第72話

 翌朝


 目覚めたウールはまだ眠気の取れてない頭で部屋を見渡す。彼女にとってあまりなじみのない部屋。記憶があやふやなせいで戸惑ってしまいゆっくりと首をかしげる。


「おはようございます魔王様」


 リリーの声がどこかから聞こえる。ウールがキョロキョロしていると「フフっ」と小さく笑う声がしてようやくリリーを見つけられた。彼女はすでに着替え終えていて付き物が取れたような晴れ晴れとした顔でウールを見守っていた。


 ウールは穏やかな口調で挨拶しベッドから出ようとした。しかしふと肌寒さを感じた。同時に布団の感触を直に感じる。おもむろに自分の体を見下ろすと――


「……ああそうだった」


「どうかしましたか?」


 リリーの呼びかけに反応せずウールは少しの間天井を見上げたまま彫像のようになる。


「服が無い」


 まとっていた布団がはらりと落ち彼女の持つ麗しさが露わになる。滑らかな線を描く体、そこに添えられる小さな胸のふくらみ。白く染まるベッドの上の芸術は背徳さを微塵も感じさせない。


 リリーは魅力という見えない力で引き寄せられそうになるが、ほんのりと頬を赤くしたまま慌てて「こ、これはすみません」とすぐに部屋の外に出て使用人を呼んだ。数十秒ほど外で話し込む声が聞こえトタトタと誰かが走り去るとリリーが部屋に戻ってきた。


「今持ってくるよう言いました。ですのでしばらくお待ちください」


「分かった。ならば待つしかないな」


 ウールは布団をかぶろうとする。しかしリリーはなぜか扉の前に立ったままジッとしていた。彼女の視線は痛いほどウールに向けられしかも微動だにしない。じれったくなったウールははぐらかすように「な、なんだ?」と眉をひそめた。


「キスをしてもよろしいでしょうか?」


 そう言いながらリリーは早足で近づきウールの横に座る。


「はあ?! 突然何を言っているんだ!」


「少しだけです。減るものでもありませんから」


 ウールの困惑を無視してリリーは体を寄せる。指の一本一本がガラス細工を扱うような丁寧さでウールの指に絡めていく。全てが絡み合うとウールの肩に顔を乗せ「キスだけですから」と囁く。そして誘惑するような彼女のなまめかしい吐息が耳の奥にまで届き、ウールはビクッと体を反応させてこそばゆさを声にする。


「……キスだけだからな」


 ウールが照れくささを誤魔化すようにリリーを睨むと二人は挨拶のような短いキスを交わした。しかし不満なのかリリーは駄々をこねる子供のように手を離さない。それでも言い様の無い物足りなさを表しきれず彼女は自らの額をウールの額に当てて訴える。


「はぁ、まったく――」


「『困ったやつだ』ですよね?」


 クスクスと笑うリリーは普段の冷静さとはかけ離れた、春の花のようにかわいげのあるものだった。ウールはつい彼女から手を離すがその手でゆっくり抱き寄せてしまう。が、またすぐに離れると大きな咳払いをし「……困ったやつだ」と目をそらす。


「困ったやつでも構いません。魔王様はそんな私を愛してくださるのですから」


 それ以上の湧き出る思いをリリーは言葉にしなかった。代わりに無邪気な笑みをみせたままウールの首筋に顔をうずめそこに数回キスをした。


「……キスだけだからな。それ以上はダメだ」


「歯止めが効かなくなるからですか?」


 猫のようにいたずらな目をするリリーと見つめ合うウールは答えずにキスをした。挨拶のようにほんの少し触れるだけ。あるいはむさぼるように舌を絡めながら。思いつくキスを次々と試していく。朝陽の差し込む部屋には情欲的なキスの音が二人の吐息に乗せて流れていった。



 それから十分ほど経って使用人の女性が服を持って訪れた。彼女が来た時、リリーは満足そうにしていたがウールは熱っぽい顔をしたまま気だるそうにしていた。二人を交互に見ながら戸惑う彼女に「早く服を」とウールが言うと彼女は服を渡し、そそくさと部屋を去っていった。





「皆待たせたな」


 ウールが部屋に戻ると事前に呼んでいたベルムと長老達が待っていた。シャーロットと彼女が信頼を置く臣下との仕事を一通りこなしていたせいもあって、陽はもうすぐ夕焼けになろうとしている。


 ウールは彼らに向かい合うように椅子に座る。そして警戒したまなざしを周囲に向ける。盗み聞きされないか、部屋の外では用心のためリリーを待機させている。イーラは「心配しすぎじゃろう」と口では呆れていたが王都に来たばかりの頃の不機嫌さはない。むしろようやく戻ったウールに安心し気分よくパイプをくわえていた。


「そんなに重要な話なんですか? 聞かれたらまずいと」


「重要ではあるが機密ってほどではないな。ただ何がきっかけとなるか分からんからな。念のためだ」


「これまでみたいにというわけにはいきませんからね」


「ああ、魔族と違い人間を統治するのは実にめんどうだ。お前達が来るまでの間散々思い知らされたぞ。だから世界征服なんて面倒だと散々言ってきたのに……」


 愚痴をもらすウールにベルムも強く同調する。二人は揃って大きなため息をつき、そのうなだれる姿に長老達は苦労を察した。スタークにいたっては「じゃろうな」とカラカラ笑っていた。


「お嬢が苦労しておるのは十分理解しておるつもりじゃ。それで、わらわ達を集めた理由をはよう話してくれんか? そう悠長にしておれんじゃろ」


「気が早いな。久々にこうして会えたことだし少しくらい話をしてもよいではないか?」


「阿呆。坊やはこれだから甘いのじゃ。よいか、敵はもう動き出しておる。大体坊やは――」


「イーラ。説教は後にして話を進めましょう」


 ホーナーに注意されイーラはふん! と子供のようにそっぽを向いて座り直す。ウールはやれやれとセドとイーラを交互に見ると体を少し前に倒して話を始めた。


「現状、我々が思うように動きが取れないのは把握しているな? それを打破するためにお前達にはそれぞれしてもらいたいことがある。まずイーラとホーナー。二人にはシャーロットの手伝い、具体的にはあいつが信を寄せる臣下と共に根回しをしてほしい。裏工作は得意だろ?」


 ホーナーは「暴力に訴えるものでないものなら」と答え、イーラはパイプをくわえたまま無言で頷く。


「お嬢。手段は?」


「何をしても構わん」


 イーラは間を置きながら煙を吐く。ウール達が彼女に注目していると急に彼女の目つきが変わった。


「ならを使っても文句は無いな?」


 薄くなる煙の中から研ぎ澄ましたかのように鋭くなったイーラの目が現れる。口元は一切笑っていない。慈悲という言葉が全く無い表情だ。イーラは「どうじゃ?」と淡々とした口調で迫る。その様子をスターク達は黙って眺めていたが、セドだけは不服そうに腕を組んでいた。


「先に言っておくが余計な事はするなよ?」


「当たり前じゃ。わらわもあの子らもそのくらい分かっておる」


 パイプをいっぱいに吸い込み、そして煙を吐く。一服している彼女をよそに「で、わしとセドは?」とスタークは話を続けるよう催促する。


「根回しならわしもできんことはないぞ。王都には一応古くからの知り合いがおるからのう」


「いや、人手はこれで十分だ。それに二人には別の事を頼もうとしていたところだ。スターク、お前には兵達に魔法や魔物の対策を教授してほしい」


「ええ~。めんどうじゃのう」


 あくびをするスタークに「おいこら」とウールが眉をピクピクさせる。するとベルムが困り果てた様子で前のめりになる。


「いやいやそう言わずお願いしますよ。来たる戦に向けての準備もまだ十分ではないですし、何より強力な魔法を敵は使えるようになっています。吾輩も対策の準備をしているのですがどうしても限界はありますので……。ですから今こそあなたの知恵が必要なのです」


 スタークはあいわかったと気前よく返事をし髭をなでる。だがふと何か思い立ったのか明後日の方向を見たままうなりだした。


「ところでウールや。ついでに聞きたいのじゃが例の亡霊? というか死人の子が持ってたというアレ。ええと何じゃったかのう」


 ウールが「黒の手記か?」と聞くと「それじゃそれじゃ。あれについてちょっと調べたいのじゃが」と彼女を指さす。


「別に構わんぞ。むしろ手つかずの状態だったから助かるくらいだ」


「あれほどの物をほったらかしにしておったのか……」


 困惑するスタークだったがすぐに気を取り直すと研究が楽しみなのか鼻歌を歌いだす。


「それでウール。俺は何をすればいい?」


「ああ、セドには――」

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