第36話『ファルプ世界の歴史』
クロトが出ていくとカイロスは小さく息をついた。
「やれやれ、僕はあの子にどうにも信用されていないようでして……ははは」
「仲がよろしいんですね」
「あの子の親はあの子がまだ小さい頃に出先で行方知れずになりましてね。それ以来私が面倒を見ているのですが、少し甘やかし過ぎたのかもしれません」
カイロスはしれっと言ったが行方知れずになったクロトの親というのは彼の娘だ。
「それは……」
「貴方が気にすることはありません。この世界ではよくある話ですし、元々エルフは家族という意識が薄いのです。結婚の風習もありませんしね」
「そう……なのですか?」
「何百年も生きますからね。結婚でお互いを縛り合うのは不合理でしょう?」
「そう、かもしれませんね……」
カイロスはポットに入った紅茶を2人分カップに注ぐと彩兼の前に置く。地球と同じくミルクと砂糖が銀の器に入って添えられている。ミルクの入った器を手にしすると一度煮沸されているようで仄かに温かかった。
「どうぞ、この国の茶葉です。口に合えばいいのですが」
「いただきます……うん、とても美味いです」
味も香りも一級品だ。彩兼は二口目を頂く。
「それはよかった。では本題ですが、僕は君を講師として雇いたいと考えています。いかがですか?」
それは彩兼にも予想外の提案だった。入学を勧められる可能性はあると考えていたがまさか職員側とは……
だがそこはこの世界での認識の違いがある。彩兼は18歳。この世界ではもう手に職をつけていて当たり前の年齢だ。
「ここで、ですか? 俺、高校生ですよ?」
「ええ。いきなり授業をしろといっても厳しいでしょう。それは様子をみながら追々……」
「ですよね」
この学園は日本で言えば東大である。幾ら科学技術が遅れた世界とはいえ、その講師が自分のような若造に務まるものではないと彩兼は考える。勿論、カイロスもそのくらいは理解しているようだ。
「この学園では向こうの世界からの漂流物。我々はそれを渡界物と呼んでいますが、そういったものを集めてこの世界で役立てるように研究をしています。君にはそのお手伝をしていただきたいのです」
「なるほど……」
ファルプ世界には稀に地球の物や人が迷い込んでくる。そういった物を渡界物、人ならば渡界人と呼び、マイヅル学園はそれらの収集し研究を行っている。確かに彩兼が加われば研究は飛躍的に進むだろう。
彩兼も地球産の使えそうな物が手に入る可能性があるから悪い話ではない。地球に帰ることが目標ではあるが、彩兼はこの世界のことをまだよく知らないし、この国の金だって必要だ。まさか海賊をするわけにはいかないだろう。
だが、流石にすぐに返事をするのは躊躇われた。
「ありがたい話ですが、少し考えさせてください。俺はこの世界についてあまりに何も知りません」
「ふむ。確かに性急だったかもしれません。では僕でよければ、この国についてお話しましょう」
カイロスはティーセットが片付けると、机の上に世界地図が広げる。それはヨーロッパが中心に描かれており、かつて訪れた地球人が持っていた地図の写しだった。
「僕はここから遠い西の国で生まれました。今の地球で言うイギリスですね」
そう言ってカイロスは地図の中心にある島を示す。
「この地には強力な魔法を扱えるハイ・エルフという種族が住んでいました。僕達コモン・エルフの上位種です。彼らはこの世界と地球とを行き来する力を持っていたと言われています」
「なんですって!?」
元の世界に帰る手がかりが掴めた事で、彩兼は思わず身を乗り出す。
「俺はグレートブリテン島に向かいます! 申し訳ないですが講師の話はお受けできません!」
彩兼は声を上げて立ち上がる。アリスリット号なら地球の裏側でも3日とかからない。だが、飛び出していきそうな彩兼をカイロスが止める。
「待ちなさい。彼らはもうそこにはいませんよ? 僕が生まれるよりずっと前にこの世界から姿を消してしまいましたからね」
「……まじで?」
「ええ。まじです」
やはりそう上手くはいかないようで、彩兼は消沈した様子で再び席についた。
「すみません。続けてください」
「現在ハイ・エルフは伝説上の存在となっています。彼らが姿を消した原因として、魔獣に襲われ全滅したとか、他の世界に移住したなどと言われていますが、かつて存在し、地球と交流していた事は間違いない。それは我々の使う言語からも明らかであるといえるでしょう」
「世界を超える程の力を持った種族に、脅威となる存在がいたのですか?」
「当然の疑問ですね」
彩兼の率直な疑問に対し、良い質問だとばかりにカイロスは答える。
「ハイ・エルフの肉を食らえば寿命が100年伸びたと言われていましてね。その為、ハイ・エルフは魔獣や他の魔族に常に狙われていました。確かに彼らは強力な魔法を使えたと言われています。しかし、非常に数が少なく、身体能力も我々コモン・エルフや人と変わりません。一対一では強くても、数で押してくる敵に対して決して、無敵の存在ではなかったのです」
カイロスは、そこでいったん区切るとカップに口をつける。
「そこでハイ・エルフは、他の種族と手を組む道を選びました。その相手というのが人族です」
「ハイ・エルフが人を選んだ?」
「ええ。強さとは個の力ではなく、種族としての力です。どんなに強い魔法が使えても、数が多い人族の力無くして、国や町を作ることはできません。ハイ・エルフは人族の持つポテンシャルに賭けたのでしょう」
「なるほど。そういう意味では確かに人は強いですね」
「ええ。それは地球の発展をみれば明らかです。もっとも、当時のこっち世界の人族は、魔獣に対してあまりにも無力であり、その時代まで文明を作り出せずにいました。そこで、ハイ・エルフ達は空間を渡る秘術で地球人を招き、その知識と技術をこの世界に広める事にしました。そうして誕生したのが、ファルプ世界最初の国家、アルフヘイム王国です」
「アルフヘイム……神話と歴史がこんな形で繋がるなんて……」
アルフヘイムは北欧神話に登場する妖精が住むと言われる国の名だ。地球とファルプがかつて交流があったという証明である。
「言葉が英語なのもそれが理由でしたか」
「はい。ここへ来て随分訛ってしまいましたけどね」
アルフヘイム王国は誕生から1000年で勢力を拡大し、北欧一帯を支配した。だが、やがてハイ・エルフ達が姿を消し、地球との交流も無くなるとアルフヘイム王国は衰退をたどることになる。
「国が大きくなって、次第に権力者同士が揉めるようになりました。やがて国は分裂。そのへんは地球の歴史でよくある話でしょう?」
「ええまあ」
権力者同士の諍いは国力を衰退させ、次第に魔獣から国土を護れなくなり、ついにアルフヘイム王国は幾つもの小国に分裂したという。纏まった力がなければ魔獣に対抗することはできない。人類は再び生活圏を狭めることになっていったのだ。
アルフヘイムが分裂する際、一部の王族がそのときのどさくさにまぎれて出奔した。そして彼等は流れついた地で新たな国を興す。それがこのルネッタリア王国である。
それがカイロスが語ったこの世界の歴史だった。
***
「アヤカネ君はこの国で数日を過ごして如何でした?」
「飯は美味いし、女の子は可愛い。魔獣なんてのがいなければ天国かと思いましたよ」
「ふふふ、天国ですか。地球人らしい夢のある考え方ですね」
彩兼はその言葉が引っかかった。この世界の人々がまるで夢を持たないような言い方だったからだ。だが、少なくとも彩兼がこれまで出会った人々は決してそんな暗い人間ではなかった。
「この国にも宗教や神という概念はありますが、あまり浸透していません。かつてアルフヘイム王国には地球から宣教師も招かれていましたが、彼らはこの世界に来て3日と持たず信仰を捨てたと言われています」
「……そうでしょうね」
この世界に来て魔獣や魔族の力を目の当たりにした彼らはどう思っただろう? 遥かに長い寿命、強靭な肉体、特殊な能力を持った種族が人ではなかった。
神が祝福を与えたのは人では無かった。
精霊が力を貸したのは人ではなかった。
この世界で万物の霊長は人ではなかったのだ。
「確かに、我々魔族は個人としては人の上位互換と言えるでしょう。しかしその数は少なく、出生率も低い。種として決して優れているとは言えません。文明を発展させるためにはどうしても数が必要です。人は決して劣っているわけではないのですよ」
「なるほど」
「さて、この世界での人と魔族。その力関係について知りたければ良いものがあります」
そう言ってカイロスは悪戯っぽい笑みを浮かべ引き出しから黒い下敷きのようなものを取り出した。
「これは賢者の板というもので……」
「いやこれタブレットPCじゃないですか!?」
「ここではそういうことになってるのです」
カイロスが手にしていたのは日本のメーカーの10インチタブレットだった。彼はそれを慣れた手付きで立ち上げる。ホーム画面にはこの学園の正面からの写真が設定されていた。
もしやと思って確認するが、Wi-Fiや通信サービスの接続を示す表示は光っていない。だがバッテリーはしっかりと充電されているようだ。
100年前に流れ着いた日本人と交流があったと聞いていたが、それにしては現代の日本人である彩兼に対してあまりに対応が慣れすぎていた。その答えがおそらくこれだ。
「……説明してくれるんですよね?」
「勿論。ですが今はこれを御覧なさい」
カイロスはその中に収められた動画ファイルを開く。そこに映し出されたものは驚くべき映像だった!
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