第8話

心を蝕む不安のように深い闇に包まれている森には、そこに住まう生き物達の鳴き声が響き渡っていた。時折吹き抜ける冷たい風は草木を撫で、ざわざわとした音は生き物たちと共鳴しているようだ。


 そんな深き森の中で炎を囲うように眠っていたウールたちの側に、大人と言うには少し小さな人影が一つ揺らいでいる。それはウールの傍にそろりそろりと、草をかき分ける音を立てながら近づいていく。


 ウールの顔を確認するように覗き込む。乱れた艶のある銀の前髪が目元を覆い、毛先は端正な鼻にもかかっていた。可愛らしさの残るほんのりと赤い唇を時折つぐむように動かしている。寝息に合わせて小さく華奢な体が上下に動き、発達途中の胸がゆったりと膨らんでは沈んでいく。服装はドレスから着替えて他の人々と同じような平凡な薄茶色をした布の服を着ていたが彼女の持つ美しさは変わらない。



 そんな常人なら見惚れるような寝姿を前に、人影は何の躊躇も見せない。どころか執行人のように静かに剣をかざした。


「死ね、魔王」


 呟くように、しかし力のある声。


「ん~……」


 力の抜ける間抜けな声。


 瞬間、ウールはうなされながら足を蹴るように回し、突然の事に人影は避けれず、ウールの寝相による蹴りが足のすねに見事に命中してしまう。


「があああああっ?!」


「……んあ?」


 ウールは寝起きで淀んだ目をショボショボとさせながら明後日の方向を眺めていた。すぐ横で人影が蹴られた足を持ちながらピョンピョンと跳ねていることに気づかずに。


「なんだ? 妙に足が痛いな」


 足をさすりながらゆっくりと起き上がり、ぼさぼさの頭を掻きながら辺りを見渡すと、隣で足を抑えていた少年がいた。彼の目はうるうるとしており、鼻息を荒げながら押し寄せる痛みを必死に堪えている。


「何やってんだお前?」


「うるさい黙れ! クソッ! まさか寝たまま攻撃ができるとは。ハッ! もしかして魔法が使えない姿は仮の姿で、実は体術で俺を仕留める気だろ? いいや間違いない、それが魂胆だ!!」


「勝手に分析しているようだが全部違うぞ。そもそも誰だお前?」


「勇者だ勇者! 今日戦ったばかりだろうが!!」


「勇者? あーそういえばそんな顔だったような……。で、こんな夜中に何してんだ?」


「お前を殺しに来た。そのためにここまで休まず苦労して来たんだ!」


「勇者のくせに暗殺とは随分姑息だな……」


 ウールが呑気にあくびをすると勇者は顔を真っ赤にして怒りを露わにする。すると突然何かに気づいたようにハッとした表情へと変わる。


「そうか。ここにいる人々を人質にしているからそんなに余裕があるんだな? やはりお前は悪だ! 悪そのものだ! だから今ここで、俺が倒す!」


「こいつの溢れる想像力は一体どこから来ているんだ?」


 勇者は自分を奮い立たせるように雄叫びをあげながらウールに斬りかかる。


 だが、ウールが諭すように「待て」と言うと思わず動きを止めた。


「お前声がでかすぎるぞ。こんな夜中だ、こいつらが起きたら困るのはお前? それにこの近くには危険な動物や魔物がいるのだぞ? もし私を倒せたとしてもそいつらを倒せるというのか?」


「……たしかに。魔王に忠告されるのは気に食わな――」


「『ファイア』」


 一瞬にしてウールの両手が炎で包まれる。すぐさまウールは彼の腹めがけて鉄拳ともいえる鋭い一撃を放つ。その一撃は胃に届きそうなほど深く入り、勇者は体を反り唾を吐きながらよろめくと地面に倒れてしまう。殴られた箇所からは小さな煙が立ち込め、鼻息を荒げながら痛む箇所を抑えていた。


「よくも卑怯な手を……」


「お前にだけは言われたくないなバーカ。大体自分を殺そうとしている相手に優しくすると思うのか? あとな、律義に声を小さくしているようだがこの近くに危険な動物も魔物もいないから」


 勇者は何も言い返すことができず悔しそうに地面の土を握りしめていた。だがウールの両手を纏う炎を見て自然と手の力を失い、絶望を浮かび上がらせる。


「魔法がなぜ使える? といった顔だな。まあ教えろと言われても答える気はないが、しいて言うなら戦いを経て強くなった。そんなところか」


 勇者は否定するように首を激しく横に振る。ウールは纏う炎を弾かせるように何度も握りつつ彼の目の前へと歩いて行く。そして手の届く場所まで近づくと彼の顔の前に手を突き出す。


「殺す前に聞きたいことがある。なぜこうも私を恨んでいる? 人間が魔族を敵とみなしているのは知っているがなぜそこまで憎む?」


「それは……お前が悪い奴だからだ!」


「いやまあ……うん。気持ちは分かるが、その根拠がなんだと私は聞いているんだ」


「本にそう書いてあった、それが根拠だ!」


「は? おい待て、意味が分からんぞ。親が魔族に殺されたとか、なんかこう……復讐的な理由は無いのか」


 無いときっぱり答えると彼は勇者になった経緯を勝手に語りだした。


 魔王討伐の物語を読み終えたちょうどそのころ、国王が国中に復活した魔王を討伐する勇者を求めていた。彼はそのことを聞くと居ても立っても居られず、正義感に突き動かされるように国王のもとへと赴いた。そして勇者となり、両親の反対を押し切って魔王討伐の旅に出たのだ――



 勇者がどうだと言わんばかりに顔をウールに向けるが呆れて言葉も出なかった。どころか彼の両親に同情する思いでいっぱいになり、勇者をすぐに辞めて両親のもとに帰るよう説得さえし始める。だが彼の決心は岩の如く無駄に固いものでウールは諦めたように首を振った。


「やめないというなら仕方ない。はあ……、こんな馬鹿正直な奴を殺すのは気が引けるな……」


 勇者にかざしている右手の炎が勢いを増し始める。それでも彼は恐怖を一切感じていないようで鋭くウールを睨み続けていた。



「有り余る正義感と忠誠心。私の配下にしてやってもよかったほどだが、まあもう無理な事か……」


「今何を――」


 勇者の顔から、一瞬だがウールへの怒りが消え去る。そして聞き返そうと口を開いた瞬間の事だった。


「待てウール! 魔法を使うな!」


 リチャードが息を切らしながら二人のもとへと駆け寄ってきたのだ。ウールは予想外の事に驚き咄嗟に魔法を解く。勇者は我に返るとすかさず剣を握りしめウールに斬りかかろうとした。


 だが彼の攻撃はリチャードの巧みな剣術によって防がれる。リチャードが額の前で彼の攻撃を受け止めると火花が散り、耳奥に残るような金属音が響き渡る。


 動揺を隠せない勇者をリチャードは力任せに肩で押す。想像以上の強さに彼はバランスを崩し数歩下がった。するとリチャードはまだよろめいている勇者めがけて素早く斬りかかる。勇者は彼の気迫に満ちた剣撃に思わず目を背けてしまう。


 そして再びかち合う音が響き渡ると勇者の手に痺れが走り、自然と剣が落としてしまう。彼の剣が地面へと突き刺さり、リチャードは勇者の顔に剣先を向けた。


「リチャード! なぜ邪魔をした?! そいつは私を殺そうとしたのだぞ? まだガキだからって助けたわけでは――」


「そんな強い炎魔法を使って草や木に当たってみろ。辺り一帯火の海になってしまう! 使いどころを少しは考えたらどうなんだ!」


 ウールはキョトンとした表情のまま素直に頭を下げて謝った。リチャードはそれでいいといったように頷くと勇者に何者であるか訊ねる。


「お、俺は勇者だ!」


「勇者だと? お前本気で言っているのか?」


「本気だ! なぜ疑う?!」


「なぜって、あんな割に合わないものをする馬鹿がいるとは信じられなくてな」


 勇者はプライドをズタズタにされ憤りを覚えている。そんな彼をよそにウールはリチャードにどういう訳かを訊ねると彼はおおまかに説明をした。



 しばらく大きな戦乱が起きないだろうと判断した国王は魔王討伐を宣言した。その際に過去の魔王討伐において勇者と呼ばれる存在がいた事を思い出した。


 勇者は正義感に溢れた若者であり、幾多の困難を乗り越え一人で魔王に立ち向かい、そして討伐したという。国王はその逸話に倣って「我こそは勇者」という者を求めた。


 勇者は国からの補助を全くと言っていいほど受けない。これは自分で困難を乗り越える事で強くなる、試練のようなものだという考えからだ――



「リチャード、噓偽りはないだろうな?」


「噂程度にしか知らんが大体こんな感じだ」


「……国王は気でも狂っているのか、あるいはよほどの自信家なのか――」


「強いて言うなら前者だな。噂だが最近の国王は正常な判断が特に困難な状態らしい。だから今は実質臣下が国を動かしているとかなんとか……」


 ウールは人間への憐れみと心配が混じったなんとも微妙な表情でリチャードを見上げると、やれやれと頭を振り、冷めた目を勇者に向け事実かどうか尋ねる。勇者は全く否定せず、ウールは段々と馬鹿らしく感じ始めてしまった。


「……勇者も国王も馬鹿ってことか。まったく、人間は魔族を見下しているが、お前らも所詮はその程度ということか」


 すると勇者は激昂しウールに襲い掛かろうとした。だがすぐにリチャードに押し倒され、目と鼻の先に剣を向けられる。


「人間のくせに魔王に与するなど、なんて愚かな……」


「事情を知らなければそう見えるのも無理はない」


 するとリチャードは着ている布の服をめくり上げた。彼の鍛えられた腹筋には山賊につけられた痛々しい切傷が勇者の目に映る。傷跡には赤黒い血が固まっており見るも悲惨なものだった。

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