第15話
ウールとベルムがリチャード達と別れてから1週間。その間は特に目立った事件が起きることもなく、二人はレッドゴブリン達の住処で疲れを癒す日々を送っていた。
こうしていられるのも彼らの住処がまるで人間達の村のようであり、生活水準が高いことが理由だからだ。いくつもの立派な藁ぶき屋根の家が立ち並んでおり、特にリーダーであるグルトが住む家は他の家よりも豪勢な造りであり二階建ての屋敷となっている。これは住居であり、また寄り合いを開いたりすることからだ。
二人はここに来てからこの屋敷に住み不自由のない生活を送っていた。気が向いたら辺りを散策して彼らの農作業や猪達の世話を見学したり、彼らと今後の方針を話し合うなど悠々自適な時間を過ごしていた。
だが、その日の夜は違っていた。遠くの茂みから彼らの生活を覗き見る人影が一つあったからだ。
「あそこに魔王が……」
茂みから海のように青い瞳を覗かせ動きを息を殺したまま観察する、騎士風の恰好をした一人の女性がいた。腰まで伸ばした月のように鮮やかな金色の髪に草が引っ付き、時々鬱陶しそうに取っていながらも警戒は怠らない。
「大丈夫、私は強い……。私は強い……。あんな醜い連中なんて相手じゃない……」
落ち着かせようと胸に手を当て何度も言い聞かせながら深呼吸をする。その度にたわわに実った双丘が呼応するように上下していた。やがて覚悟を決めると腰に下げている剣の柄を握ると、勘付かれないように移動を開始した。
そんな歓迎しない客が近くにいることなど一切知らないウールは、屋敷に備えられている広い風呂にゆったりと入っていた。ちょっとした公衆浴場のようで広さは一人で浸かっているウールには十分すぎるほどの広さだ。
まだ入って数分も経っていないが顔は赤くほてり始め、頬は少しばかり緩んでいる。足を小さくぱちゃぱちゃと揺らすと、疲れを吹き飛ばすようにほうっと息を吐いて木目の天井を見上げた。
「気持ちいい……」
すっかりご満悦なウールは思わずふにゃりとした声でつぶやいた。この快感がいつまでも続いてほしい。そう願うかのように目を閉じた。
だが願いとは儚いものでそう叶う物でもない。
「――ッせ! ――ッこの!!」
突然屋敷に響き渡る乱暴な女性の声。ウールは不愉快そうに眉をひそめ、口まで湯にぶくぶくとつかったまま聞き耳を立てる。
子供が家中を走り回っているようなドタバタと騒がしい音。ゴブリン達の迷惑極まりないといった声。騒々しい声が次々と耳に届くと、ウールが石像の如く動いていないにも関わらず、騒ぎのせいかお湯にいくつもの波紋が現れていた。
すぐに収まるだろう。そう考えるとウールは無視を決め込み目を閉じた。
だが一向に騒ぎが収まらない。どころか激しさを増していく。そしてウールは無言のまま勢いよく立ち上がった。
♢
「離せこの!! 汚らわしい魔物どもめ!!」
ウールを殺そうとした女性は両手を縛られ肩を二匹のゴブリンに抑えられている。暖色の灯りで灯された部屋は広く、何十のゴブリンとベルムが困った様子で彼女を取り囲むように座っていた。彼らの傍には万が一に備えて武器が置かれている。
「私をどうする気だ魔物ども!? 食うか? それとも犯すか?!」
「いやそんなつもりは――」
「黙れ! 貴様らに犯されるくらいなら死んだ方がマシだ! 私を殺せ!」
「だからそんなつもりはないとさっきから――」
「うるさい! 貴様ら魔物の言葉なんか信用なるか!!」
彼女の気迫にグルトをはじめ全員が及び腰になってしまう。正気をほぼ失いすっかり取り乱している彼女を肩を抑えているゴブリンは、早く誰かと変わってほしそうに嫌そうな表情をベルム達に向けるが皆揃って首を横に振る。
途方に暮れていたベルム達。どちらにとっても苦痛の時間は続く。だがそれを終わらせるように、屋敷の奥の方からトントンと小刻みな足音が聞こえてきた。ミシミシ、そしてドシドシと。徐々に足音は大きくなる。
扉のすぐ向こうまで音が聞こえたかと思うとフッと音がしなくなる。
女性も含め一瞬の沈黙が流れる。
それはベルムとグルトの間にあった木製の扉が蹴破られたように勢いよく開かれたことで打ち破られた。全員が振り向くと言葉を失った。彼女でさえも氷のように固まって。
なぜならそこに、全裸のまま腰に手を当てて立っているウールの姿があったからだ。
「うるさあああああああああい!! ギャーギャー騒いでいる大馬鹿者はどいつだ?!! せっかく気持ちよく風呂に入っていたのに邪魔をするな!!」
怒髪天を衝くようにウールは怒り、息を乱していた。透き通るような白い肌には水滴が垂れ、膨らみかけの小さな胸は肩の動きに合わせて揺れ動く。ウールに露出の趣味があるわけはない。だが傍から見ればそうとしか見えないほど大胆極まりないものだった。
「こんな幼い少女まで……。貴様ら、やはり人間の女を――」
正義感からそう言う騎士風の女性。だがウールは業火のように赤い瞳を彼女に向けた。目は殺気に満ち彼女は短い悲鳴をあげると恐怖で口を閉じる。
「ちょっと魔王様、なんて恰好しているんですか! 風邪ひきますよ」
「魔王だと? まさかこんな子供が?」
ベルムはそそくさと部屋をあとにするとすぐに何枚かのタオルを持って戻ってきた。ウールの髪をやさしく拭いてやり、別のタオルで全身を丁寧に巻いていく。スケルトンが小さな全裸の少女の世話をしているという奇妙な光景を女性はまじまじと眺めていた。
「で、この痴女みたいな恰好した女が騒いでいたのか?」
「なッ!? 痴女ではない! 私は騎士だ!」
「知った事か。そもそもそんな守る気のないような恰好で言われても説得力のかけらも無いぞ」
ウールが言う通り女性はまるで体を見てくれと言っているような装備をしていた。白くみずみずしい太もも、華奢な体、果実のように実ったふたつの膨らみが強調された装備。装甲は一応というくらいしか付けられておらず、普通の男ならまず吸い寄せられるように目線を向けるだろう。だがゴブリン達もベルムもウールの言葉に同調するようにうんうんと頷いているだけだ。
「こ、これは動きやすくするためだ! それに恥部を晒していないから問題ない!」
だが誰一人として理解を示す者はいない。どころか鎧のデザインについてのダメ出しが次々と出て、ついには彼女とウールをそっちのけでベルムとゴブリン達は改善案について白熱の議論が幕を開ける始末だ。ウールが「お前らそれは後にしろ」と注意し議論が止まると女性は言い返すようにウールを指さした。
「大体貴様なんか裸で出てきたではないか!」
「別に家で裸になるくらい構わないだろ。そもそもこいつらが私の裸を見て何を感じるというのだ?」
「節操は守ってください、とは思いますよ?」
ゴブリン達も腕組みをしたままベルムの言葉に対し一斉に頷く。ウールはばつの悪そうに頭をかきながら女性に近づくと、胡坐をかいて向き合うように座った。
「まあとにかく、お前は私を殺しに来たのだろう?」
右手に燃え盛る炎を出し、体の底から凍るような冷ややかな目を向ける。答えは帰ってこないが、悔しそうに歯ぎしりをしたままウールを睨む彼女の姿から察することは容易だった。ウールは右手を彼女の鼻に炎がかすめるかどうかというほど近くに突き出し「他に仲間は? お前だけか?」と訊ねた。
ウールは人間達に自分の居場所を知られていようが、誰の差し金かなどどうでも良かった。ただ気がかりだったのはリチャードとクレアが自分を裏切っているかどうかという事だ。
ウールはもう一度念を押すように問う。女性はなかなか答えようとはしない。それでもウールは忍耐強く目をジッと据えたまま答えを待った。
「……仲間はいない。私一人でここに来た」
「そうか」
ウールは炎を消し手を引くと「私も舐められたものだな」と突け放すように言い放った。女性は魔王とはいえ自分が年下の子供相手にいいようにされたことに悔しさをにじませている。すると突然、彼女の肩を抑えていたゴブリンの一匹が「あの~」と申し訳なさそうにウールに声をかけた。
「この女を押さえておくのを止めてもよろしいですか?」
「どうした突然? 疲れたのか?」
「そうではないんですが、魔王様はさっき気づきませんでしたか?」
「何をだ?」
「こいつ臭いんですよ」
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