閑話
暁side 転移前の世界
まだ太陽が昇り始めた頃、目を覚ましたアカツキは布団から起き上がると、隣で寝ている妹のほのかを起こさないように、寝室を出ていく。
アカツキの家は、二階建てアパートの一室1LDK。そこに自分と妹、そして母の三人で暮らしていた。
家賃は四万と都内では破格だが、安いのには安いなりの理由があり、築四十年と古い。
目覚めたアカツキの最初にすることは、朝ご飯の準備。
テーブルに開かれて置かれた教科書を見ながら、卵をかき混ぜる。
普段家事や妹の世話で追われるアカツキにとって、朝のこの時間が唯一の勉強が出来る時間帯。
卵焼きを作り、付け合わせにソーセージを焼き始める。
そこにご飯が炊き上がったお知らせが鳴ると、妹のほのかが起きてくる。
歳は十一だが、同年代の子と比べて背の低いほのか。
顔も同年代より幼く、くりっとした目が愛らしい。
アカツキに顔を洗ってくるように、言われると洗面所に向かう。
今でもアカツキと一緒にお風呂に入りたいと言ってきたり、膨らみ始めた胸を隠すことなく裸でうろうろしたりと行動も幼いため、アカツキは甘やかせ過ぎたかと反省する日々だった。
「お兄ちゃん、大スキー!」と言われながら抱きつかれるとデレっとしてしまい、どうしても甘くなる。
アカツキの唯一の楽しみがほのかの成長である。しかし、ほのかも成長していくと大好きとか言わなくなるだろう。
それが、少し寂しいと思ってしまうアカツキがいた。
「お母さん、また帰ってこないね」
朝食を食べ始めた頃、ほのかがボソリと呟く。アカツキ達の母親は、ホステスをしているのだが帰宅が朝や昼になることも多い。
何をしているのかはアカツキもわかってはいるのだが、ほのかに寂しい思いをさせて憎む一方で嫌いになれないでいた。
それは、ほのかが生まれる前、母親が自分に向けてくれていた愛情が忘れられず、いつかほのかにもと願う。
「寂しいか、ほのか?」
アカツキの問いに首を横に振り「お兄ちゃんがいるからいい」と。
「俺は何処にもいかないから」
今までアカツキは、ほのかとの約束を破ることは、なかった。
しかし、初めて約束を破ることになる。
ほのかに謝ることも出来ずに……
◇◇◇
朝食を食べ終えるといつも通りほのかの黒い艶やかな髪をとかしてやり、左側を三つ編みをしてリボンを結ぶ。
小さい頃から、ほのかの髪型は変わることはない。
アカツキは何度も挑戦してきた。
ほのかの後頭部に三つ編みを結う練習を。
しかし、何故かいつも左側に寄ってしまう。
そして、いつしかこの髪型が当たり前になったのだ。
大好きな兄がしてくれたこの髪型を、ほのかが嫌がるはずもなく、他の髪型などもう考えられない。
「ありがとう、お兄ちゃん」
準備を終えたほのかは、アカツキのお古の黒いランドセルを背負い靴を履く。
アカツキも紺色のブレザーを羽織り、ほのかと共に家を出る。
最近は物騒な事も多く、アカツキはほのかの手を繋ぎ、小学校まで送って行く。
小学校の校門前で、ほのかの担任の女性に出会い、一礼するとほのかを見送る。
カラフルなランドセルが見える中、ほのかの黒いランドセルはやはり目立つ。
自分も高校を一年間過ごし慣れてきた。
そろそろ、バイトでも始めてほのかに新しいランドセルでも、そう考えながらアカツキは、高校へと走り出した。
◇◇◇
アカツキの高校は公立で、正直進学校というほどでもない。
いわば、可もなく不可もなくである。
生徒も不良みたいなのは、たまーに、一学年に一人か二人程度。
アカツキのクラスは、その手のタイプは居ない。
だからといって、問題がないわけではない。ハブられているわけではないが、アカツキは常に一人だった。
孤独を装っているわけではない。かといって、一人が好きなわけではない。
ただ、馴染めないのだ。
やれ合コンだの、やれ音楽がどうのこうの、ドラマ見た? みたいな話に、興味がないだけ。
今日も一人、窓際の席から外を眺めていると、珍しく隣の席の曽我かほるが、話かけてきた。
「ねぇ、田代くん。今日の一限の英語って宿題無かったよね?」
おかしな聞き方である。「あったっけ?」とか「やった?」とかならわかるが「無かったよね?」とは。
希望なのだろう。無いって言って欲しいのだろう。
アカツキは「あるよ」と容赦なく打ち砕く。
カホは、やっぱりかぁと頭を抱えて「やよちゃん、宿題見せて~」と、廊下側の席に座る三田村弥生に泣きついた。
そして、再び一人きり。だけどアカツキは、もう慣れていた。
◇◇◇
「なぁなぁ、田代ぉ。百円貸してくれへんか?」
昼休みに入るや否や関西から転校してきた上原辰郎が、話かけてくる。
「嫌だ」とアカツキが一蹴するも、「ほんまか! おおきにいーって、あかんのかーい!」と教室に関西弁が響き渡る。
「えー、頼むわー。ジュース買いたいんやけど、ここのジュースって高いやん。百三十円もするやん。足らへんねん」
手を合わせて拝んでくるタツロウにイラッとする。
「百三十円もって、普通だろ?」
「アホいいなやぁ! 関西の自販機は全部五十円や!」
「ほんとかよ……」
半分嘘である。五十円の自販機は多々あるが、全部が全部ではない。
そろそろ面倒になってきたアカツキは、追い返すために百円をタツロウに渡す。
「おおー、さんきゅーべりーまっちや。明日返すからな!」
「本当は面倒だから、貸したのでしょ?」
タツロウと入れ違いでアカツキに話かけたのは、三田村弥生。
両手を後ろ手に組んで、アカツキに顔を近づけて笑顔を見せていた。
「そうだよ。三田村さん」
今日は珍しく、いつもなら話かけてくるのは、この弥生くらい。
本当に珍しい。何かの前兆を思わせるくらいに。
「もう、弥生でいいっていってるじゃない、田代くん」
「だったら、俺のことアカツキって呼んだら呼ぶ」
「え? ええ、ええ……っと、あはは。い、いいのかな?」
慌てふためく弥生の反応が予想外で、アカツキもどうしたものかと悩む。
弥生なら「うん、わかった。アカツキくん。ほら、呼んだよ、次はアカツキくんの番だぁ」とか笑いながら、からかってくるものだとばかり思っていたのだ。
「おおーい、三田村。ちょっといいかー!」
照れながらあたふたしている弥生をクラス委員の馬渕恭助が呼ぶ。
「やよちゃーん。放課後、みんなでカラオケ行こうってさー」
カホが手招きしながら、先に用事を言っている。
アカツキとカホを見比べながら、どうしようかと困っている弥生を見て「行ってきたら」と送り出す。
「ごめんね」と一言謝り、弥生はカホや馬渕の元に向かう。
そんな弥生の背中を見送りながら、アカツキは不思議な違和感を覚える。
昼休みと言えば、教室で弁当を食べる者もいるだろうが、食堂に行ったり中庭でお弁当を広げたりと、教室内の人は少ない。
いつもなら。
アカツキの感じた違和感。それは、教室内にクラスメイト全員がいたこと。
そして、空気が酷く重い。
「な、なんだ!?」
馬渕の声を皮切りに、クラスメイト全員が騒ぎ出す。
足元が覚束ないとでも言うのだろうか。
上手く立てず、床に立っている気もしない。
まるで、空中にいるような。
「うわあぁぁぁぁっ!!」「きゃぁぁぁぁ!!」
そして、一斉に悲鳴が上がると、教室内には一人の人間も居なくなってしまった。
◇◇◇
「ほのか! あーちゃん!」
「お母さん!! お兄ちゃんが、お兄ちゃんがぁ……」
電話を受け急ぎ家へと戻ってきた、アカツキ達の母親は、泣いて震えるほのかを抱きしめる。
二人にテレビから流れるニュースが耳に入ってきた。
「本日昼頃、都内にある公立◯△高校二年A組の教室から全生徒が居なくなるという事件が起きました。なお、警視庁はなんらかの事件に巻き込まれたのではないかと……」
今日から二ヶ月。ニュースはこの話題で持ちきりとなる。
そして、その後は放送の回数も減り、やがて人々の記憶から薄れていく。
ただ一人、大好きだった兄を失った少女以外は……
「お兄ちゃぁぁぁぁーーーん!!」
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