『救われた者と、救われた者』二

 背中にねっとりと圧し掛かってくるような……不思議な声。

 ゆっくり振り向いて見ると、そこに立っていたのは――ナターリア。


「どうして? ねぇ……どうしてどうしてどうしてどうして??」


 今日の格好は黒のゴシックドレススタイル。

 スラムに居る時は赤のフード付きローブを使わなくなっていました。

 緑玉色の瞳は限界まで見開かれていて、その綺麗な黒髪は逆立っています。

 顔に影が掛かっているのも、きっと気のせいでは無いのでしょう。

 ――おやっ。

 両手に握られているのは、ククリナイフでしょうか。

 あの武器で、どうやって扉を壁ごと破壊したのでしょうか。


「ううん、勇者様も男の子だもんね。エッチな事がしたくなるのも仕方が無いわ」


 仕方が無いと言っているナターリアの瞳は、決してそうだとは言っていません。


「でもね、それなら同じくらいの見た目をしてる私にも、手を出してくれて良いと思うの」


 ブルブルと震えている瞳がいい証拠です。


「独り占めしたいだなんて思っていても思っていないわ」

「……り、リア、ちょっと言葉が変ですよ?」

「わたしはね、ただ、わたしも傷つけてほしいだけなの」


 貴方に傷を付けたくないから、なんて言ったら殺されてしまうかもしれません。

 ……私以外の――みんなが。 


「勇者様が私の事が嫌いならわたしは諦めるわ。傍に置いてくれるだけで満足する」

「いいえ、むしろ大好きです! ほんとの本当に大好きですよ!」

「――っっ」


 一瞬だけ嬉しそうな顔をしたナターリア。

 この場限りであれば、こう言い続ける事で乗り切れるような気がします。

 ――が、何かを致命的に間違えているような気がしてなりません。

 同時に何かを悪化させているような……そんな凄まじい違和感を覚えます。

 ――私は一体、何を間違えているのでしょうか?

 教えてください。

 バイコーンに乗れる系の……世界のイケメンお兄さんたち……。


「…………」

「おはようのチューをしてとは言わないわ。お休みに二回チューしてくれればいいの」

「り、リア……?」


 息を呑み停止していると、ナターリアが再び語り始めました。

 私を取り囲んでいたプロのお姉さんたちは、既に逃げています。


「本当はいつでも勇者様を感じていたい。勇者様の横顔、勇者様の後ろ姿、勇者様の柔らかい笑顔。……勇者様が真面目な表情をしている時の顔なんかは……脳裏に焼き付いて離れないわ。勇者様の体温、手の形、声、頭の薄いところも大好き。……わたし本当はね、勇者様のぜんぶがほしいの」


 ――いけません。

 ここが病棟であれば鎮静剤を注射されているであろうレベルで暴走しています。

 本当に私の事を強く想ってくれているのが伝わってきました。

 なので、そんなリアも好きではあるのですが……。

 照れ隠しでククリナイフを素振りしているのは……ええ、照れ隠しでしょう。

 そんなタイミングで、コソコソと近づいてきたジェンベルさん。


「……おい」

「……なんですか?」


 小さな声で耳元に話しかけてきました。


「……修理代はいいから、さっさとヤツを止めろ。店に居る全員を殺すつもりか?」

「……どうすれば……?」

「まずはヤツが動けないように抱きしめろ」

「っっ!?」

「娼館の一室を貸してやるから、そこで一回押したおせ。これは鍵な」


 そう言って一つの鍵を手渡してきたジェンベルさん。

 ナターリアの様子を窺って見ると……瞳をキョロキョロとさせていました。

 会話の内容が聞こえているような気がしてなりません。

 店に居るお客さんたちは慣れた感じでテーブルを盾にしています。

 押し倒すのは難しいかもしれません。

 が、しかし、ナターリアをこのまま放置しておくのは問題です。

 私は鍵を受け取り、ナターリアの傍にまで移動しました。


「ゆ、勇者様っ……?」

「リア、落ち着いてください」


 私はナターリアを抱きしめて、背中をぽんぽんと叩きました。

 流石はジェンベルさんのアドバイス。

 一瞬で落ち着きを取り戻しました。

 何かを悪化させたような気がしたのも――きっと気のせいでしょう。

 そのまま持ち上げて、お姫様抱っこの体勢へと移行します。


「リア、今日はかえ……」


 ――帰りましょう。

 と言おうとした瞬間、背筋に凄まじい悪寒が走ったような気がしました。

 帰れません。

 ふと手元に視線を落としてみると、上目遣いで見つめているナターリアの顔。

 一見すると落ち着いているように見えるのですが、違ったのでしょうか。


「ジェンベルさん……」

「おぅ」

「娼館の一室、借してもらいますよ」

「あいよ」


 私は開きっぱなしだった扉を使って、娼館の側へと移動しました。



 ◆



 場所は娼館の一室。

 今の所、正しい用途で使った事は一度もありません。

 私はベッドに腰掛け、その上にナターリアを乗せていました。

 背後から優しく抱きしめて、我が子を慰める父親スタイルです。


「もう落ち着きましたか?」

「……もうちょっと……」

「わかりました」


 この体勢になってから、かれこれ十分が経過していました。

 ナターリアの体温が私に伝わってきて、もう色々と危険です。

 そして今もなお、何かまずいもの蓄積させていっているような違和感。

 ――いえ、今のナターリアは落ち着きつつあるのです。

 そんなワケはありません。

 ふと香る、ラベンダーの花の匂い。

 強すぎなくてキツくない、上質な花の香りです。

 かなり控えめだったので、今まで気が付けませんでした。

 私は、鼻をナターリアの髪の毛に近づけて……。

 ――スンスン。


「ひゃぐっ!? ゆうひゃしゃまっ!!?」

「あ、ああすいません。懐かしい香りがしたので、つい……」


 ついうっかり香りの元を探して深追いしてしまいました。

 ――ラベンダー。

 紫陽花の次に好きな花の品種です。

 ドライフラワーなんかをよく自作して、車の中やトイレに飾っていました。

 直射日光の当たる車内のダッシュボードの上。

 そこに放置しておくだけで、綺麗なドライフラワーが出来上がるのです。


「いきなり嗅がない……ううん、勇者様がかぎたいのなら、もっと嗅いでいいよ」


 そう言って少しだけ首を傾け、髪を動かしてうなじを強調してきたナターリア。

 恐らくは、そこに香水のようなものを付けているのでしょう。

 ――呼んだ?

 おやおや小粋なマイサン、今日も元気いっぱいです。

 魅力的で綺麗なナターリアのうなじ。

 そんな場所にも反応を示してしまうとは、度し難いマイサンです。

 ビクッとナターリアが震えたような気がしましたが、きっと気のせいでしょう。


「懐かしい花の匂いがしたもので、つい」

「……勇者様の世界にも、ラベンダーってあったのかしら?」

「ええ。全く同じ名前の花なので、異世界人が伝えた花なのかもしれませんね」

「……ゆ、勇者様は、この匂いって……すき?」


 そっと窺うように右肩越しで私を見てきたナターリア。

 白よりも綺麗な褐色の首筋。

 髪の毛が前に流されたことによって見える、彼女の素敵なうなじ。

 なんというか……新しい性癖に目覚めてしまいそうです。

 この性癖を一時間も語ろうものなら、ナターリアにだってドン引かれるでしょう。


「もちろん好きですよ。元居た世界でも二番目に好きな花でしたからね」

「一番は……?」


 そう問いかけてきたナターリアの表情は柔らかいのですが……。

 その目は真剣そのものです。

 私が紫陽花を一番好きだと言えば、それに変えてしまうでしょう。

 紫陽花の香りは……品種によっては少し青臭かったのを覚えていました。

 妖精さんからは、その青臭い部分を除いた甘い香りのみがします。


「一番好きな花は紫陽花なのですが、リアにはそのままでいて欲しいですね」

「わかったわ。……でも、どうして?」


 即答で了承してくれたナターリア。

 この献身的な雰囲気が、お嫁さんにしたい欲を刺激してするのです。

 ――いけません。

 マイサンが、マイサンがぁぁぁぁ――ッッ!!


「んぅ……」


 妙な声を上げたナターリア。

 私は誤魔化しの意味も込めて、ナターリアの問いに答えます。


「基本的に紫陽花の香りには、青臭いものが含まれています」

「香りは一番じゃないのね?」

「ええ、見ているだけなら一番なのですが……」

「香りの一番はラベンダー?」

「そうですね。今リアからしている、お淑やかなラベンダーの香りがすごく好きです」

「うふふっ。その辺りはレディーの嗜みだもの。当然心得ているわっ!」


 頬を赤らめて嬉しそうに笑うナターリア。

 これでメチャクチャに強い香りだったのなら好きにはなれないのですが……。

 僅かに香る、この感じがたまらなく好きなのです。


「それに紫陽花は、花言葉に良くないものが多く含まれていますから」

「よくないもの?」

「有名なものは〝辛抱強い愛情〟〝一家団欒〟〝家族の結びつき〟なのですが」

「うっ……すごく複雑な心境になる花言葉ね」

「しかし色によっては〝冷淡〟〝無情〟〝傲慢〟〝冷淡〟なんかが出てきます」

「色で花言葉が違うお花なのね? 不思議だわ」

「はい。なのでプレゼントとして使う時は気を付けないといけません」


 前に向き直ったナターリア。

 彼女は私の胸板に頭を置いて、体から力が抜いていきました。

 これは完全に平静を取り戻してくれたと思ってもいいでしょう。

 危うく浮気の発覚した旦那気分を味わう所でした。


「ちなみに、ラベンダーの花言葉はなんて言うのかしら」

「ああそれなら……〝あなたを待っています〟とか、〝期待〟とかですね」


 ぴくぴく、とナターリアが反応を示したような気がしました。

 ナターリアは私の膝の上から降りて、こちらに向き直ります。


「リア?」

「……どっちもね、今のわたしにピッタリの花言葉なの……」


 潤んだ瞳で真っ直ぐに私を見つめてきたナターリア。

 やがて……私の両足に跨るように、真正面から膝の上に乗ってきました。

 両肩から首の後ろにも手を回してきて、もう何もかもが危険な体勢です。


 ――メーデー、メーデーメーデー!!

 ――エンジン停止! 危機トラブルが発生した!!

 ――燃料漏れだ! あとエンジン停止!!

 ――駄目だ、管制応答無し!

 ――いちばん近くの空港は!?

 ――ナターリアとエロエロ国際空港だ!

 ――駄目だ! 不時着しろ!!

 ――海面に不時着するしかない!

 ――いくぞ!

 ――もう助からないゾ!

 ――『『『うわぁああああああああ!!』』』

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