第九章「1940年 東 京 ‐幻のオリンピック‐」
1940年、秋。
明治神宮は紅葉に美しく染まっていた。
手入れの行き届いた木々を楽しむには、この時期が一番いい。年の瀬が近づく晩秋に入ると心が急いて、どうしても落葉の寂しさが目に付いてしまう。
境内に落ちる楓の
御社殿では多くの参列者に見守られるなか、
十八日間に渡って行われた『紀元二千六百年
継走大騎乗は神武天皇即位二千六百年を記念する行事のひとつであり、日本全国を百頭以上の軍馬で継走するという大行事だ。
南北二班に別れた人馬は、北軍は北海道の護国神社を出発して奈良の
今夏から農林省の馬政局へ出向していた西は、この大行事を成功させるために全国各地を奔走していた。
ようやく肩の荷を降ろすことができた安堵と共に、一抹の寂しさが訪れる。
ここから東にある青山通りのイチョウ並木を抜ければ、すぐそこに明治神宮競技場がある。
記念行事の一番の目玉となる東京オリンピックの開会式が行われるはずだった場所だ。
日本初のオリンピック開催は、ベルリンオリンピックの翌年に勃発した支那事変(日中戦争)とその後に起きた第二次世界大戦により、泡沫の夢へと消えていた――。
***
満州への転属は、西にとって苦難の日々の始まりに過ぎなかった。
オリンピック後に異動を命じられたのは西だけではない。オリンピックに関った馬術関係者の多くが、日本各地へ分散させられていた。
この人事に西が憤慨したのは言うまでもない。
メダルを逃した責任を負わせるにしても、あまりに当て付けが過ぎる。
東京オリンピックのために、今は日本馬術全体の活性化と底上げが必要な時だ。
アスコツト号は西が四年間みっちり鍛え上げれば、必ず金メダルを獲れる馬になる。
この大事な時期にオリンピック経験者を揃って習志野の騎兵学校から遠ざけるとは、上の連中は何を考えているのか。
さらに帰国してからの世間の反応が、西の神経を苛立たせた。
事あるごとに西に対して「病み上がりだったのだから仕方がない」やら「今回はたまたま調子が悪かったのだろう」やら、要らぬ気遣いや慰めをしてくるのだ。
それどころか「国交に配慮してワザと負けた」だの「ドイツの奸計に嵌められた」だのと、根も葉もないデマを吹聴する輩までいる。
確かに西は大会前に体調を崩していたが、当日は万全の状態で競技に臨んだ。全力を尽くした結果に悔いはない。
野外審査についても一部で批判する声があったのは事実だが、それは主に多数の落馬を招いた四号障害の是非についてだ。
IOCはすぐに調査を行ったが、コースに安全性や公平性を損なうような欠陥は認められず、競技そのものに問題はなかったと結論付けている。
世間に広まる噂話は、そうした事実を知らぬ者たちの流した風説に過ぎない。
この国の人間は目先の出来事にばかり捉われて、大局というものが見えていない。
だから単純な結果にしか意識が向かず、〝何のためにオリンピックへ参加するのか〟という肝心な視点が欠けている。
西のなかでこれまで考えもしなかった世間や軍に対する疑問が膨らんでいった。
満州で鬱屈した日々を送るうちに年が明け、追い討ちをかけるように悪い報せが続いた。
準備期間はあと三年しかないというのに、本土では具体的な話が一向に進んでいないというのだ。春になる頃には国内だけでなく、海外からも東京開催を危ぶむ声が出始めた。
事態は好転するどころか悪くなる一方だった。それでも西は東京オリンピック開催を頑なに信じた。
しかし、西の想いを裏切るように1937年7月に
東京オリンピック不安説が唱えられるなか、西は馬術選手候補者の一人として本土に召還された。
これでようやくオリンピックに専念できる――安心するのも束の間、西が東京へ戻るなり「情勢を考えて、軍はオリンピック参加を辞退する」という一方的な通達が下された。
まさに青天の霹靂と言うほかなかった。陸軍は選手に一言の相談もなしに、西らの参加取り消しを決定してしまったのだ。
翌1938年、日本政府より正式に東京オリンピック開催中止が発表される。日本初のオリンピック開催は、決定からわずか二年足らずで水泡に帰してしまった。
東京オリンピックで再びメダルを手にする西の夢も、あっけなく砕け散った。
1939年、春。
西は少佐に昇進するのと同時に、騎兵連隊から北海道の軍馬補充部十勝支部へ転属になった。
妻と二人の子供を連れ北海道へ引っ越した西は、またも途方に暮れた。
補充部は軍馬の育成と調達を任務とする。ようするに育成所で仔馬の世話をする仕事である。本来は第一線を退いた将校や獣医が送られる部署だ。
確かに戦争の拡大に伴い、日本は馬政第二次計画をより実戦的なものに修正し、戦地に送る軍馬の増産に力を入れている。
だからといって、閑職に回されたという感情は拭えない。
北の大地で過ごす日々は穏やかで、戦争もオリンピックも遠い世界の出来事に思えてくる。このまま騎兵としても馬術家としても腑抜けてしまうのではないかという恐怖が、頭にこびり付いて離れなかった。
日々の穏やかさとは裏腹に、戦火は広がる一方だった。
9月にはついにヒトラー率いるナチスドイツが戦端を開き、欧州で第二次世界大戦が勃発した。
これによって代替地に選ばれていたフィンランド・ヘルシンキでの開催も不可能になり、IOCはオリンピックの開催中止を決定する。
平和の祭典・オリンピックは幻の彼方に消え、時代は再び世界中を巻き込む戦争へと突き進んでゆく――。
それらとは対照的に、日本国内は紀元二千六百年の話題で持ちきりになっていた。西には、まるで人々がオリンピックからも戦争からも目を背けているように感じられた。
そして翌年、西は軍務を離れ事務官として馬政局へ送られた。
ここでの西の仕事は、馬事振興に必要な資金を集めることだ。
金メダリストとしての知名度と人脈を活かして、民間からの寄付金を募るのだ。過去の栄光をひけらかして金の無心に走るようなこの仕事は、西にとって屈辱的だった。
それでも我慢したのは、国内の馬術発展につながると考えたからだ。
仔馬の育成も、馬事振興も、日本からオリンピックで通用するような優れた人馬を輩出するためには必要なことだ。
この仕事はオリンピックに通じている――そう自分に言い聞かせながら、西は馬政局での職務をこなしていった。
***
継走大騎乗より一年後の1941年11月。
西は明治神宮国民体育大会に馬術の審査員として招かれていた。
そこで西は意外な人物と再会した。かつて共に東京オリンピックの夢を語り合った竹田宮殿下である。
「お久しぶりですね、西さん」
「殿下の方こそ、元気そうじゃないか」
こうして人目を気にせず会話するのも久しぶりだ。
西が殿下に会うのはベルリン大会後の報告会以来だから、実に五年振りになる。
それだけの月日が流れていた。
西が馬政局の仕事に追われているように、竹田宮殿下は軍務と公務で各地を忙しく飛び回っている。馬術にあけくれていたあの頃とは、お互いにすっかり立場が変わっていた。
競技場内に新たな人馬が入場する。馬も騎手も緊張しているのか、どことなく動きがぎこちない。だがその初々しい姿は、二人が騎兵科の新米だった頃を思い出させる。
「オリンピックを目指していたあの頃が懐かしいですね……」
馬術に励む若者たちを見つめながら、竹田宮殿下がしみじみと呟く。
「殿下、俺はまだオリンピックを諦めちゃいないよ」
「――本気ですか、西さん?」
「本気さ。三年後のロンドンオリンピックに、俺は出るつもりでいる」
東京大会は戦争で中止になったが、IOCはすでに次期オリンピック開催地としてイギリスのロンドンを選出していた。
これを非現実的と批判する声もあるが、無理だと決め付けるのは早計だ。
二十年前の第一次世界大戦の時には、戦禍の爪痕が残るベルギーのアントワープで八年後越しのオリンピック開催が行われている。
いまロンドンは戦火に包まれているが、戦争が終息しさえすれば、やはりオリンピック開催が叶っても不思議ではない。
「……馬はどうするんです? アスコツト号はもう十四歳ですよ」
アスコツト号は騎兵学校所属の競技馬として、全国の馬術大会で活躍していた。競技馬としては今が最盛期だろう。
しかし紅葉の盛りが短いように、馬の一生も儚く短い。
ウラヌス号がそうであったように、アスコツト号も三年後には衰えてしまっている可能性が高かった。少なくとも西があの馬と世界の大舞台に立つことは、もうないだろう。
「そうだな……今度はセントライト号でも譲ってもらおうか」
冗談めかして西は言った。
セントライト号とは競馬界に彗星のように現れた名馬である。
つい先日の10月26日に行われた『京都農林省賞典四歳呼馬(のちのG1レース・菊花賞)』を制し、我が国初の三栄冠馬に輝いている。
東京オリンピック中止から馬術界が萎縮するのとは対照的に、競馬界では日本競馬会(JRAの前身となる組織)の発足やイギリスを模した三冠レースが整理されるなど、近代競馬が花開いていた。
「さすが西さんだ。言うことが違いますね」
本気とも嘘とも見分けがつかぬ西の言葉を、竹田宮殿下もあえて否定はしなかった。
西もこれが叶わぬ願いだと気づいている。
大陸での戦火は拡大を続け、この国は終わりのない戦争へ向かおうとしている。
そうした時代の流れに逆らうことなど、もはや誰にも出来ない。
それでも今この時は、せめて見果てぬ夢の続きを語っていたかった。
「三年後のオリンピック……やれるかなぁ」
「やれるといいですねぇ……」
秋空を見上げる二人のもとへ、風に吹かれたイチョウの葉が舞い込んだ。
まもなく冬が訪れようとしている。
***
西の願いが叶うことはなかった。
この会話から一ヵ月後の12月8日。
帝国海軍の誇る空母機動部隊によって、アメリカ太平洋艦隊に打撃を与えるハワイ会戦――のちの世に言う真珠湾攻撃が実行され、ついに日米開戦による太平洋戦争が始まったのだ。
日本はいよいよ出口の見えない泥沼の戦争へと転がり落ちていった――。
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