第38話

 ウールがすやすやと眠る少し前。


 アイザック達は森の中にある開けた場所に作られた野営地で、僅かに残っていた食料の争奪戦に敗れ不毛な口喧嘩をしていた。だからといって腹が膨れることもなく、ゲッソリと疲れ切った一行はついに言葉を口にしようともしなかった。


「ああクソッ。飯もねえのに酒まで切れやがった。おいアイザック、酒残ってねえか?」


「は? もうねえよ。てかロバート、お前散々飲んでただろ。今日ぐらい我慢しろ」


「こんなクソみてえな状況だと尚更我慢できねえ」


「だったら他の兵士からぶんどってこいよ。それかお前の魔法で酒を作ればいい」


「ざけんな。俺の魔法は回復がメインで後はおまけ程度の炎魔法が使えるだけだ。センスのかけらもねえ冗談言うんじゃねえよ」


 アイザックとロバートは互いににらみ合うが余計に喉が渇くだけだった。二人が大きなため息を吐くと、彼はテレサ達に飲み物が残っていないか藁にもすがる思いで訊ねる。だが希望通りの返事など返ってこず、うなだれてしまう。


 悲惨な状況はなにもアイザック達だけでない。他の兵士達も皆同じで空腹とわずかな酒と水で明日、もしくは明後日に始まるポルーネへの襲撃を迎えなければならない。そんな中でまともに食事にありつけられるのはヘンリー達指揮官クラスの者達くらいだ。正規兵達も食事を取れたが気持ち程度の物だ。


 その結果、傭兵のように金で雇われた兵達の恨みは彼らに向けられ、一番手ごろな正規兵達は彼らと衝突を繰り返していた。


 怒号が野営地に響き渡る。それが余計に空気を悪くしていた。アイザック達は限界になりうなだれてしまう。


「……仕方ねえ、水を取りに行くか。おいテレサ、お前ついてこい」


「はあ? ついて行くってどこに? 大体何で私なの?」


「森だ。この近くには確か川が流れている。食料はともかく水は絶対に確保しておきたい。それと、お前なのはこの中で俺の次に腕が立つからだ。仮に魔物と戦闘になったとして生き残る可能性を考えての事だ」


「お褒めの言葉をどうも。でもエドウィン、夜の森は危険なのよね? わざわざ危険を冒さなくても明日行けばいいじゃない」


「そんな機転をあの温室育ちの指揮官殿が持ち合わせていると思うかい?」


 ロバートが二人の会話に空になった水筒を弄びながら割って入る。彼の言葉はもっともで、指揮官のヘンリーは出立当初は意気込んでいたが、今はさっさと王都に戻りたくてしょうがなくなっているという。何でも「女を満足に抱けない」だの「食事がひどい」だのと呆れるような理由で、兵士達の噂程度だが誰もが事実だろうと思っている。


 そんなどうしようもない彼だが一応責務を全うしようとしている。その最大の理由は、この戦いに勝ってウールを自分の性奴隷にするためだ。これもまた兵士達の噂なので実際に彼が言ったわけでないので真偽は不明だが「奴の事だから間違いないだろう」とアイザック達は確信している。ロバートに至っては「もし俺が奴の立場なら同じことを考えるだろうな」と豪語していた。


「……分かった、行けばいいんでしょ? ところでエドウィン、行って帰るのにどれくらいかかるの?」


「なに、数十分ほどだ。ほらお前ら、さっさと水筒をよこせ」


 アイザック達は残った酒を飲み干すと二人に乱暴に投げた。水筒を受け取ったテレサはふとアイザックが心配そうに見つめているのに気づき「そんなに心配ならついてくれば?」と言う。彼はついて行こうとして体を起こそうとするも、エドウィンに「数は少なく、だが効率よくだ」と止められてしまう。


 アイザックは少し抵抗しようとしたが彼の性格を思い出すと何も言おうとしなかった。そんな彼を置いてアイザックとテレサは夜の森へと入って行った。


「……やっぱあんたら、どう見ても付き合ってるでしょ」


「はあ?! うるせえぞモニカ!!」


 ニタニタと笑うモニカに近くを通った兵士達が振り返るほどの大声で答えると、アイザックは舌打ちをして見えなくなりつつあるエドウィン達の姿を追った。モニカとロバートはそんな彼を呆れた様子で見守っていた。





 生い茂る草を斬りながら二人は奥へと進んで行く。か細い月の灯りが降り注ぎ、時々体に虫がたかりゾワゾワとした感触を覚えるが、二人は慣れた手つきで対処する。そうして進んでいる間も警戒は怠らない。だが結局、川に着くまで魔物どころか動物にさえ遭遇しなかった。


 川に出ると二人は水筒に水を満たす前に貪るように何度も両手で水をすくった。テレサに至っては我慢できずに顔を川に突っ込んで水を飲みだした。


 そして彼女がプハーッと水しぶきをあげながら顔を川から出すと、スッキリした表情で舌なめずりをしながら水筒に水を満たしていく。


「これならあいつらも一緒に来たほうがよかったかも」


「油断するなテレサ。まだ帰りがある。魔物と遭遇する可能性は捨てきれん」


「でも、私達二人は一番腕が立つ」


 そう言いながら得意気に水筒の蓋を締めるテレサにエドウィンはククッとおかしそうに笑う。テレサもつられてニヤリと笑うと立ち上がりさっさと帰るように言った。エドウィンが「ああ、そうだな」と腰を持ち上げると二人は野営地に向けて引き返した。



 帰りも二人は常に柄に手を添えたまま歩くが、気持ちは行きの時よりも穏やかだった。だが不意に、エドウィンの目つきが鋭くなる。足を止めて戦斧を抜く彼に一瞬戸惑うテレサだが、彼女もすぐに異様な気配を感じ取り剣を抜いた。


「……もうすぐだってのに。エドウィン、数は?」


「…………」


 彼は無言のままじりじりと辺りを見渡す。やがて芯の通った低い声で「6、いや7か?」と答える。すると懐から投げナイフを取り出し、彼は自分から見て右手側の闇にめがけて投げた。


 乾いた、それでいておぞましく響き渡る悲鳴が響き渡る。二人は這いずるような寒気に襲われるがなおも構えを崩さない。すると悲鳴を合図に、辺り一帯に悲鳴が木霊し、見えない大きなうねりを生み出した。


「……アンデッド系か?」


「アンデッド?! なんでこの森に?! ここにいるなんて聞いたことない!」


「それは俺もだ。だが今こうして目の前にいる」


 エドウィンが重々しく言うと、右の茂みから影がひとつ飛び出した。だがすぐに彼の振り下ろされた戦斧の餌食となり、ナイフの刺さった灰黒い人間の頭が彼の足元に血を流しながら転がった。


 彼は一歩動き、血だまりに足を踏み入れる。ピチャリ、と土と液が混じった音がした。それを合図に残りの黒い影が飛び出した。姿を見せた亡霊達。蟻の巣穴のように体のあちこちに穴があり、中には食われた後のように体の一部を失っている者もいる。


 テレサとエドウィンはその薄気味悪さに一瞬表情を歪める。それでもすぐに気を取り直すと一体、また一体と倒していく。


 だが息つく間もなく、川の方角に影が二つ現れる。ゆらりと蠢く影、テレサが剣を構えるとエドウィンは「待て」と言い野営地の方角を確認する。


「これは魔王の策かもしれん。恐らく俺達が寝静まった頃合いを見計らって奇襲する気だったのだろう。テレサ、お前は先に野営地に戻ってこのことをみなに伝えろ。俺はこいつらを足止めする」


「何言って!――」


 エドウィンの目に焦りと怒りが浮かぶ。柄を握る彼のゴツゴツした手に太い血管が浮かび、はち切れんばかりに震えている。


「……言い争う時間が勿体ないわよね」


「……分かってんならさっさと行け」


 テレサは「無茶はしないで」と言い残し野営地へと走り出す。エドウィンは横目で彼女の去る姿を確認すると走り出した二つの影めがけて攻撃を仕掛けた――





「あ、戻ってきた。おーいテレサ、早く水をくれ――」


「敵襲よアイザック!! 早く皆に伝えて!!」


 切迫した様子で伝えるテレサに彼が驚いていると、近くにいた兵士達も同じように驚き、テントの中で横になっていたロバートとモニカも何事かと慌てて飛び出した。


「夜襲か、また姑息な手を! っておい待てテレサ! エドウィンはどうした?!」


「森で奴らと戦ってる。私は早く皆に伝えるよう彼に頼まれて戻ってきたの! だから説明してる暇なんてない! 早く兵士達を集めて助けに――」


 その時だった。


 四方八方あらゆる場所から、テレサが聞いたあのおぞましいうめき声が響き渡る。それは森で聞いたものの比ではない。耳を塞ぎたくなるほど大きく、心をかき回すおぞましいものだった。

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