7月28日 午後0時41分 市ヶ谷
東京、市ヶ谷の防衛省庁舎A棟の一室に相反する二人の陸自隊員がどこにもあるパイプ椅子に長机をあわせた会議室で睨み合っていた。
これは、最初に喋ったほうが負けに近いゲームのようだった。
ネイボッブと呼ばれたインド成金が跋扈した大英帝国の全盛期からグレート・ゲームはシャーロック・ホームズに限らず、派手に展開してきた。
今は、ただ人権とか人道上とか言ってそれを建前で隠し見えなくしているだけである。
眼孔は鋭い初老の男が負けた。
「暑いな、、」
「空調が時々止まっていますね」
若いほうがすぐに応じた。これはゲームであって喧嘩ではないのだ。しかも、二人は階級、上下関係は違えど同じ組織に属する国家公務員だった。
しかも将校、幹部という。
先に負けた、話し出してしまったのは、
しかし、この制服の評判はいかんせん内外ともに悪い。紫は日本では聖徳太子の昔から高貴な色のはずだが病身の身でするはちまきの色だとか、海上自衛官と見分けにくいとか、
身の丈は六尺、"がたい"はいい。それもそのはず、鬼の空挺隊員課程から大の大人が泣き叫ぶ最強のレンジャー課程までこなしてきた、鋼の男である。白髪はあるもののまるで初年隊員のような丸刈り。頭はよくいる日本犬の雑種か、亀の子たわしのようである。
もみあげの剃り跡の青さが歌舞伎の羽二重のようだ。
防衛大学校26期卒。同期は全員蹴り倒し殴り倒してきた。同期の桜も嘘である。
自衛隊に入隊してからの出世まで考えれば、先輩後輩3年分ぐらいでポストを競い合うことになる。上に行くほどポストが減るのは古今東西の組織の当たり前だ。
防大入校した瞬間から全員競争なのだ。
暑さのせいか、
かたや、睨まれている二等陸尉は子供のようだ。
小さいは細いわ。しかも、この自衛隊の組織のど真ん中の本部に迷彩の作業服でやってきている。
作業服はだぶだぶ。小学6年生でももっと体格のいい子どもがいるのではないか?。
名前は
建前は、陸海空各自衛隊幹部候補生学校で防大卒と一般大学卒の障壁はないといわれるが、4年間同じ釜の飯を食った連中と、ぽっと入ってきたやつとの間にないわけがない。
最初から、一般大学生は出世コースから外れに外れている。二佐止まりと言われる自衛隊の将校の世界で果たして二佐までいけるかどうか?。
疑うならば、過去の幕僚長の学歴を観てみればいい、全員防大である。
山川陸将補からすれば、それをわかって陸自に入ってきた鷺野の根性がすでに腹立たしい。
更に、山川陸将補の眼孔が鋭くなった。
そのとき、ノックが聞こえ、二人がいる会議室に一人のWAC(女性自衛官)の
「失礼します」
そして、その高杉里奈は敬礼する。これも、警察、消防も含まれるかも知れないが職業病だ。
そして鷺野は、相手のぱっと階級章と何科所属かの襟章を見る。兵、士官を問わず自衛官の職業病だ。
犬が散歩で出会った他の犬に対する匂いを嗅ぐ挨拶だと思えばいい。
しかし、それより若くて美人だ。
階級は士長。陸曹クラスかと思いきや意外に低い。
やはり、市ヶ谷に容姿で引き抜かれたか?自衛官も他の業種、会社、社員を問わず、家族で特に親子で自衛官というのがメチャクチャに多い。
合法的な世襲が行われている。特に親父が叩き上げの陸曹で息子が防大に受かろうものなら、父親は男泣きに泣き崩れ三日三晩酔い続けるといふ。
どこぞの将官クラスの娘さんか?。
「こちらへどうぞ」
「おうっ」
山川陸将補は返事まで怖い。それを苦みばしった目で見、続く鷺野二尉。
これぐらいの勢いで米軍になんに関してもぶつかって欲しいと同じ組織の若輩の後輩いや、一日本人として心から切に思う。
三人が廊下に出ると、廊下が思いの外暗い。
鷺野がジロジロ天井を見ていると、高杉里奈士長が気を利かせ答えた。
「先程から、時折都内全域で停電が多発しているとのことです」
「なにっ!」
山川重五郎が即座に合いの手を打つ。もう三文お芝居である。
山川は総務で幕僚監部に務めているだろうが、鷺野自身は陸自の総本山市ヶ谷自身が始めてである。ここは権力者の魑魅魍魎が住むダンジョン。どこがどうなっているのかわからない。
「ならエレベーターは避けましょう」
と鷺野が言うと、殺されるのかと思うぐらいの山川の睨みにあう。
結局、美人女性士長が引率する形でグルグル庁舎A棟を回る。
ちなみに自衛隊の庁舎はどこでも、完璧なまで掃除が行き届きピカピカである。そしていたるところになぜか鏡が設置されている。理由は隊員なら知っている。服務規程違反者摘発とその防止が表の目的だが、自衛隊ほど地方(自衛隊以外の公も含めた民間)からどう見られているか気にしている組織はない、というかそうしろという、それが暗黙の達しなのである。
海自や空自などでは別の意味もある。ほんのちょっとした汚れ、異常が把握できるためピカピカに磨き上げる。
これも、ひねた鷺野は暇なのではないかとか、考えてしまう。自衛隊は戦争することを否定した組織である。本来の目的を否定し部隊の精強とかいいながら日夜訓練に勤しんでいる。謎中の謎である。もはや禅問答か哲学のレベルといってもいい。普通こういった組織は根本的にありえない。
今までの人間社会でもなかったのではないか?そう就寝前や士官の当直のときぼーっと考えてしまう。
憲法9条が綺麗事なのか、自衛隊そのものが無理強いで建前を貫いているのか、宣誓を同期と一緒に大声で行った捻くれた鷺野ですら、わからない。
ここ市ヶ谷も例外ではない。ただ、市ヶ谷は公費で清掃員を雇っているかも知れないと、鷺野などはひねておもってしまう。
ややもせずとある会議室に到着。
火元責任者某となっているところだけみてしまう。
美しい声で女性士長がノックし
「失礼します」
と声を掛ける。
「はい」
という室内からの返事。
どこにでもある四角く円陣に組まれた事務用長机に回転式の車輪付き事務用椅子。会議室。
先程待たされた会議室よりやや広く、モニターがおかれているがついていない。んぜか、事務用長机には電話一台。
そして、室内にはおっさんが二人。一人はどこにでも居る中年のオヤジ。もうひとりは知的そうでTVドラマから出てきたようにハンサムだ。
女性士長がこれまた完璧で美しい敬礼の後、山川と鷺野の紹介したのちこの二人の紹介まで済ます。
「こちらは防衛省、
「こちらは、与党の、
「陸上自衛隊、陸上幕僚監部総務部部長、山川重五郎陸将補であります」
と山川。
敬礼の後、30度の完璧な礼。旧軍スタイル。
「第一普通科連隊、第505特殊電算小隊隊長、鷺野二尉です」
鷺野は敬礼の後、ちょこっと頭を下げただけ。
地方には簡易Verですます主義、どうせわからないんだし。
山川が鷺野をにらみつける。
そのあと、形だけの名刺交換。
しょぼくれた、普通の中年のメガネをかけたオヤジが防衛省井上審議官。山川重五郎陸将補は威嚇するように肉厚な胸をそっくり返し、身の丈6尺の大壇上から井上審議官をにらみつける。
防衛省での制服組(自衛官)と背広組(防衛省職員)の確執は超有名だ。だがこんなことを争っている他の省庁もない。都道府県単位の現場の警察官と警察庁がはりあうことはない一切ない。
只、形としては出向してきたことになっているが警察庁の官僚にはただただ現場の警察官は従うのみ。
国家公務員用一般試験を合格した国家公務員の官僚と地方の都道府県単位の公務員である警察官は身分が違うのだ。
しかし、防衛省だと若干違うのでここで確執、または戦いがおきるのだと鷺野はおもっている。
自衛官の場合、士官は官僚と同じように全国単位で転勤が派生するし、なにより、警察官や消防と違い一隊員ですら官僚と同じ国に仕える国家公務員なのだ。
ここがいつも、日本の現在の軍事制度の大きな誤解があると鷺野は考える。
そしてこれがシビリアン・コントロールの根幹でもあると鷺野は思っている。
これこそ、民主国家の大原則だ。
中国の禁軍ではないが武は官僚国家では、ローマ共和国の昔から道具でしかないのだ。この根本を理解せず、軍部イコール制服組が暴走したことによって満州事変から日中戦争、太平洋戦争と進んだのではなかったのか?。
最初から出世コースから完全切りはなされている鷺野はそう思いかなり斜めから自衛隊、防衛省という組織を眺めている。
まぁ、二等陸尉では市ヶ谷に来ることすら、かなわない身だが、やはり防大を出、市ヶ谷まで上り詰めた山川は背広組の支配には相当異論があるらしい。
かたや、ハンサムな俳優のような長身の若い男は榊原政務官。政治家である。得てしてだが三国志ではないが、一般的に政治家は見栄えがいい。なんとなくこの人に将来を託してみようとか優しくしてくれそう、頭が良さそうとか思えるルックスをしている。
実際はわからないが、、、、。
自衛官は政治運動も大きく禁じられている。こっちに怒りを本当は向けるべきだと鷺野は考える。
OB組織が集票マシーンになって党を創ったり誰かを当選させるのは問題だが実際には元自衛官の政治家はたくさんいる。
しかし、閣僚までで総理は皆無。
このあたりは敗戦国の呪縛か?。
榊原良平、40代で衆議院議員当選二回。典型的世襲議員、選挙区は保守王国四国の愛媛県。父親は確か元、与党の政調会長。派閥のトップまではなった男である。
榊原良平は日本のトップの私学を卒業したのち学歴ロンダリングのためかアメリカのノースウェスタン大学の大学院へ留学。帰国後有名な日本人なら誰でも知っている政経塾へ入塾。満を持して、高齢になった父親の選挙区を禅譲され、連続二期当選している。
政治家は若く入るのも一つの出世の条件だが、ここからは本人次第だろう。
コメント力にもよるがTV受けしそうだ。政治家はTVに出だすと圧倒的に強くなる。防衛省の政務官を務めるなら政治思想も相当の右よりとみていいだろう。
陸自では左の端にいるような鷺野にとっては要警戒。
いまも上座の奥の席に座り、長い脚を大きく組み、不敵な笑顔を浮かべている。
小役人の井上審議官より政治家のほうが食えない。
自然と、鷺野は榊原を睨んでしまう。
女性士長は、敬礼し逃げるように退出した。
鷺野、山川の制服組の二人が着座した。
小さな声で、鷺野が山川に耳打ちする。
「この部屋は空調が正常に働いていますね」
「ああーん!?」
山川の語尾が上がる。二尉が陸将補に許可なしに話しかけられるのは基本的に不愉快らしい。
井上審議官がメガネを直し話しだした。
「市ヶ谷に設置されている特別の予備発電装置が先程から動き出しました」
「総務としては、何一つ聞いとらんぞ」
山川、審議官には常に威圧的にせまる。
「なにせ、緊急事態なもんで、、」
この会議室での制服組と背広組の対決は制服組の初手かた圧勝である。
「私が副大臣に連絡し、点けさせました。まだ庁舎内の内線電話が使えたので」
と榊原政務官。
「この暑さでは仕事にならないでしょう」
鷺野と山川は別室で缶詰にされていたのでニュースには疎い。
井上がA4数枚が束になったマル秘と朱印が押されたペーパーを配りながら続ける。
「現在、日本全国ほぼ全域で停電が発生中。時折流れたりしているようですが、ほぼ全域で止まっています。全国の各地方の電力会社が確認中です」
震災より電力会社によって、想定内、想定外、確認中が便利な官僚用語として今も流行っている。
「電力を使用する、各地の水道ポンプも停止により断水も続いています」
鷺野も、ペーパーの束をパラパラ見るが、いろんなデータが乗りすぎてて斜め読みすら出来ない。
日本中がほぼ真っ赤である。
「もちろん、電気でシステム管理されているガスも停止。信号も同じで、各地渋滞が発生したり事故が多発して交通網が麻痺しています。鋭意、全国の警察官が主要道路に向かい、一部手旗信号で交通をどうにか流しています。それと、携帯の8割強が繋がりません。都内を含め、多くの電車、列車はほぼ止まっています。しかし唯一ネットだけは健在です」
「原発は?」
鷺野が
「現在、稼働中の原発は停止後、停止中の使用済み核燃料プールも、軽油の発電機による電源で冷却中」
「テロか?」
山川が太い毛虫のような眉を大きくひそめたまま尋ねた。
「サイバー攻撃ですね」
一言、榊原政務官が鼻筋のとおった涼しい顔で答えた。
実際この部屋は涼しかった。
「現在、総理はASEAN各国歴訪のアジア外遊から政府専用機で帰還中。副総理、官房長官を中心に官邸の緊急対策室を設置、携帯キャリーの大手三社、元電電公社の通信大手の専門家を呼んで対応中です」
榊原はスラスラと喋る。
そして時計を見る。
「もう何時間かすれば、解決するでしょう」
専門家が一切当てにならないのも、震災以降の常識となった。政府発表の逆のことが起こり続けた。
しかし、政治家が常にいろんな筋から情報が入り、国政調査権を使うまでもなく裏の情報まで情報通なのは、古今東西変わらない。
「総理がお戻りになるのは何時になるのですか?」
と鷺野が尋ねる。
「明日、朝7時頃羽田に到着の予定です」
「その時に、日本がまだあればいいですけど」
と鷺野が言った。
山川が鷺野をにらみつけた。
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