ヴァイオレットフィズ
前嶋エナ
第1話
「うれしい、わたしピンクが一番好きなんだ!」
そういう祐希は、私が渡した北海道土産のオリジナルキャラクターの刺繍が入ったピンクのハンカチがよく似合う、かわいらしい笑顔で笑った。
「彼とお揃いでほしいなぁ。」
「…そういうと思ったよ。」
私は鞄からもうひとつの包みを手渡した。
祐希の彼氏、ーーー瀬戸進へのお土産だ。
「えっ、お揃い!?」「そうだよ。」
祐希はありがとう!と、とびきりの笑顔で包みを受けとると、大切そうに鞄へしまった。
「ね、ね、えっちゃんさぁ、北海道たのしかった?」
「楽しかったよ、楽しかったっていうより、美味しかったかな。たべてばっかりの旅だったから。」
「えー、いいなぁ。今さ、彼と旅行行こうって話しててね、ほら、彼来月誕生日だからさ…どこ行くか迷っててね、」「山田さん、ちょっと」
部長が、まだ話足りなそうな祐希の背中を叩いた。
「あ、はい。」
「今事務所これる?」
「はぁい。」
不服そうな顔をちらりと絵里に向けると、すぐに笑顔になり部長について歩いていく。
ーーーーー可愛いなぁ。
絵里はそんな祐希の小さな背中を見送りながらため息をついた。
絵里と祐希は同い年で同期である。祐希は入社一年目で部長に気に入られ、絵里より早くに昇格した。同じ部署内の男性上司とも仲が良い。
一方絵里はというと、成績こそ、祐希より上なのだがなかなかお声がかからずにいる。
同じ同性からの人気は高いのだが…。
絵里は荷物をまとめるとデスクを離れて一年先輩である進…祐希の彼へ声をかけた。
「瀬戸さんへのお土産、祐希に渡しちゃった…。」
進は落ち込んだようすの絵里を見て軽く笑う。
「あら、ありがとう、俺にも買ってくれちゃったの。」
「祐希とお揃いのお土産だよ。」
「優しいんだねぇ…。」
進はデスクに目線を戻すとPC画面をとんとん、と指で叩いて絵里を見た。
絵里が画面をのぞきこむ。
今日22時に新橋のいつものバーで
そう、文字が絵里に語りかけていた。
無言のまま絵里は部屋をでると、営業のため外に出る。
春の東京駅付近は桜がさいて綺麗だった。
21時、新橋は賑わっていた。
そのバーは絵里と進が初めて二人で食事をしたところであった。
いつものカウンターは残念ながら満席で、すみの小さなテーブル席を選んで座る。
さぁ…進は何時に来るのかな…。あと一時間…。
多分、仕事が終わったら祐希と食事をして、そのあとにここにくるのだろう。
ウェイターがドリンクを聞きにきたのでギムレットを頼む。ギムレットのカクテル意味は「遠い人を想う」である。
ここのギムレットは美味しい。
スマートフォンを開き、進に連絡をいれる。
やっぱり、ギムレットを頼んじゃった
既読にはならないその文章は、まるで独り言だ。
進と絵里が恋に落ちたのはいつだったか。もともと進と祐希が付き合っていたのだが、祐希の嫉妬深い性格に進はいつも悩まされていた。
その話をずっと聞いていたうちに、電話をするようになり、食事をするようになり、気がつけばこの通りである…。
そしてすっかり絵里は進に溺れた。だが、素直に嫉妬できるわけもなく、ワガママさえ苦手な絵里は、いつの間にか進の二番手となっていたわけだ。
絵里は、祐希の悪口さえ言えないし、噂さえ流せない。
私も、ちょっとくらい、意地悪になりたい…
お店はいつもクラシックが流れており、心地がいい。目を閉じて、眠るわけでもなく、心のみを身体から引き離すように深呼吸する。
意地悪で我が儘を可愛く言えるようになったら、あなたが手に入るのかしら…。
どのくらいたっただろうか、ギムレットはすっかり身体に染み渡っていた。
「ごめん、待たせた。」
進の声に目を開けて、自身の時計を見る。
「大丈夫」23時少し前だった。
「…折角だし一杯のもうかな。」
進はそう言いながら絵里の髪に軽く触れた。におい…、進から祐希の香水が香った。
「珍しいね、いつもコーヒーしか飲まないじゃない。」
「いや、たまにはさ、まぁわからないから、絵里のおすすめで頼むよ。」
絵里が少し考えてウェイターを見ると、目が合うだけで注文を聞きに来てくれた。
「私は…モヒート…で、彼にヴァイオレットフィズを。」
ウェイターは絵里を一瞬じ、と見たあとに一礼してテーブルを去った。
「ヴァイオレット…?あまり強いものは飲めないよ。」
「大丈夫、美味しいよ。」
「へぇ…あ、あれは?前にいってたカクテル言葉ってやつ、それにはあるの?」
「ん?…多分ね…忘れちゃった…。」
そうかぁ、と呟くと進は煙草に火をつける。ブラックデビルの甘ったるいにおいが二人を包む。
「今日は…?」「ん?」
「祐希は平気だった?」
「あぁ、ありがとう、今日はご機嫌だったよ。終始旅行はどこにいこうとか楽しそうに話してた。」
「そっか、よかったね。」
二人の前にカクテルが置かれる。
「この間はなぁ…大変だったからな…俺が部長と飲みにいってさ、連絡するの忘れてたんだけど浮気を疑われて、ずっと泣いてたらしいよ。」
「祐希は…生きずらそうだよね。」
「そうなんだよ…いや、それに比べてやっぱり絵里は強いよな、ほんと偉いよ。」
「…ありがと。」
ここのモヒートは少し癖がある。ミントを潰しすぎなのか、種類が少し変わってるのか…。
進はヴァイオレットフィズをかたむけながら、うまい、なんて呟いている。
「進の誕生日一緒にすごしたかったなぁ」
「え?」
「ごめん、無理だってわかってるけどね」
「当日じゃなくてもいい?そしたら二日くらい空けるよ。」
「ううん、そういうことじゃないの。」
「なんだよー、ヤキモチ?」
にやにやと嬉しそうに進が笑う。
進の手の中でヴァイオレットフィズが入ったグラスがカラリと揺れる。
「まぁ、誕生日すぎたら俺、この仕事やめて、他で探すからさ。そしたら絵里をちゃんと迎えにいくよ。」
「うん。ありがと、信じてるよ。」
「祐希が…大丈夫か心配…いや、心配するからいけないのか…」
「ううん、いいんじゃない、そういう優しくて弱いところも好きだよ。」
「ほんと、絵里は…」
絵里は、困る進に笑顔を見せる。
進はことあるごとに祐希と別れようとしてきたが、なかなか別れられず、この度に「絵里を迎えにいくよ」と言うのだった。呪文のように。
もしその言葉が呪文ならば、きっと進は魔法が使えないのだろう。
互いのグラスが空になり、支払いを済ませ、席をたつ。
外はもう深夜だ。ホテルまでの道は、もう迷わない。
いつものホテル
いつもの部屋
いつものセックス
いつもの雑談
いつもの、強い、絵里。
明け方、さよならをいってタクシーにのる。
きっと進は弱くて儚くて可愛い祐希のもとにかえるのだろう。
わたしが、強く、ひとりでも生きていける女だと信じて。
アパートに戻ると、服をすべて脱ぎ捨てて冷凍庫を空ける。
キンキンに冷えたジンをだしてキャップをはずす。
いつだか、進にもらったグラスにジンをそそぐ。
なみなみに、なみなみに…、グラスからジンがあふれでて床を濡らした。
ボトルが空になって、手を離す。
足元に落としたボトルをそのままに、キッチンの引き出しを空ける。
果物ナイフがキラリとひかる。
我慢をしないで、我が儘を言えばよかった。
我慢をして、グラスから溢れたジンは、床に落ちたはずなのに、蒸発して、もうシミだけになっている。
想いはそこにあるのに、もう、手でつかむことはできない。
絵里はジンを一気に飲み干した。
ぐらりと世界が揺れる。
倒れる寸前に掴んだ果物ナイフで首を切った。
これ以上、絵里が生きて、進を待っていてれば、進を苦しめることを、絵里は、わかっていた。
「私を覚えていて」
ヴァイオレットフィズのカクテル言葉は、呪文としてあなたに効いただろうか。
ヴァイオレットフィズ 前嶋エナ @ooashi0720
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