第5話 さあ、行こうか。最高の世界へ
ボロボロになった大使館は朽ちた洋館を思わせ、窓を失った展望台は直接太陽のオレンジを浴びながら、まるで絵画のように佇んでいた。
キシヨがまた詠嘆のエクレツェアの胸ぐらを掴む。
「お前っ! あいつと知り合いなんだろ! なぜマリ様をさらった!」
「おいおい落ち着け。これには深い深い訳がある」
「言ってみろ、用件次第ではこの場で殺すぞ!」
「ぶっそうだなぁ」
そう言うと、詠嘆のエクレツェアは右手を顔の前に出し、親指と人差し指をくっつけて、ゆっくりと引き離す。それと同時にキシヨの手が胸ぐらから引き離されていく。思わぬ出来事に、こいつを殺せないと悟る。
詠嘆のエクレツェアは、ゆっくりとため息をついて語り始めた。
「あのなぁ、俺の今回の目的は『お前をエクレツェアに連れて行くこと』だ。そして、皇族マリを誘拐させたのは確かに俺だ」
「なんだとぉ……!」
「それでな、俺は今回の戦いでお前がエクレツェアに来てくれることを了承してくれると考えていた訳だ。だから本来ならここで皇族を救出する手筈だったはずだ」
「じゃあなんで連れ去られた!」
困った顔をした詠嘆のエクレツェアは、唇を口の奥に隠して、少ししゃくれて考える。
「うー、まぁ仕方ない。こうなれば作戦は変わるが、マリを救出しよう。それしかないだろ」
結論から言うと、助けるしかない。意味不明の渦に消えた伝説上の化け物を、どうやって探せばいいのか、全くわからない。キシヨは頭を抱えた。
「だが、どうやって?」
口をついて言葉が出る。唇を口の奥に隠して考えていた詠嘆のクレツェアが、不服そうに眉をひそめた。
「んまー、それは俺に対しての侮辱かなんかか?」
「え?」
「あるに決まっているだろ。俺を誰だと思っている? 詠嘆のエクレツェア、チームエクレツェアの創始者だぞ?」
「チーム……エクレツェア?」
詠嘆のエクレツェアはキシヨの肩に手を置く。
「俺は異世界を生業にした最強の男だ? なせないことはないさ」
すると、そのまま左手を耳元まで上げて、通信を始める。
「ミズノ、5分後俺たちを『グラップハロー』へ転送を行ってくれ」
——かしこまりました、では転送準備に入ってください——
突然、女の声が聞こえてキシヨがうろたえる。
● でも、そこで|狼狽(うろた)|えられると私の立つ瀬がないのでやめてください。
「だ、誰の声だ?」
「俺の仲間だ。だが、この際どうでもいい」
パチンッ
その時、詠嘆のエクレツェアは手を叩く。時と空間を切り替えて切断したような真剣な雰囲気。彼の動きは少しだけゆっくりになり、その分質量が像がしたようだった。
「さて、運命を変える時間だ」
キシヨは思わず背筋を伸ばす。一気に緊張感が伝わってくる。
「キシヨ、マリを助けるのもいいが、お前が一番したいことはなんだ?」
「一番したいこと? そんなの今はどうでもいいだろ!」
「どうでも良くない、これが一番大切だ」
その時、またキシヨにだけ聞こえる声が。
”一番したいこと? そんなの極東のこの仕事に決まってるだろうが!!”
”僕たちは死ぬ間際に約束したんだよ!”
”俺の代わりにお前が極東を守り続けろとね”
だが、そんなのは俺たちの知ったこっちゃないからなぁ。
詠嘆のエクレツェアは静かに尋ねた。
「お前、俺の弟子にならないか?」
”なに!? いい加減たぶらかすのはやめるんだ!!”
キシヨは迷った。
確かに、異世界に行くことは了承した。だが、詠嘆のエクレツェアの弟子になるということは、キシヨが生きる世界を異世界に移すことを示していた。
そもそも、詠嘆のエクレツェアはキシヨを異世界に連れて行くこと。遅かれ早かれこの提案は出てくるとわかっていた。
「なんで今……」
「大切だ」
”大切なのは僕たちの約束さ!!”
詠嘆のエクレツェアは視線を緩めない。キシヨの顔をしっかりと見つめ続けた。その構図は子どもを大人が諭すようにも見える。
「正直に言って、お前が俺の弟子にならないなら、お前と一緒にマリを助けに行く必要は全くないんだ。俺だけで助けてくるさ」
「そんな簡単に……!」
「信頼できないのはわかる。だが、さっきも言ったはずだ。俺が異世界で最強の男だと」
キシヨの顔は変わらない。それは、詠嘆のエクレツェアが最強であることも、一人でマリを助けに行かせて無事連れて帰ってくることも、頭から疑っていた。
ふふ〜ん、舐められたものだね。
「じゃあ、証拠を見せよう」
「なに? 一体なにを」
「もし、お前の頭の上に今から隕石が落ちてきたとして、お前になにができるんだ?」
「隕石?」
「移動(リムーブ)」
ボフン……
突如、建物の遥か上空で、大使館の中にまで響く爆音が轟いた。割れた窓から外を眺めると、上空には、いつの間にか大きな大地が広がっていた。それはまるで、
「隕石だと?……違う、これじゃまるで、月じゃないか!」
「月だ、月をこの地球に落としてみせた」
「なんだと!? ありえない!」
「では、質問に戻ろう。もし、お前の上に月が落ちてきたとして、お前にはなにができる?」
ガチャ……とキシヨは詠嘆のエクレツェアに銃を向けた。
「今すぐ止めろ」
「なるほど、お前は俺に銃を突きつけることができるわけだな。いい判断だ、でも俺ならこうするな」
そういって、詠嘆のエクレツェアは上空に見える月に手をかざした。
「この世の終わり(ハルマゲドン)!」
彼の手のひらから出た黄色い光弾は、まっすぐ月に飛んで行って、月を粉々に砕いてしまった。すると、数秒後。大地が割れるような音と共に、衝撃波があたりにぶつかる。大使館から見える範囲が、跡形もなく消し飛んで行った。
「安心しろ、誰も死んでない」
「なんてことを……」
「止まる事象(グリップ)」
詠嘆のエクレツェアは拳を握りしめると、景色が消し飛ばされる風景と衝撃波が、絵画のようピタリと止まった。空気の塊が弾け飛んで、こちらに向かって駆け抜けている姿がよく分かる。
もし、被害が止まらなければ、大使館も数秒後には消し飛んでいたはずだ。
詠嘆のエクレツェアは自慢げに顎を突き出す。
「もう一度言う、俺は異世界最強の男だ。この世界を消し飛ばすくらい、何のわけもないのだよ。そんな俺が、女一人救えないと追うのか?」
救えないはずがない。少し言葉を発しただけで、世界を滅せる最強の男が、できないことなどあるはずがなかった。それはつまり、一人でも事足りるのにキシヨを連れて行きたいと言っているということだ。
「キシヨ、お前が俺の弟子になるつもりがないのなら、お前を異世界に連れて行く意味がない」
● お前は言ったはずだ。エクレツェアに行きたいと。
「それはそうだけど……いきなり言われたって、わからないよ」
それが彼の悪い癖だ。うだうだと長文で悩み始めるのだった。
エクレツェアに行かなければ、マリを救えないだろう。
しかし、ここで行ってしまえば、エクレツェアから帰りたくなくなってしまうのではないか、そう危惧していた。もし、この世界に帰って来たくなくなってしまったとしたら? 極東はリーダーを失ってしまうことを意味している。そもそも、短期間でもいなくなってしまえば、この国はどうなってしまう? 慌てふためくことだろう。……いや、よく考えてみれば、代わりなどいくらでもいる。だがしかし、リーダーは皆の団結の象徴。民主的に決められたリーダーを安易に降りることなど……でも、行かなければ1000万の請求もある。こんな事件を起こす輩に、金を払わないなどということが、果たして通用するのだろうか?
そうなればここでエクレツェアに行くことは必須になってくる。しかし、俺は太一に託されたこの国を守る必要が……。だが、でも、しかし……。
「お前は本当に逆説が好きだなぁ」
キシヨが顔をあげると、詠嘆のエクレツェアはどこか懐かしそうな顔をしていた。
「なぜ、できない理由を探す?」
「できない理由……?」
「皇族を救わなければならない。しかし、エクレツェアを好きになるのが怖いから、エクレツェアに行くことができない。
だが、この国にはお前の代わりがいくらでもいるから、エクレツェアに行きたい。
でも、リーダーを安易にやめることができないから、エクレツェアにいけない。
だがしかし、1000エアの支払いをしなければ報復されるかもしれないから、エクレツェアに行かなければならない。
それでも、親友に任された国を捨てることになるかもしれないから、エクレツェアに行けない。
でもやっぱり、結局はエクレツェアに行きたい、だろ?」
詠嘆のエクレツェアは、また床を蹴って、黒い物質を自分の背後に出現させた。それに座ると肘置きまで出現させて、しっかりとくつろぐ。キシヨが黒い物質が岩だと気がついたのはこの時だ。
「じゃあ、一回考えるのをやめてみよう」
するとこう続けた。
「もし、お前に降りかかっている問題が、全て解決しているとして。
例えば、皇族マリを救うのは俺が絶対に成功させるから、お前はエクレツェアに来なくていいし、
この国のリーダーはドーフが変わってくれるから、政府に残らなくてもいいし、
1000エアを払わなくても、お前に報復しないと約束するし、
俺たちチームエクレツェアはこの国を確実に幸せにすると誓うとすると。
お前はどうするんだ?」
瞬間、キシヨの目から責任の重圧が消えた。同時に、自分が囚われていた重圧がどれほどのものであったかを知る。
一方で、詠嘆のエクレツェアは両手を合わせて、自分の顔の前で合わせ、なぜかワクワクし始めた。
「これからはお前のやることなすこと全てがうまくいきます。
お金にも困りません。友達もたくさんできます。人から尊敬もされるし。美味しいものだっていっぱいある。
いっぱい寝て、いっぱい遊べます。善にも悪にもなれるし、神様になることもできます。
でも、下僕になることもできます。人を傷つけることもできます。蔑むこともできます。差別することもできます。排斥することも、支配することもできます。
世界中の幸せを独り占めだってできるとしましょう。さて、あなたはどうするでしょうか?
そんなにお前はエクレツェアに行きたくないのか?」
一体どうしたいでしょうか?
一体何をしたいでしょうか?
この国を守りたいでしょうか?
今の仕事をしたいのでしょうか?
エクレツェアに行きたいんでしょうか?
一体何が、あなたにはできないのでしょうか?
● それも全て、運命の導くままに。
誰も責めないのだから、誰も傷つけないのだから、幸せになれるに決まっている。なにせこの世は素晴らしい世界。永遠に絶望させないためにパンドラの箱を開けられた世界。
「羨ましい世界じゃねぇか、絶望しなくてもいいだなんて。それこそ第三の絶望だねぇ」
中には絶望しないための希望がぎっしり詰まっていた。誰もが救われ、延々と頑張る。だからこそ苦しみ、永遠に絶望を知らない。……でも、それはおとぎ話の世界だ。
「そのとおりさ、我々エクレツェアの民は、おとぎ話の住人じゃない」
この世は絶望もある。数奇な人生を送る人間の約8割がそうだ。そしてそのうちの半分が死にたいと思っているとしたら、そのもう半分が死にたくないと思っているとしたら。数奇な人生なんて送るもんじゃない。
「だが、もしお前が幸せの運命を探し、進もうとしているのなら」。
● これから全て幸せに暮らせるとしたら、あなたは何がしたいか?
結局結論は、自分しか知らない。
「別にそれを知って準備しろだとか、強く願えだとか言っているわけじゃないんだよ。ただ、その心の中に秘めた思いを、少しだけ大切に抱きしめてやれば、もう少しだけすぐにでも、幸せになれるだろう、という話だ」
この世にパンドラの箱がなくてよかった。絶望に一度でも触れた人間は、優しく、強くなれる。誰よりも強くなったその人間こそ、我々は主人公と呼ぶのだから。
● 全ては運命の導くままに。
”貴様らいい加減にしろよ! 俺たちの約束はどうなるんだよ!?”
「俺はエクレツェアに行きたい」
”キシヨ、なんてことを……!?”
よかろう。
キシヨがゆっくり頷いた。
詠嘆のエクレツェアは立ち上がって、手を差し出す。
「お前は今日から詠嘆のエクレツェアの弟子だ。これはとってもすごいチャンスだ。マリを助けるとこ異世界へ行くこと。二つのことを同時に叶えることができるぞ?」
すると、キシヨが首を振る。
「まだだ、まだあんたの本当の名前を聞いていない。弟子には知る権利があるだろ?」
「なーまいきなぁ。だがまあいい、俺の名前はよしき。人は俺を詠嘆のエクレツェアと呼ぶ」
——転送を開始します——
「さあ行こうか。最高の世界へ」
二人は水色の粒に包まれてその場から消えた。
月とか全部元に戻しておかないとなぁ。(泣き)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます