『霊峰ヤークトホルン』一

 まるで百年以上氷の下で埋まっていたかのような顔をしている男性奴隷の顔。

 つい本能的に、腰の剣へと手を伸ばしてしまいました。


「……み、ミイラ、だと?」

「なっ! おいおい、ついさっきまでは普通だったぜ!?」

「あれは……生きているのかしらぁ?」


 何処からどう見ても、まともな生物の顔ではない男性奴隷の顔。


「オーイ! オマエラー! ハヤク、コ、イ、ヨー……?」


 枯れ木のような顔と化したその顔面から、ボコリッ、と眼球が内側へと落ちました。


「ひっ……」


 誰かが上げた小さな悲鳴。

 顔以外は防寒着に隠れて見えていないのですが、顔以外が無事だとは思えません。

 ミイラ化した男性奴隷が一歩、こちらに向かって足を進めました。

 登山隊一行の反応を不審に思っているのか、首を傾げながらの一歩。

 その所作は、死んでいるようにも操られているようにも見えません。

 がしかし、顔は間違いなく死人のもの。


「【簡易詠唱!! 〈ファイ――――」

「待て!」


 手を前に突き出したリュリュさんの口を咄嗟に抑えた一人の男性奴隷。

 突き出された手からは、僅かに煙が出ています。


「ちょっと何するのよぉ! 魔力だけ抜け出ちゃったわぁ!!」

「ハッ、気づいたオレに感謝して欲しいぜ。アイツの足元をよく見てみな」

「足元ぉ?」


 全員がミイラ化した男性奴隷の足元へと視線を向けました。

 その足は巨大な手に掴まれていて、ミイラ化した男性奴隷は動けなくなっています。


「ナ、ナンダヨコレェ!」


 掴んでいる手の爪が深く食い込んでいるのか、全く動けていない男性奴隷。

 ミイラ化した男性奴隷が、思い切り剣を振り下ろしました。


「アァ!!?」


 しかし手に力が入らなかったのか、剣はすっぽりと抜けて地面に落下。


「……アレ? ケンハドコダ? ナニモミエナイゾ??」


 その光を捉えることのない空っぽの眼、それが登山隊一行を見たような気がしました。

 次の瞬間――。


「ボォオオオオオオオオオオオオ――――ッッ!!」


 足を掴んでいた手の先から現れた、白いゴリラのような見た目の巨大生物。

 姿形はかなりゴリラに近いのですが、ゴリラとは決定的に異なる点が多数。

 硬質そうな白い毛や、鋭い爪。四メートル近いその巨体は、間違いなく魔物のそれ。


「あれは……ヤークトハンター……か……?」


 深雪を突き破って現れたのは、三体のヤークトハンター。

 ミイラ化した男性奴隷を力強く掴んだ、三体のヤークトハンター。

 ヤークトハンター達はそのまま別々の方向へと走り去ろうと――。


「タ! タスケテ!」


 ミイラ化した体で腕を振り下ろすも、少しの傷すらも与える事ができていない様子。

 僅かな抵抗の後――ブツリッ、という音が響き……。

 ヤークトハンター達は、それぞれの方向へと走り去って行きました。


「ヴァアアアアアアアアアア――――」


 残響する男性奴隷の悲痛な叫び声。

 が少しすると、この場に静寂が戻ってきました。

 ……見逃されたのでしょうか。

 しばらく立ち尽くしていると妖精さんは黒い光に包まれ、元の姿に戻りました。

 今通っているルートは比較的安全なのだと思っていましたが、違います。

 ただヤークトハンターを発見できなかった隊が全滅していたというだけのこと。

 このルートはある意味、他のどのルートよりも危険なのかもしれません。

 しばらくそうしていると、思い出したかのようにリュリュさんが口を開きました。


「完全な判断ミスねぇ。……何にせよ、これでポーションに余裕ができたわぁ」


 遺された荷物の中から保温のポーションを回収していくリュリュさん。

 それに続くように他の者たちも、男性奴隷のバックパックを漁り始めました。


「……逞しいですね」

「フンッ、オレたちァ犯罪奴隷だぜ? 仲間意識なんざ欠片もねぇよ」

「オッサンもぉ、持てるだけ持っておいたほうがいいわよぉ」

「……分かりました」


 言われるがまま必要な物資を回収していきます。

 高品質なバックパックは色々と役に立つ気がしたので、元から持っていた物と交換。

 必要な物だけを入れて、残りはこの場に捨てました。

 回収した物資は食料類とポーション。

 背負ってみると予想していたよりも随分と軽かった、遺されたバックパック。

 それこそ、元々持っていたバックパックよりもかなり軽いように思えました。


「驚いたぁ?」

「……はい」

「支給品のバックパックは全部が魔道具みたいで、軽量化の魔術が施されてるのよぉ~」

「すごいですね……」

「定期的に魔石を取り替えないといけないのが難点だけど、十分よねぇ?」


 ――とんでもない便利グッズです。

 相槌を打ちながらリュリュさんの話を聞いていると、魔道具には二種類ある事が判明。

 魔力型の藻道具と魔石型の魔道具。

 魔力型は魔力が無ければ稼働しないもの。

 魔石型は魔石が無ければ稼働しないもの。

 つまり今回支給されたのは、魔石軽減型の魔石を燃料とする魔道具。


「私には魔力が無いので、この形で助かりましたね」

「はァ?」

「……魔力が無い人間なんてこの世界には居ないだろ」

「あ、いえ、生まれつき魔力の操作が全くできなくてですね! あははは……」

「ほーん、じゃあ召喚術は?」

「あ、えっと、アレだけは使えます」

「変な奴だな」

「まぁ? アレだけの召喚術が使えれば他が使えなくても十分よねぇ~」

「確かに」

「さ、さぁ皆さん、先を急ぎましょう!」


 魔石型の重量軽減型であった事に感謝しつつ、大きなバックパックを背負い直します。

 荷物の整理を終えた登山隊一行は、隊列を入れ替えてこの場所を出発。

 先頭を最後尾に居た男性奴隷。

 二番目は変わらず、その次におっさん。

 そしてリュリュさん、男性奴隷、男性奴隷、の順番に隊列を変更しました。

 ……登山隊一行は進路を迂回ルートに変更して、登山を続けます。

 回り道ルートには先程までと違い、完全な魔物地帯。

 その証拠に、何度も獣の足跡や痕跡が確認されました。

 危険な場所が来ると妖精さんが教えてくれるので、今度は確認せずに避けて進みます。

 そうしてしばらく進み、日が落ち始めた頃――。


「……来るぞ、全員構えろ」


 二番目を歩いていた男性奴隷がそう警告を飛ばすと、全員が反射的に武器を構えました。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る