第29話『鍋を囲んで』

「漁師鍋は冒険者の嗜み」

「うわぁ、アヤカネ上手!」

「海育ちで慣れてるからな」


 動物や魚を捌くのは冒険家にとって必須といえる技術だ。当然彩兼は幼い頃から仕込まれている。動物の方は彩兼も苦手だが、魚ならば学校の実習や家でも頻繁にやっていた。


 鱗をおとして腹を裂き、内蔵を水で洗い出す。慣れた様子で包丁を振るう彩兼に歓声を上げるファルカ。


 彩兼がさばくのは50センチ以上ある見事なコショウダイで、ファルカが捕らえてきたものだ。


 魔族は傷の治りが速いらしく、ファルカの腕の傷もすでに血は止まっていた。それでも無理はするなというフリックスの静止を聞かずに海に入ったファルカは、ものの数分で大物を手にしてドヤ顔で帰ってきた。それには彩兼とフリックスは顔を見合わせて呆れるしかなかった。


「味付けは味噌でいいかな?」

「なんでもいいよ!」

「任せよう」

「よしきた!」


 どのみち釣った魚で料理はするつもりだったので、芋やこんにゃく、冷凍したソーセージなど鍋に使えそうな食材は豊富に積んである。


 切り身にしたコショウダイと野菜などの具材をいれた鍋に、味噌と鷹の爪と酒そしてバターを加える。潮風で冷えた体に染み渡る定番の味付けだ。


「ねぇねぇ、まだ? まだ? お腹空いたよー」


 いち早く席についたファルカは落ち着き無く足をバタバタさせている。


「まだだよ。ご飯もまだ炊けてないし、もうしばらく我慢しな」

「ぶー」


 IHコンロに鍋をかけて5分。コトコトいい始めたところでまだ早い。ファルカ泣いても蓋とるな。


「ふむ。調理器具は発達していても、手間や時間は変わらないものなんだな」

「ええ、手軽にできるものもありますが、美味しく食べるには手間は欠かせません。もっとも俺は素人なんであまり味を期待されても困りますけど」

「そうか? なかなかの手並みだったが?」

「俺なんかじゃ本職には全然敵いませんよ。昨日泊まった宿の食事は日本でもそう味わえないくらい美味かったですからね」

「ほう?」

「サバミコの町の宿? どこどこ?」

「そこはもう……あの魔獣の襲撃で女将と従業員の子が殺されました……」


 フリックスとファルカは彩兼も認めた宿の料理に興味を持ったようだ。しかし彩兼が宿で起こったことを語ると一様に表情を曇らせた。


「そうだったか。ありがとうアヤカネ船長。我が国の民を救ってくれたことに感謝する」


 神妙な顔をしてフロッグハウスとサバミコの町で起こった惨劇を聞いていたフリックスは、改めて姿勢を正し彩兼に向き直って礼を言う。


 それには流石に彩兼も面食らってしまう。


「よ、よしてください!? 俺はただ……」

「だが、お前はこの船でいつでも脱出できたのだろう? 危険を冒してまで戦う理由もなかったはずだ」

「そうだよ! それなのにあたしさっきは怒鳴っちゃって、ごめん」

「お前までやめろって! 俺は冒険家として後で自慢できる行動をしただけだ!」

「むふふー、アヤカネってば照れること無いのに~」

「そうだな。ことが落ち着いたらたら正式に謝礼する事になるだろう。それも俺の仕事だ」

「そういうのはいいですって!」

「そうもいかん」


 フリックスの言うこともわかるのだが、彩兼は居心地悪そうに顔をしかめる。家族を失ったルワのことを思うと、とても喜ぶ気にはなれなかったのだ。


「まったく。……ほら、鍋がそろそろいい頃合いだ」


 そうこうしているうちに鍋も煮えたようだ。蓋をあけるとほんわりと湯気があがり、食欲をそそる香りがひろがった。


 場の雰囲気がほっこりと和らぐ。


 彩兼の気持ちを察してか、フリックスもファルカもそれ以上は言うことはなく、出来上がった鍋に意識を向けた。


「うん! いい匂い! なぁに? これ?」

「バターかな? 牛の乳から作る油の塊みたいなやつだけど、この世界には無いのかな?」

「うん。知らない」

「俺も聞いたことがないな」

「まぁ、作るのにも保存にも技術が必要だからなぁ……」


 取り皿と箸、それに飲み物を配る。ファルカと彩兼はジュースだが、フリックスはそれでは物足りないだろう。


「長官、酒は飲まれますか?」

「うむ。それなりにな。本来ならば控えるべきなんだろうが、せっかくだ、頂こう」


 この国では米から作った酒が一般的に飲まれているようだ。


 彩兼は酒に詳しくはないが、昨夜エルにすすめられ、少しだけ飲んだ酒は日本の清酒と変わらなかった。


 彩兼は船内から薔薇のマークのバーボンを持ってくると氷を入れたグラスに注ぐ。


「俺の親父が好きだった酒です」

「ほう、いい香りだ」


 グラスから漂う香りに目を細めるフリックス。


 乾杯。


「いただきま~す!」


 はらぺこファルカは早速取り皿いっぱいに鍋をよそってすごい勢いで食べ始め、バーボンを口に含んだフリックスは舌を焼くような刺激に驚いて声を上げる。


「む! これはまた強いな!?」

「お気にめしませんでしたか?」

「いや、良いな。久々に気持ちよく酔えそうだ」


 フリックスは気に入った様子で二口目を口にする。その様子に好奇心旺盛なファルカが黙って見ているはずもなく、自分にもよこせとグラスを持ってくる。


 当然待ったをかける彩兼。


「そういえば、お前いくつなんだ?」

「13歳」

「まじで?」


 確かに顔立ちは中学生くらいに見える。だが、彼女のスタイルは18歳の彩兼のクラスメイト達と比べてもかなり良い。


(弥弥乃より下だったのか……まあ、洋モノだしね……)


 もっとも、体が大人だからといって飲酒が認められるわけもなく、ファルカのおねだりを断る彩兼。


「俺の国では20歳以下は酒を飲んじゃいけないんだ。この船の上では日本の『二十歳未満ノ者ノ飲酒の禁止二関スル法律』に従ってもらうぞ」

「ぶー、ならアヤカネはいくつなのよ」

「おれ? 18歳」

「嘘っ!?てっきり同じくらいだと思ってた!? でも、それならアヤカネだって飲めないじゃない!」

「まぁな。でも酒は飲んで愉しむ為だけにあるんじゃない」


 彩兼が暮らしていた2023年の日本では、民法改正によって成人年齢が引き下げられている。そのため彩兼はすでに未成年ではないわけだが、飲酒や喫煙は20歳からなのは変わっていない。


 鳴海家で酒が飲めるのはティーラだけだが、彼女はあまり酒が好きではなかった。


 それでもアリスリット号には多くはないが様々な種類の酒が積み込まれていた。


 人をもてなすため、冷えた体を温めるため、また孤独や恐怖に耐えるためにも冒険家に酒は欠かせないのだ。


「ふーんだ!」


 酒をもらえなかったファルカは再び料理を消化しに戻っていった。


 ひとりぱくぱくと料理を平らげていくファルカを他所に、彩兼はフリックスと飲み物を手にして語り合う。


「母と妹がいるのか……それはさぞ心配しているだろうな」

「……ええ」


 自分がこの世界に来たときの状況を話して未確認物体の映像も見せたが、フリックスには心当たりがないらしい。100年以上昔、日本人を乗せた船がこの地に流れ着いたことがあるというが、それ以後は、船や漂流物が見つかっても生きた人間が訪れたという記録は無いという。


「力になれずにすまない」

「いえ、長官が悪いわけでは……」

「だが、マイヅルに行けば何かわかるだろう。あそこの学長は300年以上生きているエルフでな、当時訪れたニッポンジンとも交流があったそうだ」

「300年!? 本当ですか!?」

「ああ。見た目は俺とあまり変わらないのだがな」


 この世界にエルフが存在するということは以前ファルカに聞いていた。それも地球の伝承で語られている通り、不老長寿な種族らしい。


「ファルカからも聞いていましたがそれはお会いするのが楽しみですね!」


 子供のように目を輝かせる彩兼にフリックスは苦笑する。


「そうか。チキュウには魔族も魔獣もいないんだったな」

「ええ。俺は会ったことがありません」


 マイヅル学園を卒業しているフリックスは地球についてある程度知識があるようだ。


「あの学園は彼が向こうの世界。チキュウか? こちらよりも発達したチキュウの学問や技術を研究するために建てられた。その甲斐あって我が国の民の生活は日々豊かになっている。だがまだまだその差は大きいようだな」


 フリックスはアリスリット号を見上げ外壁に手を触れる。深度1000メートルにまで耐えられる堅固な船体はフリックスでも素手ではどうにもできないだろう。


「人が大地を支配する世界であってもこれほどの力を必要とするのか……」

「ええ」

「そうか……」


 何か思うところがあるのだろうか? グラスを煽る彼の表情はどこか物憂げだった。

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