第22話

「……わざわざ持ってきてくれたの?」


 月光のように透明な声だ。少女はウール達の船へと飛び移る。放たれる冷たいプレッシャーに人間達は唾を飲み込み答えようとしない。幼さが残る大きく、それでいて凛とした目を細めると念を押すように「どうなの?」と剣を床に擦りつけながら人々を見渡す。


「そうだ。感謝くらいしてほしいものだな」


 人々の中からウールが出てきて向かい合うように立つ。黒を基調としたウールの退廃的な服装とは対照的な柔らかく少女的な印象を与える白を基本とした装いをしている。だが人々は、向かい合う二人が異形とも呼べる存在であり、自分達では敵わない存在であることは知っている。むしろ惑わすような可憐な少女の姿をしていることがその異様さをより際立たせているとも感じられるほどだ。


「そう、ご苦労様。じゃあ返して」


「だが条件がある。お前が連れ去った人間達を返してもらおう」


 少女は「元々そのつもり」と抑揚をほとんどつけずに答えると自分の船にいた亡霊達に首を振って合図を送る。亡霊達は操り人形のようにぎこちなく動くと船内へと姿を消した。


 しばらくして、連れ去られた人々がウール達の前に姿を見せた。その中にクレアの姿もある。彼女はウールやリチャードの姿を見つけると安心して泣き崩れた。


 互いの船の間に木の板を乗せ、その上を亡霊達に引かれて人々が次々とウール達の船へと渡る。渡り終えた者達は安心と喜びに湧き、ある者は腰を抜かし、またある者は湧き出る感情を分かち合おうと互いに抱きしめ合った。


 リチャードもまた彼らと同じように渡ってきたクレアを力いっぱい抱きしめていた。彼に体を預けるように泣きじゃくれているクレアをウールとベルムは満足そうに見つめている。



 そうしているうちに全員が渡り終え、少女は「返して」と青白い華奢な腕をウールへと伸ばす。だがウールは出し渋り、一向に『黒の手記』を返す様子を見せない。少女の眉が僅かに動き、錆びた剣を持つ手を握りなおした。


「返さない……。なんて無し」


「もちろん返すつもりだ。だが条件は一つとは言ってないだろう?」


 ウールの言葉が冷気のように辺りの空気を凍らせる。感情をほとんど見せていない少女だったが、不服そうに目を据えてウールを睨みつける。


「……何が望み?」


「お前、私の配下にならないか?」


 一瞬の沈黙の後、動揺する声があちこちから聞こえ始めた。ずっと黙っていたベルムでさえ慌ててウールに詰め寄り気でも狂ったのかと訊ねるほどだ。だがウールは自信満々に「正気だ」と言い放ち少女の方へと向き直す。


「何言ってるの? 意味が分からない」


 少女はウールに詰め寄ると剣を高く振りかざす。だがウールは物怖じせずに袋から手記を取り出し見せつけるように高く掲げてみせた。すると少女は疑問に満ちた表情を浮かべたままピタリと動きを止めた。


「……なんで無事なの? あなたは何者?」


「私はウール、魔王ウールだ」


 少女は何度も「魔王?」と不思議そうにつぶやきながら見透かすようにウールをまじまじと見つめていた。ウールは余裕そうな表情で見つめ返していたが次第にむず痒そうに頭を掻く。少女は首を傾げながら剣をしまった。


 そして突然、何の脈絡も無くウールを抱き寄せると鼓動を聞くようにウールの胸に耳をギュッとくっつけた。


 雲の間から差し込む月明かりがまるで舞台に立つ主役に光を浴びせるように二人を照らす。詩の一説に記されるような光景だったが、当のウールは訳が分からない様子で両手をガクガクとまるで無くした眼鏡を探すように動かしていた。


「ど、どういうつもりだ!!」


「……少しだけど感じる。でもなんで?」


 うわごとのように言葉を続ける少女の両肩をウールは持つと引きはがそうと力いっぱい押す。だが少女はツタで絡みついたように中々離れようとせずウールは四苦八苦していた。ようやく離れたころにはゼーゼーと息を切らすほどに。


「考えてる最中だったのに――」


「知るか!! というより一体どういうつもりなんだ?!」


「あなたが魔王って自称するから確かめたかったの。でも不思議、魔王なのに魔力をほとんど感じない。普通の人間と大差ない。何をしたらこうなるの?」


 痛いところを突かれたように動揺をウールは見せてしまう。しどろもどろになっているウールにベルムが「正直に答えましょう」と耳打ちするとウールは大きなため息をついた。そして少女に近づき耳元で自分が弱くなった事情を隠しごと無しに打ち明けた。


「そんなことが本当にあるの?」


「まあ、あくまで予想だからな」


「そう……馬鹿みたい。でも魔王というのは本当みたいね。それで、さっきも聞いたけど私を配下にしてどうするつもり?」


「『黒の手記』を私が責任を持って守ってやろう。その代わりとして配下になってもらう。くだらん人間どもがそれを持つより力のある私のもとにある方がいいと思うが?」


 ウールの提案を聞いて少女は無言のまま空を見上げて考えに耽る。そんな中ベルムは心配そうにウールの傍にまた近寄る。


「こんな得体のしれない連中を配下にして大丈夫ですか? 相手は死人ですよ?」


「お前も似たようなものだろ」


「あ、確かに。まあそれはともかく何で『黒の手記』を手元に置こうと? もしかして、世界征服をする気ですか?」


「それはない。する必要が無いからな。そうではなく身の安全のためだ。もしまた人間共の手に渡ったらどうなるか考えたくもない」


 ベルムはウールの考えに納得はしていたがどこか不安そうに唸っている。すると少女がウールの方へと向き直ると「なってもいい」と答え、ベルムはあまりの呆気なさに口をポカンと開けてしまう。


「それはよかった。なら――」


「でも条件があるの――」


 抜剣。


 ウールは咄嗟に右手で手記を、左手には炎をまとう。そして手記をすぐにでも燃やせるよう両手を近づけた。


 鈍く光る二本の剣先が冷や汗を流しながら余裕の笑みを浮かべるウールの両目に向けられていた。それは、一呼吸を入れる間もないほど一瞬の事だった。


「ハッタリで私を殺せると? 条件とはなんだ、『命をよこせ』か?」


 ウールは挑発するように嫌味ったらしく言い放つ。少女もさすがに困ったようで剣を持ったまま石像のように動かない。


 首を絞められているような緊張した空気。空気に人々は飲み込まれていたが、ベルムだけはウールが一番それを感じていることを理解していた。余裕を見せる表情や態度と裏腹にウールの足は小刻みに震えているからだ。ベルムはそんなウールの様子を肩を落として呆れたように見ていた。


「……いい反応。久々に楽しい決闘ができそう」


「は? おい待て、今何と言った?」


 少女はウールの問いかけを無視して自分の船へと戻ると錆び着いた剣を置き、すぐに二本の剣を持って戻ってきた。どちらも標準的な剣でその片方をウールに渡す。


「あなたが私を配下にするのに相応しいかこの決闘で見せて、それが条件」


「……一応聞くが殺しは無しだろう?」


「そうね。殺したら元も子もないから」


「なんだ、それなら私は一向に構わんぞ」


「よかった。でも――」


 月明かりに照らされた少女の剣。背は同じでありながら、その姿はウールよりもずっと大きいと錯覚してしまう。


はするつもり」

「話が通じないのかこいつは!!」


 恐ろしいほど静かで、針のように鋭い一撃。ウールは間一髪体を捻りながら受け止める。


 だが次の瞬間、ウールの持つ剣が真っ二つになった。折れた剣先は宙を舞いウールのすぐ横の床へと突き刺さる。動揺を見せた一瞬。ギラギラと怪しく光る少女の目。ウールを捉えると流れるように体を回し剣を振りかぶった。

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