優しすぎた天使の復讐劇

夢見 絵空

序章 【復讐の始まり】

序章【復讐の始まり】


 毎度毎度、ここの夜道は本当に危ないな――。


 中山司は残業で疲れた頭を抱えながら、そう思った。


 時間はもう十一時を過ぎていて、夜道には人影はない。民家から漏れる光もごくわずかで、一日の終わりを、そして真夜中の始まりを告げていた。


 この道は危ないなと感じる。それは自分がではなく、女性がだ。こんな夜道を一人の女性が歩いていれば、ただそれだけで危険だ。


 そういえば妻が、夜道が危ないから街灯を増やすように町内会で市役所に訴えたと言っていた。


 その町民の声が、市役所の末端からお偉方まで届くのにどれほどの時間がかかるかはしらない。けどすぐではないことくらい、いい大人なのだからわかる。行政に訴えるより、個々が注意して行動するのが一番安全だろうな。


 彼がこんなことを考えているのには訳があった。


 一つは彼の妻、市役所に押し掛けるほどの気の強さの持ち主。けどどう気が強くても、彼女はまだ三十になっていない。悪意のある者に狙われる可能性は十分にあるだろう。


 そのため日頃から夜はあまり外に出るなと注意している。彼女は子供扱いねとグチっていた。


 そしてもう一つは娘の存在だった。これがなにより強い。昨年生まれたばかりの一人娘。まだ二足歩行もままならい、愛らしい娘。


 司が一番心配しているのはその娘が成長して、この道を通るときだ。そんなもの、父親としては考えただけで恐ろしい。


 きっと狙われてしまう。あんなに可愛いんだ。男たちが放っておくはずがない――。


 本気でそれを恐れいている。親ばかでもなんでもない。父親として心配しているのもあるが、男として直感してると言った方が正しい。


 しかし、娘が生まれてすぐにこの町の家を買った。妻とさんざん相談して、ローンも組んで、初めて手に入れたマイホームだ。引っ越しは考えてない。


 後悔をしてるわけじゃない。ただ、この夜道の改善を願っている。


 それにここには公園があった。昼間はいい、妻が娘を連れて遊びに行くし、そこでコミュニケーションができている。


 ただ夜中になるとたちの悪い若者がたむろして遊んでいる。大声で騒ぎ、夏場には花火をしだすこともある。


 その公園は帰り道にあり、司もそのバカ騒ぎにはうんざりさせられていた。


 しかし、今日は違った。


「珍しいな」


 その公園に今夜は人影がなかった。闇の中に遊具や公衆トイレだけがあるのは不気味だが、それだけに平和だ。


 遊び場をかえたのかもしれない。これはいいことだ。


 喜んだのもつかの間だった。突如、闇の中の公衆トイレから誰かが飛び出してきたからだ。


 遠くから見てるだけだが、若い女性だとわかった。高校生くらいだろうか。彼女はひどく慌てた様子で、首を大きく左右に振ってあたりを見渡し、誰かを捜していた。


 声をかけようかと思ったときに、彼女の方が司に気がついた。そして駆け足で公園の前で足を止めていた彼に寄ってくる。


「た、大変なんです! と、トイレの奥で、人が……!」


 声が震えていて非常にせっぱ詰まっているのがわかった。


 司は一気にトイレに向かって走り出した。


 司は真っ先に女性のトイレに入った。もはや真夜中だし躊躇する必要もないと考えて勢いづけて入ったのだが、どの個室にも誰もいなかった。


 そうなると男性用かと思い、女性用トイレを出たところで疑問に感じた。


 どうして彼女は男性用トイレの奥のことがわかったんだ――?


 おかしいとは感じたが、とにかく中を確認しはじめた。しかし、やはりどこの個室にも誰もいない。


 一番奥の個室の中を一応細かく調べたが、やはり何もない。


 首をかしげていると、こつんっと冷たい音が耳に届いた。どうやら彼女が入ってきたようだった。

 

 どういうことかと確認しようと振り向いた瞬間に、いつの間にか彼女が彼にあと一歩というところまで近づいていたことに気がついた。


 驚く間もなく、わき腹に何か、とんでもない衝撃が走って態勢を崩した。倒れる瞬間に見たのは、少女が手にしたスタンガンと、冷たい彼女の目だった。



■■■■



 何か圧迫感がある。そう思っていやに重たい瞼をゆっくりとこじ開けていくと、真っ白な壁が目の前にあった。


 一体何が起きたのか、さっぱりわからない。目に映る光景で、どうやらトイレの個室の便座に座っているらしいということだけはわかった。


 体を起こそうとしたが、ぴくりともしない。両手が後ろに回され、手首には手錠がはめられている。そしてその手錠はトイレの配水管を通していて、全く動かせない。


 両足にも手錠がさせられていたし、下腹部には何かのひもで便座ときつく縛られていた。


 一体、これは何なんだ――!?


 半ばパニックになって叫ぼうとしても、口にはガムテープが貼られていて声など出ない。言葉にならない声は、くぐもったうめき声にしかならなかった。


「お目覚めになりましたか」


 あの少女の声が聞こえたと同時に、狭い個室に入ってきた。たださっきまでとは姿が違う。


 彼女は青いレインコートを着ていて、怪しく光るナイフを手にしていた。


「大金を払った甲斐があったようです。あなたは十分以上気を失っていました。その間に動けなくしましたが、どうかお静かに」


 何を訳の分からないことを言ってるんだ、この子は。早く解放しろっと怒鳴った。いや、怒鳴ったつもりだった。しかしやはり声にはならない。


 全力で足をばたつかせ、腕を動かそうとしたが何ともならない。そんな姿の彼を、少女はさめた視線で見つめていた。


「無駄です。そう簡単にほどけません。何度も確認しましたから」


 少女の声を無視して暴れ続けた。手首に手錠が何度もあたり痛いが、そんなことを言っていられる状況ではなかった。


「……あまり、音を出さないでください」


 顔の前に銀のナイフの刃先を突き出された。それで抵抗をやめても、ナイフは引かずにゆっくりと司に近づいていき、冷たい刃が暴れて紅潮していた頬に当たった。


「これ以上暴れたり叫んだりした場合、暴力処置をいたします。当たり前ですが、容赦はしません。ただあなたがこれから私のする質問に素直にお答えしてくださるのなら、そのようなことはいたしません。何もせず解放します。もちろん、この事実を口外しないという約束をしてもらいますが」


 ナイフが頬から離れて、今度は目の前にくる。少女の目が本気だということを伝えていた。


 従わないと殺される――司は完全にそう理解した。


「約束していただけますか」


 反抗の余地など微塵もない質問だった。ゆっくりと頷くと、少女は場違いにも「ありがとうございます」とお礼を言ってきた。


 そして右手をすっとのばして、どういうわけかなるべく痛くないように、ゆっくりと口のガムテープをはがしていった。司が少しでも痛がると、怯えたように動きを止めて小声で謝る。


 完全にはがしおえるとガムテープをタイルの壁に貼り付けた。


「き、君は誰だ」


「お答えできません。それに質問するのは私です。勝手なことは控えていただけると助かるのですが、よろしいでしょうか」


 この言葉遣いのせいで何か得体の知れない恐怖があった。彼は口を動かさず、また小さく頷いた。


「では最初の質問です。――鷲見わしみカンナを覚えていますか」


 一気に背筋が凍った。そして目の前の少女をまじまじと見つめる。彼女はどうしてその名前を出してくる……。あの事件は誰にも知られていないはずなのに。


 鷲見カンナ。覚えている。いや忘れるはずもない名前だった。


「お答えください。覚えていますか」


 彼女の目は、真っ直ぐと彼をとらえていた。


 その名前を出してくるということは確信を持って、自分に接しているんだろうということは彼も理解した。だから、素直に答えるしかない。


 けど、口が震えて答えられない。そんな彼を彼女が歪んだ笑顔で見ていた。


「どうやら、覚えているようですね。カンナさんのことを。あなたたちがカンナさんに何をしたのか。そして、カンナさんがどうなったのか」


「ち、違うんだよっ、俺は!」


 叫ぶように主張しようとしたのに、直後に彼の頬にナイフがかすれた。痛みと、なま暖かい血が頬を伝っておちていくのが感じ取れた。


「大声を出さないでください。それと勝手に喋られないように。次に約束を破ると、殺します」


 痛いとか、怖いとかそんな感情を吹き飛ばすほどの怒気が彼女から感じられた。だから震えながら、はいと小さく答えるしかなかった。


「では、次の質問です」


 彼女は彼の目の前に三枚の写真を差し出してきた。それぞれ別の男たちが写っている。どれも知った顔だ。二宮、清水、西本……。


「あなたのお知り合いですよね。間違いありませんか」


「あ、ああ……」


「そうですか。では、犯行メンバーはこの三人とあなたの計四名で、お間違いないでしょうか。いいですか、嘘をつくと痛いことになります。素直にお答えください」


 この質問をされた直後、あの時の記憶が蘇ってきた。まだ若くて、無計画だったときの自分と、同じような仲間。


 あのとき、あのメンバーで鷲見カンナと遭遇した。そして――。


 自分でしたこととはいえ、思い出したくない記憶だ。


「お答えいただけませんか」


 ナイフがさっき切られた逆の頬に当たった。


「こ、答えるからやめてくれ」


「では小さな声でお答えください」


 少女が念を押すのでそれに従い、嘘偽りなく答えた。


「そうだ。……俺とその三人で間違いない」


 そう答えると少女がナイフを彼からはなした。そしてどういうわけか、俯いて、両手で顔を覆った。何か、悲しんでるようだった。


「そうですか。そうですか……」


 そう繰り返しつぶやいている姿には、さっきまであった恐ろしさは微塵もなかった。


「けど聞いてくれ。頼む! 俺は反対したんだよ、やめとけって。俺だけじゃない、二宮も!」


 許されないと分かっていても、そもそもこの子が鷲見カンナとどういう関係なのかも分からないが、それだけは主張しておきたかった。


 しかし彼が約束違反をして声を出したというのに、少女は反応しない。


「……そうですか」


 またそうつぶやいた。そして顔から両手をはなして、深く深呼吸をした。


「残念です」


 誰にそう言ったのかはわからない言葉だった。


 彼女はさっきタイルの壁に貼り付けたガムテープをはがすと、驚くほどの早いスピードと力強さで、それを再び司の口に張り付けた。


 驚いている暇さえなかった。また口を塞がれた彼は、約束が違うじゃないかとわめくが、少女はまるで聞いていない。


「あなたがたがカンナさんを殺したんですね。……その罪、償ってもらいます」


 手に持っていた三枚の写真をレインコートの中に忍ばせると、手にしていたナイフを降りあげた。見上げると刃先が残酷に光っている。


 約束が違うっ、ちゃんと答えたじゃないかっ――そう叫んでも決して声にはならない。


「約束が違いますよね。ひどいですよね」


 まるで他人事のように彼女が言った。


「けどこれがあなた方のしたことですよね。だから……死んでください」


 彼女がナイフを降り下ろしてくるのを叫びながら見つめ、彼は最期に妻子の姿を頭に浮かべた。



◆◆◆◆



 私は首にナイフを刺したまま、暗く血濡れた個室で、ぽつりとつぶやきました。


「これで、一人目」


 これからが、私の復讐。

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