第70話

 結局ウールはもとに戻らない。それでもひとまずリリーとイーラが付き添う形でリチャード達との報告会を行うことになった。いつもと違うウールに出席した人々、とりわけ先に待っていたベンは驚きのあまり椅子から転げ落ち、足が使えないせいで他の人に支えられながら席に戻るという醜態を晒した。


 そうした混乱の中で始まった報告会だったが問題なく進んでいった。あえて問題をあげるとすればウールの丁寧かつ配慮が行き届いた振る舞いだ。


 ベン達が慣れていないせいで妙な緊張感が生まれてしまい結果、いつも以上に彼らは疲労困憊してしまうという事態となった。


 そんな何とも言い難い流れのまま報告会は終わりを告げた。その後、ウールの状態を考慮し中止しようとした街の視察をウールとイーラの希望によりリチャードの案内のもと行われることとなり彼らは街に繰り出した。


 リチャードはきまり悪そうにしながらも「この辺りは環境がよくなっている」だとか「この辺りは治安が前よりも悪くなっていて復興がうまく進まない」など報告会で話したことを交えながら案内していった。


 ウールはそれを街の住民達とふれあいながらも真剣に聞き、実力主義なところがあるイーラは「おぬしはよく働いてくれているそうじゃな」と彼の事を評価していた。


「うむ、おぬしの説明のおかげでお嬢の抱えておる問題がおおよそであるが理解できた。感謝するぞ」


 リチャードは戸惑いながら「どうも」と少し頭を下げる。はたから見れば自分よりもずっと年下ウールもそうだがの幼女にまるで上司であるかのように振る舞われている。奇妙なギャップはウールで慣れつつあった彼だがどうしても困惑してしまう。


「ようは邪魔者をどうにかすれば解決するんじゃな?」


「随分簡単に言ってくれてるようだがそう楽なことじゃないぞ。相手はでかいし金や息のかかった下っ端もごろごろいる。実際そいつらの妨害を受けてたりするからな」


 彼らは様々な手段を用いて妨害していた。その内の一つに魔族に対し嫌悪感を持つ人々の心情を利用するものがある。彼らを扇動しリチャード達を「人でなし」などとレッテルを貼り時に衝突を引き起こす。


 そうした彼らの活動の裏にはスペンサー側の者達がいた。その事実はシャーロットと彼女が信頼を置く側近達の調査によっておおよそつかめている。しかし勢力としては今だに彼らの方が優勢でさらに表立っていない。


「こっちが抵抗するような動きをすれば奴らは余計に勢いづく。そうすれば落ち着いてきた王都が再び混乱してしまう。だから現状ではどうしようもないんだ」


ではな。だが我々が来た」


「そう言うけど相手だって長い間この国を支配してた連中だし工作なんてお手のものだ。それにさっきも言っただろ。簡単にどうにかできる相手じゃない」


 するとイーラは不意に行く先をふさぐかのように彼の前に立った。彼がどうしたのか訊ねようとするとそれを遮るかのように低い声で「見くびるなよ人間」と冷たいまなざしを向けた。


「我ら魔族は数以外ではおぬしら烏合の衆である人間に勝っておる。その意味がわかるか?」


 パイプをくわえたままの彼女の目が黒く染まっていた。瞳は磨かれた宝石のように黄色く変化し底まで見通すかのようだ。するとリチャードの額に血管が浮きだし、彼は内側から殴られるような激しい頭痛を感じだす。


 頭を抱えて苦しむ彼に後ろを歩いていたウールとリリーが驚く。しかしイーラは動じず話し続ける。


「覚えておけ、我ら魔族は人間共よりも優れた存在であることを。人間なんぞの掌の上でもてあそばれるような愚昧ぐまいな存在などではない。それともう一つ。おぬしはお嬢を助け今日までよく支えてきた。そうした信頼できる事実がある上であえて言うぞ。我らがおぬしらの味方となるのはお嬢の意思に従っておるというだけのことじゃ。我らが人間と仲良く暮らすのも所詮は仮初かりそめ――」


「イーラ様」


 リリーの呼びかけにイーラの目がもとに戻る。リチャードが地面に座ったまま真っ青な顔で咳をしているのをしり目にリリーとウールの方へと振り向いた。


「軽率な発言は控えてください」


「……なぜそう思うのじゃ? わらわは事実を述べたまでじゃ」


「あなたの先の言葉には魔王様の意思に反しているものがあります。魔王様は本気で魔族と人間が共に生きる世界を作ることを望んでおられます」


 イーラは怪訝そうに睨むだけで理解できていない様子だ。そして確かめるようにウールを見るが、ウールは曖昧な返事をしたまま目を泳がせているだけだった。


「……興味深いのう。ぜひその真意をこんな小娘ではなくもとのお嬢に聞いてみたいものじゃ」


「ッ?! 魔王様になんてことを――」


「なんてことじゃと? たわけ、わらわはこんな小娘に忠義を示したつもりはないわ」


 イーラはパイプを吸いながら不安げにしているウールを無視して歩き出す。リリーはウールにそっと安心言葉をかけると気持ち悪そうにしている彼に近づき「すまない」と耳打ちした。


「彼女は魔族の中でもちょっと性格に難があってな」


「十分分かったよ。面倒というか容赦ないというか、ウールの方が何倍もマシだ。はぁ……。薄々覚悟はしてたが俺はこれからこんなおっかないのと一緒に生活するのか」


「心配するな。あんな特別なのは彼女くらいだ。大体の魔族は気さくで親しみやすい連中だ」


「セドとかいうあの男みたいにか?」


「彼なんか特にだ。だが彼は……優しすぎる」


 少し間があったことにリチャードは疑問を感じていたがイーラに「早う案内せんか」と促されるとその事を忘れた。



 魔族が王都に来てからちょうど一週間が経った。


 だがウールはいまだもとに戻らない。イーラが「早うせんか」とスタークを催促させる頻度が日に日に増し、その度に彼がめんどくさそうにあしらう頻度も増えていく。彼だけでなくイーラも含め長老達が総出で城の書物を調べるなどしているが、解決策が見いだせずにいた。


 そうして彼らが苦労している中、ウールは城の使用人達の手伝いをするようになっていた。最初、使用人達はとてもそのような事はと遠慮していたが彼女たっての希望もあって実現することとなった。その時シャーロットも「今の状態ならむしろいいんじゃないかしら?」と特に止めようとはしなかった。


 そうした経緯で働くようになった。そして才能なのかそれとも魔法の効果なのか、ウールは仕事の説明を一度聞くとテキパキとこなしていった。その見事なまでの働きっぷりはベテランでもあるメリッサが思わずうなるほどだ。


「ウール様はすごいですね。……と、シャーロット様? 何か不機嫌そうですがどうかなさいましたか?」


「べつに~……」


 その日の午後、廊下を歩きながらシャーロットは窓の外を見てムス~ッとしていた。外ではウールが使用人達と一緒に笑顔で働いている。


 シャーロットはそんなウールに対し言い様の無い敗北感を感じていたのだ。


 以前彼女は対抗しようとメリッサに頼んで使用人の手伝いをした。だが手先が不器用なせいでうまくいかずメリッサとレオに「姫様は姫様なんですから国を担う者としての役割を果たせばそれで十分です!」と言われる始末だった。


 メリッサはそれを思い出したのか頬を少し膨らませているシャーロットを気の毒そうに眺めていた。ちょうどその時、二人の向かいからイーラとスタークが歩いてきた。彼はイーラの文句をひょうひょうとした笑いをあげながら聞き流していたが、二人に気づくと軽く会釈する。


「おお、これは姫さ――」


「あなたウールをもとに戻せる魔法使いなんでしょ? だったら早くウールをもとに戻しなさい!」


 息巻くシャーロットはずんずんとスターク達の前を去る。メリッサは慌てて謝ると彼女の後を追う。そんな嵐の如く去っていった二人の背中をスターク達はポカンとした様子で見送っていた。


「……今まで急かしてすまなかったのうスターク。これからはできるペースでやっていくとしよう」


「よさぬか。お前さんにそう素直に謝られてはむしろ気色が悪いわい」


 二人はまだまだ手間がかかりそうだと虚空を見つめたまま歩き出す。だがそれもこの日の夜に終わりを告げるのだった。





 その日の夜


 ウールはメイド姿のまま彼女が寝間着に着替えるのを手伝っていた。以前のリリーなら興奮していただろうが今の彼女は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「あの、魔王様。私なんかに構わずもうお休みになられては」


 着替え終えたリリーはベッドに入る。彼女がそう言えばいつもウールは「かしこまりました」と部屋を去っていく。


 しかし今日は違っていた。


 ウールは目をそらしたまま胸に手を置いている。顔が少し火照りそわそわしている。そしてどういうわけかゆっくりとリリーに近づいていた。


 リリーがどうしたのかと訊ねるや否や、突然ウールはリリーの横に座ると彼女を勢いよく抱きしめた。


「い、一体何をッ――」


「ご主人様はその……。私の事を愛していますか?」


 抱きしめるのを止め向き合うウール。正直な思いなのか彼女は潤んだ瞳を泳がせながらも必死にリリーを見つめようとしている。


「も、もちろんです。私はずっと……身も焦がれるほど魔王様を愛して……」


 リリーは途中で言うのをやめしどろもどろになる。するとウールは微笑みを浮かべると再びリリーの背中に手を回した。体を密着させながら何度も確かめるように彼女の背中をなでる。次第にリリーの寝間着が着崩れをおこし彼女の艶やかな肌があらわになっていく。


 部屋には二人の高鳴る鼓動と求め合うような息遣いしかなかった。まるでこの世界から全てが忽然と消え、二人だけになってしまったかのように静かだ。


 心細い寂しい世界。それを誤魔化すかのようにウールはゆっくりと顔を近づける。リリーは目をそらしたままされるがままになっている。


 鼻先が触れ合う。その時ウールは目を閉じ――



 そして再び目を開けた。



「ご主人様……どうしてですか?」



 ウールは信じられなさそうな様子だった。それもそのはず、今頃二人は一つとなり愛を確かめあっていたはずだったからだ。


 しかし彼女の前にいるリリーは彼女の肩をしっかりと握ったまま真っ直ぐ見つめている。


 そしてキスを拒んだ彼女の目には確かな凛々しさがあった。

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