夏休み

QUKRI

夏休み

 暑さのせいで目を覚ました。気づいたらソファーの上で、眠っていた。いつの間にか誰かがお腹にタオルケットをかけてくれている。如何やらエアコンのタイマーが切れたタイミングで起床したようだった。


 久しぶりによく眠った気がした。というのも、前観たいテレビがあったのでその前日徹夜だったが、まだ夏休みだからといって無理して遅くまで起きていたのだ。案の定、そのテレビ番組を観た記憶は全くない。恐らく、大分早い段階から今頭上の時計が針を指す十一時まで、凡そ半日眠っていたということになるのだろう。その日以外も比較的遅い時間まで、ゲームをしたり、ネットで動画を観たりして、どうでもいいようなことで夜を明かすような日が多かった。


 お腹のタオルケットを外して、少しぼんやりしていると、ソファの向かいに置いているテーブルの下から小さなビー玉みたいな眼をした矢口がぬっと顔を出した。


「やっと起きたんすね、先輩」


 ぼってりとした重たそうなたらこ唇が云った。


「とか言って、お前も今さっき起きたろ。知ってんぞ」

「ばれたらしょうがないっすね。でも俺、先輩よりは先に起きたんすからね」


 矢口は鼻を少し膨らませながら、海苔をつけたような眉毛を不気味に歪めた。


 矢口は、僕がこの家で一人暮らしを始めた頃からこの家に住み着いたようになっている。日中は家でごろごろしていたり、気が付いたらふっと居なくなったり、僕の布団で寝いていたりしている、よく解らないやつだ。誕生日が三ヶ月違うだけだが、何故か『先輩』と呼ばれている。


 こうして今日も、一日が始まって―――


「あれ、たー坊どっか行ったの?」

「そういや、先輩が起きるほんのちょっと前にちょっと出てくるって言ってましたよ。でも、結局やることなくてすぐ帰ってくるんじゃないですか」

「そうだな、すぐ帰って来そうだな」


 たー坊は、一番初めのタイミングで僕の所へ来たやつだ。矢口よりちょっとだけ家にいる期間が長い。一人暮らしを始めた当初、火事で亡くなった両親の話を熱心に聞いてくれた気前のいい後輩だ。こいつは一年後輩で、僕のことを先輩と呼んでいる。今は当時より髪が長くなったが、昔は坊主頭だったから、多田と坊主でたー坊と呼んでいる。


「とりあえず、ゲームでもすっか」

「そうっすね」


 結構有名なゲーム機の電源を入れてロードを待っていると、玄関から戸の開く音がした。何やら嬉しげに大きな鼻をひくつかせ、持っていたレジ袋を僕の足元に投げた。僕は中身を机に出した。矢口は地べたに袋を置いたままで、這いつくばるようにして中身を覗いた。


「おっ、ナイス!俺の好きなアイスあんじゃん」

「矢口さんにはあげないっすよ、これ先輩のですから」

「なんだよ、一個ぐらいくれてもいいじゃねえか」

「いやです。」

「なんだと?」

「もうやめろ、矢口、僕のあげるから」

「お、あざす先輩」

「もーう、先輩甘すぎるんですよ」


 みんなが、ははは、と笑った。


 世界中が笑ったみたいだった。


 もうこのまま、いつまでも続けと思った。


 でも―――




 ―――今日も、インターホンが鳴る。




 世界は残酷なんだ。


 僕はあの夏から止まったままかもしれない。

 寂しさに、悲しみを閉じ込めて、どっかへやりたかったのに。

 誰かと一緒に夏休みを過ごしたかったのに。


 それなのに。


 家が火事になった。

 だから家族はもういない。


 そのせいで精神疾患を患った。

 だから昔の友達も友達じゃなくなった。


 僕じゃなくなった僕を僕は誰にも会わせたくない。

 だから新しい友達もできない。


 だから。


 優しかったあの声。

 誰かに重ねたかった。

 最初はただそれだけだった。


 大好きだったあの笑顔。

 誰かに重ねたかった。

 最初はただそれだけだった。


 家に友達を作った。

 自分を慕ってくれた。

 一緒に遊んだ。

 それだけで、僕はうれしかった。


 一番欲しかったのは家族だったけれど、


 誰かが家にいて、一緒に笑って、

 野郎同士でアイスを一緒にむさぼって、

 テレビゲームのために一緒に夜を明かして、

 他愛のない話で腹を抱えて笑いあったりして、


 一緒にいるだけで、胸が躍った。

 一緒にいるだけで、笑顔が止まなかった。

 一緒にいることが当たり前になった。


 でも。




 ―――今日も短い一日が終わる。




 今日もインターホンが鳴る。


 僕の目の前は急に静かになる。


 ゲームは消えたままだった。

 テーブルの上にアイスはなかった。

 家の中にはに友達はいなかった。


 そう。

 僕には、一週間に一回うちに来るカウンセラーの人しかいなかった。




 ほんとうのぼくはひとりぼっちだった。




 カウンセラーの人は、ちょっと僕の話を聞くと、すぐに帰っていった。

 一週間するとまたその人はやってきて、悩み事はないかとか、心配なことはないかとか、僕が聞いてほしいことは一つも聞かずに、仮面をかぶったような笑顔のままで帰って。

 そんな日常を繰り返した。


 でも。




 矢口も、たー坊も、いつまで経っても帰ってこなかった。




 だけど、僕は気づいていた。

 だから、僕は一人じゃない。


 妄想が終わったあの日の朝、確かに僕は、誰かと一緒にいた。

 あの日の朝、僕でない誰かが僕のお腹にタオルケットを掛けた。




 ―――

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