第29話

「……ここは?」


 窓際に置かれたベッドの上で寝ぼけた頭をゆっくりあげるリリー。髪がはらりと乱れ、寝間着は着崩れをしていて雪のように白い右肩が露わになってしまっている。昼間とは違う艶めかしくも清楚さを思わせる彼女の姿を窓から入る星明かりが照らす。


「気が付いたか?」


 リリーはハッとして声のする方を見た。すぐ隣にウールが座っていて思わう目を離してしまう。するとウールはやれやれと彼女の服を直そうと体を近づけた。


 ウールが直している間、なるべく感情を出さないようリリーは努めていた。だが肩にかかる柔らかな吐息、目の端に映るウールの姿に抗いようのない恥ずかしさがこみあげ、リリーの白い頬がほんのりと赤く染まる。目も少し潤んでいて気持ちを隠しきれていない。


「魔王様。まさかずっと私の看病を?」


「……まあそんなところだ」


 ウールは看病というより監視のつもりでリリーが倒れてから半日ずっと看病していた。こうなったのもまた彼女が暴走したら止められるのはウールぐらいだというベルム達の考えからだ。


 そんなまるで猛獣のような扱いを受けているなど夢にも思っていないリリーは嬉しそうに口元を緩ませ暖かな微笑みを浮かべている。一方のウールは彼女の純粋な思いをぶち壊さないよう細心の注意を払っていた。


「リリー。皆みなにお前を紹介したいのだが構わないか?」





 グルト達は面食らっていた。


 部屋に入ってきたリリーの印象もそうだが、何よりその一挙手一投足に品位を感じるほど礼儀がなっていたからだ。昼に見せた彼女の狂気じみた雰囲気などどこにもなく、中身が入れ替わったのかと思ってしまうほどだ。


 だがリリーは気にせず挨拶を済ませるとウールの横に静かに座った。


「信じられないようだが一応普段のリリーはおとなしいほうだぞ?」


 面識の無いグルト達はにわかに信じられない様子だ。まあ無理もないかと思うと、ウールはリリーにグルト達を軽く紹介しつつこれまで起きた事を話した。


 だがここに至るまでの話を終えるのにウールは一苦労だった。危険な目にあったことを話す度に激しく動揺し一々抱きしめようとするリリーを押しのけ、エイリーンやリリーがウールを殺そうとしていたことを知るや否や、睨みつけ殺気を放ち始める始末だ。そんな感情を目まぐるしく出すリリーをなだめながらウールは話し続け、ようやく終わった頃には既にへとへとだった。


「話してくださりありがとうございます、魔王様。どうぞ私に体を預けて休んでください」


 ウールは内心お前のせいだと叫びながらも疲れには敵わず黙ってリリーの肩に頭を乗せる。リリーは満足そうにしているがその姿にグルト達は違和感を感じながらも何も言わない。今日の彼女はウールに再会できた喜びで扱いが大変で、下手すると昼のように暴走しかねない危険物のような状態だという事を十分理解しているからだ。


「ところで魔王様。なぜリリーさんはあんなことに?」


 ふと出てきたグルトの質問は誰もが気になっていた事だった。他のゴブリン達もエイリーンもうんうんと頷き興味深々だ。メアリスは目立った動きは見せないがずっとリリーから視線を外さずにいる。


「あーその……。リリーがこうなったのは私のせいだ」


「そんなことありません! 私の心が弱いばかりに」


「おいやめろ。無駄に話を重くしようとするな。そんな気負う話でもない」


 巨大な渓谷のように二人の間にある認識の隔たりにグルト達は困惑してしまう。ウールは無駄に深刻な面持ちをしているリリーの手を握って落ち着かせ、やれやれと話を始めた。





 今からおよそ四ヶ月前。


 いつものようにウールが目覚めると、リリーが添い寝をするようにウールを抱きしめたままベッドに潜り込んでいた。彼女の寝顔は静かなものでスースーと音を立てて眠っていたが、なぜかリリーの服は乱れており、まるで事後のようであった。


 ウールは以前からリリーが自分に対して依存しすぎているのではと感じており、将来を考えるとさすがにこのままでは支障が出るのではと考えていた。


 そんな時に起きたのがこの夜這いにも近い出来事だった。しかも三度目ということもありウールはこれを機に少しでもリリーが自分がいなくても大丈夫なように自立してほしいと考えるようになった。そうして、しばらくリリーに人間の実態調査を兼ねてしばらく旅に出るよう命令を出すことにした。旅の間はずっと魔王城に戻る事を一切禁止にして――





「……つまり久しぶりに魔王様に会ったからああなったと?」


「いや、話はまだ終わりじゃない。ここまでは方法が合っているかは知らんが、べつに悪いとは感じていないしリリーのためにはなったと思う。というかここからが私のせいなのだよ……」


 グルト達の顔には「まだあるのか……」とリリーの愛の重さにうんざりしている気持ちが出ていた。こんなにも慕うようになった経緯も少しは気になったが長い話になりそうなので詮索しなかった。


「とにかく私は『魔石』を持たせて三ヶ月の旅に出した。で、週に一度これを使って人間達の様子を報告してもらうことにしたんだ。いきなり三ヶ月間ほったらかしというのも酷だからな。とにかく、これで大丈夫だろうとその時の私は思ってたし、リリーも納得はしていた。……グルト、大体察しがついたようだな」


 グルトは「リリーさんの事情に魔石と聞いたらそりゃもう」と苦笑いをしていたがエイリーンはどういうことかさっぱりだった。置いてけぼりに感じた彼女はそれについてウールに聞くと、グルトにそれを見せるようウールは命じる。


 グルトは返事をすると部屋から出る。そして数分後、透明な石を両手で添えるように慎重に持って戻ってきた。


 職人技のように美しく、先にいくほど鮮やかな形に尖った石だ。エイリーンとゴブリン達は品定めするようにまじまじと覗き込む。ふと美しさに魅了されてかエイリーンがそうっと手を伸ばすと、突然グルトが「触るんじゃねえ!」と叱りつけた。エイリーンもゴブリン達もビクッと動くと固まってしまう。


『魔石』は魔族間で連絡を取り合うために各種族に渡された物だ。ウールによって膨大な魔力、高度な魔術がかけられており、扱う許可を得ているのは主にリーダー達か彼らの許可を得た者達だけだ。これは連絡に使う魔法が高度であり、並みの実力では何が起きるか分からないという配慮からだ。


「こういうわけだ。分かったかお前ら。特にエイリーン、触るなんてもっともだ」


「わ、分かった……。だが魔法を無闇に使おうとしなければいいのだろう? だったら別に触っても――」


「ダメだ! これは貴重な石で作られているんだ! そうですよね魔王様」


「いや別に。というかそれ、城の近くに落ちてた石だから貴重でもなんでもないぞ」


 グルトは唖然とし、全身で困惑した気持ちを見せながらどういうことか訊ねた。


 魔王城を取り戻した後、ウールは時間を持て余しすぎて暇だったので、暇つぶしに石を拾って磨いたりなどして加工をしていた。そしていい感じに加工ができたので何かに使えないかなと考えていた。


 そんな時、魔王城の図書を読み漁っているとたまたまその石が魔力を通しやすい事を知った。そこで魔石の案が思い浮かび、自分たちの住処に戻った魔族達と連絡する手段として使うようにしたのだ。


「というわけだ。だから触る分には問題ないぞ」


 エイリーン達は「へぇ~」と感心しながらグルトの手の中にある魔石をまじまじと眺めていた。一方のグルトは肩透かしをくらい何とも言えない表情になっていた。


「そんなに暇だったのですか……」


「だって人間を攻める気なんて無かったし、仕事もお前達がやってくれるから私自らすることなんて特に無いだろ?」


 グルトと同じように微妙な反応を見せるベルム。だが隣で話を聞いていたリリーは二人とは真逆の反応を見せていた。感極まったせいか手が震え、首に付けていたペンダントを取り外しウールに見せる。そこには透明に輝く小さく尖った魔石が付けられていた。


「もしかして魔王様。これも魔王様の手作りということですか?」


「そうだな。しかしすまないな、宝石の類でなくて――」


「そんなことありません。むしろ宝石以上の価値があります」


 顔をグイグイと近づけ食い気味に答えるリリー。表情と声は落ち着いているが目がのようにキラキラと輝いている。


 適当に作ったものをここまで褒め称えられると逆にむずがゆく感じ、ウールは何とも言えない表情をしたまま「ありがとう」と一応返すと話を再開した。

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