『帰るべき場所』二

「ニンゲン! おいっ! 聞こえていないのかッ!」


 ――ダイアモンドランス! という言葉が聞こえてきたかと思えば――。

 すぐ隣から聞こえて来た、ドスン! という大きな地響き。


「ハッ!!?」


 反射的に地響きの起こった地点を見てみます。

 そこには巨大な氷槍が刺さっていて……刺さって――ッッ!?

 慌てて顔を上げてみると、そこに居たのは――。


「ふんっ、ようやく気付いたか」

「――ッ! ――――シ、シルヴィアさん――ッッ!!?」


 着替えを隠してあったのか、出合った時と同じ格好をしているシルヴィアさん。

 腕組みをし、不機嫌そうな顔で宙からこちらを見下ろしています。

 周囲を見回してみれば、雪は完全に止んでいました。

 現在の地点は既に二時間は登ったであろう場所。

 確かに、物事を考えている時間は早く過ぎてしまうもの、とよく言われます。

 しかし、目の前で不機嫌そうな顔をしているシルヴィアさんは、完全な想定外。

 いったい、何時から見られていたのでしょうか。

 シルヴィアさんは何処からどう見ても、完全回復しています。


「ふんっ。それでニンゲン、今度は何をしに来た」

「いえ、それは……」

「当ててやろう。お前はこの私の感触が忘れられず、私にハグをしに来た。違うか?」


 ……………………? 

 違います。

 シルヴィアさんは一体何を言っているのでしょうか。

 冷静に彼女の方を見てみると、シルヴィアさんの背後に浮かんでいた三つの氷柱。

 その氷柱の中には――ジッグさん、リュリュさん、ポロロッカさん。

 ジッグさんの姿はあの時のまま。

 ですがリュリュさんとポロロッカさんは――まだ生きています。


「図星なのだろう? この……ゲスが!」


 リュリュさんとポロロッカさんは動いて、明らかにこっちを見ています。

 あの氷柱の内部は空洞になっているのでしょう。

 そしてお三方が此処に連れて来られている理由は……人質。

 それ以外ありえません。

 お二人を盾に、私を殺しまくる腹積もりなのでしょう。

 これは間違った返答をしたその瞬間、文字通り人質の命取りとなるのは必然。

 そして間違いなく、山頂での激戦が繰り返されてしまいます。


「いえ、誤解です! 私は仲間達を助けるべく、ここまで帰ってきました!」

「なに?」

「決して、シルヴィアさんが目当てなどではありません!」


 眼前に浮いている美少女の見た目は完全に少女なのですが、その危険度は一級品。

 それを目的にやってきただなんて思われてしまえば、お二人の命はありません。


「う、嘘を吐くなッ!! お前は私の感触が忘れられずハグをしにやって来た! そのはずだ!!」

「……?」


 早速雲行きが怪しくなってきました。

 確かにシルヴィアさんの肌の感触は忘れたくとも忘れられません。

 なんせ肌に接触すると同時に、死の感触も同時に味わっているのですから。


「私は仲間を……」

「仲間? なんだそれは」


 心臓が止まって全身が凍り付いていく感覚は、現状では最悪の死に方です。

 あのぷにっと感を死ぬこと無く味わえるのでしたらそれがベストなのですが……。

 山頂で聞いたシルヴィアさんの話からするに、それは無理なのでしょう。

 となれば、回答は一つ。


「仲間とはその三人のことで、私はそれを――」

「嘘を吐くな! おまえはッ、私にッ、ハグをしに来たんだ!!」


 とうとう確定事項になってしまいました。

 シルヴィアさんの顔を見てみるも、特に紅潮しているという事はありません。

 逆に怒っている表情を浮かべているだけというのが、また不安を掻き立ててきます。

 シルヴィアさんからしてみれば私は、大切なモノを奪い殺害した張本人。

 殺意を抱かれる覚えはあっても、それ以外の感情を抱かれるとは思えません。

 慎重にシルヴィアさんの表情を窺い見てみます。

 恐らくは想定していた行動と私の回答が違うので、それで憤っているのでしょう。

 シルヴィアさんの、不満を訴えているような表情。

 まさか〝メビウスの新芽〟という拠り所を失った事で、精神的な……?

 シルヴィアさんは何かが〝アッパー〟になってしまったのかもしれません。

 妖精さんがクスクスと笑っています。


「――ッ!」


 妖精さんの笑い声を聞いた瞬間に空中で僅かに後退したシルヴィアさん。

 何故かジッグさんの氷柱の隣へと移動しています。

 シルヴィアさんは氷柱に手を添えて、若干怯えるような声音で声を発しました。


「い、いいのか? お前がその気なら、今すぐにでもコイツらを砕いてしまうぞ!?」

「――ッ!?」

「……い、いや、生きている二人は私がハグをした後だ!」


 何故かジッグさんの遺体と他の二人に、ハグによる死という危機が迫っています。

 シルヴィアさんの反応から見るに、単純に生物の温もりを求めているのかもしれません。

 それとも、長い年月山頂に一人で居たせいで寂しさが爆発してしまったのか。

 はたまたその両方か。

 ――これは一体どうすれば?

 シルヴィアさん自身はその感情を理解していないというように見えます。

 何にしても言葉を間違えてしまえばジッグさんの遺体は砕かれ――。

 リュリュさんとポロロッカさんもその後を追う事になるでしょう。

 更に言えば今のシルヴィアさんには愛が無いように思えます。

 選択肢を誤ってしまった場合、戦闘は避けられません。

 戦闘が始まればシルヴィアさんにトドメを刺すその時まで……。

 私は間違いなくハグ死させられ続ける事になるでしょう。

 山頂で行使されていた力の全てが、ハグ死特化に。

 ――悪寒が止まりません。


「……分かりました。何でも言う事を聞くので、三人を解放してください」

「ふんっ、最初からそう言っていれば良かったのだ」


 今の返答にどこか満足げな表情となったシルヴィアさん。


「では下山してから……いや、明日でもいい、私にハグをさせろ。代わりといってはなんだが、ハグの対価に一度だけ力を貸してやる」


 フン、と一つ鼻を鳴らしながら、腕を組み直したシルヴィアさん。

 ――嫌です。

 という言葉が喉元まで出かけましたが、何とか飲み込む事に成功しました。

 申し訳ありませんシルヴィアさん。

 美少女からのハグのお誘いに、私は本気で嫌だと思ってしまったのです。

 本来であればお金を払ってお願いする立場でしかない分際の私が――。

 美少女であるシルヴィアさんとのハグを、嫌だと思ってしまったのです。

 ですが申し訳ありませんシルヴィアさん。本当に嫌で嫌で……たまりません!!

 とはいえ、勿論そんな事は口に出す事はできません。

 響く、妖精さんの笑い声。

 それにビクリ、と反応を示したシルヴィアさん。


「な、何だ? 何でもするのではなかったのか!」


 このままでは、この場に居る全員の危険が危ない。

 もうやけくそで交渉してみるしかありません。


「では……お願いをしてください」

「なに?」

「ハグをして欲しいのなら……お願いして下さい!!」

「この私が……お願い、だと……?」


 とうとう言ってしまいました。

 氷のように冷血で、湖の畔に一輪だけで佇む花のような高潔さを併せ持つ。

 そんなクールな彼女に対して、薄い本の中でされるような事を言ってしまったのです。

 見ればシルヴィアさんは俯き、震えていました。

 ――これは、全滅したかもしれません。

 と思いながら見ていると、シルヴィアさんはゆっくりと顔を上げ――首を傾げました。


「〝お願い〟とは、どうやってすればいいんだ?」

「ッッッ!!?」


 なんとシルヴィアさんはお願いの仕方を知らないご様子。

 生まれてこのかた誰かに〝お願い〟をする、という行為をした事が無いのでしょう。

 お願いという行為を知らないという事は、その行動に対する忌避感も無いということ。

 人であれば三歳にもならないうちからお願いのオンパレードとなるのは必然。

 しかし私の百倍は生きていようシルヴィアさんが――。

 お願いの仕方の一つすら、満足に知らない!!!

 これはお願いヴァージンを奪うと言っても過言ではないでしょう。

 つまりこれはシルヴィアさんに、おっさん色のお願い術を教え込む、又とない機会。

 不純物の殆ど入っていない氷のようなシルヴィアさんに苺のシロップを加え――。

 薄汚いおっさん好みの色に染めてしまうチャンスです。

 ――ピンチはチャンス。

 誰が最初に言った言葉なのかは知りませんが、いい言葉です。

 〝ピンチ・ハ・チャンス〟一九XX年~一九XX年。


「そうですね……まずは――『この卑しい雌豚を、おまえの太くて固い肉の体で包み込んで下さい!』と言って下さい」


 ――緊急警報! 緊急警報ッ! 港に停泊していた大型戦艦が自沈した!

 ――総員、ただチンチンに対処せよッ!!

 ――無理だ、どうしようもない! せめて物資の回収だけでも!

 ――駄目だ! ――駄目だ! ――駄目ダッ!


「…………」

「…………」


 危険なチン黙が、この場を支配しました。




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