物部春人は笑わない。

アサギココア

『物部春人は笑えない。』

 ーーーーいつからだっただろう、笑えなくなってしまったのは......。

 どこかに落としてしまったのか、僕には感情がない。と言うより、感情を表に出せない。

 だから、物部春人もののべはるとは笑わないのだ。



 バタバタバタと数冊の本が頭上に降ってきた。


「いてぇ......」


 本棚から一冊の参考書を抜き取ろうとしてこの様だ。

 周りには他の生徒もいる。ここは学校の図書館で、今は高校三年の夏。

 誰も他の生徒に構ってる暇はないんだろう。


「大丈夫?」


「参考書を頭から被って大丈夫なわけがないでしょ。超痛いです」


「そうは見えないけど」


 この人は、現生徒会長の安桜蒼あさくらあおい。才色兼備な完璧超人である。


「生徒会長さんがこんなとこに何のようですか?」


「嫌な言い方をするのね。それに、そのセリフそのまま返すわ。学年成績二位の物部春人くん」


「会長に知ってもらえてるなんて光栄だなー。でも生憎、学年二位の僕は勉強しなきゃ行きたいとこにも行けないんですよ」


「そうやって心にもないこと、よく言えるわね」


「事実ですよ」


「まあいいわ。私がここにいるのは生徒会の仕事があるからよ」


「夏休みまでお勤めご苦労様です」


「あら知らないの? それは目上の人が目下の人に使うのよ?」


「つまりは僕の方が地位の低い人間だと?」


「あら、間違っているかしら?」


 この人はいつも、こうやって僕にちょっかいを出してくる。表情の出ない僕をからかっても、面白いことなどありはしないだろうに。ほんと、ご苦労様です。


「で、生徒会の仕事って何なんです?」


「文化祭の注意事項とか、色々とまとめなきゃいけないのよ」


「文化祭って十一月でしょ? 生徒会の任期も終わってるんじゃ......」


「引き継ぎとか色々あるのよ」


「手伝おうか?」


 蒼は想像以上に驚いた顔をしていた。


「口説いているのかしら?」


「いや、違うだろ」


「ありがたいけれど遠慮しておくわ。あなたの勉強の邪魔をしたくないもの」


「そうか」


 安桜蒼はこういう人間だ。他人に迷惑を掛けたくないから頼らない。

 初めて安桜を知ったのは一年の頃だ。彼女は一学期の中間と期末で全教科満点という快挙を成し、学校中で話題になった。

 僕は自分の感情を表に出せない。その代わり、他人の感情を読み取るのは得意になった。

 彼女はなにか色々抱えているように見えた。それが、三年に上がってから急になくなったのだ。

 それに、雰囲気は以前と変わらないのに、誰か別人と喋っているような、そんな気がする。

 







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