【一次創作】レンゴウカイ

ヤネウラ

れんごうかいのぜろのいち

 力を入れなくても簡単に丸めてしまえるような紙切れの上に踊る数字の上で、俺たちは生きている。…と、弟が丸めてしまった俺のテスト用紙を見ながら、思った。

「お前、一体今まで何やってきたんだよ」

 赤い13という数字は、ただの俺の評価などではなく、もっと不吉なものを表しているような気がした。例えば、そう、これからもう二度と、目の前で俺を睨む弟とは、元通りにならないのではないか、とか。そう思う反面、元から仲良くはなかったかもしれないな、とも思う。

「キノシタ家の恥さらしめ」

 出ていけ、と弟が低い声で言った。出ていけよ、と、もっと強く言った。言う、よりも、怒鳴る、だったかもしれない。よくわからない。頭の一部が痺れてしまっていた。俺は馬鹿だから、わかった、と言って、そのまま何も持たずに家を出てしまった。

 空気の乾いた夜。ケータイも金も持たずに当てもなく人混みに紛れていく。

 出ていけ。

 …どこから?どこへ?

 とりあえず、行ったことのない町を目指す。

 俺と同じ制服を着てるヤツがいないとこに。

 俺は街頭に照らされて、影と二人で歩いて行った。


 法律って知ってるか。俺はよく知らないけど、俺以外のヤツだってもうよくわかってない。やっちゃいけないことを守ってるだけでは、この国では生きていけなくなってしまった。今でもおりこうさんに守ってるのは、金持ちで頭の良い奴らだけだ。あいつらはそれでも生きていけるような「囲い」の中で生きている。

 俺らみたいなのは、その「囲い」から外れたところで生きている。自分の身は自分で守るし、自分の生き方は自分で決める。醜くても、這いつくばってでも、生きていく。

 昔から守られてきた「生活をやっていくうえでの最低限のモラル」だけはいまでも残っているけれど、盗みや暴力沙汰なんてのは日常茶飯事だ。だからみんな、いつも誰かを何かを警戒して歩いている。のんきに歩いてるのなんて、弟曰く、俺くらいなもの。

「お前、レイコーの生徒じゃん」

 突然声をかけてきたのは、髪を汚く脱色した、知らない制服の生徒だった。埃被った臙脂色。でも、相手は俺の制服を知っているようだった。夕日に照らされて、顔が少しオレンジに見える。

「あの辺っていい暮らしできてんだろ。なあ、いくら持ってんだよ」

 後ろからも声がした。何人かいるのかもしれない。振り返るのが面倒で、そのまま前を向いて答える。

「何も持ってない」

「んなわけねえだろ。北から西に来たのに、一文無しで来れるもんか」

「どーやってきたんだよ!」

「歩いて」

「んなわけねえだろ!」

 どうも本当のことをしゃべると相手が機嫌が悪くなるらしい。弟のことをふと思い出した。お前は相手を怒らせる天才だな。そういわれたこともあった。もっと相手が喜ぶ話をしろよ。確かに、一晩中歩いてきたとは言われてもなかなか信じられないかもしれない。

「…やっぱ金あるし電車で来た…ことにする…?」

「ことにする?舐めてんのか」

 あ、どうやら失敗したな、と思った。弟がため息をついていた一週間前のことを思い出した。加えて、金髪が態度を変えてきた。面倒だな、と思うと同時に、急に眠気が襲ってくる。いつもそうだ、何か嫌なことや退屈だと感じることがあると、俺は突然眠くなってしまうのだった。

「やれ!」

 金髪の掛け声とともに、俺は大きなあくびを一つ。この街では寝やすい芝生は見つかるだろうか。


 この街へ来たのは初めてだし、もっと言えば、本当はどこかもよくわかっていない。俺が住んでいた場所は比較的治安のよい場所で、まだ法律も少しは機能していたから、親や学校、一番は弟に「お前は絶対にこの町から出るな」と言われていたのだった。弟からは「お前みたいな甘い奴がこの街以外で生きていけると思うな」とも言われていた。弟は頭が良いから、きっとその通りにすれば良いのだと思って、俺も街から出ようと思ったことがなかった。

 だから、例えば道がゴミで埋まっているだとか、例えば血の跡や何かの痕跡がそのあたりに残っているだとか、なんというか、そうか、こういうのが、そういうやつなんだ、と思った。具体的な言葉は何一つ浮かばなかった。

 歩くたびに何かのゴミを踏んでいく。それは本当にゴミだったのか、落ちているからゴミなのか、わからない。落ちているからゴミならば、さっきの汚い金髪の一団も、ゴミになったのかも、なんて思う。俺がゴミにしてしまった。

 一本細い道に入ってしまったのがよくなかったのだろう。もういま自分がどこにいるのか、というか、どうやって来たのか、さっぱりわからなくなった。

「…ねむ」

 頭がぼーっとして、目に入ってはいても理解していない。景色がどう変わったのかもわからない。ただ、なんとか寝れそうな場所がないものかと歩いていた。そのうちに、落ちているゴミが少ないところへ出た。少し広めの路地。相変わらず建物に囲まれた、薄暗い場所。大きなゴミ箱が一つあった。このおかげで落ちているのも少ないのかもしれない。

 ここにしよう。

 大きなゴミ箱を背もたれに、俺はその場に座り込んだ。…いい感じだ。そのままゆっくりと目を閉じた。

「…っ!!!………!!!!」

 ……なんとなく、何か声が聞こえたような気がして、目を開けた。目の前には誰もいない。路地を左右見渡してみた。誰もいない。上。誰かが顔を出している風ではない。

 俺は再び寝ようと、同じところに腰を下ろし…………。

「………すっ……………せ……………!!!!!」

 声が聞こえた。何を言ってるのかはよくわからないが、くぐもった声だ。誰かの声であることは間違いなかった。

「………………せ!!!!!…………………そ!!!!!」

 あちこち見回してみたが、誰もいない…………もしかして、と、思ってゴミ箱を見ると、蓋が閉まっていない。………ゴミ箱から、小さな白い手が、少しだけ出ていた。

 …そっと、蓋を開けた。

「出せって!!!!!!言ってんだろ!!!!!!!!!こんのクズども!!!!!!!!!!ふざけんなよ!!!!!!!!!!くそ!!!!!!!!!!!おい!!!!!!!!!!!だ…………………せ……………………??」

 開けた瞬間に飛び出す少女の声。見てみると、大量のゴミの中に、制服を着た小さな女の子が混じっている。俺でも知っている、全国的に有名な優秀で金持ちの高校の制服。俺と目が合うと、そのまま動きを止めた。

「……金持ちはゴミ箱に入って遊ぶんだな?」

「んなわけないだろ!!!!早くここから出しなさいよ!!!!!」

 怒られた。俺は少女をゴミ箱から引っ張り出した。軽かった。

 目つきの悪い、短い金髪の少女。髪についていたみかんの皮を払いのけてやると、更に俺を睨みつけた。ぱっと俺の腕を振り払って、制服についた残りのゴミを自分で掃う。それからまた、俺を睨みつける。きつく化粧をした目が印象的な少女だ。

「んで、お仲間はどこ行ったわけ」

「…仲間?」

 少女は相変わらず両腕を組み、無い胸を反らし、俺を睨みながら言う。

「あんた、さっきのやつらの仲間なんでしょ。同情して助けに来たつもりかもしんないけど、お仲間はどうなったわけ」

「……さっきのって、汚い金髪のやつらか」

「そーよ」

「じゃあ、さっきその辺に捨ててきた」

「は?」

「なんか、言うほど強くなかったし、ぽいって」

「ぽいって」

 少女はそのまま口を開いたまま、しばらく動きを止めた。なぜか突然左右を見て、上も見て、あちこち見て、それから首を傾げて俺を指さして、言った。

「あいつら、このへんじゃ有名なのよ?一人で?」

「まぁ」

「仲間われ?」

「というか…さっき初めて会った?し、ケンカ売られたから買っただけだ」

「はぁ……」

 しばらく少女は腕組みをして何かを考えていたが、やがて俺の腕を掴んだ。驚いて少女を見ると、相変わらず俺を睨みつけながら、強い口調で言う。

「助けてくれたお礼してあげる」

 俺は小さな少女に引っ張られるまま、路地裏を後にした。


 大通りに出ると、そんなにゴミや落書きは見受けられなかった。ただ、誰もが急ぎ足で、俺が知っているところよりもずっと自分本位で行動している人が多いように見えた。あちこちで怒鳴り声や何かが割れる音が聞こえて、そのたびに俺は足を止めかけた。が、少女は俺の腕を引っ張るのをやめないので、それになんとかついていく。

 そのうちに、ひび割れの目立つアパートについた。三階建てのボロアパート。とても、金持ち高校の制服を着ている人が住んでいる場所だとは思えない。

「来て」

 少女は俺の腕を放すと、さっさと階段を上がって行ってしまう。慌てて俺も後をついていく。

 知らない人には絶対についていくなよ。

 ふと弟の声が聞こえた気がしたが、早く上がってこいと急かす少女の声にかき消された。


 酒の空き缶やたばこの吸い殻、男性物の洗濯物が転がり、新聞や謎のゴミ、果てはエロ雑誌なんかも散らばっている。テレビは数世代前の古いもので、謎の線が映像に入ったまま、映像を流し続けている。飲みかけの紙パックのジュースや、飲んではいけない気がする液体の入ったコップも机の上に乱雑に置かれている。隙間から、ボロボロになった畳が見えた。

「どこでもいいよ。座れば」

「あぁ…」

 少女に促され、とりあえずゴミの少ない一角に腰を下ろす。なんとなく正座をした。少女は制服の上着を乱暴に脱ぎ捨ててそのへんに投げると、部屋の奥からコップと水をもってきて、出してくれた。…思わず一度においをかいで、舌先で味を確かめてから、改めて一口飲む。とたん、忘れていた喉の渇きを思い出して、一気に飲み干す。腹の音も鳴った。少女は呆れた顔で、今度はスナック菓子をもってきて、俺の前に放り投げた。「食べれば」と言われたので、素直に食べ始めた。…少し、しけっている。

 少女は俺の隣に座って膝を立てて座った。紙パックのココアをもってきて、ストローを刺して飲み始める。下に黒いスパッツが見えた。いちおう目をそらす。そしてまた、少し部屋を見回した。…見れば見るほど、高校生女子の住んでいる部屋ではない。

「…違うから」

「え?」

 こっちを少しも見ずに少女は続けた。

「ここ、あたしん家じゃないから」

「……そう、なのか」

「そう、いまの男のとこ」

「……あ、ああ、そう、なのか」

 反射的に何も言葉が返せず、少し悩んだが、俺には考えてもわからないと悟ったので、やめた。そして。

「じゃあ何で俺はここに連れてこられたんだ?」

 と聞いてみる。少女はちらりと俺を見て、突然笑顔になった。可愛らしい、幼い笑顔だ。

「あんた、役に立ちそう」

 表情とは反対に、声と口調は、さっきよりもきつさを増していた。


 知らない男の部屋に一人残された俺は、せめてゴミをゴミ箱にと思い、しばらく掃除をしていた。謎の液体は捨てた。エロ本はエロ本でまとめて隅に置いた。……知らない男のオカズを読む気にはなれない。昔一度だけ興味をもってエロ本を買ったことがあったけど、弟に死ぬほど怒られて捨てられて以来、特に所持もしていない。

 先ほどの名も知らぬ金持ちゴミ箱少女は「じゃあ、あたし忙しいから」と言って出て行ってしまった。外はもう夜だ。バイトでもしてるのかもしれない。しばらく家の主は帰らないとは言っていたものの、これでばったり出会いでもしたら、気まずさは想像に難くない。とりあえず、ぱっと見綺麗になった床に寝ころび、天井を見上げた。……天井にもエロ本と同じ女優が張り付いていて、気分が悪くなる。

 横になると、少しずつ眠気が増してくるのを感じた。そういえば、ずっと歩き詰めだったし、結局眠っていないのだった。疲れも感じた。よくわからない奴にケンカを売られ、そのあと何故かゴミ箱から少女を引っ張り出し、あらぬ疑いをかけられて、知らない家へ連れてこられた……今までの学校と家の繰り返し、ただつまらない毎日を繰り返していただけの俺は、もう一生分過ごしたような気分。

 ……でも、何だろう。疲れたけど、この気持ちは……。

 何かを考えようとしたけど、もう眠気が限界に来ていた。俺は体が求めるままに、夢も見ない深い眠りへと落ちていった。


「あたしのためにあいつら締め上げてよ」

「は?」

 朝目が覚めると、目の前に昨日の少女がいて、あいさつ代わりにそう言われた。とりあえず俺は、寝違えてしまった首を抑えながら、肩を回した。あくびをひとつしてから少女を改めて見て、初めて俺はハッとした。

「それ、どうしたんだ」

「別に、なんでもない。それより、ねえ、やってくれんの、くれないの」

 思わず指さすと、少女は目のあたりを手で隠して、更にキツイ言い方をした。思わずその手を掴んで払う。……目の周りが青く腫れている。ただ事ではない。

「なによ、これくらい、いつものこと」

 少女は機嫌を悪くしたようで、そのまま立ち上がり、奥へ行ってしまう。俺は気まずさを誤魔化そうと思ったが、結局誤魔化せないまま頭を掻いた。ふと窓のそとを見ると、もう日は高かった。

「…んで、どう、あたしに協力してくれるの、しないの」

 スナック菓子を咥えながら帰ってきた少女は、俺の向かいに腰を下ろした。相変わらず制服を着崩している。またスカートの中が見えそうで、なんとなく目をそらす。そういえば、学校はどうしたんだろう。平日の昼間のはずだ。

「どうなのよ」

 少女はもう一度言う。もうほとんど怒っている。なんとなく弟に怒られている気分になって、困ってしまう。

「……その、あいつら、ってのは」

「昨日の、あんたが締めたっていうやつら。あたしをゴミ箱にぶち込んだ奴ら」

「…そのけがと、あいつらは関係あるのか?」

「…あったら動いてくれるの?」

 少女の問いかけに詰まると、少し間をおいてから「じゃあ」と少女は付け加えた。

「あたし、昨日、この家に泊めてあげたじゃん」

「ここはお前の家じゃないんじゃなかったのか」

「いいの。いまはあたしの家も同然なの。ここにあんたを泊めてあげたの」

「昨日はお礼だとか言ってなかったか?」

「タダであたしにお礼してもらえると思ったの?」

 タダじゃないお礼って何だよ、と思ったが、少女はにっこりと笑って言うのだった。

「泊めてもらったお礼に、あたしに協力しなさいよ」

 なんだか頭痛がしてきた。お前が外で生きていけると思うな。優しい弟の声は、もう思い出せなくなっていた。


 もちろん着替えも何も持っておらず、昨日から制服のままだったので、少女は着替えろと言ってきたのだが、その代わりの服というのは少女の「男」の服なわけで、ちょっとまあその、洗わずに同じ服を着ていたほうがいいかな、と思って、そのまま家を出た。俺に言う割には、少女も昨日と同じ制服姿だ。……体のあちこちに傷をつくって帰ってきたことを除けば、昨日のまま。

 夕方と違って、昼間の街はまだ少し昨日よりは穏やかに見えた。それでもせわしなく人々は歩き、あちこちで誰かの怒鳴り声が響き、道行く人はお互いに道を譲らず、目があえば誰にでも睨まれた。たびたび足を止めそうになる俺の腕を、少女は乱暴に引きずっていく。街の中を、どこへ行くのかもわからないまま、俺はひたすら少女についていく。

「きったない金髪いたでしょ、アレがリーダーのマミヤキョウ。“マミヤさん”に逆らうと、この辺りでは生きていけないって言われてるくらい、恐ろしい不良なわけよ」

「恐ろしい不良、ねぇ」

 俺の蹴り一つで壁まで吹っ飛んでいった細い男の姿を思い出す。恐ろしい…か?

「…納得いかない顔してるけど、あれでも喧嘩は負け無し、盗みも暴力も薬もやってるって噂、この街では知らない人は誰もいないってレベルなの。あんたはそいつをのしちゃったわけ」

「はぁ」

「それって、大事件なのよ?わかってる?」

「大事件?」

 首を傾げる俺に、少女はわかりやすく大きなため息をついた。

「つまり、ここでさらに仕掛ければ、あんたが一気にこの街のリーダーになれるってこと。この街の不良事情を一気に変えてしまう人だってことよ」

「…つまり」

「あんたがこの街の王様になれるってこと」

「…王様になってどうするんだ?」

 そこで少女は一度俺を振り返って、足を止めた。それから口を開きかけたが、すぐにまた口を閉じて

「とにかくあんたに王様になってもらわなきゃ困るのよ」

 とだけ言った。気のせいかもしれないが、俺にはその表情が、少しだけ悲しそうに見えた。また黙って俺の腕をひっぱり歩き始めた少女に、俺も黙ってついていった。

 改めて見ると、高校生にしては少し幼いような気もした。頼りない背中。


 ついた先はゲームセンターだった。見るからに不良のたまり場、といった感じ。そもそも入り口の明かりもきちんと整備されていない。入り口には煙草の吸殻や、何かが入っていたらしいビニール袋などが散乱している。…近づくのはやめたほうがいい。こんなところへ来たことが弟に知れたら、きっと怒られる。

「ここがそのマミヤさんの根城」

「……あの、なんというか、その」

「お願いします」

 引き返そう、と言いかけたときだった。少女が俺に深々と頭を下げたのだった。

「あたしとこの街のために戦って」

「……はぁ」

 意図せずとも間抜けな声が出る。少女は顔を上げて、俺の顔を見た。あの高圧的な印象はもうない。今にも泣きそうな顔をしていた。

「あなたならできるはずよ。マミヤさんを倒せば、この街はきっと変わる。お願い、協力してほしい」

 もう一度頭を下げかけた少女を思わず止めて、俺は「わかった」と口にしていた。弟にもずっと言われていた、女子供には優しくしろと。それは今なのではないだろうか。事情はわからないが、目の前の少女はこの街をよくするために動きたいと思っているらしい。その動機が悪いものには思えなかったし、協力してもいいなと思い始めていた。

「……わかった、協力する」

 俺が言うと、少女の顔はとたんに明るくなった。花が咲いたようだ。

「じゃあ、行こう」

 そう言ってぐいぐいと力強くひっぱる少女。何か焦っているような気がした。俺はそのまま、ゲーセンへと引っ張られていった。


 少女の手が俺を離れた、と思ったら、何か強い力でそのままゲーセンの中に吸い込まれていった。強く床にたたきつけられ、呼吸が苦しくなるが、息を吸えないまま、何か硬いものに腹を突かれた。胃液が逆流する。朦朧とする意識の中、今日はまだ何も食ってなかったな、とぼんやり思った。暗くて何も見えなかった。そのうち、何かで無理やり目隠しをされた。腕を掴まれている感覚もあった。

 あちこちを殴られ蹴られているようだった。見えない恐怖、というのは別に感じていなかった。俺にとっての一番の恐怖はいつだって、弟に嫌われることだった。もうそれは終わってしまった。だからこれ以上の恐怖はない。ただ痛みをぼんやりと感じていただけだった。

 ……恐怖、なんかよりも。

 俺は何故だか、あの金髪の少女のことが心配でたまらなかった。

『マミヤさんに逆らうと、この辺りでは生きていけないってくらい』

 お前もそうなのか、と、遠のく意識の中で問いかけた。

 でも、きっと本当は。


 目が覚めると、目の前が白かった。恐る恐る目元に手をやると、柔らかい感触。そっと払うと、濡れたタオルが載せてあった。タオルを外すと、視線の先はやや日の落ちた空だった。確かめてみると、どうやらどこかの芝生の上で横になっていたようだった。……体のあちこちが傷んだ。

 そういえば、ゲーセンで袋叩きにされたんだったなぁ、とぼんやり思った。そのあとの記憶は、ない。と、その時、頭上で声がした。

「よー、目、覚めたかぁ」

「……緑だ」

 声がしたほうを向いて、思わず最初にそうつぶやいた。あ、と思ったが、相手は気にしていないどころかニヤニヤして、自分の髪を指さした。薄い黄緑色の短髪。

「そー、キレーな緑だろ、これ、金かかったんだよな」

「……いくら?」

 思わず聞き返すと、海外のような大きなジェスチャーを交えながら相手はしゃべる。

「信じられねーだろ?二万。腹立つよなー。ま、自分でやっても染まんねえからさ、この綺麗さはな」

 そういって歯を見せて笑う。同い年か少し上くらいの印象だ。派手なのは髪色だけで、地味な白パーカーに中も代り映えしない黒いプリントTシャツ。あとは色の褪せたありきたりなヴィンテージジーンズ。青いスニーカーはもうボロボロ。髪染めて金なくなったんだろか、と、そんなことを考えた。……しばらくして、ようやく思い立って、聞いた。

「もしかして、お前が運んでくれたのか?」

 襲われたのはあの裏道の汚いゲームセンターだった。ここはのどかな公園。面しているのは表の大通りだ。もしそうなら、結構な距離世話になったことになる。なんとか痛む体を抑えて起き上がって相手を見上げると、「まあな」と得意げに答えた。が、礼を言おうとしたのを遮って、付け加えた。

「礼ならいらねーよ、もうもらってっからな」

「…もらってる?」

「金さ」

 相手はそう言って、ポケットから何かの束を取り出した。紙の束。何枚か、ぱっと見で俺にはよくわからない。……けど、それが札束であること、一万円札の束であることは、俺にも理解できた。

「……俺を、運ぶのに、金?」

「そ。じゃなきゃ、面識のないお前を運んで目が覚めるまで看病なんてしてやらねーぜ、マミヤに目ぇつけられっかもしんねーんだからよ」

「………………だれ、が?」

 すでに頭は追いついていなかったが、その人にお礼を言わなければならないと思った。

「誰なのかは知らんけど、金髪のちびっこ」

 そいじゃ、俺が頼まれたのはここまでだからな、と言って、派手髪の男は去っていった。俺はしばらくその場に座り込んで、とりあえず腹が減ったな、なんてことを考えていた。あとは、残されたタオルは洗って返さなくてはいけないな、と考えていた。


 その晩、しばらくあちこち歩いてみたが、知っている道……少女と共に歩いた道に出ることはできなかった。もとより記憶力がないのも関係しているかもしれない。途方に暮れた俺は、とりあえず目が覚めた公園に戻って、芝生に寝転がって空を見た。電灯やビルの明かりでかき消されそうではあるものの、今日も星は綺麗に瞬いている。

 金髪の少女といえば、もう心当たりは一人しかいないのだが、もうよくわからなくなっていた。正直に言うと、本当に心配になっていた。増えていた傷は、もしかしてあのマミヤとかいうのにやられたんじゃないのか。何かの代償に俺を連れて行かなければならなかったのではないか。『あたしのために戦って』と言っていたのは。

 お前はお前の心配だけしているべきなんだ、と弟にいつか言われたことがあった。弟をかばって交通事故にあったことがあった。その時でも、弟は俺に礼を言うよりもまず先に怒鳴った。それから人を助けようとするのは怒られる気がしてやめてきたのだった。

『とにかくあんたに王様になってもらいたい』

 少女の声が、ふと頭の中で響いた。

 王様、よく考えれば悪くない響きだ。馬鹿だから、そういうのに弱い。んでもって、馬鹿だから、ごちゃごちゃ考えるのには向いてない。


 歩き回ってどれくらい経っただろう、ようやくたどり着いた夜のゲームセンターはまた昼間とはまったく印象が変わっていた。何しろ暗くて見えないから、汚いのがちょっとマシに見える。俺は特に昼間のことを思い出して恐怖するわけでもなく、中へ入った。

 昼間は電気が消されていたが、夜は薄暗い蛍光灯がついていた。明らかに対俺のための暗闇だったんだろうな、とぼんやり思う。スタッフも客も、俺を見ると顔色を変えた。俺は気にせず、エスカレーターを上がった。一階はまだ閑散としていて空気も悪くはなかったが、二階へあがる途中からたばこの煙が気になってきた。話し声も大きくなる。何かを嘲笑するような笑い声に、頭が痛くなった。

 笑い声が突然止んだ。俺の姿を誰かが見つけ、またその誰かが俺を見、そしてまた別のやつの背をたたき、俺を指さした。見たところ、中学生や高校生ばかりだったが、ざっと20人くらいはいただろうか。その一番中心に、タバコを咥えながら間抜け面をしているあのマミヤがいた。夜のゲーセンでは、汚い髪色もさほど気にならないな、とふと思った。

「よお、元気そうだな」

 誰もしゃべらなくなった中、俺の声とゲーム機の音声だけが響いていた。こんな静寂、営業時間じゃありえないだろうな、と少し面白くなってきていた。

 俺は一歩踏み出した。相手も一歩踏み出すのが見えた。恐怖も負ける気もしなかった。

 音が聞こえなくなり、周りがスローに見える。

 こんなにわくわくするケンカは久しぶりだ。


 探し回って、ようやく見つけた。短い金髪の制服の少女。ゲームセンターを出てまたしばらく裏路地をさまよった後だった。暗闇の中で、一人壁に背を付けて立っていた。誰かと待ち合わせしているような、そんな印象を受けた。かまわず、俺は近づいて行って声をかけた。

「よ」

 少女はこちらを見て驚き、視線を右左にずらし、それからなんだか気まずそうな顔で俺を見上げた。

「なにしに来たの」

「倒してきた」

「は?」

「マミヤサン」

「……は????」

 少女は大きな声を出した。俺の頭から靴までを何度も見直す。確かに人数も多かったし、制服はダメージを受けてるけど、俺自体にそんなに傷は増えてないはずだ。

「昼間、ありがとうな。なんか、頼んでくれたんだろ、聞いた」

「そ、れは………」

 少女は左右を確認して、警戒しているようだ。

「だから、マミヤなら倒してきた」

「んなわけないでしょ、あんた昼間惨敗してたでしょ」

「いま、ぶん殴ってきたし、俺に泣いて謝った」

「う、うそつき!!!んなわけないでしょ……!!!」

 怒鳴り俺を睨みつける少女に俺は困って、後ろに手招きした。「なあちょっと」と声をかけると、慌てたような「はい!!」という返事と共に、俺の隣に三人ほど現れた。

 あのマミヤと、その一番近くにいた中学生っぽいやつら。道がよくわからないから、とりあえずついてきてもらったのだった。

「な、なんすかアニキ!!!」

「な、なにしましょーか!!!」

「おっす!!!!!!」

 そのマミヤ+二人を見て、さらに少女はぽかんとした。一瞬マミヤが少女を睨んだ気がして、俺はマミヤの足を踏んづけた。そのままマミヤは苦い顔をして下を向く。少女はそれも、驚いた顔で見ていた。というかほぼ、固まっていた。

「……ほらな、約束通り」

「………ま、まじ…」

「おおマジ。……ほら」

 俺はマミヤたちを手で払って、散らした。その場に俺と少女が残る。俺は少女に向き直って、言った。

「なぁ、俺、役に立ったかな。礼がしたかったんだけど」

 少女はぽかんとして、それから腕組みをして何かを考え、首をひねり、それから俺に向き直って、言った。

「立った。……ありがとう」

 俺はその言葉に満足して、その場にそのまま倒れこんだ。「ちょっと!?」と驚く少女の声も、次第に耳に入らなくなっていく。ただひたすら眠たくて、今すぐにでも寝たかったのだ。……役に立った、その言葉が聞けただけで、もう俺は満足だった。

「……どうも、ありがとう、……ございます」

 少女の声が、夢の中で優しく響いた。

 目が覚めて、まだそこに彼女がいたなら。

 その時、彼女の名前を聞こう、と思った。


【れんごうかいのぜろのいち おわり】

【れんごうかいのぜろのに に つづく】

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