隠居魔王の成り行き勇者討伐 倒した勇者達が仲間になりたそうにこちらを見ている!

高柳神羅

第1話 隠居魔王様、勇者と邂逅する

 城の一角に存在する蔵書室。

 世界中から集められた書物が保管されたこの場所で、茶を嗜みながら書を片手にゆったりと寛ぐのが余の日課だった。

 余の名はアレクサンドロス・ラーヴァナ・ルメージア。かつて魔王と名乗り一族を率いて地上に蔓延る人間共と戦を繰り広げていた偉大なる王である。

 今は違う。今の余はただの隠居──我が愛娘に王位を継承し、自由気ままに余生を過ごすだけの存在だ。

 しかし、一族の者たちは余を『先代』と呼び、今も変わらず慕ってくれている。

 魔王の座が娘に継がれて、十年。娘は未だ政には疎いが、それでも若き魔王として一族の先頭に立ち、皆を懸命に率いている。

 娘が魔王として成長していく姿を見守るのが、ここ最近の余のささやかな楽しみだった。

 さて、娘は、今日はどのような姿を見せてくれるだろうか──


「ギャアアアアアアア!」


 耳を劈く絶叫が辺りに響いている。

 目の前には、激しい炎に全身を焼かれながら朽ちていく一人の人間。

 溶岩にも匹敵する高温を有した青白い炎は、その肌を容易く溶かし、肉を舐め尽くし、骨すら焦がしていく。

 幾分もせずに脆い炭の残骸と化したその人間は、床の上に投げ出されるように倒れ、一面に敷かれている臙脂色の絨毯を黒く汚した。

 それに冷たい眼差しを向けながら、部屋の奥に誂えられた立派な椅子に腰掛けた若い娘がつまらなさそうに口を開く。

「全く……手応えがなさすぎじゃ。まことつまらぬ。もう少し妾を楽しませてたもれ」

 口元に手を当てて、ふわぁと欠伸をする。

 髪と同じ色の銀の睫毛が、滲んだ涙に濡れて光っている。

 彼女は、ルルーシュ・ウルト・ルメージア。現代の魔王であり、齢十八になる余の愛娘である。

 この若さでありながら余をも凌駕する力を持った、歴代最強の魔王と揶揄されている存在だ。

「ほれ、妾は未だにこの玉座から動いてすらおらぬのだぞ。もっと気張ってみぃ」

「……こ、こんなに非常識な強さだなんて、聞いてないわよ……どうすればいいのよ……」

 娘が視線を移した先には、二人の人間が全身で息をしながら立っている。

 一人は、灰色のローブに身を包み長い木の杖を魔道士風の女。

 一人は、黒い旅装束を纏って剣を持った剣士風の男。

 彼らは、勇者と呼ばれる者たちである。

 我ら一族を殲滅するために人間共が送り込んできた戦士──人間の言葉を借りて言うならば、選ばれし者たちというやつだ。

 一説によると、彼ら勇者たちは此処とは異なる世界より、古の秘術によって召喚された特別な人間であるらしい。

 その身に秘められた能力は、この世界の人間の力を遥かに凌駕し、時には神にすら匹敵するという。

 それが真の話かどうかは分からないが、確かに勇者たちは我々の理解の範疇を超えた能力を持っており、我ら一族の者たちをいとも容易く屠ってきた。

 だが──その能力を持ってしても、我が娘の力の前には無力同然であったようだ。

 娘はふうっと溜め息をついて、女の方へと人差し指の先を向けた。

「……せっかくそちらが動くのを待ってやっていたというに。妾の温情を無碍にするとはの。……やる気がないのならば、今すぐこの場から消えるが良い」

「嫌っ、助け……」

 女の言葉は半ばで途切れた。

 娘が魔力を直接女の腹の中で破裂させたのだ。

 内側から爆発した女は、汚らしい肉片と化してべちゃっとその場に飛び散った。形の残った頭がごろりと床を転がって、恐怖に固まった顔をこちらへと向けた。

 それを横目でちらりと見る男。喉がこくりと小さく鳴る。

 娘は肉片になった女から、男へと視線を移した。

「さあ、残るはそちだけじゃ。勇者とやらの意地、見せてたもれ」

「……私は、お前に会えるのをずっと待っていたんだ。魔王ルルーシュ」

 男が体の横で剣を構えた。

「私を殺せるものなら、殺してみろ!」

「ほほ、威勢の良さは一人前じゃのう。流石は勇者じゃ。……では、そちの望み通りにしてやろうかの」

 娘めがけて床を蹴る男。それに対して右の掌をすっと横に払う仕草をする娘。

 かっ、と辺りが閃光に満ちる。

 娘の力によって具現化した雷の嵐が、男の全身を絡め取った。

「ぐぁあああああっ!」

 男の体が強烈な雷撃によってぶすぶすと焼け焦げていく。

 彼は失速して、その場にうつ伏せに倒れた。握り締めていた剣が掌中を離れて遠くへと転がっていく。

 炭化とまではいかなかったが、全身の肉という肉が沸騰した状態で、男はその場に力尽きた。あれも、おそらく生きてはいないだろう。

 辺りに、薄く脂肪が焦げる臭いが漂っている──それを不快そうな顔で嗅ぎながら、娘は余の方を向いて呟いた。

「久々の勇者一行だというから、どれほどのものかと期待しておったのに……全く、期待外れじゃの。父上、今の世には、ろくな人間がおらぬようじゃのぅ」

「……無理もなかろう。お前がより優れた存在である何よりの証だ。お前は、余の自慢の娘だ……ルルーシュ」


「……ま……待て……」


 親子の会話に水を差すひとつの声。

 視界の中で──何かが、動いた。

 二人揃ってそちらに目を向けると、先程雷撃を浴びて絶命したはずの男が、起き上がろうとしている様が視界に飛び込んできた。

 焦げていたはずの体が、何故か元の無傷の状態へと戻っている。

 治癒魔法を使ったのか? いや、そのようなものを唱えている素振りはなかったが……

 男はゆっくりと立ち上がり、素手のまま、静かに娘へと歩み寄ってきた。

「……やはり……私の見立て通りだった。魔王よ、お前は──」

「今のを耐えるのか。少しは骨がありそうじゃの。……ならば、これはどうじゃ?」

 男の言葉を遮って、娘が彼へと掌を翳す。

 ざしゅっ!

 収束した風の刃が、男の全身を切り刻む!

 男の服がボロ布と化し、血が霧のように辺りに噴き出した。それだけに留まらず、より強い力で斬りつけられた右腕と左足が、胴体から離れて床にどさどさと落ちていく。

 体を支えられなくなり、再び男が床に倒れる。ごどん、と重い音を立てて転がる様は、まるで丘の上に打ち上げられたアザラシを見ているようだった。

「はぁああああああっ!」

 男が絶叫する。よほど痛いのか、血を絨毯に擦りつけながらびくびくと全身を痙攣させている。

 じわっ、と股間の辺りに染みが生まれ、広がっていく。

 どうやら、激痛に耐え切れずに失禁してしまったようだ──こうなると、勇者とやらも単なる人間だなと改めて実感させられる。

「……おやおや、尿を漏らすとはみっともないのう。そんなに痛かったかの? 因みに申しておくが、今のは別に秘術でも何でもないぞ、ただの風魔法じゃ」

「あ……ああ……」

 なおもぶるぶる震えながら呻いている男。

 伏せていた顔が、こちらを向く。

 涙と鼻水を垂らして汚くなったその顔は──何故か、頬を赤らめながら笑っていた。

 奇妙な光景に、余は眉間に皺を寄せ、娘は小首を傾げる。

 その二人に、彼は、言う。


「……きっ……気持ちいい、気持ちいいよぉ……この、脳味噌を引っ掻き回すほどの痛み……たまらない……ああ、思わず漏らしてしまった……」


「!?」

 想像を絶するその一言に、余は目を丸くした。

 男がのろのろと起き上がる。その四肢は、最初から何事もなかったかのようにちゃんと繋がっていて、服こそぼろぼろのままだが、全身の血の流れも止まっていた。

 ……何が、起きたのだ!? この男、治癒魔法など全く使ってなかったぞ!

 まさか……勝手に再生した……? トロールすら凌駕する肉体再生能力が備わっているというのか? この男には!

「はは、あはは……私は、確信したよ。魔王よ、お前の傍にいれば、お前は私を存分に甚振ってくれる。私は極上の痛みを味わってその度に天国に上るほどの幸福を味わうことができるのだと!」

 意味不明なことをぶつぶつと言いながら、男は徐々に娘との距離を詰めていく。

 口の端から涎を垂らし、目は何処となく虚ろで、呼吸は荒い。すっかり失禁のせいでぐしょぐしょになってしまったズボンのある一点が、奇妙に膨らんで盛り上がっている。

 ……魔族も人間に限りなく近い形の体を持っているため、生理現象によって起こる体の状態の変化も人間とほぼ同じものだと言っていい。余は、否が応でも知ってしまった──この男が今何を考えて、その結果体にどういう変化を齎しているのかということを。

 余の全身を悪寒が駆け抜けた。

 娘の目の前まで来た男が両腕を広げた。

「魔王よ! 私をお前の下僕にしてくれ! そして毎日甚振ってくれ! 切り刻んで、踏みつけて、罵ってくれ! 私は究極の快楽を与えてくれる主人を得るために此処に来たのだ……その望みを叶えさせてくれ! さあ、さあ!」

「……この……」

 椅子に座ったままぽかんとしている娘の前に立ちはだかるように身を滑り込ませ、余は渾身の一撃を男の顔面めがけて叩き込んだ。

「年頃の娘に何てものを見せるのだ、このド変態がッ!!」

「うぼぁ!?」

 ばぁんっ、と派手な破裂音がして、男が遠くへと吹っ飛んでいった。

 仰向けにひっくり返った男は、手足をひくつかせたまま動かなかった。何だか股間の染みが一層大きく広がっているような気がしないでもないが……見なかったことにしておこう。

 ふーふーと肩で荒い呼吸をしながら翳した手を下ろす余の背後で、娘がころころと笑い出した。

「ほほ、ほほほ……面白い人間じゃのう。妾の魔法をあれだけ浴びても平然としておれる頑丈さも気に入ったぞ。父上、妾はあの勇者が欲しくなったのじゃ、飼っても良いかの?」

 魔族には、人間が犬や猫を飼うように、気に入った人間を捕らえて飼う文化がある。愛玩用として愛でたり、他の人間と戦わせたりして楽しむのだ。

 もしも勇者を捕らえて飼い慣らせば、人間共から貴重な戦力を奪えて我々は捨て駒をひとつ手に入れたことと同義になる。一族としてはメリットはあるが──

「……駄目だ」

 余はかぶりを振った。

 微妙に不満げに娘が余の顔を覗き込む。

「何故じゃ? 父上。あれは妾がちゃんと世話をすると約束する故。だから良いじゃろう? あれを飼っても」

「人間は飼ってもいいが、あの男だけは駄目だ。余が許さぬ。飼うなら他のにしなさい」

「ええ、いいじゃろう? 妾はあれが気に入ったのじゃ。あれじゃなければ嫌じゃ」

「だから、勇者でも何でも! 若い娘が変態なんて飼っちゃいけません! 良いな!」


 あのド変態を娘に近付かせるわけにはいかない。

 娘の純潔を守るためならば、余は娘から鬼よ悪魔よと責められようがどんな非道な行いすらやり遂げてみせよう! 父として!


 余はなおも騒いでいる娘をその場に残し、倒れているド変態の頭を引っ掴んで引き摺りながら城の外へと出ていった。

 先程余が叩き込んだ衝撃波のせいで顔面が原型も留めていないほどにぐちゃぐちゃに潰れているが……ちぎれた手足すら再生したくらいだから、きっとこの顔もすぐに元通りに治ってしまうのだろう。

 余は魔力で具現化させた翼を羽ばたかせて空へと舞い上がり、国外を取り囲むように連なっている山々のひとつの頂に、ド変態を捨ててきた。

 此処ら一帯は竜たちの棲み処になっている。上手くいけば竜たちがこいつを食ってくれるかもしれない。

 そうなってくれることを願いつつ、余は城へと帰還したのだった。


 ──これで、この一件は片付いたとこの時の余は思っていた。

 しかし、それが実に甘い認識であるということを、数日も経たぬうちに思い知らされることになる。

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