第32話

 街は騒然としていた。


 陽が空高く昇る頃、石畳の大通りに次々と人がどこからか湧くように増え、ざわめきも増していく。老若男女、好奇の目は通りの中心へと向けられていて、そこには凱旋のように堂々と練り歩くウール達の姿があった。


「こんなに注目を浴びるとは……。ウール、事前に傭兵達に連絡しておいた方が目立たなくて済んだんじゃないか?」


 エイリーンは気恥ずかしそうにキョロキョロと見回しながら訊ねる。魔王であるウールはともかく彼女は普通の人間だ。普通ならこんなにも衆目に晒されることなど無いし、ましてや群衆の中に時々見知った顔を見かけるのだから余計にむず痒い。


「事は一刻を争う。連絡などする暇があるなら少しでも多く対策に時間を費やしたい」


 ウールはそう言いながら辺りを見渡す。一見綺麗に整備された美しい街並みではあるが、目を凝らすとそれがメッキのように塗り固められたものであることが分かる。道は所々崩れ土がむき出しになり、窓や壁が壊され反乱の傷痕が残った建物がある。群衆の向こうに見える細い路地からは、明日を生きれるか分からないボロボロの姿の人々が恨めしそうにウールを覗き込んでいる。


「それに良いではないか。こうやって私達を印象付けておいた方が人間達の認識も少しは変わるだろう」


 得意気に言ってみせるウールに難しい顔をしたままエイリーンは一応の理解を示すと、特に何も言わなかった。


「ところで魔王様、我々はどこに向かえばいいのですか?」


 振り向いて訊ねるグルトに「知らん。話が通じそうな奴を見かけたら声をかければいいだろ」とウールはいい加減な返事をする。すっかり困り果ててしまう彼だったが救いの手が差し伸べられる。群衆の中からクレアが信じられないといった様子で飛び出してきた。


「久しぶりだなクレア」


 ウールはベルム達に馬を止めるよう指示を出すと馬から降りて迎えるように声をかける。クレアの目に涙が浮かび、ウールに近づくと思いをぶつけるように強く抱きしめようとした。その時、村で思い切り抱きしめられた時の事が頭をよぎる。


「あ、しまった。たしかクレアは――」


 もう遅かった。


 苦しそうな声を漏らすとクレアのふわふわとした胸に顔をうずめたまま意識を失った。グルトとエイリーンは衝撃で言葉を失い、ベルムはやれやれと慣れた様子で彼女に近づきウールを介抱しようとした。


 その時、ベルムは背後から寒気を感じた。その正体が何なのかは察しが付いていたがつい振り向くと、リリーが羨ましさとやきもちの混じった目をクレアに向けていた。


 リリーはズンズンと大股で歩みクレアの前に立つと、ぬいぐるみのようにだらりとのびてしまったウールを奪いギュッと抱きしめた。


「魔王様は渡しません」


 まるでお気に入りの人形を没収されそうになっている子供のようにムッとした顔で訴える。クレアは背は自分より少し高いが同い年くらいか少し下であろうリリーのその姿に、目をパチパチとさせて困惑してしまう。だが、ふと何か思い出したかのように目を大きくすると観察するように彼女の体を上から下へとじっくり見る。


「もしかして、あなたがウールちゃんの言ってた『黒騎士』さん?」


「なに? 私の事を知ってるのか?」


 するとベルムが割って入り、クレアにここに来た目的を説明しすぐにでもリチャード達傭兵に会いたいと言った。彼女は話をすぐに理解すると、彼らが死んだ領主の館を作戦本部として利用していることを伝える。ベルム達はそこまでの道案内を彼女に任せることにし、一行は館へと向かいはじめる。


 リリーは彼女の話を詳しく聞きたいと言うと、馬をベルムに任せてクレアと並んで歩くことにした。だが気絶しているウールの世話は譲らんと、姫のように抱きかかえたまま頑なにベルムに託そうとしない。当のベルムはどうでもよさそうに返事をするだけだった。


 互いに軽い自己紹介を済ませるとクレアはウールが話してくれたリリーの過去、彼女に対するウールの思いを話した。リリーは終始何も言わず耳を傾け、話が終わると深く頷いた。


「そうか、私のいない間にそんなことを……」


 少し顔を下げ、染み入るように呟くリリーの姿にクレアは見入ってしまっていた。話に聞いていた通り彼女の美しさが本物であるというのもあるが、どこか儚そうにしている姿にいいようもなく引き寄せられてしまう。


「どうした? 私の顔に何かついているか?」


 急に顔をあげたリリーにクレアの顔が少し赤くなる。二人の距離が近く、端正な顔立ちに引き込まれるような緑の目と目が合い彼女は自然とどぎまぎしてしまう。だがすぐにハッとするとぶんぶんと頭を横に振った。


「えっと……。リリーさんって本当にウールちゃんが好きなのね」


「好きというより愛しているの方が正しい。魔王様は故郷も、両親も、何もかも失い復讐することだけを考えていた私を拾い、大事に育ててくださった」


「でもウールちゃんはあなたを強い兵士として利用するために拾ったのでしょ? それなのにどうして……」


「私も当時はそれを望んでいた。復讐を果たすためなら駒になっても、人でなくなっても構わない。だから私はひたすら武技や魔法を鍛え続けた。魔王様の為でなく、自分の為に」


 淡々と語るリリー。そんな彼女の目が淀んでいるような気がし、クレアの目に映る彼女の黒い鎧姿が映し鏡のように見えた。


「だが、時が経つにつれ完全ではないが復讐心も少しずつ消えてきた。そして同じくらい、魔王様への忠義も持つようになった。魔王様はこんな私を道具ではなく命ある者として対等に見てくださっていた。それに気づいた時私は決めた、この方の為に武器を持ち、身を捧げたいと」


 そう語るリリーの表情は母親のように穏やかで暖かさのあるものだった。歪な経緯だがそれでも優しさを感じ、クレアも自然と笑みがこぼれる。だがふと疑問が浮かび首を傾げた。


「じゃあどうして今みたいになったの?」


「今みたいに、とは?」


「その……愛するようにってこと――」


「よくぞ聞いてくれた。いいか、まず前提として魔王様の魅力というのは私の口では言い表せないほど有り余るもの。だから私の伝えることが全てではないと思ってほしい。さて魔王様の魅力だがまず普段の振る舞い、そこから親身に、時に優しくスキンシップをしてくださるというギャップが――」


 リリーはまくし立てるようにウールの外見や内面、仕草など推しポイントを事細かに自分の経験を交えて語りだした。しかも冷静沈着に話すものだからクレアはどう反応していいか困り果て、ベルムに助けを求めるように視線を向ける。ベルムは諦めてくださいというように首を横に振り、クレアは力ない笑みを見せながらリリーの熱弁を聞いた。その際中、気絶しているはずのウールの顔が険しいものになっていた。


「というわけで私は魔王様を心身ともに愛している」


 息を一切乱さず言葉を締める。配下に恵まれているようだけど大変だなぁとクレアは「はぁ……」と笑いながらも小さくため息をついた。


「すごく愛しているのね。でもね、さすがにベッドにいきなり潜り込むのはダメ。それも三回なんて……。いくら愛しているからってやりすぎだと思うの、リリーさんはウールちゃんに嫌われたくないでしょ?」


「嫌われ……」


 ずっと冷静だったリリーの顔が真っ青になりこの世の終わりのように絶望を浮かべる。すると足取りが乱れてしまい、バランスを崩しそうになるとクレアが慌てて体を支えた。


「嫌われるのは嫌だ……。どうすればいい、クレア、私はどうすればいいんだ?」


「え?! う~ん……。押すのはいいけどやりすぎないように注意すれば大丈夫じゃない? 気持ちは十分伝わっているはずだから」


 すると目を擦りながら目覚め顔をあげるとリリーはウールの顔を覗き込んだ。ウールが抱かれていることに気づくとまたかと思い鬱陶しそうに「降ろせ」と言い放ち、リリーは素直に従った。


 降ろされたウールはリリーを驚いた表情でまじまじと眺めていた。寝ている間に中身が変わってしまったのかと本気で疑い、思わず「お前リリーだよな?」と聞いてしまう。もちろん彼女は彼女のままだ。


「リリー。いつものお前なら頑なに拒むはずなのに今日はどうした?」


「別に何も。ただ魔王様の命令に従っただけです」


「そ、そうか……。だけどお前の気持ちはどうなんだ?」


「もちろん魔王様を抱いていたいです。ですが嫌だというなら止めるだけのこと。私にとって魔王様がなによりですから」


 するとウールは背を向けたまま無言になる。そしてクシャクシャと頭をかきながら振り向き、まっすぐ顔を向き上げ目を合わせて口を開いた。


「別に嫌ではない。配下に不満を持たせるのはよくないからな。……ただ、場所が場所というだけだ」


 目が潤み、のぼせたように頬がほんのり赤くなっている。いつもの威厳のあるウールではない、強がりながらじれったく答えるその姿に初々しさを感じさせる。年相応で甘酸っぱさのある少女のような様子にリリーは世紀の大発見をしたかのように心の中で喜んだ。


「魔王様……」


 リリーの凛とした目が段々グルグルと渦巻きだし、両手を伸ばしたままふらふらとウールを抱きしめようとする。ウールは悲鳴をあげて逃げようとするが叶わず、すぐに彼女の腕の中に堕ちてしまった。そんな二人のやり取りをクレアは言ったことが伝わってるのか疑問に思いつつ苦笑いを浮かべていた。

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