第64話
野営地のあちこちから兵たちの喧騒が聞こえていた。つかみ取った勝利の大きさに皆酔いしれ、湧き上がる嬉しさをかみしめ合うように騒いでいる。
しかしレオにとってそれは無縁なものだった。うつむいたまま避けるように彼らの間をずんずんと歩き、気づけば野営地の外に出ていた。
野営地の周囲はなだらかな夜の平原で、点々と岩があるだけでどこか寂しさを覚えるほど静かな場所だ。レオは近くの岩に座ると涙を拭き空を見上げた。
月は薄い雲に隠れてぼんやりとした輪郭を浮かばせている。彼に降り注ぐ月明かりが少ないおかげか普段は見えない星も見える。
しかし穏やかな平原には合わない腐臭がかすかに漂っていた。戦場の爪痕だ。
レオはしばらく黙ったままだったが自分でもわけが分からずまた涙を流してしまう。
「結構遠くまで歩きましたね」
ベルムの声に気づき驚いたままのレオに彼は「隣いいですか?」と訊ねる。レオは弱弱しく「うん」と頷く。するとベルムはよいしょと座り、何も言わず空を見上げた。
レオは一体どういうつもりなのか分からなさそうに彼を見ていたがどうでもよくなってくる。
それからしばらく二人は静かに星を見ていた。虫の声が小さく聞こえ、さわさわと吹き抜ける風の音が聞こえる。今日この場所で戦いがまるでなかったかのように静かで平和な時間が流れていく。
やがてレオはたどたどしくベルムに自らの名前を言う。ベルムも思い出したかのように穏やかな口調で名前を教えた。そこで会話はすぐに終わり、再び静寂が辺りを包む。すると彼はベルムを自信のない声で呼んだ
「俺はこれからウール達と一緒にいてもいいんでしょうか?」
「なぜ、そう思うのです?」
「それはその、俺が不甲斐ないから……。勇者のくせに弱いし、あんなこと言ってしまったり……。だから足手まといになってしまうんじゃないかと思って……」
「レオさん。誰でも間違いは犯しますし、最初から強いなんてありませんよ」
「でも――」
「焦る気持ちは分かります。ですがまずは落ち着きましょう。焦ると何も得られないどころかかえって失ってしまいますよ」
レオはただ小さな声で「うん……」と涙をこらえながら答えるだけだった。ベルムは思いつめた彼を見ながらふと「そういえば魔王様も昔はよく泣いてましたねえ……」と懐かしむような口調で言う。
「ウールが?」とレオは信じられないといった顔でベルムの顔を覗き込んでいる。
「それって弱くなってからのことですか? でも俺が初めて会った時は全然そんな風には――」
「あーいえ、その時ではなくもっと前です」
レオが不思議そうにベルムを見つめていると彼は遠くを見るように語りだした。
♦
大陸の中西部には巨大な地下迷宮が存在する。なぜそんなものがあるのか、いつから存在するのかは一切不明だ。恐ろしい魔獣やドラゴンが住み着いていると噂され、現在でも解明は進んでいない。
そんな地下迷宮の最深部。そこには魔王城の玉座の間にも劣らないほどの巨大な部屋があった。
捨てられてから長い年月が経っているせいかあちこちにヒビが入り、空気はよどんでいる。朽ち果てたと言っても過言ではない部屋だ。だがその場所の中心には、宝玉のように輝く水色の球体が浮かんでいた。隣には骨だけになった死体が一つ置き去りにされている。
そして十五年前。奇妙な出来事がこの場所で起きた。
死体が突然目を覚ましたのだ。
死体は意識がハッキリとしていたが自分が何者かを理解していなかった。手がかりを探そうと辺りを見渡し始めると部屋に浮かぶ球体にすぐに気がつき、恐る恐る近寄った。
すると死体は驚愕し顎が外れそうになってしまった。なぜなら球体の中には美しく可憐な銀髪の少女が眠っていたからだ。
それが死体である彼――ベルムが初めて見たウールの姿だった。
彼がまじまじと見つめていると、突然球体が割れ、流れゆく水と共にウールが出てきた。彼は急いで抱き寄せた。腕の中で眠るウールは夢を見ているかのように安らかに眠っている。
それを見て彼は親心に似た感情を感じ取った。
ウールを守らなければならない。
なぜこんな感情が湧き上がるのか疑問に思っているとウールはゆっくりと目を開けた。するとベルムの体をギュッと抱き寄せ赤子のように泣き続けた。まるで悪い夢でも見ていたかのようにだ。
ベルムはどうしていいか分からずしばらくウールが泣き止むのを待ち続けることにした。
その後二人はあてのない旅に出た。その旅は後に配下となる者達に出会うまでの二年に及び、苦労の連続だった。
当時のウールは自分の名前と、自分が『魔王』に似た存在であることしか覚えていなかった。しかも泣き虫で臆病、そして魔法をこれっぽっちも使えないなど今の自信満々な彼女の面影はどこにもなかった。
そんなウールはいつもベルムにくっついて行動を共にしていた。
彼が少し先の様子を一人で見に行こうとすると無言で震えながら泣き、危害を与えない動物にさえ怯えてしまうほどで油断すればショックで死んでしまうのではないかと思えるほどだった。
夜になるとひどいものでぶるぶると震え、彼から決して離れようとしなかった。幸い会話が成り立つのでベルムはそんな彼女をいつも慰めていた。
そうした旅の中でウールは次第に落ち着きをみせはじめた。そして後に配下となる者達と出会い、彼らから様々な事を学んでいくうちにウールは『魔王』として成長していくことになった――
♢
「そんな過去が……。とても今のウールからは想像がつかないです。……でも一体何を学んだらあんなことに?」
「皆の思う魔王像を試行錯誤するうちにって感じですね」
「そ、そうなんですか……。だからあんな偉そうな感じに――」
ベルムが気まずそうに頬をかいているのに気づきレオは慌てて謝った。「いやまあ気持ちは分かりますよ……。吾輩もたまにイタいなと思うことはありますし」と彼がフォローを入れるがレオは微妙な返事を返すしかなかった。
「ですが振る舞いだけではなく魔王様は魔法や剣術、歴史など様々な事を学んだりしていましたよ。といっても最初から上手くいくはずもなくいつも文句ばかり言ってました。それでも魔王様は諦めようとはしませんでした」
「『魔王』だからですか?」
「それもありますがちょっと違いますね。一度魔王様に聞いたんですよ、なぜそこまで努力するのかと。そしてら魔王様は『自分を変えたいのだよ。自分のためにも、そして皆のためにもな』と真剣に答えましてね。いやはや、軽いノリで聞いた自分が恥ずかしくなりましたよ」
ベルムは当時の心境を思い出してか申し訳なさそうに頭をかいている。すると「そうなんだ……」とうわの空になっているレオには長々と過去話をしてしまったことを謝った。
「いえそんな、むしろ聞けてよかったです。……あの、ベルムさん。自分もウールみたいになれますか?」
「え? あんな尊大な感じに――」
「そうじゃなくて!! 俺もウールみたいに変われるかってことです!!」
レオがぷんすかしている中ベルムは「冗談ですよ」とカラカラ笑っていた。やがて落ち着きふぅ……と息を整え――
「変われるかどうかはあなた次第です」
「やっぱりそうなりますよね……。でもどうすればいいんですか?」
「そうですね~……。とりあえず今は頭を冷やして反省ですかね。そうして間違いに向き合ってそれから次にどうするかを考える。あ、もちろんこれは精神的なものですよ。戦いの腕についてはまた別です。まあとにかく、まずは自分で考えてみることです。それでも分からなければ誰かに頼ってみてください。魔王様もそうやって成長していきましたので」
レオはベルムの話を真剣に聞いていた。そして彼が語り終えると感謝の言葉と共にペコリと頭を下げる。そうして顔をあげたレオの顔には涙の跡が残っていたがどこか晴れ晴れとしていた。
その表情を見て安心したのかベルムは岩から飛び降りて帰ろうとする。
「吾輩は戻りますがまだここにいますか?」
「はい。もう少し考えたいので」
「分かりました。あ、それと吾輩が昔の事を話したのはできれば内緒にしてくださいよ」
「なんでですか?」
「大した理由では無いのですが、魔王様が恥ずかしがりますので……」
レオは「あ~」と大いに納得したように頷くと去っていくベルムを見送った。やがて目を細めてようやく姿が見えるほどベルムの姿が小さくなると再び空を見上げた。
♢
それから一週間後
王都へと戻ったウール達を待っていたのは人々の歓喜の声だった。人も魔族も関係なく人々は彼らを歓迎し勝利を祝った。それは城へと続く道までずっと続いていた。
それを一身に受けながらウール達が城の前にある巨大な石造りの階段を上ると、上りきった先でシャーロットがリリーと従者たちを連れて待っていた。
「ただいま帰還しました、シャーロット様」
「おかえりなさいレオ。無事でよかったわ」
シャーロットはレオの手を握りながら微笑んだ。彼女の手は震えていたがレオに強く握り返されると次第に落ち着きを取り戻す。
「顔つきが少し変わった?」
彼女は不思議そうにレオの顔を覗き込んでいる。レオは「そうですか?」とよく分からなさそうに顔のあちこちを触りだす。それを見ながら彼女がクスクス笑ってる横で、リリーはウールにしゃんとした態度で挨拶をしていた。
「待たせて悪かった。辛かっただろう」
「はい。ですが自分を見つめ直すにはちょうどよかったです」
リリーが微笑むのを見てウールは「そうか」と満足そうな口調で言う。するとここで立ち話もあれだからということで一行は城の中へと入った。
「報告は聞いたわ。圧勝だったらしいわね」
城の中を歩いている際中、シャーロットが誇らしげにウールを見た。
「当然だ。皆の懸命な働きがあったからな。だが敵の大将はまだ討ち取れていない。それにこれからこの混乱した状況の中で統治しなければならない」
「まったくね。先が思いやられるわ……」
二人は天井を見上げるとこれから訪れる多忙な日々を想像してしまったのか同時に大きなため息をついた。そのせいか二人の歩く速度が遅くなる。後に続いていたレオ達は苦笑いを浮かべていた。
「だがやるしかない」
「そうね、だって決めたんだもの」
再び二人は歩き出した。その姿は堂々としたものだ。まるでこれから行く道を示すかのように。
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