘を繰り広げている蜘蛛とドラゴンの方を見た。
「こっちは終わりましたよ。そっちは……まだ時間がかかりそうですね。加勢しましょうか?」
「いんや、お前さんはさっさとウール達を連れてここを出てくれんか? もし他に何かおれば面倒じゃからのう」
「あなたを置いてなんて――」
「優先するのは何か。お前さんならわかるじゃろ?」
ホーナーは少しためらうがすぐにウール達の方へと向かう。ウールはドラゴンと蜘蛛の戦いに目を奪われていたが彼に気づくと安心した様子をみせた。だがそれはすぐに終わる。
「ホーナー!! 後ろだ!!」
彼が振り向くと死んだはずの少女が元通りの姿で襲ってきていた。手にはさっきまでの剣とは違う、白い炎で形成された剣が握られている。予期せぬ不意打ちに対応が間に合わず彼は腕に傷を負わされてしまう。傷はさっきよりも深い。しかし彼にとってはまだ許容の範囲だった。
「しつこいですね」
同じ要領で攻撃を避け一撃を与える。すぐに少女はよろめき、すかさずホーナーは彼女を押し倒し腕を引きちぎった。
「グウアアアアアア!!」
少女の絶叫は元々のものに別の様々な声が混じった薄気味悪いものだった。彼はそれに嫌悪感をみせながら今度は少女の胸を殴り風穴を開けた。
再び少女は死んだ。今度は大丈夫だろうと警戒を強めたままじりじりと離れる。しかし彼の考えはあっけなく崩れ去った。
少女の体が突然ビクンッ! と脈打つように動いた。すると少女の体から現れた白い炎がシューシューとかすれるような音を立てて体を包み込む。
少女は糸で操られた人形のように起き上がった。ぶちぶちと身の毛がよだつ音と共に再生するむごい傷痕。その感触を楽しむように少女は狂気じみた笑みを浮かべていた。
「たちが悪いな」
「ええ、信じられませんがどうやら不死身のようですね」
「私でもこんな魔法を使える気がしないな。……なるほど、これが『白の手記』の力か」
舌打ちをするウールにホーナーはメアリスの容体を訊ねる。今のメアリスは反応こそあるものの意識を失っている。
そのことを伝えたウールはわずらわしそうにしながらも抱えているメアリスの頭を優しくなでる。メアリスがそれに気づいているのかは分からない。彼女はただ苦しそうに息をし冷や汗を流しているだけだった。
「……ウール。次にあの少女が死んだ時二人を部屋の外に運びます。そこからは二人で逃げてください」
「なッ?! 待て! お前達はどうなる」
「私達よりもあなたが生きなければなりません。あなたは魔王です。そして今は魔族だけでなく人間も導くお方です」
ウールは「たしかにそうだが……」と力なく頭を振る。するとホーナーは「それに」と言って小さく微笑みかける。
「我々が殺されるとでも?」
ウールはあぜんとしていた。しかし彼の言葉は本物だ。ぶれない芯があり、そして目には確かな光があった。
「……よし、任せたぞ」
口調を強めてウールが言うとホーナーは頷き雄叫びをあげた。みるみるうちに体中に血管が浮き出る。対して少女はけたたましく笑いながら彼めがけて走り出した。
腹を貫かんとする一閃。少女から放たれたその一撃をウールは捉えられなかった。しかしホーナーには容易いことだった。彼は剣先が腹に少し当たったところで剣を叩き折り、少女の頭を両手で掴むと真反対に捻じ曲げた。
「グ……がぁ……」
うめきながらよろよろと歩き、少女は倒れた。彼はきびすを返してウール達へと駆けつけ、二人をかつぐと出口めがけて走り出した。
出口まであと二十歩。十五歩。そして十歩。
まだ少女はうめいたままで追いかけてこない。順調だった。このままいけば外に出られる。
はずだった――
ぴちゃ……。
銀色の液が糸を引いて暗闇に包まれた天井から垂れてきた。
ホーナーはちらりと上を見ると舌打ちをする。そしてすぐさま後ろに飛んだ。ウールがどうしたのかと思った矢先、目の前に銀色の炎が一閃を描いて降り注いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます