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「すみません、マスター。お騒がせして」

「そんなことより、行かなくていいんですか」

 飛び出したのはそんな言葉だった。謝るよりも先にすることがあるんじゃないの?

「・・・いいんです」

 浩太郎さんはふい、と視線を外して答える。カウンターの上で組まれた両手は力が抜けていて、組むと言うより添えているようだった。

「こういうことは初めてではないので」

「ですけれど」

 その言葉に上げた顔は口角が柔らかく上げられていた。まるでこれ以上俺に何も言わせないようにするために。

「心配して頂いてありがとうございます。蘭子には、落ち着いてからまた連絡を入れます」

 空席になってしまった隣を眺めて言う。その前にはまだ半分以上中身の残ったグラスが置いてあった。

「すみません、せっかく作って頂いたのに」

「いえそんなことは」

 気にしなくていい。それよりもどうしてこうなったのか。さっきまで二人とも仲睦まじく話していたじゃないか。昨日蘭子さんが浩太郎さんの家に行って作ったと言う肉じゃがのことを。その後に話したのは実家の話だったはず。それから少し意識を逸らした隙に何があった?

「・・・大したことじゃないんです」

 ハッキリと理由を言って欲しいとは口にしなかったけど、浩太郎さんは視線を外したまま言葉を紡いだ。

「家のことで。蘭子はその事を言うと怒るんです」

 怒る? どうして。

「オレとは身分が違うから」

 身分だって? 今この時代に? 確かに蘭子さんは世界に誇る鹿本グループのご令嬢だけどさ。けど蘭子さんとは幼馴染みでしょう? それなのに

「それでも、違うから。生まれた時から祖父には蘭子を守るようにと言われて来ました。蘭子は大切なお嬢様だからと。実際、オレにとって蘭子はとても大切な存在です。けれど立場はハッキリしておかないと。オレなんかが「オレなんかって、浩太郎さんは浩太郎さんでしょう?」

「え」

「確かにお家のことはあるかもしれません。けれどそれは蘭子さんが望んだことでしょうか? お家が望んだことでは? 本当の蘭子さんの望みを、浩太郎さんはお分かりになりませんか?」

「本当の蘭子の望み?」

 顔を上げてぶつかった視線の中に戸惑った感情が溢れている。本当に分からないと? 

「どういうことでしょうか?」

「それは蘭子さんから直接聞いて下さい。だから早く」

 そこを立って外へ向かって。今その視界に入れるのは俺ではなく、蘭子さんのはずだから。

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