2. すれ違って傷つけて、そしてもう一度

「…ふぅ、こういうのは緊張するものだね」

「…そう、ですね」


当日。あたしと鮎夢さんは二人で八胡南駅に向かっていた。待ち合わせ時間の少し前に到着する予定で、先に郁弥さんがいるかはわからない。セリフに関してはほとんどノープラン。舞台もお得意の鮎夢さんならきっと大丈夫でしょうという判断でこうなった。


「日結花ちゃん、緊張しないでいこう」

「…はい」


鮎夢さんは男の人らしいロングパンツやコートを着ており、スッと背筋を伸ばした格好はかっこよさ抜群。緊張しているとは言いつつも、あたしより全然緊張していない自然体。

…鮎夢さんはかっこいいけど、あれね。郁弥さんと比べたら断然郁弥さんの方がかっこいいわね。…よし落ち着いてきた。さすが恋人パワー。


―――♪


電車を降りて改札に向かう。


「…さて、想い人はどこで待っているんだったかな?」

「ええと、駅出てすぐですね」


緊張は解けてもドキドキしたままの胸は置いておいて、郁弥さんを適当に大事な話があると呼んでおいた場所に向かう。駅を出てすぐの広場。

改札を抜ければすぐ、ぽやっとした顔の恋人が目に映った。


「あの人かい?」


郁弥さんは、あたしと、あたしと大げさなほどに腕を組んで隣にいる鮎夢さんを見て、ほんの少し目を伏せて苦笑いを浮かべた。

その笑みはひどく寂しそうで、きゅぅっと胸の奥が痛んだ。


「……」

「日結花ちゃん?」

「え、あ、はい。そうです。あの人です」

「……そっか。じゃあ行こう」


鮎夢さんの返事が来るまで少しだけ間があって、それが気にはなったけれどそちらに意識を回す余裕はない。


「こんにちは、君が藍崎君だね?」

「そうですね。そちらは…」

「はは、僕は千導鮎夢。よろしくね」

「はい。僕は藍崎郁弥と申します。よろしくお願いします。それで…」


いつもと変わらない。優しくて柔らかくて、温かな雰囲気のまま。でも…どうしてだろう。どうしてこんなにも胸が苦しいのかな…。


「…ええ。あたしが咲澄日結花よ」

「はは、それは知っているよ」

「初対面なのは藍崎君と僕だけだからね。それより、今日は君と日結花ちゃんのことで大事な話があって来たんだ」


あたしが一人で嫌な痛みに耐えている間に、鮎夢さんは笑顔でさくっと話を進めてくれる。

本来ならありがとうって言いたいのだけど…あんまり嬉しくない。さっきの郁弥さんの表情が頭に焼き付いて、今郁弥さんが見せている表情が全部嘘みたいで…。


「そうですか…。ええ、なんとなく予想はついていますよ」

「あぁ、そうかい?それは助かるね。簡単に言うと、僕は日結花ちゃんが好きなんだ。だから日結花ちゃんと別れてもらえるかな?」

「…一つだけ、聞いてもいいですか?」


躊躇なく話を進める鮎夢さんは、どうしてか焦っているようにも見えて、早く話を終わらせたいとでも思っているよう。


「いいよ。それは僕にかな?それとも日結花ちゃんに?」

「二人ともにですね。いいですか?」


鮎夢さんとあたしとを順に見つめ、いつもと変わらない声音で問いかけてくる。

どうしてこの人は平然としていられるのか。どうしてさっきはあんな表情をしたのか。諦めたような、疲れたような顔して、どうして……。


「あぁ、もちろん」

「…ええ、いいわよ」


……どうしてかなんて、今までの郁弥さんを知っていればわかることじゃない。


「ええっと、簡単なことなんですけど、ちゃんとお互いのことを好きだと言えますか?」

「もちろん。僕は日結花ちゃんが好きだよ」

「あたしも鮎夢さんのことは好きよ」


嘘じゃない。嘘じゃないのに…あたし、そっか。またやっちゃったんだ。


「そうですか。…なら、安心ですね」

「あぁ…大丈夫。安心してくれ。絶対に大丈夫だからさ」


自分が何をしているのか、どんなことをしたのか、ここに来て、郁弥さんの、大好きな人の表情を見て、声を聞いて、ようやくわかった。

本当に……。


「すみません。用事を思い出したので、失礼します」

「おっと、それは悪いことをしたよ。すまないね。それじゃあ」

「はい。日結花ちゃんも。ばいばい」

「あ……」


最初に見せた表情と同じものを浮かべて去っていく郁弥さんに言葉が出なかった。寂しそうな背中がいつもより小さくて、ちらりと見えた表情に胸が苦しくなって、伸ばしかけた手で空を切りながら思う。

本当に…あたしってばかだ。



「…さて、と。……はぁ。久々に嫌なことしちゃったなぁ」

「ご、ごめんなさ…っ…」


言葉が出なくて、気持ちがあふれだして涙がこぼれる。


「あぁもう。日結花ちゃんが泣いてちゃだめだろう?一番可哀想なのは彼なんだから」

「ぐす…うぅ…すんっ…」


郁弥さん…あぁ、そうだ。郁弥さんのこと追いかけなくちゃ。こんなところで泣いてる暇なんてない。郁弥さん、きっとすっごく泣いてる。あの人はあたしなんかよりずっと寂しがりやで一人ぼっちな人なんだもん。


「…そう…そうです。追いかけなくちゃ。ほんとのこと話さないとだめ」


もう何分経ったかわからないけれど、早く伝えないと。あたしが側にいてあげないといけない…ううん。あたしが側にいたいの。


「はい少し落ち着く」

「ぅ…ちょ、ちょっと、何するんですか!」


頭を押さえられて動きを止められた。それを振り払って抗議する。

あたしは早く行かなくちゃいけないのに。こんなばかなあたしのことを謝って、それで…大好きって伝えるんだから。


「日結花ちゃんが急ぐのはわかるし、私だって全部嘘だったからーってぶちまけたいところだけど…それじゃあわざわざ今日こんな気分の悪いことをした意味がなくなってしまうだろう?」

「でもっ」

「まずは落ち着いて。ひとまず花絵ちゃん、智美ちゃんと合流しよう。大丈夫、藍崎君の方には知宵ちゃんが行っているからね」

「知宵が…?」


どうして知宵が…。


「ふふ、知宵ちゃんに頼まれてね。私も何か手を打とうとは考えていたからちょうどよかったんだ」

「…そう、なんですか」


あたしを安心させるように笑う鮎夢さんに、足に込もっていた力が抜ける。


「うん。私は藍崎さんのことを知らなかったけど、知宵ちゃんはよく知っているんだろう?だからかな。知宵ちゃん、最初から藍崎さんのことは任せてほしいって言っていてね。今はきっと、彼と話でもしているんじゃないかな」

「…そっか。知宵が…」


あたしより、ずっとあたしたちのこと見ていたのね。あたしのことも、郁弥さんのことも、どちらのこともわかっていて、その上でちゃんと動いてくれたんだ。

…先にあたしがどれだけばかなことしているのか教えてくれればよかったのに…ううん。それじゃあいつか同じことしちゃってたかも。できるだけ問題が大きくならないようにしながらあたしに自覚させようとしてくれてた…のかな。あの子がそこまで考えているかはわかんないけど。


「それを見るためにも二人と合流しよう」

「え、見るため、ですか?」


知宵の気遣いっぷりに気分もすっかり落ち着いて、泣いたおかげかすっきりとした感覚。

今なら落ち着いて話もできるし、心の底から想いを伝えることもできそう。


「うん。花絵ちゃんと智美ちゃんには知宵ちゃんから映像が送られてきているはずだからね。知宵ちゃんの予想が当たっていればだけど」


悠然とした笑みを浮かべる鮎夢さんを見ながら、とにかく二人と合流しようと足を進める。

待っててあたしの大好きな人。あたしの全部、あなたにぶつけるから。



「えっと…」

「…おつかれ日結花ちゃん、お疲れ様です鮎夢さん」


鮎夢さんに連れられて、やってきたのは八胡南駅近くのカフェ。暗い表情で言葉に詰まる花絵ちゃんと、いつもより真面目な顔をした智美。

…この感じだと、さっきのあたしたちのやり取りも全部見られていたってことね。はぁ、あたし、その辺のこと全然知らされてなかったんだけど。ていうかどうやって見せていたのよ。


「ありがとう智美ちゃん。それで知宵ちゃんは…」

「はい。知宵ちゃんならすぐに行きましたよ。藍崎さんが見えなくなったらすぐでした」

「そっか。それはよかった」


鮎夢さんと二人テーブル席に着いて、現状の確認を進める。


「鮎夢さん、知宵の映像というのは?」

「おっと、そうだったね。智美ちゃん」

「はい」


相変わらず真面目な顔で話す智美に見せられたのはタブレットの液晶画面。映っているのはどこかの映像で、画面が二つに分かれている。


「…これ、カフェ?」


映っているのはどちらもカフェで、同じ場所を違う視点で捉えているらしい。片方はカメラが高いところにでもあるのか上からの視点。もう片方は人の胸辺りからの視点。

なんとなく見覚えあるわね…。


「日結花ちゃん。これも」

「ん?…音声もあるの?」

「うん。そうみたい」


智美に手渡された片耳の小さなイヤホンをはめる。流れてくるのは店内のものらしき音楽と物音、そして人の声。


「……」


画面に見えた知宵の姿と郁弥さんの姿に安堵し、一度顔をあげる。それから、ぐるりと三人の顔を見て頭を下げた。


「ごめんなさい」

「な…なんで日結花さんが…」

「あたしのばかな行動に付き合わせちゃったからよ。特に鮎夢さん。今回のことは本当にすみませんでした」


顔をあげてからもう一度、今度は鮎夢さんに向かって頭を下げた。

本当に、鮎夢さんには申し訳ないことをした。あたしの身勝手に付き合わせちゃって、しかもフォローまでしてくれて…なんてお礼を言えばいいのよ。


「頭を上げてほしいな。確かに嫌な役ではあったし、あまりやりたいことではなかったよ。でも、それをわかって引き受けたんだ。確実にこうなるとはわかっていなかったけど、今の状況になるって予想がなかったわけでもないからね。謝るなら私の方こそだよ。ごめんね、日結花ちゃんと藍崎さんのこと、傷つけちゃって」

「…はい」


心底申し訳なさそうな表情で謝る鮎夢さんに、短く言葉を返すだけにする。

謝られたことを否定するのも、あたしがもう一度謝るというのも、今はどちらもするべきじゃない。今は、早く話さなくちゃいけないことだけ話して郁弥さんと知宵に意識を割かなくちゃいけないから。


「…日結花ちゃん。私もごめんね。軽い気持ちで日結花ちゃんたちのこと引っかき回しちゃって」

「…ん」

「わ、私こそごめんなさい!すみませんでしたっ。私…私があんなこと言ったから…う…ぅぅ…ご、ごめんなさ…っい…」

「あぁもう、わかったから泣きやみなさい。どうしてあなたが泣くのよ。泣きたいのはあたしの方よ。ていうかさっき泣いちゃったし…もう」


謝り途中でぐすぐす泣き始めた花絵ちゃんをなだめながらも、なんとかひとまずのところまでこれたとは思う。

あと今のあたしにできるのは知宵と郁弥さんを見ていることだけ。


「うぅぅ、ぐす…だ、だってぇ…ずずっ…」

「あ、あはは。これはちょっと予想外かな。花絵ちゃんってよく泣く子だった気はしないんだけど…」

「花ちゃんはよく泣きますよ?よく笑ってよく泣いて、よく怒る良い子です」

「ええ…。赤ん坊みたいじゃないか…」

「…まあ、似たようなものですね」

「ちょっとそこっ、雑談してないで助けてもらえる?あたし、花絵ちゃん担当じゃないんだけど!」

「わ…私は赤ちゃんじゃないもん…えぐ、それに、わ、私担当ってなんですかー!ふぇぇん…」


ようやく調子が戻ってきたみんなで話をしながらも、あたしは映像を見つめる。

…定期的に邪魔が入るのは本当に迷惑だけど、でも…一人じゃなくてよかったかな。今の郁弥さんにも知宵がいてくれるし、きっと大丈夫。…ううん。きっとじゃないわ。あたしの親友だもん。絶対大丈夫よ。



◇◇

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