第6話
そもそもの話、本来帰り道とは逆方向の道を牧野 凛は歩いていた。そしてその先に犯人の男の家があったのだ。つまり、そこを通らなければ殺されることはなかったのだ。
事件発覚の2日前、その道を行った先にある歩道橋からの飛び降り自殺が疑われていた。そこからの女子高生の自殺がその当時とても多かったらしい。その日も顔面が潰れてしまった女性の自殺があったからだ。だかDNA鑑定の結果牧野 凛とは一致しなかったため事件性が疑われはじめた。
「幸せそうな顔をしていたからぐちゃぐちゃにしてやろうと思った。」
容疑者の男はそう供述したという。
壮の説明はそこで終わった。
9月も下旬に入りだいぶ涼しくなった放課後の教室で美雪が笑いだした。
「まさか!それはないわ!たまには別の道から帰りたくもなるやろ!てか結果として飛び降りてないねんから。」
「…そうやなくて、殺されなくても死ぬつもりやったんちゃうかって。」
「でも、幸せそうな顔って…。今から自殺する奴が?」
「自殺するから、やろ。」
壮の言葉にハッとした。瞬時に経験者なのだろう、と悟った。
「…私さ、1個覚えてるねん。りんおねーちゃんに幼稚園の先生になるん?って聞いたらううん、ならへんよって言われた。」
「えっ…なるつもりやなかったん!?」
「でも高3の夏休みの体験実習ってそういう人が行くんじゃないん?」
「…そうとも限らんよ。うちの学校やったら科目選択者やし希望者は誰でもってとこもあるやろ。」
「じゃあ…子供が相当好きやったんやろな…。」
てっきり、幼稚園の先生になりたいのだ、と思っていた。そりゃ色んな道があるんだ。迷ったり悩んだりもするだろう。
子供が好き。
本当にそれで来たんだろうか。
「進路に悩んでた。だから自殺しようとしてたって?」
「僕は、その可能性もあるんちゃうかって。」
「…アホらし。そんなん結果論やん。」
美雪が言い切った。
たしかに、そうだ。牧野 凛が自殺しようとしてようがしてなかろうがどちらにせよ、牧野 凛は死んだのだ。自分で殺すか人に殺されるかの違いだ。だが、実習最終日。そこが気にかかった。なぜ最終日なんだ?そこに何があったんだ?
「…俺ら、何か言ってもたんかな。」
俺の言葉に3人は黙り込む。
5歳児は思ったことをポンポン言う。人の気持ちをあまり考えられないからだ。でもその言葉は無神経に人の入って欲しくないところまで届くのだろう。自分がそんな子供ではなかった、と言い切ることは俺には出来なかった。
「…僕、ほんまは最終日のこと覚えてるねん。」
壮が震えた声で言った。その言葉を俺は待っていた。最初、壮の部屋でたしかに壮は最終日の話をチラリとしていた。そこに何かあったのだ。
きっと聞きたくないことだと思った。
でも、
聞かなくてはいけないことだとも思った。
過去の自分も黒歴史も間違いなく自分自身なのだ。だから、その全てから目を背けてはいけない。
「…教えて。」
俺は静かに言った。
「え〜!行かないでー!!!」
「やだやだやだやだやだ!!!」
「だいしゅき!りんおねーちゃん。だいしゅきーー!」
数ある園児の中でも特に懐いていた俺達3人はガッチリと牧野 凛にしがみついて離れなかったらしい。苦笑いの牧野 凛は私も大好きだよ、と3人の頬にキスをしてくれた。
「ねぇ何で行っちゃうん、そうのこときらいになったん。」
中でも壮は泣き喚いて大変だったという。
「りんおねーちゃんなんか知らない、あっちいっちゃえ、だいきらい──」
そう言い放った時の牧野 凛の顔を今も忘れられない、と壮は苦しそうに言った。
「まさか、それで?…それはないやろ。」
美雪は同意を求めるように俺を見た。
「…どうやろうな……。」
俺はそうとしか言えなかった。
もちろん、それだけで自殺したとは考えにくいが進路のこと、学校のこと、家のこと、色々なストレスの上で更に上に乗ったものだったかもしれない。
「自殺ってさすべてが計画的なものなんかな。そういうのもあるやろうけどさ中には突発的なものもあるちゃうん。なんとなくもう死んじゃおうかな、とか、死んでみようかな、みたいな。」
「そんな、こと…。」
美雪は言いかけたが口を閉じた。
誰も、ない、とは言えないのだ。
なぜなら、それは自分の考えだからだ。
自分はそう思うかもしれない。でも牧野 凛は違う人なのだ。牧野 凛がどう考えていてもそれは牧野 凛にしか分からない。
「…そんなこと、言わんといてよ…りんおねーちゃんが、自殺なんかするわけない!」
「なんやねん!自殺が悪いことなん?!ええやん、しんどかったら!お前に何が分かんねん!」
「お、おい…2人とも…。」
「…ずっと、ずっと…忘れてたくせに!」
壮の声が教室に響いた。
美雪は目にいっぱいの涙をためて教室から走って出て行った。
「……壮。」
「………俺も、帰る。」
壮も怠そうにのろのろと歩いて出て行った。
1人になった教室はやけに広く見えた。
「どうしたん、たっちゃん。」
「んー…さっきなぁそうとみゆきちゃんがけんかしてん。やからしゃべらんくなっちゃってんけど、おれはふたりともすきやねん。どーしたらええんやろ。」
「…たっちゃんは、3人で遊びたいの?」
「うん。」
「じゃあ、そう言ってごらん。」
「うん!」
「リーダーシップ、か……。」
窓から覗く空は暗く今にも雨が降りそうだった。
なぜ、あんたはあの道を歩いていた?
なぜ、あんたは実習に来た?
なぜ、俺はあんたが、大好きだった?
その疑問を解くにはやはり、ここしかなかった。甘い香りが鼻につく。ここに真実があるのだろうか。俺は持ってきたシャベルを握り直しザクザクと掘り進めると、またカチン、という音が聞こえた。
「…たっちゃん。」
その声にドキリと心臓が跳ね上がった。
「…美雪。」
「考えることは一緒やな。」
美雪はにっこり笑った。その笑顔の後ろにバツの悪そうな顔が見えた。
「壮も?」
「うん、さっきそこで会ってん。」
もう仲直りしたらしく2人は少しぎこちないがだいぶ柔らかな空気感だった。
「…ごめんなさい、ゆーた?」
「…え?なんやねん、それ。」
美雪と壮は顔を見合わせて笑った。そして、真面目な顔で俺に向き直った。
「ゆーたよ。」
あぁ、こいつらにもう俺は必要ないんだな、と思った。
2人に銀色の箱を持ち上げて見せた。2人は少し、笑った。俺達は大人になった。もう1人でも生きていける。でもだからこそ一緒にいたいんだ。
「見よう」
29歳の私へ、が俺の手の上でパリパリと音を立てて開いていく。
29歳の私へ
私は今幼稚園に来てかわいい子供たちに囲まれています。子供を見ていると自分がいかに汚れているかよく感じます。子供は無邪気でかわいい。でも私は色んなことで悩み色んなことを考えていていつの間にかとても汚くなってしまったなぁ、と思います。これから大人になるにつれてどんどん汚れてしまうのでしょうか。今、あなたはきっと子供に関わる仕事に就いているのでしょう。汚れても幸せですか。17歳の牧野 凛より
「…なんや、これ…。」
そのあまりにも重い内容に乾いた声が出た。
こんなことを考えながら毎日来ていたのか。
壮も美雪も絶句して手紙を見つめていた。
やっぱり自殺するつもりだったんだろうか。
自分は汚れている、と。
「…そんな、こと…ない…。」
絞り出すような壮の声が耳元で聞こえた。
「…汚れてたんは僕の方や。子供は無神経でりんおねーちゃんをたくさん傷つけて…傷つけたことすら気がつかへん…。」
「……壮。」
壮の言う通りだ。
子供は無邪気だが無邪気は無知であり非常識なだけだ。だがそれは子供だからかわいいと許されている。子供は大人になりルールやマナーを知っていく。そうして人間になっていくのだ。子供は大人になるべきなのだ。決して大人が汚れているわけではない。まして牧野 凛は汚れてなんかいなかった。絶対に。
「…私も、きっとそうやった。色んなひどいことりんおねーちゃんに言った。」
美雪が壮の震える背中を優しく撫でた。
「…でも、きっと、それだけじゃない。」
美雪は29さいのりんおねーちゃんへ、を開いて俺達に見せた。そこにはカラフルなクレヨンで思い思いの字が並んでいた。頭がパチンと痺れる音がした。
なにかく〜?
ぼく、9かきたい!
じゃあ、みゆきはにいかくー!
ちょっと、じゅんばんやって!
29さいのりんおねーちゃんへ
ぼくらはりんおねーちゃんがだいすきです。だから29さいのりんおねーちゃんもだいすきです。
りんおねーちゃんはなにをしていますか。
りんおねーちゃんはかわいいからだいすきだよ。たくお そう みゆき♡より
そうだ。想いは、たしかに、ここにあった。
言われた言葉、言った言葉、そのすべてを少しずつ忘れていってしまっても想いは変わらない。忘れても思い出す。だって俺達はこの時から今までずっとりんおねーちゃんがだいすきだったんだ。
「…生きてるって思ってたんやろな。なんの根拠もなく。」
「…うん。それで29歳になってもずっとずっと一緒やと思ってたんやろうな。」
その根拠のない自信が、その根拠のない決めつけが、ひどく可笑しくて、可笑しすぎて涙が出てきた。
「…アホみたい。……アホみたいやわ。」
美雪も、壮も泣いていた。泣いていたが、笑っていた。自分も似たような顔をしているんだろう、と思いながら2人の顔を見つめた。
ずっと一緒なんて最初から無理な話だったのだ。牧野 凛も、壮も、美雪も、いつか別れの時が来るのだろう。一期一会なんて綺麗事でそんなにいいもんじゃない。
俺は牧野 凛の連絡先も住所も知らない。
でもたしかに一緒にいた。
一緒に未来を夢見ていた。
たしかに一緒に生きていたのだ。
ここで。
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