4 狐


 豹介はPHSシステムの端末を取り出すと、番号を押す。このPHSシステムは、纐血城高校の攻撃によりスマートフォンなどの携帯電波が止められた場合の用心のため急遽導入されたのだが、いま現在スマートフォンの電波が止められている気配はない。

「裏門警備か? いま当番はだれ?」

 相手がなにか話しているらしい。黙って聞いていた豹介は指示を出す。

「裏の山道を三人のぼってくる。不屍者がいないとも限らない。校内に侵入するのを確認してから、確保してくれ。手に何か持っているので、十分注意のこと。各員、脚立装備だ」


 豹介が通話を終えるのを待って、雷美はたずねた。

「裏門はだれが担当ですか?」

「いまはアクション同好会。吹雪と、フォローで萬屋が入っている。敵は三人だから、剣道部から四人借りるっていってたな」

「脚立を武器にするって、だれのアイディアですか?」

 これには、雷美は素直に感心していた。

 最初聖林学園の防衛装備は、木刀とサスマタだったのだ。

 が、現代のサスマタは、実はほぼ役に立たない。サスマタとは、Y字型になった鉄パイプの防犯グッズで、二股部分で暴漢の胴体を抑えるのが目的なのだが、相手の力が強いと、あのサスマタでは動きを封じることができないのだ。Y字部分を暴漢につかまれると、テコの原理で簡単に持ち手を回され、防衛側はグリップを保持するのが難しく、暴漢に主導権を握られやすい。


 ちなみに、江戸時代のサスマタは、二股部分が薄い鉄板でできていて、強くつかむことが難しく、また、この薄いU字型部で狙うのは、相手の胴体ではなく首である。

 江戸時代の捕り方は、この『刺又さすまた』と、『袖がらみ』という先端にとげとげのついた棒で相手の衣服を絡み取る道具を用い、大勢で取り囲んで、刀をふりまわす侍などの動きを封じ込めた。


 で、この役に立たない現代式サスマタのかわりに、聖林学園が用意した武器が、なんと脚立である。しかも大型のやつ。

 この脚立の下部を相手に向けて突進し、腰を落として下から突き上げろ、と指導したらしい。


「脚立を武器にしろってのは、暗夜斎先生のアイディアだな」

 豹介は素っ気ない。

 が、雷美はちらりと彼の横顔をうかがう。彼女はすでに暗夜斎に、脚立を武器にしろというアイディアを出したのがだれか尋ねていた。暗夜斎の回答では、このアイディアを出したのは一刀斎豹介だという。彼はここで、なぜ、嘘をつく必要があるのか?

「入ってくるな」

 監視カメラのグリーンに染まった暗視映像のなかで、三人の人間の白い影が、裏門の鉄柵をよじのぼり、校内に侵入してきた。入って来たということは、彼らは不屍者ではない。

 完全に内部に入り込んだのを確認したのち、戦闘開始となる手筈だ。

 豹介が低くつぶやく。

「これが陽動でないと、いいんだが……」




 山口百鬼は焦っていた。

 深い闇に閉ざされた山道を、ヘッドライトの光芒だけを頼りに走り続けている。

 このままでは、時間どおりに京都には着けないだろう。なんとしても、そういう事態は避けたい。だが、もうどうにも間に合わないときは、芹澤穂影に連絡して、最悪泰山府君祭の開催をすこし待ってもらうより仕方なかった。

 不運といえば、不運だった。

 そもそも出発が遅かった。

 穂影に命じられた幣帛へいはくの製作に時間がかかってしまったのだ。

 土御門流の幣帛は、五色の四手してを白木の棒の先端から垂らしたもの。これを二十枚用意せねばならなかった。この製作に手間取ってしまった。

 なんとか夕方までに作り上げて、車で出発し、高速道路に乗るまでは快調だったのだが、途中の新東名が事故で通行止め。しかたなく島田金谷インターで降りて一般道を抜け、森掛川インターからふたたび新東名に乗るルートで走っていた。

 が、カーナビの指示通りであるにも関わらず、道は曲がりくねり、あたりは深い山に囲まれ、真っ暗な峠道に迷い込んでしまった。


 いったいここがどの辺りなのか、百鬼には皆目見当もつかない。周囲はまるで深海のような闇。自動車のヘッドライトくらいで、その幾重もの闇は払えなかった。

 しばらく前からカーナビはストップしてしまっていたが、いま走っている道路は一本道のはずだから、このままいけば山を越えて高速道路へ近づくことができるはずだと信じて、彼はヘッドライトに切り取られた行く手の道をにらんでハンドルを操作していた。


 急なカーブを曲がり、ここから直線というところで、不意に目の前に一匹の獣が姿を見せた。

 慌ててブレーキを踏む。

 ざざっと砂利を噛む音を立てて、百鬼の乗る軽自動車は急停止したが、目前にたつその獣は、ライトの光に刺し貫かれても微動だにせず、じっとこちらを見つめている。


 それは、一匹のキツネだった。ほどよく焼けたパンケーキ色の毛皮。ぴんととがった耳。そして、車のライトを反射して妖しく光る澄んだ両眼。

 キツネは運転席の百鬼の顔をじっと見つめると、ふいに走り出し、脇道の入り口で立ち止まり、ふたたびじっとこちらを見つめる。

 百鬼が不思議に思い、そのキツネの行方を目で追うと、キツネはふたたび駆け出し、林のあいだに穿たれた坑道のような横道を進んで、やはり百鬼の方を見つめている。

 ──ついて来いと言っているのか?

 百鬼は迷った。

 いまは一刻も早く京都へむかう必要がある。だが、このキツネも気になる。伝説の陰陽師、安倍晴明の母親はキツネだという言い伝えもあるのだ。

 じっとこちらを見つめるキツネ。


「ああ、わかったよ」

 百鬼はハンドルを切ると、アクセルを踏みつけた。突き出した木の小枝が車のボディーを引っ掻くのも気にせず、彼はキツネについて林の間の獣道へ車を侵入させた。




 聖林学園に侵入した三人は、すぐに吹雪桜人たちによって捕縛された。

 中学生が二人と四十代のホームレスが一人。三人とも火のついていない火炎瓶を所持していた。纐血城高校に雇われ、この火炎瓶を体育館に投げつけて火事を起こすよう命じられたらしい。

 すみません、すみませんと土下座して謝ったらしい三人を、豹介は吹雪たちに「火炎瓶を回収して、解放しろ」と指示した。

 豹介の判断では、この三人は陽動であるから、反対側の正門への攻撃に注意すべしとのことだったが、彼の読みは外れ、それっきり纐血城高校からの攻撃は来なかった。

 読みを外した豹介は、「ふうむ」と唸って腕組みし、首をかしげる。

 そして雷美に、負け惜しみのようにこう告げた。

「なにかが、おかしいな」


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