(10)おお、涙の別れはかくも美しきかな

 勇者ロンリーの体が消えかかっていた。透けて向こう側が見えている。


「な、なんだ。どうなってるんだ」

「もしかして――」


 おろおろしているロンリーに近寄りながら、魔王はミカエルに尋ねる。


「おい、これってそうなのか。彼は元の世界に帰るのか」

「えっ」


 驚きの声をあげたのはロンリーだけでなくデビーもだった。


「うそ、もう帰っちゃうの。急すぎるよ。お別れパーティしようよ」

「え、え、なんで。なんで今帰るんだ」


「アスモダイか。あいつを封印したからなのか」


 そう訊ねる魔王に、ミカエルはあいまいな表情のままでいる。

 彼は透明になりかけているロンリーの手から壺を受け取り、指輪も外していく。


「あいつ倒したから帰れるってわけなのか。魔王じゃなくて、あいつだったの」

「そうなのか、ミカエル。おい、なにか言えよ」


 ロンリーと魔王が問い詰めるも、ミカエルは肩をすくめるだけ。


「ですから、わたしは帰還に関しては担当外だって言ったじゃないですか。でも体が薄くなっているのですから、これでお帰りになるんじゃありませんか。よかったですね」


「よ、よかった、の、かな……」


 ロンリーの声がしぼむ。うつむくと消えていく両手を眺めた。

 透けて地面が見える。この世界とも、さよならなんだろうか。


「ロンリー……」


 デビーが大きな目をして、彼を見ている。

 ロンリーは消えかかっている手を握り締め、ぐっと気合を入れた。


「あ、あのさ。デビー」

 い、言うぞ。彼はすぅと息を吸い込んだ。

「好きだよ、デビー。君のこと忘れないからね」


「ロンリぃぃぃ」


 ぶしゃぁと涙を流すデビー。

 同じようにボロボロと涙を落とす大勇者ロンリー。

 魔王もちょっともらい泣きをして、目元をこすった。


「さよなら、デビー……、それから魔王さま」

「ああ、元気に暮らせよ」


 そして、召喚勇者だったロンリーは自分の住んでいた世界に戻った。


 ――ということには、ならない。


「げっ、輪郭がはっきりしてきた」

「ロンリぃぃ、まだ、こっちにいるの!」


 どうやら、そのようで。

 透明化していたロンリーの体は、すっかり実態を取り戻した。


「う、うそだろぉぉ」

 ロンリーは顔を真っ赤する。デビーの髪よりも赤い。


「おいおい、告白しちまったのに、恥ずかしい奴だな」


 魔王はうっかり言ってしまい、慌てて口に手をやったがあとの祭り。

 デビーがにひっと笑い、ロンリーは恥ずかしさで気を失いかけた。


「あらら、ダメでしたか。まぁ、アスモダイですからね。大悪魔ですが、魔王でもないし、ソロモンの壺が似合うだけの男ですからねぇ」


 ミカエルがのんびりとした感想をのべると、ロンリーの顔を険しくなる。


「なんだよ! お前が俺を召喚したんだろ。どうやったら帰れるんだ」

「おやおや、愛する娘がいる世界に残れて嬉しいんじゃないんですか」


 にひぃと笑うデビー。ロンリーは沸騰して頭が爆発するかと思った。


「ねぇ」と声がして全員が振り返る。

「君たち、いくら氷漬けの僕だからって無視して楽しむのはひどいよ」

「ルシファー……」魔王はため息をついた。

「ね、ミカエル。久しぶりだね。僕をここに鎖でつないだとき以来でしょう」


 ミカエルはちらりとルシファーに視線を向けただけだった。

 その態度にルシファーの目が沈む。


「ああ、こいつ。ほんと嫌いだな」

「わかる」と、うっかり同意する魔王。

「だよね、ウリエル。こいつ、キモいわ」

「わかる」魔王はまたうなずいてしまった。


「ね、勇者くん」

 ルシファーがロンリーにむかって不敵な笑みをむける。

「案外、大天使を倒せば故郷に戻れるかもしれないよ」


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