黒騎士さんとわたし。
道端の乞食
01.助けられて、ここにいる。
暗い。
暗い。
暗い。
果てしなく、暗い。
幾重にもそびえ立つ高木はただでさえ陽光をさえぎるのに、真夜中とあっては見えるはずのものも見えない。
そんな暗闇の中を駆ける、二つの影。
一つは小さな人の影。
もう一つは……
「ウ゛ ェ゛ ア゛ ア゛ ア゛ ア゛ ア゛ ア゛ ア゛ア゛! ! ! ! !」
巨大な、トカゲの様な生物。
「なんで、なんで、なんでえええええ!!!」
人の影は少女だった。長い髪を揺らし、必死に駆け続けていた。目の利かない暗闇で、転びそうになって、枝が服を切り肌を裂いて、それでも逃げ続けていた。
「あっ」
見えぬ石が彼女の足元をすくう。頭から地面にすっころんで、土ぼこりが舞う。彼女の目は迫り来るトカゲの様な何かを見据えた。自分よりも遥かに強大なそれに出会ってしまった自分を、呪った。
「たす、けて……」
暗闇の中でも、トカゲのギョロリとした一つ目は見る事が出来た。その目の大きさだけで彼女の身長程はあった。
「たすけて……たすけて……いや、いやぁ……」
「ウ゛ ゥ゛ ル゛ ル゛ ル゛ ル゛ ル゛ ル゛ ル゛ ……」
もう、起き上がって逃げる体力も、気力も、勇気も無い。少女が出来る事と言えば、虚空に助けを請う事しかなかった。
獣が前脚を大きく振り上げる。思えば、短い人生だった。虐げられ続け、ほとんど独りで生きてきた。友達という友達もおらず、道行けば罵詈雑言を投げかけられ……ここまで来た。もしかしたらこの先楽しいことなんてないかもしれない。今までと変わらぬ環境が彼女を襲い続けるかもれない。
──それでも、死にたくない。
少女は、なけなしの体力を搾り出し、大声で、
「たすけてええええええええええええ!!!!」
助けを、請うた。
ざしゅっ。
自分の最期を見届けまいと、必死に目を瞑った。直後に自分が死ぬと思った。
……でも、その予期は裏切られた。だって、実際彼女はこうして生きているのだから。
「ウ゛ゥ゛ッ゛! ウ゛ ァ゛ ア゛ ア゛ ア゛ ! ! !」
少女は恐る恐る目を開けた。夜の森の暗闇は容易に物体を認知させてくれないが、「怪物が悶えている」事は理解できた。涙目を服の裾で擦って、改めて眼前の獣を見つめる。何故か逃げようとは思えない、不思議と目は獣の頭部で暴れる影に吸い込まれていく。
「ア゛ ア゛ ! ! ゥ゛ ア゛ ア゛ ア゛ ア゛ ア゛! !」
シルエットだけの外套が縦横無尽に揺れている。影は荒れ狂う獣の頭に深く剣を突き立てる。片手の指の一本が赤く不気味に輝き、緋色の魔法陣が手元に現れ、火炎の刃を形成する。それは、『剣』の魔術に炎を宿しただけの至って基本的な魔術だった。
突き刺し、刃を作り、突き刺し、刃を作り、突き刺し、作り、突き刺し、作り、突き刺し、作り、突き刺し、燃え滾る炎の剣は消える事無く獣を苦しめる。
「ヴ ァ ア………………」
顔に幾多もの炎の剣を突き刺され、頭の中を焼き尽くされ、獣は倒れる。地面が揺れる、土砂が抉れ、土埃が闇夜に舞う。
助けられた。否、助けてくれた。
ゆらめく火炎の刃がぼんやりと影を剥がす。
くすんだ灰色の外套に、所々獣の血が付着している黒い甲冑。その体躯は少女の二倍はありそうだ。
「あ、あの……」
騎士は突き立った剣を引き抜き、未だに燃え盛る炎の剣を、実体の剣で一振り払って消化する。一気に影が戻って、少女の視界がまた闇一帯に染まった。
「あり、がと、ございます……」
今だけ、少女はこの暗闇を有り難がった。自分が虐げられ続ける原因を消す事が出来るから。この騎士とはこれだけの出会いだろうから、せめて礼だけでも伝えて逃げよう、そう考えていた。
けれど、足が動かない。
想像以上に、恐怖で竦んでいたようだ。
震えて力が入らない体では起き上がることもままならない。
影で覆われた騎士は少女に手を差し伸べる。
「え、と……」
この人が助けてくれるのは、自分が忌まわしき存在だと扱われる証拠が見えないから。だからきっと助けてくれるんだ。彼女はこの闇夜に甘える事にした。
「んっ……」
金属の冷たい感触がする手の甲冑を握り、力を込めて立つ。騎士の手を握っていないとそのまま倒れてしまいそうなくらい、足が震えている。
「あ、ありがとうございます……」
騎士は少女を見下ろすだけで何も語らない。兜の奥の視線は一体何を捉えているのだろうか、少女は伏し目がちになった。
「え、あっ……」
騎士は歩き出す、少女の手を連れて。森を抜けると、淡く輝く白銀の月がそれなりの明るさを生み出した。
あぁ、この明るさなら、視界に入れた時点で分かってしまうだろう。「私」という者が、一体どういう存在なのか。
騎士の後ろを付いて行く少女は、歩幅を合わせようとはしなかった。振り向かれたら、きっと拒絶される。お願いだから振り向かないでと、それだけを心の中で願い続ける。
やがて草原を通り過ぎ、街に出る。今は真夜中だ、明かりがついている部屋など一つも……いや、あった。
夕方まで料理屋としてやっていた「トーネイの隠れ家」。衆目を恐れて少女が入ろうとはしなかった、比較的大きめな料理屋。「今日は終わり!」と書かれた看板が側に立てかけられているドアを騎士は二回叩き、開けた。
「おー、今日は遅かったねぇ黒騎士」
少女は騎士の広い背中から少しだけ顔を出した。そして、目を見開いた。
◇ ◇ ◇
『浄化』の魔術で服や体に付着した汚れを消され、裂かれた肌を治癒されて、少女はカウンターのイスに座りキョロキョロと見回す。
料理屋の照明はついておらず、カウンターの上に等間隔で置かれたランタンがほのかな光で照らしてくれる。
「おじょーさん、お飲み物はいかが?」
「トーネイの隠れ家」の店長……狩人
少女も噂は聞いたことがある。十傑は戦闘能力が11位以下と比べ物にならないほどだと。狩人の番付は依頼を達成した数とその依頼の質の両方を鑑みて点数が加算され、当然上げれば上げるほど順位も上がっていく。十傑は、文字通り1位から10位までの狩人。民衆で彼らを知らぬ者はおらず、憧れる人の数は果てしない。
「えっと……その……」
だが、そんな事はどうでも良かった。
「黒騎士」と呼ばれる人も、このアマネ・ムラクモという人も……自身の髪の色がどういう意味を持つのか分かっているはずなのに、優しかった。
「ん?」
「な、なにも、なにも思わないんですか……? 私の、髪、とか……」
「髪? あぁ……私そういうの全く気にしないし、っていうかここにいる人達も気にしないと思うよ?」
そう言ってアマネは流し目で周りを見渡す。
確かに、彼らは何も気にしていなかった。
この都の支配者たる「銀皇」ことバルケンス・エヴロイデアも。
「竜の娘」と呼ばれ、童女のような姿からは想像できないほどの破壊力を秘めているランダルシア・ファーブニルも。
「最上騎士」の名で民衆からの人気が特に高い、騎士道精神の模範そのものであるアルトリウス・カートリーも。
アマネの隣でコップを拭き続ける、アマネの弟子、実力は彼女に次ぐという長い黒髪のポニーテールが特徴的なスズハ・アキハも。
──そして、黒騎士も。
この場にいる「十傑」の6人誰一人、彼女の髪を気にするような者はいなかった。
「……ね?」
「……はい、そう、みたいです」
目の奥が熱い。涙が出そうだった。ここは、優しくて、温かい。
彼女の、銀から段々と紫に染まっていく長髪を、誰も貶さない。
「あったかーいミルクでも飲む?」
「……お願いします」
「ん。スズハー、よろしく」
「はぁーい」
安心する。とっても。
この場所は、親族にすら歓迎されず育ってきた彼女を受け入れてくれる唯一の場所のように思えた。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、名前教えて!」
燃え盛るような赤い髪に、少女とほとんど変わらない体躯のランダルシアが話しかける。
「エ、エルファバ……です」
「エルファバちゃんかぁ、んー……エルでいい?」
「エ、エル?」
「うん、エル!」
「……はいっ」
嬉しい、私の名前を知りたがる人がいてくれる。私をあだ名で呼んでくれる人がいる。
「くろきしー、この子とどこで会ったの?」
黒騎士は声で返さず、異空間から羊皮紙と羽ペンとインクが入った容器を取り出した。周囲の狩人はその光景を見ても何も驚かない、さもそれが日常であるかのように。
『獣が森で出てるって聞いたので夜な夜な行ったら会いました』
「大雑把だなー」
『暗すぎてよく覚えてないです』
「獣はちゃんと倒したのかー?」
『めっちゃ苦戦しました』
「うひょー、くろきしが苦戦するなんてこの街もキケンなんじゃないかー、王様?」
嘘だ、黒騎士は嘘をついた。全く苦戦なんかしていない、秒殺だった。だが、エルファバにはその嘘が何の意味を持つのか理解出来なかった。
「私はぁ……もう……職務ゥ……」
「見回りと称して毎晩料理屋に来る番付一位の王様はこの人ですかぁ?」
「スズハ、支配者の机に積もる書類の量を舐めちゃいけないよ」
スズハは可憐な見た目に反して割とイヤらしい性格をしていそうだ。カウンターテーブルに突っ伏す細身で身長が高いくすんだ灰色の髪をした男性が、この都の支配者であり、若くしてその立場を得た狩人番付一位のバルケンス・エヴロイデアである。
「あ、あの……黒騎士、さん?」
エルファバは黒騎士に話しかけた。出会った時からずっと気になっていた事を聞くために。黒騎士はエルファバの方に顔を向ける。他の狩人は各々で楽しそうに駄弁っている。
一呼吸置いて、エルファバはもう一度口を開く。
「あなたの名前はなんですか?」
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