7月28日 午後1時02分 市ヶ谷

 鷺野さぎの二尉、山川やまかわ陸将補、井上いのうえ審議官、榊原さかきばら政務官の集められた会議室は全員が押し黙った異様な雰囲気に支配されていた。

 各人のテーブルの前には紙コップで覆われたエヴィアン一本づつ。

 厚顔無恥にして傍若無人な鷺野はさきほどからコップも使わずグビグビ飲んでいる。

 山川重五郎陸将補が口火を切った。

「サイバー攻撃はもとより、<遼寧りょうねい>の情報はどうなっとるんだ?」

 もちろん、質問している相手は井上審議官だ。

 この会議室では制服組に対する背広組の上位が一切無視されている。

 鷺野は興味深そうに、エヴィアンを飲みながら横目で二人のやり取りを見る。

「私も、ニュース、報道で知っている範囲の情報で手一杯でして、、、」

「嘘をつけ」と山川。否定が早い。

 山川が大きくため息を付いてから、ただす。

「統合幕僚長が海自の延岡のべおかなのが関係しとるのか?」

「省内でも軽い箝口令が事務次官を中心に敷かれておりまして、相当外務省から横槍が入っている様子で、局長の坂口さんが一手に引き受けておられます」

 この二人の関係はほとんど、クラスの内の不良に絡まれたガリ勉だ。

「尖閣だけでも、あんなにわんわんやっておったのに、普通なら、排他的経済水域を侵入した段階でとっくに戦争状態だろ、そうだろう鷺野?」

 鷺野に飛び火が飛んできた。

 鷺野はこの猛暑の中、給水に忙しい振りをして無視。

 この件に関しては、井上審議官と同じく報道ベースの事しか知らない。

 中国側からも、日本政府筋からも何の公式の発表がない。

 官房長官に対する記者会見でも、官房長官はノーコメントを貫いている。

 米軍も、米政府も同様である。

 海自、空自、在日米軍、海上保安庁、すべて、この件に関して無視である。

 <遼寧>は悠々と日本の南側、鹿児島沖の太平洋を悠々と遊弋中である。

 領海の12海里は守り、排他的経済水域はおかしている。

 そして搭載された艦載機の発進だけは一切行っていない。


「榊原政務官はなにかご存知ですか?」

 山川が質問したが、井上に対するものと全然言葉使いが違う。

「与党の外務部会が動いていることしか、、私は総理のチルドレンと呼ばれる雑多な当選二回の一人ですよ、、とてもとても、」

 新聞各紙、メディアの論調はおそらく記者、各論説員もわからなすぎて一辺倒だ。

 日米中、三カ国でおそらく”裏取り決め”がなにかあるのだろう。

 砲火が飛び交っていないことから、既に外交的に取り決めがなされているのであろう。

 の一点張り。


「陸自だけ、蚊帳の外ではあるまいな、鷺野?」

 事務用回転椅子で大股に足を開いて座っている山川から軽い足払いが飛んできた。

 モロにそれを食らった鷺野。

 脛にあたった。

 姿勢が傾くほど痛い。

 露骨に顔をしかめる、山川を睨み返す。山川は制服なので革靴だが鷺野は迷彩の作業服なので編み上げのブーツだ。蹴り返せば、こちらが勝てるが相手はレンジャー課程終了の元レンジャー部隊を率いていた隊長だ。

 不眠不休で山中を3日間50から70キロの重装備で歩き通す、歩く殺人マシーンだ。鷺野が徒手空拳で勝てるわけがない。

「二等陸尉がなにか掴んでいるわけないでしょう?」

 この嫌味が精一杯。

「ところで、鷺野、特殊電算部隊ってなにをやっとるんだ?」

 山川も嫌味で返す。

 将校への場合、相手がどんな、格下、後輩へでも名前の後、階級を付けて呼びかけるのが通例だ。ましてや相手が兵、下士官でも階級を付けて呼ぶ。これは儀礼というより軍隊の習慣だ。

 これは完全に鷺野を挑発かあざけっている。

 鷺野は冷静に椅子ごとゆっくり回転して山川を見やり言った。

「レンジャー部隊が無駄な精神論的訓練を安心して出来るように日夜防衛省へのサイバー攻撃と戦っているんですよ。ただ今年度からの創立ですがね」

 山川の怒りのための一拍、しかし、収まらなかった一拍。

「何だとぉ?。今無駄な精神論とか言ったか」

 山川も、どこにでもある事務用回転椅子をゆっくり鷺野のほうに回し煽る。

「ええ、言いましたね」

 あっさり認める鷺野。

 山川陸将補は、ゆっくり、100キロ超の負荷を持ったままスクワットでもするように、鷺野を向いたまま椅子から立ち上がった。

 ややお腹周りは気になるものの胸板は厚く制服は、はちきれんばかりだ。重装備70キロでの行軍、山岳での潜伏、山岳地帯の縦走、踏破可能も無理はない。

 そして、身の丈はNBAのPFパワーフォワードCセンターのセブン・フッターは無理としても約六尺強、180cmはゆうに越えている。

 鷺野が山川を見るためには仰ぎ見上げんばかりだ。

 なんと、山川が立ち上がり始めた瞬間から鷺野も面と向かって立ち上がった。

「おまえの自衛官への志望動機はなんだ?」

 階級が飛び次は名前も飛び、おまえになった。

「税金のフリー・ライダーですよ。テキトーにやってれば食いっぱぐれもないし、が定年は異常に早い、だから腰掛けでそのまんまどっかに天下りですよ、研修を自衛隊でするような企業もありますからね、引っ張りだこでしょう。大体、ここにいる4人全員が税金で食ってるじゃないですか?」

「てめー、本気でナメてるらしいな、一般大学から幹候で入ってきて、腰掛け?何様だ、平隊員にも示しがつかん」

「それぐらい、士気がさがってるんですかね?自衛隊は?気に触りますか?」

「なにが、レンジャーを守ってるだ。精強と精鋭を持って旨とする日本人最強のレンジャーをナメてるな、そうだろう。言ってみろ」

「本当に言ってもいいんですか?」

「お前なんざ、この一番弱い小指と二番目に弱い薬指の二本で殺せるぞ」

 そう言うと、山川は小指と薬指をファック・ユーと示すように下から突き上げた。

「Dボーイ(米陸軍特殊部隊デルタフォースのこと)仕込みですか?」

「レンジャー仕込みだ」

「不眠不休で三日三晩てことなら、4日目の寝込みを襲いますよ。ぐっすり眠ってるところをね」

 山川がゆっくり天井を向いた。

ピィッーティッーPT(フィジカル・トレーニングの略)」

 突然、山川が会議室中に響く大声で叫びだした。

「上官への侮辱ならびに組織へ対する侮辱だ、腕立て伏せ用意っーぃ」

 山川の大声は続く。

 鷺野が背伸びをして、山川の顔に自身の顔を近づけた。

「私は第一連隊所属で、あんたの部下じゃない。が、この俺だって、宣誓をした身だ。やれっていうんなら、やりますよ。但し、米軍や自衛隊の伝統で罰を与えた上官は管理責任がなっていないとして、自分も同じ罰を受ける。上官のほうが腕立て伏せはより深く、より長くだ、違いますか」

「始めて、意見が一致したな、そうだ。腕立て伏せ300回用意っーい」

 鷺野も、山川も弾けたように、その場で腕立て伏せを始める姿勢になった。

「やめてくださぁーい」

 防衛省の井上審議官が震えるような声で諌めたが、誰にも聞こえない。

 榊原政務官は半笑いでこの滑稽な現職の二人を見ている。

「いーち」

 山川の腕立て伏せは深い、下った姿勢で異様に長い。

 鷺野がさっと一回目を終えたのにまだ、下がった姿勢で笑いながら鷺野を見ている。

 さすがの鷺野も少ししまったという顔。

「どうした?お前の背丈のように小さくて短い腕立て伏せだなぁ、おい」

 ニヤリと笑いそして、ゆっくりと姿勢をあげる。

「にぃーーーーーーー」

 山川の2は1より、深くて長い2だった。

 鷺野はたったと、自分のペースで300回腕立て伏せをこなしだした。こんなの曹長待遇だった幹候以来だ。

 こういった体育会系筋肉バカと付き合わなければいけないのも鷺野は仕事のうちだと考えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る