2-7伍長グレーテルの憂鬱①

 そして副分隊長グレーテル・アードラーは、シリウス号の運んできた指令を一読し……目を疑った。


「はあ!? なにこれ、分隊長ってば正気?」


 思わず独りごちると、強い語気にタマラがびくりと怖気づく。

 しかし関心はあるらしく、おずおずと――他者の気に障らないよう意識しすぎるあまり、かえって不愉快をあおる卑屈さで――問いかけてきた。


「ご、ごめんなさい、副分隊長……すみません、えと、わたしにも……」

「『わたしにも』、なによ?」

「っ、ごっ、ごめんなさい、すみません! なんでも、ありません……」


 グレーテルが問い返せば肩を跳ねさせ縮こまる。その姿も見ているだに苛立たしくて、チッと小さく舌を打っていた。これでもマシな方なのだ。グレーテル以外とはそもそも会話が成立しない。


 とはいえ、今日の彼女は。


(こいつ、いつにも増して落ち着きがないわね……?)


 怯えた態度も意志薄弱なふるまいもいつものことだが、今回はなんというか、あまりに過敏だ。

 よく見ればかすかに震えてすらいる。四方八方をきょろきょろ見回し、常にびくついた視線を走らせていた。


「タマラ。あんた具合でも悪いの?」

「ひっ!? い、いえ。なんでも、ないです……」

「まあ、バカは風邪引かないとは言うけど。じゃあなんか気になることでも?」

「い、いえ……ごめんなさい。なんでもなくて、分からなくて、本当に……

 ただちょっと、よく、分からないんですけど……怖くて……」

「怖い、ね」


 それはつまりいつも通りではないのか。


 むくむく湧きだす違和感。それをふりきるよう、シリウス号の通信筒に入っていたメモ書きを手渡し、ぶっきらぼうに告げた。


「分隊長から指令。ケストナー夫人がそのガキんちょに会いたがってるから連れてこいって。ったく、何考えてんだか」


 最後のセリフはケストナー夫人にもヴィルヘルミナにも向けたものだ。子どもとはいえ自分の家に放火しようとした人間と話だなんて頭がお花畑にも程があるし、それを許可するヴィルヘルミナもやはり今回どこかおかしい。


 だが、軍人でありしがない伍長である以上、グレーテルの行動は決まっていた。


「しゃーないわね。ほら、そういうことよガキんちょ。一応言っとくけど、くれぐれも余計なマネすんじゃないわよ」

「ちょ、引っ張んじゃねえよクソ軍人!」


 路地側の柵と繋いでいた手錠をグレーテルの手首に移し、少年を無理やり引きずる。彼も彼でこの展開には驚いたらしく、先まで一切開かなかった口も軽い。タマラが戸惑い気味に口ごもった。


「え……あ、あの、」

「いいのよ。分隊長命令なんだから従うのは当然でしょ。署名つきの物証もあるわけだし、万一のことがあっても私たちの責任じゃないわよ」


 結局こういうことだ。ヴィルヘルミナが書面で伝えてきた理由のひとつもそれだろう。いざという時は一切の責任は取ると本人も言っていたし、約束を違えるような上官でもない。


 それに万一のことがあったところで、グレーテルとしてはメリットがないわけでもないのだ。


「まあ、これで分隊長がお役御免にでもなれば、私には都合がいいしね」


 人畜無害のヴィルヘルミナは上官としては安牌だが、隙を見せるのならば遠慮なく突かせてもらう。下から媚を売るだけでは高みには登れない。


「とにかくアレね、衛兵隊のヤツらが厄介よね。やり方は考えないと面倒なことになるわ」

「ど、どうするんですか……?」

「……」


 タマラの疑問に眉根が寄ったのを自覚した。

 それでまた怯えたタマラが謝りだすのだが、別に質問が不快だったわけではない。単に憂鬱なだけだ。


 少年を秘密裏に連れていく方法の目処は立っている。ただグレーテルとタマラだけでは無理だ。同じく周辺警備に回されている、タマラにも負けず劣らず面倒な部下たちの手を借りないと……


「あーあ……煙草吸いたい」


 勤務中には許されない望みに想いを馳せながら、グレーテルの脚は着々とその方角へ向かっていた。

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