7月28日 午後1時45分 鹿児島県志布志港
鹿児島県の志布志港に海上自衛隊の護衛艦4隻が停泊している。
といっても、4隻は接岸しているわけでもない。
志布志港は普段なら、大阪と鹿児島を結ぶフェリーさんふらわー号が寄港する港として有名である。
しかし、現在停泊しているのは、イージス艦、DDG<たかお>を中心とし、DD<よしかぜ>、DD<ゆきかぜ>、DDH<しなの>の佐世保所属の第2護衛艦隊群
の第2護衛隊4隻だ。
第2護衛艦隊の司令官の関口一佐はイージス艦<たかお>に乗艦している。
4隻は志布志港に停泊しているものの、乗員は上陸など一切許されず、戦闘配備のまま二時間が経過しようとしている。
乗員の緊張がそろそろきれる頃だが、もちろん4隻の乗員全員が<遼寧>のことは知っている。
日本国民全員が知っているのだ。今日で丁度二週間目になるだろうか。
本来なら、海自始まってのいや、敗戦後の日本が初めて直面する海上での最大の危機である。
<遼寧>はノロノロと鹿児島県沖を北北東に20ノットで進んでおりこのままだと鹿児島沖を越え豊後水道に入る。
もちろん、日本のEEZはもう既に完全に侵している。
しかし、このイージス艦DDG<たかお>を旗艦とする第2護衛隊に与えられた任務は警戒任務と情報収集任務のみである。
それも、<遼寧>に航路を譲るかの如く志布志港に逃げ込んで、航路を譲っている。
4隻を率いる第2護衛隊司令官の関口一佐はブリッジで苛ついていた。
志布志港に接舷している<たかお>のブリッジから見える風景は、おそらくフェリーさんふらわー号から見える風景と一切替わらない。
そう思うと余計イラつく。
そしてなにより、このDDG<たかお>の艦長が艦内階下のCICに籠もっていることが更に苛立ちをまさせる。
ブリッジの司令官用のシートに座り込み、半分はのどかな志布志港、サドルを限界まで下げたママチャリで漁協のおばちゃんが遅い昼食を食べに家に帰っていく。半分は快晴で波も穏やかな沖合、それを眺めていると気が変になりそうだ。
関口一佐のシートの足置きの貧乏ゆすりの両足で16ビートのテンポが更に早まる。
16ビートは♪=180から320へ。
息子が聞いてるやたらうるさいどのメロ・コアより早い。
DDG<たかお>の艦長は関口と階級は同じ、一佐で
防大卒。いつも笑顔。それもとびきり柔和。部下にも受けが大変良い。余裕綽々。
が、ここが重要、海自の士官候補学校では関口が二年先輩に当たる。先輩の関口は一般大学卒。海自をど根性で這い上がってきた。どの一般大学生卒はおろか、防大卒の学閥の連中にも海自における、訓練、任務、指揮、指導どの一瞬たりともも相手を打ち負かしてきた。そしてここまで来た。
二年の差を階級ではもう埋められてしまったのだ。マラソンだと真後ろに付けられて風避けにされている
それと、もう一つある。
56歳で終わってたまるか。
一佐は自衛隊では、ぎりぎり中間管理職のトップと言ったところ。定年の早い自衛官、一佐だと56歳で定年が訪れる。
それが次の海将補まで上がれれば60歳まで伸びる。
伸びるのではない。出世して伸ばすのだ。
戦争を起こしたいのではない。出世をしたいのだ。定年を伸ばすのだ。何事もやるしかないのは、空自と並びスマートで座って機器を操っているだけとも言われる海自で一番学んだことだ。
海自はまた、空自、陸自、海自の中で一番栄光ある旧軍の伝統を色濃く残している隊でもある。今でこそ、米海軍の給油のお世話について回っているが、ほんの数十年前は米軍と並びたつ世界でたった二ヶ国しかない機動部隊で世界最強の米海軍を追い回しそれに襲いかかっていたのだ。
開戦からミッドウェー海戦までのたった半年の栄光だったが。
やらなければ、何も始まらないし、動かない。船も同じだ。
現在、DDG<たかお>の操艦は戦闘配置になって以来、副長の山根二尉が"
これが一番我慢がならない。戦闘配置で艦長がいるべき場所はブリッジで”
一番、喫緊の戦闘配置だぞ。
この副長も政岡一佐に似て自衛官と思えない
こんな旗艦があるのか、これが世界一の索敵範囲を誇るイージス艦の士官たちなのか!?。
この若い副長、女子校の教師ならさぞモテることだろう。
しかし、操艦中とはいえ、のどかな志布志港に停泊したままなのだが。
「副長。CICに連絡。艦長を呼べ」
海自では他の自衛隊に比べ名前や階級でなく、できるだけ役職で呼び合う。
そのことで自分や相手の役目がはっきりするし、お互いが歯車になって一つのことを成し遂げる意義も生まれる。
一瞬の逡巡なく、ブリッジの先頭で棒立ちしていた中根二尉が振り向いた。
その顔にはやや緊張が見える。
海自で唯一<遼寧>と一番近い海域に居る水上戦闘艦の乗員らしくなってきた。
「なにをしている。二度も言わせるな」
「了解」
中根二尉が答えた。近くの電話機を取り話し出す。
「ブリッジよりCICへ、艦長をお呼びしろ」
そこから、山根の声が急に低くなった。まるで、ごにょごにょといった感じ。
関口一佐は今までの海上自衛隊での生活と同じように何一つ逃さない。
部下が上官に対し隠し事を持ってはならない。上官は部下や組織のすべてを把握していなければならない。
「どうした?副長」
「艦長はすぐにブリッジに上がってこられます」
「よーし、了解」
これが関口が知っている海自だ。我が国の最前線の水上戦闘艦のあるべき姿だ。
ややもせず艦内の軽くタラップを駆け上がる音がして、ブリッジに入る前に何かを置く音がした。
そしてブリッジに艦長の政岡一佐が現れた。
司令官の関口は振り返って確かめもしない。
これが司令官の威厳だ。
「第2護衛隊司令より、艦長に達する。これより、第2護衛隊4隻は<遼寧>に対する情報収集を行わんがため、志布志港を全艦で出港する。艦長の名誉のため戦闘配置にもかかわらずCICに居たことは司令日誌には記入しないことにしてやる」
朗らかな政岡一佐の表情がやや暗くなった。
政岡一佐は、関口にではなく、副長の山根に質問をした。
「新たな電信を受け取ったのか?副長」
山根が答えようとすると、関口が割り込んだ。
「そういったことを尋ねるのは、副長でなく司令官にだろ?」
艦長の政岡の表情が暗いというより、険しくなった。
そうだ。良い。これが戦争を行う男の
「司令官にお尋ねします。新たな命令が、いや出撃、出港、移動命令が第2護衛艦隊群本部から出たのですか?」
「CICにいたら出ていたとしても聞けまい」
「答えになっていません」
これは、完全な口答えだ。
この政岡の返答で一気にブリッジの空気が緊張した。
「艦長、、、」
副長の山根が口をはさむ。
「黙っていろ、副長!」
関口がシートの足置きの上で立ち上がり、山根二尉の数倍の声で圧する。
ブリッジ内の緊張は極限まで上がった。舵輪を握る下士官まで一瞬後ろを見た。
「艦長、、」
もう一度、副長の山根が声を発しかけたが、今度は艦長の政岡一佐が制した。
「副長いい、おれが直々に確かめる」
政岡が通信担当に尋ねるか、それより副長に尋ねれば一番早いのだが、それを行わず関口を睨みつけ訊いた。
「新たな命令は出たのですか、司令官殿」
関口司令官はゆっくりシートに座ると答えた。
「出とらん」
関口の第2護衛隊司令官に就任して以来発した声の中で今までで一番威厳に満ちた声だった。
関口一佐は続けた。
「志布志港みたいなところでは、情報収集任務は果たせない、これより<遼寧>に向け第2護衛隊は出撃する」
「戦争を始める気ですか?」
艦長の政岡が低い声で尋ねた。
本当は、手柄をたてたいだけだ。<遼寧>に臆することなく接近した司令官。その称号と賞賛がほしいだけだ。最悪イージス艦はともかく、ロートルの麾下の護衛艦DD<よしかぜ>ぐらいを<遼寧>にぶつけてやっても良い、その権限は司令官である関口が持っている。そうなると、どうなるか”情報”が収集出来るだろう。
「警戒任務のほうはどうなるんです。万が一に備え、この水域を守るのが第2護衛隊の任務です」
「守る!?。<遼寧>を追っ払えばすべての危機は去る」
政岡の表情がやや変わった。もうすべて読めた。この関口という男は情報収集にかこつけて<遼寧>を追っ払う気だ。
「教科書に名前が載ってしまいますよ、司令官」
「敗戦以来の海の英雄としてかもな。外交官や政治家がここ一二週間で成しえなかったことを我々自衛官は、いとも容易に簡単にできるんだよ、よく考えろ、艦長」
「<遼寧>は原子力空母です。万一原子炉の閉鎖ができず沈没させてしまったら、このあたりの海域はどうなるんです?」
「貴様も漸くその気持ちになったか?」
やや長い互いの沈黙のあとに政岡が言った。
「司令官、あなたは狂ってる」
「いや、EEZをあんな巨大な空母に
「後藤、やめろっ」
政岡が吠えた。
通信員の後藤三等海曹は怯えた表情で一佐同士の争いを見つめている。
「このDDG<たかお>だけでも<遼寧>を威嚇する能力は十分にある。艦長、命令だ」
「威嚇だけですか、もし<遼寧>が転舵しなければ、沈める気でしょ」
「それは貴様が決める事柄ではない。司令官のわしが決めることだ」
第2護衛隊4隻は接岸しているわけではない、緊急時の出港用に岸壁からは離れて錨をおろしている。
「もう射程内ですよ。やろうと思えば、ここからでもVLS(ミサイル垂直発射システム)で、、」
政岡艦長がそこまで言った時、その当の砲雷長がCICから駆け上がってきた。通信員か副長が艦内のラインを開けていたらしい。
「いや、出撃だ。艦長、命令だ。航海長、DDG<たかお>出港、港湾を出たのち、コース0-9-0」
政岡はブリッジに上がってきたときにI have. You have.の艦を操る引き継ぎすら行っていなかった。
政岡はうつむいたが、鼻で笑った。どうやらこの司令官<遼寧>を沈める、そこまでの根性はないらしい。
なら簡単だ。
関口司令官はもう艦長の政岡は見ておらず、ブリッジから遠くまで見える大海原を見ていた。あの先に<遼寧>がいる。そして嘲笑っているだろう。笑われるのも自衛官の仕事だ。
「おい!」
政岡艦長が弟や自分の子供で呼ぶように関口司令官に呼びかけた。
軽く、関口は政岡のほうに振り向いた。
政岡が強烈なフックで関口司令官を殴った。
カウンターを食らった関口は脳震盪を起こし失神し司令官のシートから落ちそうになったが駆け寄った砲雷長がどうにか支え落下は避けられた。
政岡は殴った手の甲をさすった。
「イテテテ、人を殴ったのなんて中学以来だよ」
政岡は言った。
「あんたがやろうとしていたことは総じて反乱と呼ぶ。人に傷つけたり、破壊したり害するものを扱う人間は厳格に規則を守る責務と義務がある。それを守れない人間はそのようなものをもつ権限は一切ない。これは自衛官のルールじゃない、歩きだしてからの人のルールだ。こいつを俺の部屋に閉じ込め89式を持った衛兵を一人立てておけ」
近くに居たブリッジの見張員の複数の下士官によって、ズルズルと関口司令官は引きづられてブリッジを退出していった。
政岡は司令官のシートに座ることなく、テキパキと命令を下した。
「通信員、佐世保の第2護衛隊群本部に連絡、関口司令官がシートから転落、頭部を負傷。任を果たせない模様のため、やむを得ず最先任士官の政岡一佐が兼務し司令官職を代行すると」
「了解」後藤三曹の返事も早い。
「ブリッジより、CICへ<遼寧>の監視を密にせよ、以上」
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