侑乃ちゃんは死にたがり

聖 聖冬

第1話

僕は唯走っていた、宛も無く只管遠くに。

声だけを持って。


只管に前に進む事で、僕は大切な事を忘れた。それでも記憶に残るあなたをずっと想った。

そうしている内に青空だけが見える場所まで辿り着き、空を見上げた瞬間にオモイ出した。

あなたにナニカを届けたくて、唯それだけでこうも成り果てた。


「上手く笑える様な人になってね」



 瞼が開いた瞬間にそれが夢だと気付き、冷や汗でびっしょりとした体を抱き、乱れる呼吸を整える。

何もかもから目を逸らす脳に対し、閉じた瞼だけが、僕の弱さを知っていた。


居眠りをしていた椅子から立ち上がるが、痛む腰や首に引っ張られ、椅子に倒れ込んでしまう。

こうして座っていれば、少しは君の気持ちが分かるだろうか。いや、分かる筈もない。


『貴方って、生きてて良いの?』


「良い訳ないだろ!」


「五月蝿いぞ、また始まったな臆病者」


「あぁ、ごめん」



 どこのどいつだって思ってた、いつも隣に居たし、いつも嘘臭い笑顔を浮かべてた。それでも人一倍元気で、明るくて人当たりの良い人気者。

その上いつも1人で居る可哀想な人間を、毎朝律儀に迎えに来る。

でもそんな良いやつに限って不幸がある。


「おはよ、海桜」


「あぁ」


「あぁじゃなくて、挨拶はおはようでしょ」


「別に……おはよ」


「んん、良い声に良い顔。でも無愛想なのは辞めたら?」


「元々こんなだよ」


指を下に向けて上下にゆらゆらと揺らし、しゃがんでの合図を送ってくる。それに従って目の前にしゃがむと、両頬に手を添えられて、うりうりと掻き回される。

僕を掻き回したらどんな色になるだろうか、やっぱり君みたいになれずに、この髪みたいに灰色になってしまうだろうか。


「ねぇ、私学校に行きたい!」


「何だよ突然、良いだろもう。卒業出来る単位は取ってる、内申は文句無しの10だけ、テストは初回からずっと100点。コレ以上何を学びに行くんだ」


じんじんと響く耳を押さえながら、輝かしい栄光を列挙してみせるが、何故か納得して無いという顔で僕を見上げる。君の右手が見えない鍵盤を叩き出したら、とんでもない事が起こる。

どんな音が来ても対策が思い付くように少しだけ身構え、指が止まったのを見て、遂に来るそれを待つ。


「私は学校に行く、みーちゃんはそれを補助するの。入院が長かったし、早く皆の顔が見たいの」


「はいはい、でもタクシーで行けよ。ここら辺は坂が多いから」


「そんなお金無いから嫌、みーちゃんが連れてって」


君は前のめりになって僕の両腕を掴み、前向きな目で訴え掛けてくる。


「キミと書いて」


「アイと読む。さぁ、善は急げだよ!」


それが僕の考えた、君の名前をベースにした覚悟の言葉。

伝わらなかった僕の告白の恥ずかしい思い出を、君が何故か気に入ってしまった。


善は急げと最初に言ったやつは誰だろう、あくまで想定では善なのだろうが、いざやってみたら悪になりえないだろうか。

君を外に連れ出したところで、偽善を向けて来る者しか居ないだろう。


「分かったよ、僕が守るから」


「余計な気は使わないでよ、私が行きたくて行くんだから」


こんなに我儘な幼馴染を置いて行くのも気が引けると言うより、絶対に無理してでもこの階段を下りて、君は学校に来ようとするんだろう。

それで怪我をされるくらいなら、多少痛い傷を負ってもらうのも、今後の為になる。


お姫様抱っこで階段を階段を下りようとすると、「怖い怖い、降ろして早く!」なんて叫び始める。

この細腕があまり重いものを持てないのは自覚しているが、下半身の筋肉を摘出した君は、予想以上に軽い。


「あぁもう、大丈夫だっての。良いから黙ってろばーか」


「んん、確かに私の後輩ちゃんは学年1位だし……ばーか、なんてとてもじゃないけど言えないな〜」


「3年連続1回も欠かさずに1位の君に、馬鹿なんて不適切だった。撤回する」


「きみきみ呼ばない、私にはちゃんと名前があるんだから。そっちが良いな」


「やめとけ、こんなのと友だちだって思われたくないだろ。クラスではいつも1人で居る浮いた存在だ」


そろそろほかの生徒の姿も見えるようになって来た為、車椅子から離れて少し後ろを歩く。

君の隣から距離を取った途端、すぐに囲まれ、君の友人がそこら辺の道に転がっていそうな公共的優しさを押し付け、君の車椅子を押して歩いて行く。

君の友人が落としていった公共的優しさを石と一緒に蹴り飛ばし、学校まで続く道から外れて歩く。


 空の青さが気に食わなくて、敷き詰められた灰色を見ながら、横たわった白の内を歩く。

ぼーっとしながら下だけを見て歩いていると、突然頭をなにかにぶつけて尻もちをつく。何かと思って前を見てみると、空に伸びた電柱が突っ立っていて、それに気付かずにぶつかったようだった。


「ぷっはははははは! あそこに馬鹿が居る、至誠しせいもとるなかりしかだって」


後ろで笑っているクラスメイトを無視して立ち上がり、地面に着いた箇所を手で払って、目的地も決めずに歩く。


「ちょっと待てやー! 何無視してくれとんや、お前さては馬鹿だな?」


「黙れ雲母きらら


「ひっど! 幼馴染じゃなかったんかーい、私も幼馴染なのになんでこんなに仲悪いん。いつも愛音あいねにだけデレデレしやがってー!」


「煩い、学校行けよ。どうせ後を付けてきたんだろ」


「正解正解! よく分かったなー! これも幼馴染だから成し得る絆の……」


「馬鹿は勉強してこい、どうせ7限授業なんだろ」


学園の掲げる手厚い対応の1つであり、名門と呼ばれる仕掛けの内の1つ。

テストの結果を下から並べていき、約半分の生徒を7限授業に呼び、補習を受けさせるシステムは、確か当時生徒会長であった愛音の母親が始めたものらしい。

親子揃って学校を変えてくるなんて、正直教育委員会もたまったもんじゃないだろう。この集団生活を強要する世の中で、異分子となりうる存在は、数える程しか居ないだろう。

そう言う人が世界を驚かせ、遥か上を行く発送に辿り着き、凡人には分からないことを成し得る。


「君はまたサボりか」


けい先輩か、サボりはお互い様ですね」


「俺は生徒会長に頼まれたんだ、正直授業にも飽きてたし、断る理由も無かったしな」


「ほらサボり、分かったよ。愛音が心配するといけないし」


「あぁ、ほんっとに眼鏡掛けて前髪下ろしてると根暗に見えるなお前。なんつーか、よくやるよ」


「愛音の為だ、絶対に言うなよ。秘密にしてるんだから」


鞄から雑誌を取り出した先輩は、端が折られたページを開くと、書かれている文面を音読し始める。


「人気現役高校生美少年モデル、車椅子の少女に売約済み!?」


大きく書かれたタイトルの左には、いつ見ても恥ずかしい自分と、いつ撮られたかは分からないが、愛音と自分が病院の中庭に居た時の写真が載せられている。


「やめて下さい、別にそんなんじゃないし」


先輩から雑誌を取り上げようと手を伸ばすと、抵抗を始めた先輩の手が、綺麗に眼鏡と目立つ灰色の髪を隠すウィッグに当たり、返送道具を一気に飛ばしてしまう。

街中で突然姿を現した所為か、辺りはたちまちざわつき始め、遂にははしゃぐ人に囲まれてしまう。

次々と突き出されるペンと紙が視界を埋め尽くし、学校でも隠し通せていた変装が、1人の余計なお世話にぶち壊される。


「ま、待って。こんな道の真ん中じゃ邪魔になっちゃうから、端っこに1列で並んで……並んでって。先輩どうにかして下さい」


「任せろ……全員1列に並べ! マナーがなってないやつは引き摺りだしてやる、ここに人気モデルの優愛ゆあが居るけどよ、ファンならイメージダウンさせるな!」


「出来れば追い払って欲しかったんだけど、まあ1列になってくれただけでも良かったよ」


サインを断って握手かハグだけに限定してサービスを終わらせ、やっと解放された時間は、既に開始から1時間半は経過していた。

ウィッグと眼鏡を申し訳なさそうに差し出して来た先輩は、顔を横に向けて少しだけ笑っていた。


「次は無い、今回も無しだけど」


ウィッグと眼鏡を着けて再び学校を目指して歩くと、同じクラスの春彦はるひこから、突然電話が掛かってくる。


「た、大変だよ! 愛音さんが、階段から落ちたって」


「すぐ行く、容態はどうなんだ。何でそんなことになった春!」


「分からないけど、俺も突然聞かされたんだ。今目撃者とか探してるけど、見た人が全然居なくて」


「分かった、そのまま聞き込みを続けといてくれ。先輩も走れ」


「お前敬語忘れてるぞ、まずは落ち着いてから……」


「愛音」

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