3-11歯車仕掛けの鉄壁分隊

 シャルロッテを抱きしめながら芝生に転がり、彼女へ覆い被さる。銃声がいくつか鳴り響く。そのそばから聴衆がざわめき、混乱が伝播していくのが分かった。

 どのような事態であってもシャルロッテを守る。その決意でもって次に備えるが、次なる攻撃の気配はない。石が飛んでくるのがせいぜいだ。ゆっくりと起き上がり、まずは彼女の無事を確認する。


「怪我はないか、ロッテ」

「ええ、大丈夫」


 その言葉に嘘はないようで、特に痛がる素振りは見られない。至近距離にある白い肌にもかすり傷ひとつなかった。

 白煙はすぐに晴れていく。シャルロッテを庇いながら英霊墓地の方を振り返る。そこでは無数の墓石に隠れるようにして、いくつかの人影が蠢いていた。


(数は十いくつ……いや二十人ほどか……?)


 視認できない分を考えるともう少しいるかもしれない。公園の周囲は検問を張っているはずなのに、いったいどこからあの人数が忍びこんできたのか。

 そしておかしなことはもう一点あった。墓石の影からこちらを覗く顔は異形のそれだ。


「ガスマスク……?」


 背後のシャルロッテが呆然と呟く。彼女の言葉の通りだった。彼らが身につけているのは、揃いも揃って黄土色のガスマスク。記念館の展示でも目にした大戦期のものだ。

 表情が見えないこともあり、まるで人ではない一群のような不気味さがある。だがこちらに向けられる無言の敵意は疑いなく人間のそれだ。


 もはや誰何すいかするまでもない。ヴィルヘルミナたちがすべきことも自明だった。


「ひとまずロッテ……夫人の安全が第一だ。私たちが前に出るから、ユリアは夫人を頼めるか」


 立ち上がりながら、気心の知れた同僚――ユリアへと声を投げかける。第三分隊は最前列で観客の過度な接近を防いでいた。シャルロッテ共々壇から転がり落ちたヴィルヘルミナとは、ほぼ目と鼻の先の距離にいる。

 だがユリアは困ったように眉を下げ、ゆっくりと首を振った。


「ううーん……ごめんなさい、ヴィルヘルミナちゃん。そっちはひとまずヴィルヘルミナちゃんにお願いしてもいいかしら〜」


 明らかに剣呑な状況だというのに、相変わらずその口調はおっとりしている。なぜ、と問い返す前にユリアが前に踏み出し、細長い背で先手を打った。


「だってあそこなら、ワタシたちの出番だもの」


 いつになくきっぱりと言い切りながら振り返る。その笑顔はいつもの柔らかなものでありながら、年上らしい威厳がちらりと見えた。


 いや、そんな気がしただけかもしれない。ややあって前に直った彼女は、墓地に居座る不届き者へ向かって能天気きわまりない呼びかけをしていたのだから。


「あの〜! みなさあん、そこにいると危ないですよ〜。今からでも帰った方が……」

「恐縮ですが分隊長、甘すぎです。ああいう手合いにははっきり言ってやらないと分かりませんよ」


 ユリアの隣に並んだ副分隊長が神経質そうに息をつく。眼鏡の弦を一、二度持ち上げたと思うと顔を上げ、厳然たる警告を叩きつけた。


「――そこな凶賊、一歩も動くな! こちらへ前進した瞬間、お前たちを拘束対象と見なす!」


 立派な最後通牒だ。しかしそれを嘲笑うかのように影はいっせいに蠢きだし、暮石から暮石へと移動を開始する。その合間に石や爆竹が投げられて、観客がまた悲鳴をあげた。

 だがユリアは動じない。銃弾がひとつ彼女のそばを掠めてもそれは変わらなかった。


「あらあ……ダメみたいね〜。悲しいけど、それならしょうがないわ」


 さほど悲しくもなさそうに頬に手を当ててみせる。それから腰を折ると、うなじでまとめた髪がふわりと揺れた。

 軍服の裾を持ちあげてゆったりと一礼。持ち前の長身のせいだろうか。場違いな仕草でありながら、悠然とした様には思わず目を引かれてしまう。


 そしていつも通り慈愛に満ちた声のもと、彼女は名乗りを発した。


「特別措置小隊、第三分隊長。ユリア・ズュースキント軍曹です。保護対象へ危害を及ぼす可能性を認めたので、アナタたちを拘束するわね」


 そう告げた頭も上げないうちに、ガスマスク男の何人かが


 とぼけたような爆音、舞い立つ土埃と火薬の匂いと芝生のかけら。

 遅延起爆式の低威力地雷を利用した落とし穴だ。出てくる気配がないあたり、相当深く掘ったのか出てこられない仕掛けがあるのか。そう呆然と分析する間にも、墓地では阿鼻叫喚が幕を開けていた。


 ある者はトラバサミで足を挟まれ、ある者は足首を何重もの有刺鉄線で締め上げられ、またある者は網にかけられて遊歩道の並木に吊り上げられる。

 そのたびに第三分隊の誰かが銃口を向け抵抗を防ぐ。静かで厳かな英霊墓地の風景は、ものの1分も経たない間に魑魅魍魎の魔窟と化していた。


 一方のこちら側としてもできるところはただひとつ。絶句である。


「おま……いや、確かにこのあたりを重点的にと頼んだが……」


 ここまでやれとは言っていない。


 いくらこの墓地がモニュメントであり実際に遺体は埋まっていないとはいえ、掘り返して地雷や罠を仕掛けるなど神をも恐れぬ所業といえた。背後のシャルロッテが唖然としているのがはっきり分かる。ユリアと長い付き合いのヴィルヘルミナにしてもフォローする言葉が出ない。

 一方、当の張本人はといえば平然としたもので、こちらを振り返ってくすくす笑う。


「うふふ、ヴィルヘルミナちゃんってば心配性ね〜。大丈夫よ、後で原状回復はするわ。マナーだもの〜」

「そういう問題じゃないだろう……マナーよりタブーはないのかお前には」

「だって言ったじゃない、頑張らないとって。小隊長はワタシたちだからって命じてくれたんだもの。だったらタブーでもなんでも、ワタシたちにしかできないことをしないと〜、ね?」


 人畜無害そのものの顔で言いつつ、何やらメモを手渡してくる。罠の設置場所が記されているらしい。

 受け渡しを済ませていると、その隙にとでも思ったのだろうか、ガスマスク男がひとり墓地を飛び出して脇の遊歩道に入ってきた。手には拳銃を握っている。


 石畳の地面ならば墓地のように罠を仕掛けることはできない。ここからであれば接近することができるはず――彼の考えたであろうことが手に取るように分かった。

 そしてそれはきっと、ユリアにとっても同様なのだ。


「ああ、だめだめ。そっちに出ちゃうと――」


 言い終わる前に銃声がいくつか響く。男は悲鳴をあげたと思うと、そのままばったりと倒れ伏した。


 遠目でよく見えないが、だいたいは予想できる。石畳の隙間に走らせたワイヤーか何かに触れれば、並木に仕込んだ銃で足元を撃たれる仕掛けにでもなっていたのだろう。隙がなくえげつない。


「ほら、怪我するわ〜。立ち入り禁止って書いてあるじゃない、ちゃんと読んでね?」


 被弾して苦悶の声をあげる男に向かって、まるで悪戯っ子にでも向けるような優しい注意を投げるユリア。なんとか銃を向けようとする悪あがきも、部下に銃口を向けさせることで制する。



 これが鉄壁の第三分隊だ。張り巡らせた罠で敵を翻弄し、保護対象に指一本触れさせない。

 ユリアが率いるからこそできる、ユリアの力をフルに発揮する、ユリアのための分隊だった。


 そんな分隊長は微笑みながら回れ右し、背後の聴衆たちへ呼びかける。


「ああいうのがたくさんあるので、お客さんのみなさんも動かないでくださいね〜。大丈夫、安心してください。ワタシたちがお守りしますから」

「僭越ですが分隊長、安心には程遠いかと。みなさん大分引かれてます」


 副分隊長がため息のように言う。その傍らで部下に指示を出しているのだから、彼女もなかなか剛毅なものだった。あるいは上官の言葉の意味を理解しているのか。


 ユリア自身が意識しているのかいないのかはともかく、彼女の言ったことは立派な牽制だ。

 最初に騒ぎ出したポモルスカ人以外にも獅子身中の虫が潜んでいる可能性は十分ありえる。そんな人間が逃げられないよう、保護という名目で動きを止めておくのは好手といえよう。


 こういうところも侮れない、と改めて同僚の底知れなさに舌を巻いていると、背後のシャルロッテが困惑しきった調子で囁いてくる。


「ミーナの……ええと、お友達? なんていうか……すごいのね」

「……そうだな。頼れる奴だよ、本当に」


 色々と思うところはあるが、凄まじいのも頼りになるのも本当だ。見習うべきところは多々あるだろう。真似をするのは到底無理だが。

 観客におっとりと手を振って、ユリアの目がこちらを向く。


「そろそろ攻守交代かしら〜。ヴィルヘルミナちゃん、討ち漏らしの拘束と武装解除をお願いしていい? ご夫人の保護は第三分隊うちでやるから」

「……ああ、了解した」


 いつまでも呆気にとられてはいられない。ユリアが滅茶苦茶をしでかすのはいつものことだ。何より、彼女に任せきりでは立つ瀬がないだろう。


 きっぱりと気持ちを切り換え、自身の部下たちを振り返る。彼女らは指示を出すまでもなくシャルロッテの周囲で壁の役割を務めていた。それを誇りに思いながら、ヴィルヘルミナは改めて命を下そうと口を開く。


「総員、話は聞いたな? ケストナー夫人は第三分隊に任せて我々も加勢する。くれぐれもユリアの罠を踏まないようにしろ」

了解ヤヴォール!』


 その返事が聞こえた端からユリアのメモを分配する。すぐに覚えるのは難しくとも、どんな罠があるか分かればカモフラージュくらいは見抜けるはずだ。さすがに目前で繰り広げられている光景が光景だから、エーリカなどは鬼気迫る様子で読みこんでいたが。


 だがそれを考えても、の怖がりようは奇妙なほどだった。渡された紙を取り落としたことでその推測は確かなものとなる。紙を渡そうとした当人、グレーテルは肩を怒らせて彼女に叱責を飛ばす。


「あーもう、まだやってんのタマラ? 敵ならもう出てきたでしょうが、いい加減シャキッとしなさいよ!」


 ぴしゃりと頬を張るような言葉を浴びて、タマラはますます小さく縮こまる。

 この事態をいち早く警告した功労者とは思えないほどの気弱さだったが、いつもの怯えともまた違うように見えた。苦痛に耐えるように頭を押さえて呟く。


「でも、あっちに……あっちに、います……」

「だーかーらー、もうあっちさんは第三分隊にボコボコにされてるじゃない! 今更何が怖いってのよ」

「すみませ……でも、ぁ、う……なにかこれ、変……」


 訥々と漏れ聞こえてくる言葉はうわごとめいていて、しかし絶えず張りつめている。まだ警戒が解けていないようだ。

 確かにこの様子はおかしかった。危機を察知した際には異様なほど恐怖するのが彼女だが、「危機」の正体さえ分かればひとまず落ち着く。敵が姿を見せた今、もうここまで縮み上がることはないはずだった。


 小さな、しかしこれまでの経験から見れば明らかな部下の違和感。そこからひとつの可能性に行き着くのは必然だった。


「もしかして……のか? タマラ」


 その問いで、部下たちの間に緊迫感が駆けぬけた。


 タマラは俯いたまま頷かない。しかしヴィルヘルミナの言ったことが間違いなら、彼女は誤解を恐れて慌てふためくだろう。

 沈黙は肯定の証だった。同じ結論に至ったらしいグレーテルが眉根を寄せて問いかけてくる。


「あれは陽動……ということですか?」

「分からない。だが可能性はありえるな。いくらユリアの罠があるとはいえ、奇襲を仕掛けてきた割には攻撃が手ぬるい」


 そう応じたのを皮切りに、第三分隊も含めた周囲がざわつきだす。

 当然だ。あれが陽動ならば、敵の本来の目的は別にあることになる。こうして相手にしていることそのものが彼らに利する展開もありえた。


「ぶんたいちょ、あっちって記念館もあるじゃないすか。本命そっちじゃないです?」

「記念館って……ねーさ、分隊長。このまま放っておいてよろしいのですか?」


 この提言も十分ありえる話だった。墓地のすぐ背後には、先ほど視察を終えたばかりの記念館が佇んでいる。

 大戦記念館は博物館だ。展示しているもの以外にも、軍事史において重要な史料がいくつか保管されていると聞く。それらが破壊されでもしたら損失は計り知れないだろう。


 しかし自らに課せられた任務と、何よりこの腕にいる一人分のぬくもりを思えば、ヴィルヘルミナが選ぶ道はただひとつだった。


「……私たちの任務はケストナー夫人の保護だ。たとえ本当に陽動だろうが、彼女の身に害が及ぶ可能性があるならそちらを優先する」


 分隊長としての判断を下す。事実、目の前の脅威は無視できない。陽動だという確固たる証拠もない以上、先に対処すべきはそちらだった。

 シャルロッテの肩から手を離し、部下たちに背を向ける。このまま第三分隊と入れ替わりで墓地に出る――これが一番合理的な流れだ。


「ひとまず彼らを捕獲しよう。状況の裏を確かめるのはその後だ」

「いいえ。行って、ミーナ」


 しかしその決断を押しとどめるように、あるいは背を押すようにして寄り添ってきたのは、誰より守りたい戦友その人だった。


「もしこれが罠なら、このまま取り返しのつかないことになるかもしれない。行って。取り越し苦労ならそれでもいいから」

「だが……」

「私なら大丈夫。アルバートの近くにいれば、衛兵隊もついでで守ってくれるでしょう? 話は私からつけておくわ」


 言われて礼拝堂の方を見やる。アルバートは衛兵隊に守られており、第三分隊が敵を相手取っているからか、人員には余裕がありそうだ。先日のいざこざの負い目もあるはずだから、シャルロッテが保護を申し出たところで断られることはないだろう。

 理性はそう判断しても、戦力を半減させた鉄火場にシャルロッテを置いていくのは気が咎めた。彼女を守ることが最優先なのだ。そこにひとつでも懸念があるなら、彼女の言葉に甘えるわけにはいかない。


 しかしそんな迷いを見透かしたかのように、もう一人の友は振り向きもせずに言ってのける。


「なら、ヴィルヘルミナちゃんたちは記念館に向かって、第四分隊の副分隊さんだけここでワタシの指揮下に入ってもらうっていうのはどうかしら〜。ご夫人の警護には第三分隊うちの子も付かせるから」


 明らかに折衷案ながら、ユリアの意見は極めて現実的で手堅いやり方だった。


 ヴィルヘルミナが記念館の方向に向かっても、グレーテルたち副分隊が残れば人数としてはさほど変わらない。ユリアの援護もあれば暴徒の拘束は難しくないだろう。シャルロッテの警護にも人が割ける。

 なにより、大事な部下もユリアになら預けられた。シャルロッテを残していく心配はぐっと飲みこみ、改めて決断を下す。


 そうと決まればやるだけだ。部下と、そしてシャルロッテの方を振り返って告げる。


「――了解した。何事もなければすぐ戻る。グレーテルら副分隊は第三分隊長の指揮下に入り、エーリカとマルガ、シリウス号は私についてこい。栄光は闘争にありエーレ・ミット・カンプフ!」

『栄光は闘争にあり!』

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