恋に落ちるが腑に落ちない
坂本 森太
1章
1話 変化はある日突然に
蝉の声が耳を塞ぐ夏のある日、妹にオ◯ニーを見られた。
妹と目が合った瞬間、蝉の音が消えた。いや、もう全ての音が消えた。鼓膜が破れたのかと思った。
漫画や雑誌、ゲーム、使い終わったティッシュなど、無造作にモノやゴミが転がった汚い部屋。その入り口に、微妙な顔で立つ、ピンク色のウサギの絵がプリントされた寝巻姿の妹。
……まあ、言ってしまえば、妹にオ◯ニーを見られたのはこれが初めてじゃない。少なく見積って両手で数えられるくらいはある。じゃあ何で、妹は微妙な顔をしているのか。俺は世界から音が消えるような絶望を味わっているのか。
それは──。
「なんで
妹のまるでパンツ泥棒でも見るかのように蔑むような目。
俺は鳴らない口笛を吹いた。が、俺の顔を直視してくる妹に対し、我慢の限界に達した俺はキョドリながら答える。
「……いや、ち、千綾……って……誰だよ……?」
「いや、千綾ちゃんは千綾ちゃんだよ。ウチの隣に住む遠藤さん家の一人娘の、遠藤千綾ちゃん」
ああ、その通り。付け加えると、幼馴染でありながら、今は目すら合わせないぐらい疎遠になった女子。
そんな子で抜いてるところを、妹に目撃された。
……もう、恥ずかし過ぎてゲロ吐きそうです……。
「い、言うんじゃねえぞ!」
「言わないよ! 言えないよッ!」
妹が家中に聞こえるんじゃないかってくらい大きな声を出す。
「やめろ! そんな大きな声を出すな!」
「お兄ちゃんだって出してるじゃん! 大声! あとソレも!」
俺は赤面しながら下半身を慌ててしまい、呼吸を一息置いて落ち着かせる。
「それで、何のようだ?」
「ああ。今日は遠藤さん家と、ウチ、知名家との毎年恒例バーベキュー大会じゃん?」
毎年毎年よくも飽きずに面倒臭い行事を開きやがって……。
「ああ。中止か!?」
やたらと、心臓が高鳴る。が、その期待は妹の心無い一言によって打ち砕かれる。
「うなわけないじゃん」
「ですよねー」
正直、俺を含めた両家のチルドレン達はこの行事に飽き飽きしていた。まあ、ご近所付き合いは大切だし、開かれるのなら参加する、というのが両家チルドレンの意向だ。
「んで、お兄ちゃん、バーベキューの買い出し行くよ。できればお兄ちゃんとは一緒に居たくないけど、お母さん命令だし」
「めんどくさ! なら一人で行けよ!」
「はぁ!? 面倒臭いのは私も一緒なんだけど! 来ないなら千綾ちゃんにあのこと言うから!」
俺は全力で飛び起きた。
☆☆☆
そんなモテメンである俺は、今現在、国道沿いの大きな歩道を、彼女ではない女子二人と歩いている。
一人は妹の
まあ、美波の身なりなど、この状況に比べればどうでもいいか。
美波を間にして、俺とは反対側を歩く美少女。遠藤 千綾だ。年齢は俺と同じ。通っている高校も俺と同じ。女優さんのように容姿端麗で、モデルのようにスタイルがよく、ぶっちゃけ誰が見ても可愛いと言うくらい、俺は可愛いと思ってる。まあ、何故か俺は嫌われているけど。いや、嫌わてるとは違うな。何故なら俺も、千綾のことが嫌いだからだ。
明確な理由はない。大人になるにつれて段々、話さなくなり、目も合わせなくなり、避けるようになった。
そして、俺は今、ヒヤヒヤしている。
美波が突発的に、先ほどの出来事を千綾に話してしまわないか。
微妙な関係だからこそ、オカズにしていたなんてバレたら、死にそうなくらい恥ずかしい。
「えっと……」
すると、突然、千綾が声を発した。
気付けば、俺達は家から十分弱、一切の会話をしてこなかった。
取り分け、美波と千綾も仲が良いわけではない。近所のお姉ちゃん程度にしか思ってないだろう。
「え、恵比寿マートでいいよね?」
恵比寿マート。県内各地に勢力を広げる県内の大手スーパーマーケット店である。
俺は千綾の問いに無視をする。どうせ、俺に話したわけではないから。
「……あー、うん。そうだね。恵比寿マートならお肉安いしね」
美波が答える。
「…………」
「…………」
二人の視線はバラバラで、会話もろくに続かない。
どうやら心配する必要もなさそうだ。
この様子だと、美波が千綾にあの事をバラすようなことはなさそう。
恵比寿マートに到着する。
店内は広く、明るく、人で賑わっている。店内に流れる気の抜けるようなテーマソングを聴きながら、俺は生肉コーナーに直行する。
「待ってよお兄ちゃん。お兄ちゃん荷物持ちなんだから、カート押してよ」
俺はあからさまに嫌な顔をするが、美波の後ろから無表情でカートを押す千綾が視界に映る。
俺は頭を掻く。
仕方ない……。
俺が押すのを代わろうと、近寄るとさーっと千綾はカートから手を離し、離れた。
「……あっと」
ひとりでに進んでいくカートを、俺は慌てて掴む。
千綾と美波は俺を無視してずんずん先を進んでいく。
「…………」
腑に落ちないが、俺はカートを押す。取っ手が湿っていて、千綾の体温を感じる。……この体温は今晩のオカズ決定だ。
……って、何考えてんだよ、俺は。
「美波ちゃん。私、野菜選んでくるね」
「げ」
俺は思わず、声を出す。
家でバーベキューすんのに、わざわざ野菜を食べる必要があるのか? 誰にも食われず、丸焦げになった野菜達を誰に食せる気なのか?
「なに?」
──え。
俺は思わず、千綾の顔を見た。一瞬で、逸らされた。
一瞬だったが、一年ぶりくらいに目が合ったし、二年ぶりくらいに会話をした。
「別に」
「そう」
それだけだった。
千綾はさーっと、野菜コーナーに向かっていった。
「……ふぅ」
何故か安堵の溜息。
「高いやつにしよーっと!」
美波はカートにどんどんとお肉を入れていく。
「食える分だけな」
まあ、肉は嫌いじゃないし。どうせ親の金だし。俺は止めはしなかった。
「はぁーい!」
どんどんとお肉を入れていく。が、四パックほど入れたところで、美波の手が止まる。
「ねぇ」
「あ?」
「──なんで千綾ちゃんでヤってたの?」
「あーそれは…………あー、あっ? ああっ!?」
俺は跳ね上がる。
このぷにぷに野郎、俺のトラウマを掘り返す気か!?
「……好きなの?」
美波の声に、ふざけたような明るさはなかった。何故、そんなに真面目な顔でその話をするんだよ。別に美波は妹であって、彼女ではないじゃないか。だから、そんなことはどうでもいいだろ。
「千綾ちゃん可愛いし、それに…………、……それに私なんかじゃ……」
「あ?」
最後の方、なんか小声で聞こえなかった。……いや、聞かないようにした。
が、美波が暗い顔なのには変わりない。
俺はため息を吐きながら答える。
「別に……。気まぐれだよ。恋愛感情なんてあるわけないだろ。第一、俺はアイツが嫌いなんだよ」
何故か、美波は安心したような顔。
「ふぅーん。そっか」
と、呟き、頬をぷくぅっと膨らませて聞いてきた。
その頬を膨らませるのは美波の癖だ。
「なら、私でもしたことあるの?」
だから、お前は何でそんなこと聞くんだよ!?
「はぁ? 兄妹だぞ。俺はお前をそういう目で見たことねえよ」
「……そっか」
美波は寂しそうな顔をする。が、それも一瞬だった。すぐに笑顔に戻る。
「ううん、ごめんね。変なこと聞いちゃって」
二人の間には微妙な空気が流れる。相変わらず、店内に流れるのは気の抜けるような明るいテーマソングである。
俺は視線をあちらこちらに散りばめながら、なんとか言葉を捻り出す。
「まあ、オカズにしなくても、パンツ盗んだことくらいはあるがな」
ドヤ顔で言ってやった。
「そうだった! キモ! 最低!」
「はいはいどうせ俺はキモいですよぉぅだっ! だがそれがどうしたッ!?」
「情緒不安定なの!? 近寄らないで変態兄ぃ!」
「あのな!? お前にも一応、その変態と同じ血が流れてるんだからな!?」
俺と美波は、またいつもの兄妹へと戻った。
☆☆☆
ど、ど、ど、どうしよっ!? 知名君と話しちゃったよっ!
私は頭の中がふわふわとなるような、幸せな気持ちになる。
私、遠藤 千綾は、タマネギを手に持ったまま、思わずニヤケてしまう。
知名君とは小さな頃からずっと一緒だった。幼稚園に通うのも、ずっと一緒だった。小学校に入学するのも、ずっと一緒だった。
でも、ある日突然、知名君は私を避けるようになった。「下の名前で呼ぶな!」「馴れ馴れしくするな!」「話しかけるな!」と、怒鳴られることもあった。
どうやら、知名君は女である私と幼馴染であることを誰かに馬鹿にされたらしい。
私は知名君のために、知名君に気を遣って、なるべく関わらないようにした。
そして、中学一年生になった時。
知名君に彼女が出来た。
私は一晩中泣いた。
気がついた時、知名君との話し方すら忘れていた。
生まれた家を呪った。
知名君の隣に生まれてこなければ……。
知名君と幼馴染じゃなければ……。
☆☆☆
お肉をたくさんカートに入れ、野菜コーナーに向かった俺と美波は、タマネギを握りしめたまま突っ立っている千綾を発見して、思わず顔を見合わせた。
「お兄ちゃん、千綾ちゃん、何してると思う……?」
引きつった顔で、美波は聞いてきた。
「知らん」
「お兄ちゃん話しかけてみなよ?」
「冗談だろ。お前が話しかけないなら、残念だけど千綾はここに置いてくしかないな」
「私達はエベレストに登るレンジャーか何かなの? いや、そもそもお兄ちゃん達って何でそんなに仲悪いのよ?」
「お前も別に仲良いわけじゃないだろ」
「……うん」
美波は千綾の元へと歩いていった。
「千綾ちゃん、タマネギ好きなの?」
千綾は跳ねるように驚いて振り返る。そして、美波の顔を見て、いつもの美少女然とした千綾に戻る。
「えっと。どのタマネギがいいか考えてたんだけど……」
「タマネギかぁ。トウモロコシとカボチャだけでいいよ」
美波はさっさと、トウモロコシとカボチャをカートに入れる。
俺はそれを見届け、入れ終わるとカートをレジへと向かわす。
「ちょっと! 怒られない!?」
背後から千綾の声。俺と美波は立ち止まる。
「そん時はそん時だよ」
美波が答える。まったくの同感だ。
千綾はため息を吐いて、俺達の後をついていった。
帰り道。最後に買ったカボチャがめちゃめちゃ重い。……あと、空気も重たい。
…………会話一つなく、家に着いた。
「あらおかえり!」
笑顔で出迎える両家の両親達。両親達の前では、俺も千綾も笑顔だった。目は合わせないし、会話もないけど。そこには不穏な空気など一切ない、完璧な近所関係が伺えた。
まったりとした雰囲気でバーベキュー大会は始まった。
「お兄ちゃんお肉焼いて」
「お兄ちゃんタレかけて」
「お兄ちゃんお肉食べさせて」
俺はまるで美波専属のメイドのように、美波のお肉を焼いて、お肉を美波の口に運ぶ。
コイツは気にしないのか。さっきまでオ◯ニーをしてた奴からお肉をもらってるんだぞ。俺だったらイヤだし、見らた方としても、しばらく距離を置きたいくらいなのに。
その仲睦まじい兄妹関係を見ていた千綾の母親は笑う。千綾の母親は、千綾に似て、凄く綺麗な人だ。
「ホントに仲が良いのね」
一応、他人の親ということもあり、俺は笑顔で受け応えをする。
「別に仲良くないですよ」
「もぉ、お兄ちゃんツンデレ」
「デレたことないだろ」
また、俺と美波の会話を見て、千綾の母親は微笑んだ。
「ホントに仲が良いのね。千綾とも仲良くしてあげてね。悠真君」
「あはは。まあ」
俺は愛想笑いで流す。
と、関節視野で千綾がこちらを見てるのに気がつく。が、俺はわざと無視してお肉を食べる。
「…………」
千綾は真っ直ぐに俺を見ていて、正直食べづらい。つうか、見んなよ。
まあ、そんな感じで、毎年のように何事もなく、千綾との会話も一切なくバーベキュー大会は無事に終わる。
☆☆☆
ビールを飲んで庭で伸びてるダメ親達を尻目に、俺と美波と千綾は、バーベキューの片付けをしていた。
片付けも、両家のチルドレンがやるという毎年の恒例だ。まあ、不仲なので毎年の片付けも例のごとく会話は一切ない。
俺はトングで、バーベキューコンロの炭を取って、水入りのバケツにしまう。
一通り取り終わった所で、
「炭捨ててくる」
そう言って、自分の家に入った。
捨ててくると言っても、炭の入ったバケツをキッチンに置いておくだけなのだが。処理は後日、両親がやってくれるだろう。
キッチンの、邪魔にならないはじっこの方に、俺はバケツを置いた。
水が入っていたから、結構重かったこともあり、俺は一息ついた。いや、バケツが重かったからではない。このバーベキュー大会そのものが、疲れただけだ。
毎年やっていることだが、他人の親と話すのは疲れるし、嫌いな奴といるのも疲れる。そして、美波の世話も……。
「はぁ……」
俺がため息をついた、その時だった。
庭が光った。青白い光。その光は、家の中にいた俺でも眩しくて、思わず手で目を覆ってしまうほど。
光った直後、女の子の悲鳴した。
「「きゃぁあああああああ!!」」
それも、二つ。
俺は慌てて庭に戻る。
駆けて戻ってきた俺は、心臓が跳ね上がる思いだった。
庭には、さっきまで後片付けをしていた千綾と美波が、芝生に倒れていた。
「か、雷……が、落ちた……?」
嫌な考えが脳裏をよぎる。
「……だ、大丈夫、か……?」
俺の問いに、二人は反応しない。
自分でも、顔から血の気が引いていくのが分かる。
近づいていいのだろうか。雷だったら、近づいたら感電とかしないのだろうか。……いや、そんなこと気にしてる場合じゃない。
「大じょ──」
ムクっと。
二人は同時に体を起こす。
何事も無かったように、二人は立ち上がる。
「大丈夫かよ!?」
俺は二人の元に駆け寄る。
「…………」
何故か、二人は俺を無視して、見つめ合ったまま。
「……」
すると、突然、千綾がカタカタと腕が震え出す。
「え、あ、う、え、……えっ、え」
千綾は自分で顔を触り、体を触り、真っ直ぐ美波を見る。
美波は千綾ほどテンパってない。
「……えっと……」
声は浮ついてるように感じる。
美波は続けて喋った。
「──美波ちゃん……?」
美波は何故、千綾を見て自分の名前を呼んだのだろう。
「……千綾ちゃんだよね?」
ところが、今度は千綾までもが、美波の顔を見て自分の名前を呼んだ。
俺はただ、その光景を見つめるだけ。
そして、二人は声を揃えて言った。
「「私達、入れ替わってる!?」」
眼の前で『君◯名は』が起きた。
いや、ふざけてる場合ではないな。
二人は駆け寄って、互いに顔や体を触り合う。
「えっ、だ、えっ、わ、私だ……」
千綾は美波の体を触ってそう言った。
「どういうことだよ?」
俺は美波に向かって話しかける。すると、千綾が答えた。
「私達、入れ替わってるんだって!」
千綾に真顔でそう言われると、何と答えればいいのか分からない。
あの俺を死ぬほど嫌っている千綾が、こんな悪ふざけしてまで、俺と会話をするはずがない。つまり、これは演技でも、イタズラでもない。本当に二人は入れ替わってる可能性が高い。
千綾はさらに続ける。
「どうしようお兄ちゃん」
「ぶはっ……!」
なんか、え……。なんか、え……。
オカズにしていた超絶可愛い幼馴染に、『お兄ちゃん』と呼ばれた。
これは新たなオカズが出来上がった予感。……いや、だからふざけてる場合じゃないって。
「ちょっと美波ちゃん! 私で知名君をお兄ちゃんって呼ばないで!」
美波は鬼の形相だ。つうか、そこなの?
美波っぽくない真剣に怒る表情に、俺は目の前で起きている事象が真実であることを疑い出す。
「そんなことより、どうなってんの? マジで入れ替わってんの?」
「お兄ちゃん、マジだよ」
千綾は真顔で答える。
「だから! 私で知名君をお兄ちゃんって呼ばないで!」
「えー、しょうがないじゃん。なら、千綾ちゃんがお兄ちゃんをお兄ちゃんって呼んでよ?」
「はぁ!?」
美波は引きつった顔で、後ずさりをする。
「で、で、でで、できるわけないでしょ!? ち、知名君は知名君だよ。お兄ちゃんじゃないから!」
「もぉ。私だってお兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。知名君じゃないもん」
恥ずかしそうに顔を赤くして、美波は張っていた肩を下ろした。どうやら諦めたようだ。
まあ、熱くなってるとこ申し訳ないけど、そんなことどうでもよくね!?
「しかし、どうすれば、元に戻るんだ? 色々と不便だぞ、これ」
俺の言葉に、美波は難しい顔して腕を組む。
「美波?」
「え?」
美波と目が合い、びっくりした表情を浮かべて美波は目を逸らした。
やばい。美波が珍しく難しい顔をしていたから、心配で話しかけてしまった。コイツは美波であって美波じゃない。千綾だ。
「あ、いや。別に」
俺は千綾に顔を向ける。
「…………」
話しかけづらい。コイツは千綾であって千綾じゃない。美波なのに。
「どうなって……入れ替わったんだ?」
「…………」
「…………」
二人は黙ったまま。
「あのぉ……?」
つい癖で、美波を見てしまう。美波は目が合うと、目を泳がせながら、つまりキャドりながら答える。
「か、雷みたいなのが落ちてきて……」
「か、雷か……」
俺は頭を悩ませる。
もう一度、雷が落ちてくれば、入れ替わりも治るかもしれないけど。本当に雷に当たれば治るのだろうか。最悪の場合、死ぬ可能性だってある。そもそも、雷が落ちるなんて滅多にない。というかあったら普通死んでる。つうか、なんでコイツら生きてんの?
「……おい、み、美波もなんか考えろよ」
俺はそう、千綾の姿の美波に言った。姿が千綾ということもあり、なかなか言いづらい。
すると、千綾は暗い顔をして、消えるような声でこう言った。
「……やだ」
俺と美波は、パッと、千綾に驚きの目を向ける。
美波は千綾に詰め寄り、千綾の肩を掴む。
「何言ってんの美波ちゃんっ!?」
千綾は、美波の手を振り払った。
「私、美波に戻りたくない……」
その言葉に、鳩が豆鉄砲を食らったかのように、驚いた顔で固まる美波。
「……ど……、な……な、なんで……?」
「千綾ちゃんだって、思ってたじゃん」
美波の顔が引きつる。
「……何が……?」
「私、知ってるから」
「だから何が!?」
荒らげた声に、冷静に睨み返す千綾は一言。
「言っていいの?」
「…………」
美波は奥歯を食い縛り、一歩、下がった。
そして、千綾は俺を見た。
「そういうことだから。これからは私が遠藤 千綾だから」
「…………お前ら、何の話してんだよ。戻らなきゃ、やばいだろ……」
不穏な雲行きになっていく二人に、俺はたまらず声をかけた。
「ごめん。知名君」
美波はそう言った。なんで、お前が謝るんだよ。
「……いや、だから……」
俺の言葉を聞かずに、美波は目を伏せて、自分の家に、元の千綾の家に逃げるように帰った。
俺と千綾は、庭で二人っきり。
「本当に美波……なんだ、よな?」
美波は俺の方を見ないで、頷いた。
「そうだよ。でも、今日から私は千綾ちゃんだから。お兄ちゃんもそう接してね」
と、言われましても……。
「つうか、庭に雷落ちたってのに、この呑んだくれ共はまだ寝てんのかよ……」
俺のその言葉と同時に、母親が瞼を擦らながら起き上がる。
「あら〜? どうしたの〜?」
ちょっと舌足らずのような感じで、まだ酔いが抜けてないようだ。
「片付けありがとうねぇ〜」
「……ま、まあ」
「千綾ちゃんもありがとうね」
千綾は頭を下げた。
「いえいえ。お肉、美味しかったです」
美波は千綾になりきるつもりだ。自分の母親に対して、なんと他人行儀な素振りだろうか。
完全に、なりきるつもりだ。
俺は何もできないまま、千綾の姿の美波を見送った。
今思えば、この時美波を止めおけばよかったのかもしれない。俺もこの問題を軽視していた。理由はいくらでもある。でも、俺はすぐに止めなかったことを後悔することになる。
そして、早速、事件は起きた。
翌日の朝だ。
千綾に起こされた俺は、未だ、二人が入れ替わったことに慣れてなかった。だから、千綾が俺を抱きしめた時、頭が真っ白になった。
体の体温が、伝わってくる。
荒く、生暖かい息が、伝わってくる。
俺は顔を真っ赤にして、どうすることも出来ず、ただ抱きしめられるだけ。
「──好き。ずっと、前から」
「────はっ?」
千綾は俺をうっとりしたような目で見て、唇を俺の唇に押し付ける。
力任せで、上手ではない。はっきり言ってしまえばヘタクソだ。
だけど、その可愛いすぎるルックスからか、俺は拒めない。
俺の体にかかる体重を受け止めるように、俺は千綾の体に手を回し、抱きしめ返す。
ミントの辛くて甘い味がした。
その体は想像していたよりも、柔らかく、温かく、小さく、愛おしいかった。
その体は震えているようで、俺を愛するように、愛されたいと願っているように、一生懸命だった。
千綾は目をギュッと瞑って、力いっぱい唇を押し付ける。
「……んっ……ん、っちゅぱ……」
息が吸えなくなったのか、俺に口を付けたまま息を吸ってしまい、俺の舌が千綾の口の中に吸い寄せられる。俺と千綾の舌が当たる。唇より暖かく……唇より柔らかく……。千綾は大きく目を見開いて、慌てて唇を離す。
「ぷはっ……はぁ、はぁ、はぁ……」
目は虚ろで、頬は薄紅色。
再び、千綾は顔を近づけ、強引に唇を押し当てた。
「……っん、ちゅぱ……ちゅ……んっ……」
──ガタ。
部屋の入り口の方で音がした。
俺はキスをされながら、視線だけを動かした。
そこには、腰を抜かして床にへたり込む美波がいた。
美波の顔は真っ青。俺と目が合うと、口を抑えて、走って部屋を出ていった。
「っ……!?」
俺は全力で千綾を突き飛ばした。
千綾はベットの上に倒れる。
「なんで……? 千綾ちゃんが好きなんでしょ……?」
気が動転していて忘れてたけど、コイツは千綾の姿を美波だ。妹の美波なんだ。
「俺、彼女いるから! それに、いくらお前が千綾の姿をしてたって……、お前は……美波だろ」
そう言うと、千綾は肩を落とした。
「……そう」
「まだ話あるからな! ちょっとここで待ってろ!」
俺はそう言い残し、走って美波を追った。
階段を降りると、洗面台から水の流れる音がした。
俺は洗面台に向かう。
そこには、洗面台に頭を突っ込む美波がいた。
「……なに?」
美波はゆっくりと顔を上げる。美波の顔はビシャビシャだった。それが水なのか、涙なのかは分からない。
でも、申し訳ない気持ちになる。俺と美波のことに、千綾を巻き込んでしまった。
「あれは美波からやってきたことで」
美波は大きく目を見開いて、怒鳴り声を上げる。
「だから!? キスしちゃったんでしょ!? 私、したことなかったのに!! 人の体で何してくれてんの!?」
「……」
返す言葉もない。
「兄妹揃って不純だよ! 最低だよ!」
美波は俺の体を押して、洗面台を出る。
俺はその拍子に尻餅をついた。
もう、なんなんだよ……。
昨日から起きた変化に、俺だけがついていけてない気がした。
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